近未来ゴルフ

@qoot

第1話

「お待たせしました。只今開店です」

 この店は10時オープンのため、いつも5分ほど前に到着するのだが、だいたい50人は並んでいる。土日に行われる“朝一お得市”が目当ての客たちだ。ネットでは買えない、来店客だけの特価品が人気となっている。ターミナル駅の正面にある大手家電量販店だが、他にスポーツ用品、ブランド品、食料品などのフロアもある総合ディスカウント店である。水野の行き先は、5階にあるゴルフ用品売り場と決まっている。4階と5階がスポーツ用品フロアで、5階の半分程をゴルフコーナーが占めている。ゴルフ専門量販店にも負けない、売場面積で日本最大級を誇っているそうだ。

 水野の唯一の趣味がゴルフで、特に買うものはなくても、ここにはほぼ毎週通っている。クラブを試打したり、顔馴染みのベテラン店員とゴルフ談義をするのがとにかく楽しい。

「久保田さん、おはようございます」

「いらっしゃい。水野さん、お待ちしてましたよ」

 久保田は、ゴルフ用品メーカーの営業から取引先の大手ゴルフショップに転職。さらに2年前、閉店した百貨店の跡地にオープンしたこの店にフロアマネージャーとして再就職した。

「テイラークラフトのアイアンですか?先週からテレビCMが始まったので、試打品が届いたんですね」

「違うんですよ。もっと喜んで頂けるものですよ」

 久保田が見せてくれたのは、透明なケースに入った腕時計のような物と、外箱に大きく“試供品”と書かれたゴルフボール2個である。

「これは・・?」

「へぇー、水野さんでもご存知ないゴルフグッズがあるんですねぇ」

 久保田が茶目っ気たっぷりに言う。

「あのe-caddieとe-ballですよ!」


 ゴルフは今、大きな変革期を迎えようとしている。バブル期をピークにゴルフ人口は減少を続ける。ゴルフコースも倒産が相次ぎ、一部の名門コースを除いて、今は大手の運営会社数社に集約されつつある。

 そんな中、通信業界トップのブレインバンクがゴルフ業界に参入したのである。若者に人気の“BB”ブランドを冠したゴルフクラブの発売でも、もちろんゴルフコースの経営でもない。ブレインバンクのカリスマ創業者である旗会長が、今更ピークがとうに過ぎた業界に参入するなどあり得ない。

「探してないなら作れば良い」

 有り余るキャッシュの投資先を経済紙の記者から問われた時、旗会長が珍しく色をなして反論したのだ。ブレインバンクは、世界中から有望なベンチャー企業を見出して投資している。失敗も多いが、一発当てればリターンは莫大だ。しかし、ここ数年は目立った投資案件がなく、「キャッシュに苔が生えている」とあるアナリストに酷評されたこともある。

 ベンチャー魂に火がついた旗会長は、一昨年の決算説明会で「ブレインバンクグループの人・モノ・金・情報を投入し、ゴルフを成長産業にする」とぶち上げたのである。


「あんなものはスポーツとしてもゲームとしても何の魅力もない。時間の無駄だ」

 旗会長は、かねてゴルフ嫌いを公言していた。そんな会長が、なぜゴルフなのか。

「ゴルフ嫌いの私がゴルフをやりたいと思えるようなものにする。ゴルフ人口を劇的に増やす」

 決算説明会でゴルフ事業への参入を発表した時には、旗会長の構想に基づき、既に社内の精鋭たちが動き出していた。


 そして翌年の決算説明会で、ブレインバンクがプロデュースする新たなゴルフライフが半年後にスタートすると発表。合わせてe-caddieとe-ballもマスコミにお披露目された。

「ゴルフ好きをワクワクさせます。ゴルフ嫌いをゴルフ好きにします。もちろん私もゴルフを始めますよ」

 翌日の株式相場は直ぐさま反応。東経平均株価が大きく下落する中、ブレインバンクは勿論、ゴルフ用品メーカー、ゴルフウェアのアパレルメーカー、そしてクラブハウスのレストラン運営を受託している外食企業などの株価が軒並み上昇した。


「これですか。ゴルフ雑誌では見たことあるけど、あっ、触っても大丈夫ですか?」

「もちろんです。どうぞはめてみてください」

 ブレインバンクの説明によると、e-caddieを腕につけてe-ballでプレーすれば、スコア、残り距離はもちろん、蓄積されたデータや天候に応じて、プレイヤーに最適のクラブ選択 がモニターに表示される。またラフに打ち込んでもボール位置をモニターと音声で教えてくれるので、ロストボールにならない。ハンディキャップを計算したり、全国ランキングもモニター上で発表される。全国規模でオープンコンペの開催も検討中とのことである。


「へぇー。思ったより軽いなあ。これならプレーの邪魔にはならないですね」

「血圧や心拍数、歩数も測れます。時計として普段からはめておけば便利ですね」

「なるほど。ボールも見た目の違和感はないですね。まあ、当たり前か。でも、発売はまだ半年くらい先ですよね。もうサンプルがあるんですか?」

「実はモニター用なんです。希望するショップから抽選を行い、各店一名分が貸与されます。動作確認や使い勝手のアンケートにお答えいただくことになっています」

「全国で何人がモニターになれるんでしょうね?」

 久保田は販売店用の説明書を見ながら答える。

「えーと、50名だそうですね。どうもこのe-caddieとe-ballだけでは機能しなくて、ゴルフコースに専用機器の設置が必要みたいですね」

「そうなんですね」

「例えば、OB杭に発信機を取り付け、e-ball内のセンサーが読み取ってOBかどうかを判定し、e-caddieが教えてくれるそうです」

「コース全体のOB杭って相当な数ですよね」

「そうです。他にもバンカーや池、グリーン、ペナルティエリアなどかなりの電波発信機が必要になると思います」

「じゃあ、モニターの人達は、どこでプレイが出来るのですか?」

「現在は、千葉の房総ロイヤルカントリークラブの4番、5番、6番ホールだけみたいです」

「うわぁ、名門コースじゃないですか。プレイ代が大変ですね」

「モニターなら1組で2回まで、全員が半額でプレー出来るようですよ」

「それはすごい!それでモニターを誰にするかもう決まったんですか?」

「はい!ぜひ水野さんにお願いしたいのですが。引き受けて頂けますか?」


「ねぇ、またゴルフ用品を買って来たの?」

「買ったんじゃなくて、モニターを頼まれたんだよ」

「前にもゴルフクラブのモニターを頼まれて、最後は買わされたじゃない」

「買わされたんじゃなくて、気に入ったから買い取ったんだって。アンケートに答えるだけで、人気のドライバーが半額で買えるんだから断然お得だよ」

「はいはい。それで今回は何なの?」

 水野の妻は運動がてら打ちっ放しには時々付いて来る。お笑い芸人が出ているゴルフ番組はよく観てるので、多少の知識はある。

 水野が『モニターの皆様へ』に書かれた内容をかいつまんで説明すると、彼女は少し興味を持ったようである。

「でもe-caddieだっけ?いくら色んな機能があると言ってもねぇ。i-glassesにインストールすれば、ぜんぜん便利なのに」

 水野はまだスマホだが、妻は先週やっとi-glassesを買えたのである。


 米国オレンジ社のi-glassesが日本でも発売され、爆発的な人気となっている。スマホやタブレット、腕時計型などにあった液晶画面がない、フレーム全体が太めのメガネ型通信端末である。空中に大きな画面が映し出され、通話、メール、写真・動画の撮影・視聴など各種操作が出来る。操作は空中に映し出されたアイコンやボタンなどを凝視して瞬きするだけ。もちろん映し出された動画や音は、周りの人には一切見えないし聞こえない。また運転中や歩行中には動画の操作や視聴が出来ないよう制御されている。ナビ機能は音声案内と同時に道路上に矢印で表示される。コンビニでのキャッシュレス支払いは、声で“BB pay”と呼び出すだけでOK。他人の声には反応しない。

 i-glassesの発表会で、視聴や発声に障害がある人用の機種が来年にも発売されると予告があり、会場内が歓声に包まれた。

 なお、i-glassesのレンズ部分は、度付きにも色付きにも出来る。通常はブレインバンクなど大手通信会社のショップやサイトで購入するが、度付きの場合のみ眼鏡店で購入しなければならない。


