045 キルダ2日目ー3つのハーブー

 今まで生きてきた人生の中で、目覚まし時計も使わず、こんなにも爽快に目覚めた朝があっただろうか。


 キルダに到着して初めて迎えた朝は、部屋に差し込む明るい自然光のおかげで、何の苦労もなく朝6時に目が覚めた。窓から見えるのは、朝日を浴びてきらきら光る大海原と、地平線を進む商船。そしてその海の上空を飛ぶカモメたち。朝から最高の気分だ。


 外に出てみたくなった。


 ジャケットを羽織り、私たちのゲストルームにあるドアからそっと外へ出ると風が少し強い。開放感に身をまかせて思いっきり息を吸い込むと、海のにおいで胸が満たされた。


 「おはよう、オフィーリア」


 部屋に戻ると、エステラも起きていた。よく眠れたのか、元気いっぱいの笑顔だった。2人でキッチンダイニングに行くと、マレードさんが朝食を用意していて、いいにおいが充満していた。オーブンやコンロを使って温まった空気が、窓を曇らせていた。普段と違う環境で感覚が麻痺しているのかもしれない。寒さなんてあまり気になっていなかったつもりだが、朝晩は気温が2桁にもならないほど寒いことを、曇った窓を見ながらぼんやりと実感した。


 「おはよう、オフィーリアさんにエステラさん。よく眠れたかしら?」

 「ええ、すごくよく眠れました。朝もすっごく気持ちよく起きれて自分でもビックリしています。私が目覚まし時計なしで起きれることなんてないんですよ」

 「うふふ。ここは朝日とともに起き、夜も早くに寝静まるからね。なんていうのかしら、より人間らしい生活ができるのよ」


 朝食は焼き立てのデニッシュパイとサラダ。パイの中には、とろとろのチーズとクランベリーソース、キルダのハーブが入っていて、とても美味しかった。


 「今日は、散歩がてら外へ出てハーブを取りに行きましょう」


 朝食を食べた後、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、マレードさんは紙にいくつかのハーブの名前を書き始めた。


 「今日は近場で取れるもので、尚且つ扱いが簡単なものがいいわね……」


 マレードさんは、私とエステラがキルダの観光なんかもできるように今日を含めて1週間分の予定を組んでくれた。


 家の裏庭から海の方に向かって歩くと、小さな丘がある。

 その丘でとれるのがワッチュゴとヴォルック、そしてモイロだ。それぞれのハーブの特徴なんかとともに、マレードさんは、どんな料理に使われるのかを丁寧に教えてくれた。


 「ワッチュゴは、とても使いやすいハーブでね、お菓子にもジャムにもサラダのドレッシングにもお肉にも使えるのよ。柑橘系の果物のような爽やかなでフルーティーな香りがするでしょう?」


 こんなハーブ講座に、意外にも興味津々だったのがエステラだ。マレードさんの話を聞いては「この根の部分は使えるか」「昔は薬草として使われていたことがあったか」など魔女見習いならではの質問を投げかけてはマレードさんを驚かせていた。


 「そうなのよ、エステラさん! 今は主に料理の香り付けに使われているワッチュゴなんだけど、その根っこ部分にはお肌の炎症を抑える効果があって……」

 「花とか実は使えるんですか?」

 「あ~~、エステラさん! すっごくいい質問よ! 実はもう少し暖かくなると黄色い花をつけるんだけど、その蜜がね……」

 「えーー、すごい! じゃあ種は……」

 「そうなの! エステラさんすごくセンスがいいわ!! その種をね……」


 ……なんか……もしかして、この2人、すんごく気が合うんじゃない??


 2人でハーブの歴史から効能までかなり盛り上がっている。さすがキルダ産ハーブマイスター・マレードさん。さすが300年前の魔女見習い・エステラ。2人ともハーブのことになると驚くほど活き活きした目になってキャッキャ騒いでいる。声のボリューム2倍増し。声のトーン3倍増し。まさかハーブのことで、こんなにも盛り上がれる人間がいるなんて。


 「ヴォルックはこっちよ。このハーブは岩場に生えるの」


 私は携帯で写真を撮りながらメモする。ハーブの名前、特徴、どんな料理に使うのか、どんな香りがするのか……。


 「あ、ヴォルックって燻製っぽい匂いがしますね」

 「ええ、これはお肉や魚料理に使うのよ。チーズ料理とも相性がいいわ」


 エステラは鼻歌なんか歌いながら自分用に教えてもらったハーブを摘んでいる。ものすごく楽しそうに見えるのは私だけだろうか。


 「こっちがモイロ。モイロは日陰を好むハーブだから、こういった低木が密集してるところで採れるのよ、ほら」

 「わ、これコーラの匂いがする!」

 「うふふ、甘ったるい匂いでしょう? 煮込み料理に入れるといの」


 とりあえず新しいハーブを3種摘みとると、早速料理の特訓が始まった。


 私がキッチンで料理の特訓を受けている間、エステラは「やりたいことがある」と言って部屋へ引き籠っていた。少しばかり「仕事道具」を持ってきているのは知っているので、きっとまた魔女の水鏡でも使って、魔女の仕事をしているんだろう。


 3時間ほどの料理の特訓を終えると、自由時間だ。私とエステラはキルダ島の探索に出かけることにした。海風を受けながら海岸沿いを歩いて、エステラと今日1日のことを話した。


 「ねえねえ、私が料理特訓受けてる時、何してたの?」

 「え? 勉強だよ?」

 「勉強? 何の?」

 「薬草の!」


 夢を語る小さな子供のように楽しそうな口調でエステラは話した。


 「ここには見たこともない薬草がいっぱいあって、すごく楽しい! さっそくワッチュゴをつぶして軟膏を作ろうと思ってて……」


 楽しそうに話すエステラを見て、私は「絶対に肌に炎症ができるようなことはしないでおこう」と心に誓った。料理の時に軽い火傷なんぞ作ろうものなら、絶対にそのワッチュゴの軟膏を使われる。私は市販薬でいいのだ。いや、むしろ市販薬がいいのだ。


 「あーーーー!!」


 私の方に顔を向けていたエステラが、珍しく甲高い声で叫んだ。海の方を指さしている。


 「オフィーリア、見たっ? 今の見た? なんか海から出てきたよ!」


 指さす方に視線を向けても、私には何も見えない。


 「何? 何も見えないじゃん」


 と言った瞬間だった。

 海面から大きな魚が飛び出した。

 魚ではない。イルカだ。イルカの群れだった。


 「わー、すごい、すごい、すごい!! 野生のイルカだよーー!!」


 私も自然と笑顔になり、ぴょんぴょんと飛び上がった。


 「イルカ? イルカっていうの? あの大きな魚」

 「魚じゃないの。一応、哺乳類」


 私たち2人は子どものようにはしゃぎながら、いつまでもそのイルカの群れを見ていた。

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