「それはグッドアイデアだよ。アンケートで提案しておくね」

「それでいつ試しに行くの?」

「ちょっと悩んでんだよね。来月末までにアンケートを提出しなければならないんだよ。問題は誰と行くか?だな」

 半額になるのが2ラウンドだから、合わせて6名を誘うことが出来る。水野の主なゴルフ仲間は、会社関係と大学時代の友人だ。「何で誘ってくれなかったんだ!」と後から恨まれるのも気まずい。

「とりあえず山本たちとの1組は決まりかな」

 大学時代の友人10人程が、卒業以来ゴルフの関係が続いている。その内、山本、石井、橋本とは4人でのラウンドや飲み会も多いので、他から苦情が出ることもないだろう。

「問題は会社関係から誰を誘うかなんだよね」

「同期の3人でいいんじゃないの?」

「いや、今の部長は大のゴルフ好きだよ。それに取引先の接待に利用することも考えなければならないからね」

「プライベートと割り切ればいいのに」

「そうは行かないから悩んでるんだよ」

 来月のことなので、まずは土曜日で2日分の予約をすることにした。ネットでは上手く伝わらないと思い、直接電話した。e-caddieのモニターであることを伝えたら、最優先で予約出来るとのことであった。


《皆んな元気かぁー?ブレインバンクのe-caddie知ってるよね。何と俺がモニターに選ばれた!来月6日の土曜日、房総ロイヤルCCで初めて使ってみるから、一緒にラウンドしようぜ。プレー代は皆んなの分も半額になるのでご安心を。詳細は後日。水野》

「こんなもんかな」

 グループメールを送信した途端、一斉に3人から返信が来た。内容はほぼ同じである。

《絶対行くよ!楽しみだぜ!いつもより30分早く集合しないか?e-caddieを早く見たい!》


「加藤部長、少しお時間よろしいですか?」

 水野は終業時刻である5時30分を待って、窓際の大きな机で帰宅の準備をしている部長に声を掛けた。もちろん真っ直ぐ帰宅はしないだろうが。

「なんだ難しい話しか?ここでいいか?それとも応接室か?込み入った話なら、どうだい、一杯飲りながら」

 取引先の会合や社内外との会食が多い加藤部長だが、珍しく今日は予定がないようだ。

「プライベートな用件かも知れませんので、外の方がありがたいです。今日は特にご予定は?」

「何もないんだよ。たまには早く帰ればいいんだろうけど、女房も娘も嫌な顔するからな。はっはっはっ」

「では、一杯飲りながらでお願いします。佐々木課長も宜しければいかがでしょうか?」

 主任の水野が直接加藤部長とやりとりしているのを、佐々木課長が気にしていたのだ。プライベートな用件なら、課長だからといって割り込む訳にもいかない。

「私もご一緒させて頂いてよろしいですか?」

 佐々木課長は、水野には答えず、加藤部長に確認する。

「私も用件がなんなのか分からんのだよ。水野くんが良いって言ってんだからいいんじゃないか?」

 佐々木課長は営業部の中間管理職なので、この辺の順序にはセンシティブである。

「佐々木課長、すみません。先にお声掛けするべきでした」

「いや、そんな大袈裟な話じゃないよ」

 佐々木課長がやっと水野の方を見て笑顔を見せる。

(この3人でたまに飲むけど、気を使うんだよなぁ)

 水野は、応接室で話せば良かったと後悔し始めている。


 店の選択を水野に委ねられたので、会社から歩いて数分の焼き鳥屋にした。加藤部長は飲むばっかりであまり食べない。いかの塩辛にキムチでもあれば充分だ。取り敢えずのビールもなく、夏でも熱燗一筋である。佐々木課長は、好き嫌いが多いから厄介だ。魚が嫌いで、牛肉と豚肉は体質的に受け付けないらしい。鶏肉と野菜しか食べないので、焼き鳥屋が無難なのである。

 それぞれ飲み物とおつまみを注文し、仕事関係の懸案事項から社内のゴシップ、時事ネタなど8割がた加藤部長が喋っている。人を飽きさせない語り口は、天性の営業マンである。小1時間ほど経った頃、ようやく本題に入る。

「ところで水野くんの相談事ってなんだい?」

 加藤部長がもずく酢をズズっと啜って聞いてくる。佐々木課長は冷めて硬くなった鶏皮をしつこく噛み続け、ようやくレモンサワーで流し込んでいる。

「実はですね・・・」

 水野はe-caddieのモニターに関して要領良く説明した。そして社内メンバーでラウンドするか、あるいは取引先の接待に利用出来ないかと提案した。もちろん大学時代の友人と行くことは言わない。あくまで1ラウンドのメンバーをどうするか?である。

「社内にしろ社外にしろ、水野くん以外の3人を選ぶのは大変ですよ」

 佐々木課長が問題点を絞り込んでくれた。この時点で、水野の同期とのラウンドは無くなった。

「いや、本来は水野くん個人の問題だ。接待利用を提案してくれたのはありがたいが、少なくとも社内の誰と行くかを我々が決めることではないんだよ」

 加藤部長が話をグッと戻してくれた。

「実は友人と1ラウンドやります」と正直に言おう。加藤部長の言葉を聞いて、水野はそう思い直した。そもそもラウンド2回が半額になるだけで、何回行っても構わない。プライベート2回、接待1回もありだ。ただし、部長ならいざ知らず、水野の立場で平日ゴルフは出来ない。土曜日だけなら2回が限界だろう。経済的な面も含めてだ。日曜日は家内と出掛けることが多い。水野はこのような自分の都合を明らかにした上で、2人の上司に相談することにした。

「申し訳ありません。実は大学時代の友人と来月6日の土曜日に1ラウンド行きます。最初から正直に言うべきでした」

「いやいや、君が申し訳なく思うことはないよ。全く気にしなくていいし、そもそもプライベートのことを言う必要もない」

 加藤部長の理屈は明快だ。水野の心の中にあったモヤモヤがスッと消えた。

「ありがとうございます。それでもう1ラウンド行きたいので、ご招待する取引先の選定についてご相談したいのですが」

「分かった。佐々木課長、どうだろう。いま水野くんが攻略している今井商事の今井社長にお声掛けしては。相当なゴルフ好きで、時々奥さんともラウンドを楽しんでいると何かの会合で聞いたことがある。ご夫婦で招待し、夜の会食までやろう。上手く行けば、新規納入がぐっと近づくんじゃないか?」

「それはグッドアイデアですね。では、こちら側は、加藤部長と水野くんでお願い出来ますでしょうか?私はお土産を用意して、会食から合流させて頂きたいと思います」

「よし、それで行こう。水野くん、今井社長との日程調整を頼む」

「承知しました。来月20日の土曜日で房総ロイヤルを仮予約しています。部長、課長がよろしければ、まずはこの日で調整してみますが」

「構わんよ。土曜日なら27日も空いてるぞ」

「水野くん、私も大丈夫だ」

「では、明日一番で今井社長と連絡を取ります。私の都合ばかりで申し訳ありません」

「なに、こちらこそだよ。おっと、まだこんな時間か。さあ、大いに飲むべしだ!」


「今井社長、突然のお誘いにも関わらず、ご調整頂きありがとうございます」

 今朝、今井商事の今井社長に電話して日程の確認をしたところ、

「良かったら来てくれないか?」

 ということで、千葉駅近くの今井商事を訪ねたのである。何度も訪問しているが、自社ビル5階にある社長室に通されたのは初めてのことだ。ひと通り説明と質疑を終え、香りの良い紅茶をゆっくり味わいつつ、水野は改めてお礼を言って面談を締める。

「とんでもない。水野くん、こちらこそありがとうございますだよ。e-caddieを知った時、非常に興味を覚えてね。発売したら真っ先に買おうと思ったんだよ。でもね、恐らくいま発表されている機能だけではないように思うんだよね」

「と言いますと?」

「確かに分かってるだけでも凄いもんだと思うよ。ただ、あのブレインバンクの旗会長が考えることだ。こんなもんじゃないはずなんだよ。まだまだ何かあるよ、きっと。私の勘ってとこかな」

「今井社長、半年後の発売が楽しみですね」

 よほど機嫌が良かったのか、

「お昼にはちょっと早いが、美味いスペイン料理の店が近くにオープンしてね」

 と、今井社長が本格的なランチコースをご馳走してくれた。ワインもボトルで頼み、ますます盛り上がる。

「水野くん、本当にありがとう。家内まで招待してくれて嬉しいよ。加藤部長にもよろしく伝えてくれるかい」

「はい、申し伝えます。後日改めて、正式なご案内文をお届けに上がります」

「まだ商売にもなってないのに、申し訳ないね」

「今井社長、そんなことお気になさらずに、とにかく楽しみましょう!」


「ただいま。遅くなりました」

「おう、ご苦労さん!早速だが、あっちの応接室で話そう。佐々木課長も」

「加藤部長、佐々木課長、すみません。先にお手洗いに行かせてください」

 水野が小走りでトイレに向かう。

「顔が赤いぞ。ちょっと飲んでるなぁ?佐々木課長、水野くんも逞しくなったじゃないか」

「そうですね。安東さん、悪いが応接室にコーヒーを3つ頼む」

「承知しました。水野主任には冷たいお水もお持ちしますね」


 水野は旨そうに水を飲み、加藤部長と佐々木課長に面談の結果を報告する。

「それは良かったじゃないか。で、日程はいつになりそうだ?」

「その場で奥さまにご連絡してくださり、出来るだけ早い方が良いとのことで、来月20日の土曜日で確定です」

「奥さまが、早い方が良いと?」

「はい、奥さまも今井社長に負けず劣らずゴルフがお好きなようです」

「そりゃますます良かった。早速、案内文を作ってくれ。奥さんのお名前は分かっているのかい?」

「お聞きしました。この後直ぐ作成します」

「佐々木課長、お土産はどうする?何かアイデアはあるかい?」

「はい、ネーム入りのボールはどうかと思いまして。水野くん、上手く聞き出せたかな?」

「はい。決まったメーカーやブランドはお二人とも無いようです。むしろ、新発売のボールは何でも試しているみたいです」

「ありがとう。それは好都合だ。では加藤部長、それぞれのネーム入りで2ダースずつ用意します。ボールはタイトフライのニューモデルでいかがでしょうか?」

「うん、いいんじゃないか」


「へえー、これがe-caddieかぁ」

 良く晴れた土曜日、絶好のゴルフ日和。大学時代の仲間同士で、e-caddieとe-ballを使った初のラウンドである。いつもより30分早く集合し、レストランでコーヒーを飲みながら機器の説明をしている。

「なんか、ブレインバンクらしくないね。間に合わせで作った感じしない?」

 橋本は、ブレインバンクが販売する“BB”ブランド品の熱心なマニアである。機能よりもデザインが気になる様子だ。

「週刊誌で読んだけど、旗会長がスケジュールを先に決めてしまったので、社内はてんてこ舞いらしいぜ」

「ネットでは、正式発売の商品はBBらしく洗練されたデザインになると評判だよ」

 山本と石井も情報収集しているようだ。

「再来週の土曜日も、上司と取引先の社長夫妻でここに来るんだ。その社長曰く、正式発売品の機能はこんなもんじゃないって」

「確かな筋の情報なのか?」

「ううん、勘だって」

 4人で大笑いしていると、近くのテーブルにいた中年サラリーマン4人が話しかけてくる。

「お話中すみませんが、ひょっとしてそれはe-caddieですか?」

「ええ、そうですが」

「不躾で申し訳ないですが、ちょっと見せていただけませんでしょうか」

「はい、いいですよ」

「どうも恐れ入ります」

 4人それぞれが、感想やら情報やら疑問やらをマシンガンのように喋り続けている。誰かの質問にも、まるで誰も答えない。ようやく興奮が収まり、最初に話しかけて来た人がe-caddieを返しながら言う。

「どうもありがとうございました。モニターは全国で50人程と聞きましたが、まさかそのお一人にお会い出来るとは、奇跡とでも言いますか、本当にラッキーでした」

「確かに50人ですが、これを使用出来るのは、ここの4番から6番ホールだけなんです」

「へぇーそうなんですか」

「この情報は皆んな知らないだろうから自慢出来るぞ」

「貴重なものを拝見させて頂き、どうもありがとうございました」

「いえいえ。ぼくも今日初めてなので、とても楽しみです」

「でも、房総ロイヤルだけというのも出費が大変ですね。私たちは社用だからいいけど」

「実は、モニターは2ラウンドまで、同伴者も含めて半額でプレーが出来るんです」

「またひとつ自慢話しのネタが出来たぞ!」


 いつもなら夜の一杯目の生ビール代を賭けて、オリンピックとニアピンをするのだが、今日はそんな話にもならなかった。1番から3番ホールまではさっさと終えて、待ちに待った4番パー3に来た。

「水野、e-caddieは反応しないか?」

「うん、今のところ特に、おっ!モニターが点滅を始めたぞ!」


《4番ホール、パー3です。ピンまでの距離は、打ち下ろしと追い風を考慮して138ヤードです。ピンの位置は、手前から20ヤード、左から5ヤードです。グリーンセンターとピンの間が狙い目です。右手前のバンカーは深いので気を付けてください。グリーン奥は6ヤードでOBなので気を付けてください。・・・(ピッ、ピッ、ピッ)・・・データ不足のため、推奨クラブは不明です》


「e-caddieの画面に画像と文字で表示されるけど、サイズが小さいから音声の方が分かりやすいかな」

「だけど、全員がe-caddieを持ってたらうるさいんじゃないか?」

「確かにそうだね」

「橋本がオナーだろう?後ろが来るから早く打とうぜ」

「悪い悪い。138ヤードだったな。奥が怖いから、ピッチングでいいな」

「お前、飛ぶからなぁ」

 橋本は少し手前にナイスオンだ。次の山本はグリーン右サイドにこれもナイスオン。さあいよいよ水野の順番である。

「ここからはe-ballに変えなくちゃ」

 e-ballをe-caddieに近づけ、固有番号を読み取らせる。ピッと音がしてe-caddieの画面に“読取完了”の文字が点滅する。

「水野、機能を確かめるなら、右の崖下とか奥のOBに打ち込んだ方がいいんじゃないか?」

 確かに石井の言う通りだ。コンペではないので、スコアは関係ない。

「そうだね。でもまだ次もその次もあるし、取り敢えずここは普通に打ってみるよ」

 水野は、140ヤード前後なら7番アイアンで打つところだが、奥を警戒して8番アイアンを手にした。いつもにはない緊張感がある。

(まずはグリーンに乗せることだ)

 e-ballを低くティーアップし、クラブを剣道の構えのようにかざして方向を確認。その場でゆっくり2回素振りをしてから、左側に回り込みターゲットを見つつクラブフェイスをセットする。水野のいつものルーティンである。アドレスが決まったらワッグルも方向確認もせず、直ぐにテイクバックしてさっと打つ。

「ナイスショット!」

「方向距離とも良し!ベタピンだぞ!」

 水野も満足気にフィニッシュの姿勢を緩めながらボールを目で追うが・・・

「あれぇ⁈伸びてるぞ、大きくないか?」

 水野の打球はキャリーでグリーン奥のカラーでバウンドし、ラフの中に消えた。

「ナイスショット過ぎたんじゃないか?」

「いや、8番アイアンであんなに飛ばないと思うけど・・・」


 1打毎に使用したクラブをe-caddieに入力しなければならない。データを蓄積して推奨クラブをAIが計算するためである。面倒なようだが、自分の番手毎の正確な飛距離は意外と分からない。ましてプロのように毎回同じ飛距離でもない。ある程度(マニュアルでは3ラウンド以上)データが蓄積されれば、天候やライの状況、その日の調子などからAIがクラブ選択してくれる。便利な機能である。


 e-caddieの画面にはまだ4番ホールの情報が残っていたが、直ぐに画面が変わり、使用クラブの入力を求めて来る。

「あれぇ⁈おかしいなぁ」

「どうした。e-caddieの調子が悪いのか?」

「そうじゃなくて、いまピンまでの距離が127ヤードになってたんだよ」

「見間違いじゃないのか?」

「いや、そんなことはない。確かに127ヤードだった」

「まだ試作段階だから、精度が高くないのかもな」

「まぁ奥にこぼれた訳だし、OBかセーフか機能を試せるよ」

 石井のショットは大ダフリで距離が出ず、グリーンよりはるか手前のラフに捕まった。


 途中でアプローチする石井を下ろし、カートはグリーン横の所定の位置で止まった。橋本と山本は、パターを持ってグリーンに上がる。水野はアプローチとサンド、パターを持って小走りでグリーン奥に向かう。ボールをマークした2人はe-caddieがどんな反応をするかを見るため、水野の方に移動する。石井はアプローチがショートしてグリーンに乗らず、結局3オンとなった。


「水野、待ってくれよ。俺たちにも見せてくれよ」

 水野はカラーから奥の方を見ている。ラフの切れ目にOB杭があり、その先は下っている。

「大丈夫、まだ反応してないよ」

「結構深いラフだな」

「おっ!画面が点滅してるぞ」


《あなたのボールは、3メートル先にあります。セーフティゾーンです。誘導しますので、ゆっくり歩いてください。・・・右に進んでください。・・・真っ直ぐ進んでください。・・・左に進んでください。・・・ボールは直ぐ近くにあります。ボールを見つけたら、“ピッ”と鳴るまでe-caddieをボールに近づけてください》


 音声だけでなく、e-caddieの画面上にはプレイヤーが星形で、ボールが赤い点で示されている。プレイヤーが動くと星が点に近づいて行く。ただ画面が小さいので距離感が分かり難い。音声と合わせれば間違いなく見つけられるだろう。


「あった!あったぞ!」


 e-caddieをボールに近づけると“ピッ”と鳴って誘導を止め、プレーの続行を促してくる。


《次は第2打です。グリーンエッヂまで3ヤード、エッヂからピンまで6ヤードです。グリーン上は上りのスライスラインです。》


「おいっ!凄い機能だな、これ」

「本当に。取りに行けない谷底にでも打ち込まない限り、絶対にロストボールにはならないな」

「あと、池に入った時もダメなんだ。普通のボールと同じで沈んでしまうんだ」

「だけどグリーンの傾斜まで教えてくれるなんて、まさにキャディーだよな」

「さあ水野、アプローチの腕前を見せてもらうぜ」


 4番ホールは橋本が見事バーディー、山本はパー、石井はダブルボギー、水野はアプローチを寄せ切れずボギーであった。


《5番ホール、右ドッグレッグのパー5です。正面のバンカー方向に、210ヤードまでです。それより大きいとラフかバンカー、さらにOBがあります。高い弾道で240ヤード以上なら、ショートカット出来ます》


 飛ばし屋の橋本がオナー、当然ショートカットを狙う。e-caddieの画面では、右の林の大きな松の上辺りが狙い目である。これ以上離されまいと、山本の“口撃”が始まる。

「橋本の飛距離ならもっと右を向いてもいいんじゃない?」

「おだてたって調子に乗らないからな。こういう時こそ力が入り過ぎないように、と」

 ショットは豪快な橋本だが、案外慎重のようだ。やや抑えたようなスイングで、それでも鋭い弾道で松の木の上を越えて行く。

「ナイスショット‼︎」

「ちょっと擦ったかな⁈ なんてね」

「うるせぇんだよ!」

「山ちゃんも当然ショートカットだよな」

 お返しとばかりに橋本が煽って来る。

「いえいえ、“寄せワンの山ちゃん”ですから。安全なルートで参りますよ」

 その気になればそれなりに飛距離の出る山本だが、ここはスプーンで正面のバンカー方向に素直なストレートボールを打つ。

「ナイスショット!」

「山ちゃんよぉ。そんなゴルフで楽しいのか?」

 橋本が勝ち誇ったように言う。

「楽しくて仕方ないね。ゴルフは総合力のスポーツだ。パワーで敵わないなら他で勝負するさ」


 次は水野の番だ。さほど飛ばない水野は、ドライバーで正面バンカーの少し右を狙うことにした。持ち玉のスライスならコースなりなので、多少距離も稼げる。

 いつも通りにスイングしたつもりだが、そこはゴルフの難しさ。狙い通りの方向に飛び出したボールは早目に“グイッ”と右に曲がり、“カンッ!”と甲高い音がした。

「やっべぇ」

 木に当たったボールは、少なくとも左には跳ね返って来なかった。右に跳ねるとOBゾーンもある。

「参ったなぁ。出すだけでも大変だ」

「しかし水野はあれだな。e-caddieを堪能し尽くそうとしてるな」

「俺みたいに平凡で平均的なゴルファーにはこのe-caddieは無くてはならないと思うよ」

「モニターとしては最適じゃないか」

「ははは、確かに」

「おいっ!打つぞ!」

 言うなりスイングした石井のショットは力が入り過ぎ。100ヤード程しか飛ばず、もう一度ピッチングでバンカー方向に刻まなければならないようだ。

 クラブを何本も抱えて走ろうとする水野に山本が声を掛ける。

「カート道は右を行くから、乗って行けよ。e-caddieなんだから直ぐに見つかるさ」

「そうだね。どうも走るクセがついてるな」

「石井、お前は乗っちゃダメだろう。直ぐそこなんだから」

「俺にもe-caddieの凄さを見せてくれよ。さっきもボールを探すとこを見れなかったんだから」

 石井はゴルフの調子も悪く、今日は蚊帳の外だ。

「もっと腕を上げることだな」

「何だよ、全く」


 カートを降り、水野のボールが入り込んだ辺りから、3人で林の中に入る。

「全く見当がつかないな。まだe-caddieは反応しないか?」

「まだだな。もう少し奥に歩いてみるよ」

「じゃあ俺はOBゾーンの方から見て行くな」

「跳ね返ったかも知れないから俺は手前を探そう」

「悪いな」

「反応したら呼んでくれよ」

「OK」

 水野は左右を見ながらさきに進む。全くボールの場所の見当がつかない時には不便のようだ。

(プレイヤーとボールの位置が常にe-caddieの画面に表示されていたら便利なのに。ボール探しから完全に解放させて欲しいとアンケートに書いておこう)

「あっ!橋本、山ちゃん、反応を始めた!」


《ボールは5メートル先にあります。セーフティゾーンです。誘導しますのでゆっくり歩いてください。・・・そのまま進んでください。・・・ボールは直ぐ近くにあります・・・》


「あったあった」

 枯葉の下にほとんど隠れるようにボールがある。普通に探していたらまず気付かずに通り過ぎるだろう。

「どの辺りで反応した?」

「5メートル手前だった」

「もう少し手前から反応して欲しいよな」

「て言うか、常に画面上でボールの位置が分かるようにして欲しいよ。OBなら打ち直しも出来るし」

 捜索モードを解除し、ボールに被さっている枯葉を丁寧に取り除く。山本も自分の2打目に向かう。


《次は2打目です。林の中です。無理せず、安全な方に出しましょう》


「慎重なキャディーさんだな。いや、妥当か」

 グリーン方向には遠くなるが、もっとも開けた方に低く出す。フェアウェイに上手く転がり、山本のボール近くで止まった。

「ナイスアウト!」


 橋本のボールはフェアウェイのど真ん中、ピンまで残り200ヤードだ。

「ユーティリティだな」

 山本は2打目、水野と石井は既に3打目を打っている。

「房総ロイヤルの5番で2オン1パットのイーグル。これは自慢出来るな」

 まだティーショットを打っただけなのに、もう橋本はタヌキの皮を何枚と数えている。

 迷いなく打った橋本のボールは、惚れ惚れするような高い弾道で、ピンに向かっている。

「ナイスショットだ!」

「行けー!ゴーゴーゴー!」

 しかし無情にも少し距離が足りず、グリーン手前のバンカーにダイレクトインする。

「あぁー、やっぱり届かないか」

「どんまいどんまい。ショットは完璧だよ」

 バンカーに入れた橋本のボールは最悪のシチュエーションであった。頭が僅かに覗いている完全な目玉。しかも高いアゴの急斜面にあるため、足下が崩れて上手くスタンス出来ない。他の3人は山本が3オン、水野が4オン、石井は5オンで、カラーに立って橋本を見守っている。

 何とか足場を固め、サンドウェッジでフルスイングしたが、飛び出したのは大量の砂だけ。ボールは勢いよく斜面を下り、バンカー内の平らなところに止まった。勢いで橋本もずるずると斜面を滑り降りる。

「あの目玉じゃ仕方ない。良しとしようぜ」

 バンカーは深く、長身の橋本でも帽子が僅かに見えるくらいだ。4打目も高い壁に跳ね返され、ころころと足元まで戻り、5打目で辛うじてバンカーとグリーンの間のラフに出た。掛ける言葉が直ぐに出てこない。

「あーあ、バンカーの壁が酷い崖崩れだよ」

 ピンに一番近い山本がバンカーに駆け寄る。

「橋本、俺がバンカーをやるから、お前はアプローチしろよ」

「山ちゃん、申し訳ない。お願いします」

「そんな言い方、橋本らしくないぞ」


「今日は水野さんとお出掛けじゃないの?」

「うん、ひとりでお留守番。友達とゴルフに行ってるよ」

 水野の妻はひとりっ子なので、両親からよく電話があり、お互いの行き来も多い。車で1時間ほどだが、両親は苦にならないようだ。

「それならお父さんとそっちに行けば良かったわ」

「先週も来たじゃない」

「水野くんはゴルフだって?」

 グループ通話機能で父親が割り込んで来る。

「ほら、e-caddieだっけ?あれのモニターに選ばれたから、ゴルフに行ってるの」

「何だ、そんな大事なことを。何にも言ってなかったじゃないか!」

 本当に怒っているようだ。父親も大のゴルフ好きである。

「だって先週は、そんな雰囲気じゃなかったじゃない」


 およそひと月半ぶりに水野の家に遊びに来た両親と食事中、子供の話になった。

「水野くん、子供はそろそろじゃないか?もう結婚して4年だ」

「はい。でもまだ若いですし、2人だけの時間も大切にしたいと思ってますので」

 いつもなら「初孫を楽しみにしているよ」で終わるのだが、この日は違った。

「若いと言ったってもう2人とも30じゃないか。2人目のことも考えれば、決して早いなんてことはないんだよ」

「父さん。私達が何人子供を作るかなんて、勝手に決めないでよ」

 普段は仲の良い親子だが、いつになく強い口調の父親に、つい娘も強く返してしまった。

「ちょっと落ち着けよ。お義父さんも俺たちのことを心配してくれてるんだから」

「あなたも少し言い過ぎですよ。2人でちゃんと考えた上でのことなんですから。ねぇ」

「ご心配をお掛けしてすみません。子供は必ず欲しいと思ってます。孫の顔を見るのは、もう少し待ってください」

 水野は義父とのゴルフ談義が好きで、当然この日もe-caddieを見ながらあれこれ話すのを楽しみにしていた。しかしその後は会話も弾まず、早々にお開きとなったのである。


「それでどこのコースに行ってるんだ?」

「千葉のどこかみたい。名前までは忘れちゃったわ」

「今日の夜はどうだ。行ってもいいか?」

「今日はお友達と一緒で、ゴルフの後また飲みに行くから遅いと思うよ」

「じゃ、明日はどうだ」

「2人で新宿に買い物に行くのよ。夕方には戻るけど。父さん、また子供の話をするなら嫌よ」

「分かってる。寿司でも買って行くから、水野くんによろしく言っといてくれ。頼んだぞ」

(ゴルフのことになるとまるで子供だわ)


 ラフからは上手く寄せ、橋本は結局6オン1パットのダボとなった。山本はパー、水野はボギー、石井はダボだ。いつもなら山本が橋本に「ほら、ゴルフは上がってなんぼだろ?」というところだが、さすがに橋本が気の毒で言えない。水野はしょんぼりの橋本を励ますように声を掛ける。

「さあ、次は最後のe-caddieホールだ。距離の短いパー4、ハンディキャップも18だからきっとサービスホールだよ。ガンガン攻めて、バーディー取ろうぜ!」


「橋本、俺は飲んでもいいか?」

「もちろん。好きに飲めよ。俺は夜にガッツリ飲むから。その代わりお前、夜はウーロン茶だぞ」

「俺も飲ませてくだせえよ〜」

 このメンバーではいじられ役の石井が平伏すように言うと、テーブルに笑いが弾ける。

 橋本の車に同乗して来た石井だけが生ビールを、他の3人は運転があるからコーラやウーロン茶を注文する。

 6番ホールでは水野にトラブルはなく、e-caddieは淡々と距離やラインを告げていた。バーディーは出なかったが、ボギーの石井以外はパーであった。

 その後の3ホールはトラブルあり、笑いあり、いつもの楽しいゴルフであった。

「e-caddieは想像以上の機能だな」

 乾杯を終えて、早速橋本が真顔で感想を言う。一気に半分ほどを飲んだ石井が「がぁーうんめぇ!」と叫んで続ける。

「本当に。俺は間近ではあまり見れなかったけど、俺みたいな下手くそには絶対必要だね。値段は分からないけど、俺なんてボールをなくさなくなるだけで直ぐに元が取れるよ」

「そう、要は値段なんだよな。それとプレイ出来るコースがどれだけあるか、かな?」

「そのコースもさ、プレイフィーが同じなのか高くなるのか、にもよるよね」

「どうも課題山積ってとこか。アンケートに書くことがいっぱいありそうだな」

「水野はさ、いくらだったら買うんだ?」

 運ばれて来たカレーを「お先に」っとほうばり、山本が聞いて来る。石井は山本のカレーについて来る“らっきょ”をつまみにビールを飲んでいる。

「うーん、難しいな。残り距離やグリーン上のラインを教えるだけなら、最新の“ゴルフナビ”と変わらないだろう。ボールを探せる機能は、e-ballが必要だからね。OBかどうかも、近づいてからではなく、打った時点で分からないとあまり意味がないかな」

「確かにそうだな。 e-ballもロストボールになりにくいとしても、傷ついたら交換しなければならないもんな。これも値段次第だよね」

 水野が妻の言葉を思い出す。

「うちの嫁がさ、最近、i-glassesを買えたんだよ」

「いいなぁー。俺はぜんぜんダメだよ」

 i-glassesは希望者が多過ぎて、毎週1回、ネットでの抽選制となっている。米国や中国と比べ日本への割当数は少ない。そのため極端な供給不足なのだが、まもなく日本にも組立工場が完成、いずれ希望者に行き渡る見込みだ。

「それで家内が、i-glassesへのインストールが便利だと言うんだよね」

「確かに!俺もそう思うよ」

「むしろi-glassesの機能は、ゴルフに向いてるんじゃないかな。バーチャルとリアルの融合で全く新しいゴルフになるかも」

「そうなると保守的な意見が出るよな。“そんなのゴルフではない”って」

「そう。だからプロや競技ゴルフを目指す人は、従来通りのゴルフをやればいいんだよ」

「ボルダリング用のアプリがアメリカで開発されたらしいぞ」

 ボルダリングの初心者向けに、i-glassesを掛ければその人の体格や体力に応じて、どこに指や足を掛ければ良いか空中画面に表示されるものだ。技術レベルが上がれば、違うルートも推奨する。ハードルが下がり、競技人口の拡大が期待されている。

「へぇー、それならゴルフでもあるんじゃないか?」


「ねえ、あなた、考えてくれました?お礼の品を何にするかを」

「んー、何がいいかな?」

「もう、真面目に考えてくださいよ」

 今井商事の今井社長夫人は、水野からゴルフの誘いを受け、何かお礼をと今井社長に相談していた。今井社長もe-caddieを間近に見る

 ゴルフを本当に楽しみにしている。それでも日頃から接待や高価な贈答品、海外視察という名の招待旅行には慣れている。“お礼なんていいんじゃないか”と心のどこかで思っているので、夫人の相談にはまともに取り合っていない。

「クッキーの詰め合わせとかか?」

「そんな在り来たりなものは嫌ですよ。まだ取引もないのにお誘い頂いた東京機械さんに対してもそう。何よりわずか 2ラウンドしかないのに私達を夫婦でどうぞと言って下さったご担当の方、水野さんですか? それなりのことをしないといけませよ」

「水野くんには昼飯を馳走したぞ」

「そんなことだけでは、バランスが取れてません。特別なお礼で感謝を示さないと。それでお取引はどうなさるの?」

「それとこれとは別だ」

 今井社長はぴしゃりと反論する。経営のことには口出しさせない。もっとも今井社長は、東京機械との取引を真剣に検討している。現在は、競合の日機をメインに取り扱っているが、東京機械の技術サービス力には前々から注目していた。また最近の新商品には大いに魅力を感じている。さらに熱心に通って来る水野の提案力や人柄も好ましい。引き抜きたいくらいの人材だ。

「ではこうしよう。それぞれにデジタル商品券とメロンを会社で用意する。それにお前から水野くんの奥さんにということで、何かプレゼントすれば良い。歳は30くらいだ。何にするかは任せるよ」

「ありがとう、あなた。明日にでも百貨店に行って来ます」

「それから、当日はくれぐれも取引の話しはするなよ」

「分かってますわ。社長さん!」

 夫人はお嬢様育ちの天真爛漫な性格で、今井社長はそこが気に入って結婚した。普段は会社のことに口を挟むことはないが、“こんなにお世話になって、あなた、東京機械さんとお取引して差し上げたらどうですか?”などと突然言い出しかねない。ビジネスはビジネス、お礼だけで取引したなどと思われては経営者失格だ。


 水野たちは後半のハーフも終え、それぞれが自宅に車と荷物を置いて、居酒屋に集合する。ここは、学生時代に皆んなでよく飲んだ店である。飲み潰れたり、議論が白熱したり、時に殴り合いの喧嘩になったりと、色んな思い出がある。社会人になってからも、会う時はいつもこの店だ。安くて旨い。店主や従業員とも顔馴染みで、とにかく居心地が良いのだ。

「尾崎もとうとう結婚するらしいぞ」

「鎌田は結局ブラジルに単身赴任だってさ」

 ゴルフ場ではe-caddieの話題で持ちきりだったが、この居酒屋に来てからは、学生時代の仲間の近況で盛り上がる。30にもなると、昇進だ、海外転勤だ、結婚だ、離婚だと話題に事欠かない。

「鎌田の赴任前に尾崎の祝いも兼ねて、皆んなで集まりたいな」

「よし、俺が幹事をやろう。グループメールを発信しておくよ」

 2時間ほどワイワイと飲んで食い、“そろそろ行くか”とお開きになった。皆んな結婚してるので、朝からゴルフで夜は二次会とは、さすがに出来ない。金も続かない。別れ際、水野が皆んなにお願いする。

「明日の昼頃にe-caddieとe-ballに関して、俺の感想や課題をグループメールするから、悪いけど、何でもいいんで追加で返信してくれる?」


「ただいま」

「お帰り、早かったのね。まだ飲む?」

「今日はいいよ。冷たいお茶もらえる?」

「ねえ、今日実家から電話があってね、明日の夕方、またウチに来たいって。いいかな?」

 水野にグラスを渡しながら、妻が昼間のやり取りを説明する。

「先週は、ちょっと気不味かったもんな。e-caddieのこともいろいろ話せるし、いいんじゃないか」

「ありがとう。気を遣って、お寿司を買って来てくれるみたいよ?」

「そうか。じゃあ、何かおつまみとデザートくらい用意しとこうか」

「うん、明日行く百貨店でちょっと良いもの買っていい?」

「もちろん、いいよ。お義母さんの好きなケーキとかね」

「きっと喜ぶわ。で、どうだったの?e-caddieは」


「今日はお招き頂き、ありがとうございます。本当に楽しみにしていたんですよ」

「お忙しい中、申し訳ありません。奥様もありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。私までご招待頂いて、恐縮しております」

 お互い挨拶を交換し、スタートまでまだ時間があるので、2階のレストランでコーヒーを飲むことにした。

「今井社長、ご夫婦でゴルフという共通の趣味があって、素晴らしいですね」

 加藤部長がまずは当たり障りのない話題を提供する。

「いやいや。土日も含めて、仕事関係で何かと予定があるのですが、たまにぽっかりと空くことがありましてね。そんな時に家内とラウンドするんですよ」

「それは羨ましい。奥様は、ゴルフは長いんですか?」

 水野は、無理に割り込もうとせず、加藤部長の話術に任せることにした。

「ええ、ずっとウチにおりますので、健康のためにと20年ほど前に始めました。それ以来、週に1回のレッスンに通っておりますが、なかなか上達しませんで。今日はご迷惑をお掛けしますが、お許しくださいませ」

 夫人は、手を口元に当てて微笑み、軽く頭を下げる。上品な、いかにも社長夫人というような所作である。

「いえいえ、それはお互い様ですよ。今日は楽しくラウンドしましょう」

「ところで水野くん。例のやつを見せてくれるかい?」

「あっ、はい。失礼しました。えーと、どうぞ、こちらがe-caddie、そしてこれがe-ballです。お手に取ってご覧になってください」

 今井社長から突然話を振られ、水野は少々慌てて左腕からe-caddieを外して今井社長の前に、ポケットからe-ballを出して夫人の前に置く。

「まだ機能が限られているようですので、オモチャのように軽く感じます。e-ballは普通のボールと特に変わりはありません」

 水野の補足説明も聞こえないように、今井社長はつぶさにe-caddieを見ている。

「私も今朝方、これを始めて見ましたが、正直そんなに凄い機能があるようには思えませんでした」

「確かにそうですね。水野くんはこれで一度ラウンドしているんだよね。どうだった?」

 水野は先々週の友人とのラウンド、アンケート記入のために感想や課題をまとめたことを簡潔に説明して続ける。

「例えば林の中に打ち込んだ時ですが、普通のゴルフナビなら直線距離を教えてくれるだけですが、これだと“安全な方向に出してください”と注意してくれるんです」

 水野がe-caddieの声色を真似たので、今日初めての笑いが起き、一気に場が和んだ。

「まあ、ご親切なキャディーさんですこと」

 夫人の言い方もユーモアに溢れており、笑いが連鎖する。

「やはりロストボールになりにくい、というのが最大の特徴でしょうか」

「AIがクラブ選択をしてくれると聞いたが?」

「それは、ある程度ラウンドして、データが蓄積されないとダメみたいです。“データがありませんので、推奨クラブは不明です”って言われました」

 さっきよりも誇張した水野のモノマネにまた笑いが弾ける。

「さあ、そろそろ時間のようですね。社長、奥様、よろしければこのボールをお使いください」

 加藤部長が3個入りをお二人に手渡す。

「これはタイトフライの最新モデルじゃないか。ありがとう。一度試して見たかったんですよ」

「私など、直ぐに無くしてしまいそう。もったいなくて使えませんわ」

「ご心配なく。ケースでご用意してますので、残りはお帰りの時にお渡しします」

「まあ、あなた見て、私のフルネームが入っていますわ」

「本当だ。何から何まで本当に申し訳ない」

「どういたしまして。さあ、参りましょう!」

 お土産は会食の時に渡す予定であったが、ボールならゴルフ場で渡そうと佐々木課長の発案で変更した。


 4番ホールに来た。

 3番ホールまでは、まさに和気あいあいのプレイであった。

「おい、e-水野、ここは何ヤードだ」

 ”ここは1番ホール、350ヤードです。右はOB、左200ヤードにバンカーがあります。ご注意ください”

 加藤部長の無茶振りにも、水野はe-caddieの声色で当意即妙に反応する。今井社長は「水野くん、最高だよ!」と笑い、夫人は涙を流して「もう勘弁してください。ゴルフが出来なくなります」と腹を抱える。


 水野は、加藤部長を営業の目標としている。到底敵わないが、少しでも近付きたいと頑張っている。常に明るく、時に厳しく、接待の場では盛り上げ役に徹する。接待の時にあまり喋らない担当者がいた場合、大抵の上司は「おい、大人しいな。なんか喋れよ」などと言う。そう言われても、「はぁ」とか「すみません」としか言えず、返って場が白けてしまう。加藤部長なら「あーあ、また嫁さんのこと思い出してヨダレ垂らしてるよ。いや、専務ね、こいつの嫁は超がつくほど良い女でしてね」と話を振る。そう聞くと相手も「ほー、一度拝ませてもらいたいね。写真はないのかい」と来る。「いや専務、お恥ずかしいですが」とスマホを見せると「なるほど。こりゃ早く帰りたくなるのも分かるよ」と乗って来たところで加藤部長が「専務の奥様もかなりの美人とお聞きしていますが」と主役に話を戻す。「いやー今じゃ見る影もないよ」と満更でもない。嫁を褒められたら、口では何と言おうと嬉しいものだ。馴れ初めや思い出話しでさらに盛り上がるのである。


《4番ホール、パー3です。打ち下ろしと向かい風で145ヤードです。・・・》


「高低差や風の影響まで入れて距離を教えてくれるのか。これは便利だよ」

「はい。ただ、先日は130何ヤードで打った後に、120何ヤードと表示が出てたりしました」

「水野くん、e-caddieを見てごらん。距離が変わってないかい?」

「あっ、本当だ。142ヤードになってる」

「風の強さが変わるからじゃないかい」

「そうか、むしろ正確に表示しているのか。音声で言わないのは、プレイの邪魔にならないようにですね」

「そういうことだろう。優秀じゃないか」

「社長、よろしければはめてプレイして見ませんか?」

「いや、それは申し訳ないよ」

「いや社長、遠慮なさならずに。彼は先日体験してますから。どうぞどうぞ」

「それに、2打目からは離れてしまうので、見れなくなってしまいますから」

「そうか、では遠慮なく体験させてもらうよ」

「どうぞ。奥様も次のホールで体験してみてください。部長は6番ホールでお願いします」「まぁ、私もよろしいんですか?ありがとうございます。e-ballを無くさないようにしないといけませんね」

 ラフのボールを探したり、アドバイス付きでアプローチのラインを教えてくれたり、それぞれがe-caddieを満喫した様子である。


「いやいや、加藤さん、水野くん、素晴らしい。実に素晴らしいよ!」

「本当に、私まで体験させていただいて、感激しました。コーチやお友達にも自慢出来ますわ」

 お昼のレストランで、今井夫妻は興奮気味であった。

「それは良かったです。お誘いした甲斐がありました。私たちもすっかり自分たちが楽しんで申し訳ないです」

 食事中も話題は尽きず、後半のスタートまでラウンジでコーヒーを飲んでいる。

「社長、お願いなんですが、来週の月曜日の朝にお伺いしてよろしいでしょうか?e-caddieの感想を具体的にお伺いしたいのですが」

「ああ、構わんよ。9時でいいのかな?直接社長室まで来てくれるかい。秘書に言っておくから。妻の意見も聞いておくよ」

「ありがとうございます。ぜひ、改善点などでも結構ですので」

 今井社長は電話のため、夫人はお手洗いにと席を立つ。

「水野、e-caddieの感想はだいたい聞いたし、忙しい月曜日に時間を取らせるのは悪くないか?」

「加藤部長、e-caddieの感想は口実で、目的は取引のお願いです。今日はとても喜んで頂けています。早い方が良いと思いまして」

「そうだな。恩着せがましくなってもいけないし、時間が過ぎると感謝も薄れてしまうしな。難しいところだ。今井社長の性格からしてどうだろうか?」

「そうですね。仕事とプライベートははっきり分けている方だと思います。今日は、夜の会食を含めて、仕事の話しは一切しないようにしませんか?帰り際に“ひとつよろしく”もやめましょう。その代わり、月曜日にははっきりとした言葉で取引をお願いするのです。これがベストだと思います。いえ、確信します」

「よし、分かった。それで行こうじゃないか。月曜日は私も同席しよう」

「ありがとうございます。よろしくお願いします!」

「佐々木課長にメールしといてくれ。夜に仕事の話しは禁物だと。おっと、ご夫妻がお戻りだ。水野くん、後半も大いに楽しむべし!だ」


 先週の日曜日、新宿の百貨店から帰って直ぐ、水野の義父母が訪ねて来ていた。つい1週間前の気まずさなどなかったかのように、テーブルに座るや否や義父が水野に笑顔で問いかける。

「それで、e-caddieは?見せてくれるか」

「どうぞ、これです。そしてこれが e-ballです」

「水野くんもラッキーだよ。わずか50人に選ばれるんだから」

 義父はまるで新しいオモチャを与えられた子供のように、目をキラキラさせている。

「10時の位置にあるボタンを押せば、起動します。画面に“プレイ”と“レビュー”が表示されるので、“レビュー”をタッチしてください」

 義父は水野の言う通り、慎重に操作し、いちいち「ほー」と感心している。

「次の画面で日付が出ます。昨日だけですので、それをタッチしてください。そうすると、ホール毎の距離や使用したクラブの番手、1打毎のボールの動きやスコアが順番に再現されます」

「ほう、番手も勝手に表示されるのか」

「いえ、番手はショット毎に入力しなければならないんです」

「それは面倒だな」

「初めのうちだけです。3ラウンドしたら、AIが推奨クラブを提案してくれます。その通りに打てば、番手入力の必要はなくなります。ラウンドをする毎に精度が上がるようです」

「いや、素晴らしいじゃないか!大発明だよ」

「お義父さんは昔からゴルフをされて、このようなツールに抵抗はないですか?」

「10年前なら、どうだったろうか。今は年もとって、スコアよりプレイを楽しみたいと思っているから、大歓迎だよ」

「同じ年代のゴルフ仲間も同じような意見ですかね?」

 義父は地元のゴルフクラブで古いメンバーなので、ゴルフ仲間も多い。

「それはまちまちだな。私より年配のメンバーでも“ゴルフの楽しみが半減する”とか“うちのクラブでは導入反対だ”という人もいるよ」

「実際に試してみれば、考えが変わるかも知れませんね。お義父さんも一度、試してみませんか?再来週の金曜日までに戻して頂ければ結構ですから。予約も優先してくれるみたいです」

「なに、水野くん本当かね!構わないのかね」

「ねぇ、大丈夫なの?もし壊したりしたら、接待に困るんじゃないの?」

 水野の妻が心配そうに聞いて来る。義母も同調する。

「そうよ。水野さんのお仕事に迷惑かける訳に行かないわ」

「お義母さん、大丈夫ですよ。簡単に壊れるものではありません。それに万が一壊れても、ショップを通じてブレインバンクから予備を取り寄せられるみたいですから」

「いや、水野くんありがとう。どうだろう、今週の土曜日に私と一緒に行ってくれないだろうか?3週連続で申し訳ないが。もちろん、プレイ代は私が出すよ」

「それならいいじゃない!久し振りに2人で楽しんで来たらいいわ。私は母さんとご飯を食べて、映画でも観て来るわ。ねぇ、そうしない?」

「そうかい。水野さんがそれで良いなら、私は構わないよ」

「ありがとうございます。喜んでお伴しますよ」

「よし、決まった。水野くん、悪いが今すぐに予約してくれるかい?」

 最初は予約で一杯と言われたが、e-caddieのモニターであると告げると“少し早いスタートになりますが”と予約出来た。メンバーでもないのに、名門コースでは異例の対応である。ブレインバンクから相当の資金提供がされているのかも知れない。


「いや、先日はありがとうございました。またお心遣いをいただき、返って恐縮でございます」

「まあまあ、堅苦しい挨拶は抜きにして、どうぞお掛けください」

 約束通り、翌月曜日の朝一で今井商事を、加藤部長と水野で訪問している。佐々木課長は、部長の代理で幹部会議に出席している。

「失礼します」

「加藤さん、水野くん、こちらから礼を言うよ。楽しい1日だった。家内も大層喜んでね、よろしく伝えてくれとのことだ」

「こちらこそ、奥様によろしくお伝えください」

「佐々木さんにも世話になったな。なかなかの役者だよ」

 懇親会は、佐々木課長が大いに奮闘し、大盛り上がりであった。

「そうだ、忘れないうちに。水野くん、これを渡しておこう。家内の感想も書いてある」

「社長、ありがとうございます。参考にしてアンケートをまとめたいと思います」

「あまり役に立たないかも知れないがな。さあ、本題だ。わざわざ訪ねて来たのは、ビジネスの話だろ」

 今井社長の顔から笑みが消えた。ぞくっとするような眼差しだ。

「まず私から言うぞ。水野くん、来週の月曜日、午前に時間をもらえないか?ここで幹部会議があるんだ」

 今井商事では毎月第1月曜日に本社で、全国の支店長と本社の部長以上で幹部会議を開催している。業績の進捗や経営課題を共有している。特に半期に1回、全部門のマネージャークラスまで召集し、『経営戦略会議』を開催している。来週の月曜日は、これに当たっている。

「営業だけでなく、管理や物流部門も含めてマネージャー以上が全員集まる。実質的な最高意思決定機関なんだよ」

 運ばれて来た紅茶を一口啜り、今井社長が続ける。加藤部長は質問を控えて、次の言葉を待っている。

「私は世間からワンマン経営者と思われている。もちろん、最終的な判断は私がする。だが、そのプロセスでは現場の意見を尊重しているんだ。この経営戦略会議が、まさにその場なんだ。支店のマネージャーであっても、私に反対意見を堂々と述べるよ」

 加藤部長が珍しく弱々しい声で質問を挟む。

「それで、今井社長、その会議で水野に何をしろと?」

「その会議で、先日もらった提案書をみんなに説明して欲しいんだ。おたくと取引するかどうか、その場で決めたいと思う」

 予想外の展開に、加藤部長も水野も言葉が出ない。

「水野くん、安心したまえ。私は君の応援団長だから」

 今井社長は、いたずらっぽく笑う。

「ただし、皆んなの総意には従うつもりだ。取引するかどうか約束は出来ない」

 水野は思わず立ち上がり、直立不動で言う。

「ありがとうございます。誠心誠意、全力でプレゼンさせていただきます!」

 そして90度腰を折って「頑張ります!頑張ります!」と繰り返す。加藤部長も立ち上がり、静かにお辞儀をする。2人の目には涙が滲んでいる。

「加藤さん、良い部下をお持ちだ。うちに欲しいよ。まあ、あなたが手離すわけないだろうが」

 最後は独り言のように言い、今井社長はまた一口紅茶を啜る。

「私の話は以上だ。では、そちらの要件を聞こうか」


「ほう、遂にやりましたね。それは、おめでとう。いや、ありがとうと言うべきだな」

 ここは東京機械の社長室である。加藤部長、佐々木課長、水野の3人で今井商事との新規取引が決定したことを報告している。水野が社長室に入るのは、これが初めてである。

 加藤部長が一連の経緯を説明し、特に水野が粘り強く提案を続けていたこと、今井社長の評価が極めて高いことを強調した。恐らく社長は水野のことなどほとんど知らないだろうが、そこは如才がない。

「水野くん、よく頑張ってくれたね。加藤くんから君のことは、度々聞いているよ」

「ありがとうこざいます。私1人では何も出来ません。加藤部長や佐々木課長のご指導のお陰です」

「よろしい。今井社長へぜひお礼を言いたい。設定してくれるかい。渡辺くんも同席させよう」

 社長はご機嫌である。日頃は販売先の対応は、営業本部長である渡辺常務に任せている。社長が販売先を訪問することは滅多にない。よほど嬉しかったのか、あるいは多少罪悪感があったのか・・・

 日機の牙城である今井商事との取引など絶対に無理と思われていた。かつて経営会議で今井商事を攻略中と渡辺常務が発言した時、「営業は人が余っているのかね」と管理部門担当の常務に嫌味を言われたそうだ。渡辺常務が色をなして反論しようとしたところ社長が割って入った。「まあまあ、渡辺くんにも考えがあってのことだろう。良い報告を期待しているよ。渡辺常務」と。社長が役職を付けて呼ぶ時は、異議を唱えている。経営陣の間では常識だ。「早く結論を出せ。無理ならさっさと止めろ」と、渡辺常務から加藤部長に命が下った。しかし加藤部長は動じない。

「納得が行くまでやらせます。責任は私が取りますからご安心ください」。加藤部長が言い出したら聞かないことは、渡辺常務もよく分かっている。


 東京機械と今井商事の取引が公になれば、業界は大騒ぎだろう。日機も黙ってはいないだろうが、「受けて立つまでだ」と加藤部長は鷹揚だ。

「チャレンジすることは大切だ。結果が伴わないとしてもだ。来週の経営会議で渡辺くんに成功事例として報告してもらうから、5分程度で発表出来るよう、資料を用意しておいてくれ。加藤くん、君もオブザーバーとして出席するといい」

「かしこまりました。社長、本日はお時間をいただき、ありがとうこざいました」

「水野くん、これからも大いに頑張ってください」

「はい。社長のご期待に応えられますよう、せい一杯頑張ります」

「よろしい」


「ねぇ、今日は早く帰って来られそう?」

「うん、今日は大丈夫だと思うよ」

 水野は、この1ヶ月半ほど目が回るような忙しさであった。

 今井商事の会議でプレゼンをし、その場で取引開始が決定した。初めは賛否両論、白熱した議論が展開された。水野は問われる度、誠意を持って丁寧に説明した。辛辣な質問からも決して逃げなかった。謙虚でありながら、堂々とした受け答えであった。次第に賛成派が多くなり、最後は今井社長の一声で決まったのである。

 喜んでいる暇はなかった。取引基本契約書の締結に始まり、様々な社内申請、今井商事に提出する数々の登録申請書作成、各営業拠点での勉強会や工場見学などなど。地方支店の勉強会は、対応する東京機械の支店に依頼しようとしたのだが、「水野さんに来て欲しい」との要望が殺到した。可能な限り出張し、疲れも見せず丁寧に対応した。

 ほとんど休みもなく、好きなゴルフからも遠ざかっていた。ようやく昨日でひと段落し、今日は経費精算など済ませたら、定時で帰るつもりでいる。今井商事に掛り切りで、他の担当先が疎かになっている。来週からまた多忙になるだろうと、水野は覚悟している。

「最近忙しそうで、身体大丈夫かなと心配してたんだ。全然休んでないもんね」

「ごめん。忙しかったけど、充実してたから疲れを感じなかったよ」

「今日はご馳走を用意してるから、早く帰って来てね。いっぱい食べて、いっぱい飲んで」

「それは楽しみだな。絶対に早く帰るよ」

「うん。明日から3連休だから、ゆっくり寝てのんびり過ごそうね」

「どこにも行けなくてごめんな」

「ううん。家がいい」

「そろそろ行かなきゃ」

「うん。行ってらっしゃい!」


「やあ、水野さんいらっしゃい。お久しぶりですね。心配していたんですよ」

「久保田さん、しばらく来られなくてごめんなさい」

 水野は土日のどちらか、たまに平日の会社帰りと、このゴルフショップに週1回は顔を出していた。ところがe-caddieのモニターを依頼されてから、今日が久し振りの来店である。

 3連休の初日は、ほとんど寝て過ごした。昨日はお弁当を持って、近くの公園まで散歩した。今日はこれも久し振りに朝から打ちっ放しで練習し、その後ここに来たのである。妻は美容院に行っている。

 久保田に仕事が急に忙しくなったこと、きっかけがe-caddieであったことなどを簡単に説明した。

「そうだったんですか。それは大変でしたね。それで、e-caddieはいかがでしたか?」

「素晴らしかったです。同伴者も皆んな驚いてました。でも、改善点や要望、提案もネットアンケートにたくさん書きました」

「そうですか。ご協力ありがとうこざいました」

「いえいえ、こちらこそモニターに選んでいただいてありがとうこざいました。貴重な経験になりましたよ」

「結局、何ラウンドされたんですか?」

「3ラウンドしました。あっ、e-caddieをお返ししなきゃ。遅くなってすみません」

「いえ、全く問題ありませんよ。 e-ballも2個ありますね」

「房総ロイヤルの4番から6番ホールは、谷も池もないので、ボールがなくなることはないですね」

 水野は、ラフに打ち込んでもボールを簡単に探せたことを説明した。

「それでこれなんですがね。普通モニター品は半額でお買い上げいただいたりするんですが、今回はメーカー回収となっているんです」

「そうなんですね」

「詳しくは分かりませんが、正式発売の時には、違う形の商品になるそうです。4ヶ月後にはこのプロジェクトの全容が明らかになるみたいですよ」

「うわぁ、楽しみだな。わくわくしますよ」


 この何年かで、ネット社会、デジタル社会が急速に進んだ。ネットで注文した商品は、ドローンで玄関先やベランダに配達される。今も頭上を大小様々なドローンが飛びかっている。それでもリアル店舗は無くならない。商品の出荷拠点となっているからだ。これにより当日かつ分単位の時間指定配達が可能になっている。

 また一定数の消費者は、現物を見比べつつ、店員と会話しながら買物を楽しんでいる。来店客は少ないが、店内は笑いと活気に満ちている。水野はこのタイプだろう。

 リモートも普及している。学校の授業も、医師の診断も、企業の商談や会議もリモートだ。ただスペースが縮小されても、学校やオフィスは無くならない。店舗が無くならないのと、同じ理由からだ。病院はもちろん治療や手術のために必要だが、長時間待たされることはなくなった。

 最も遅れていた役所も変わった。ほとんどの申請がネットで済む。ネットで入手した住民票のデータは、ネットで必要な先に送るだけだ。運転免許もネットで更新できる。内容を審査しているのはAIなので間違いがない。視力・聴力検査だけはリモートで行うが、相手はAIロボットだ。お陰でいつでもどこでも更新出来るようになった。


「ねぇ。ブレインバンクから招待状が来てるよ」

「なんだろう?えーと、モニターの皆様へ。・・うん・・うん・・」

「何よ。声に出して読んでよ」

 水野の妻が後ろに回り込み、水野の肩越しに手元を覗き込む。

「凄いよ!来月10日にモニターを招待してサンクスパーティーがあるんだって!」

「場所はどこなの?」

「アメイジング!!東京エンペラーホテルだ!」

「うっそー!コーヒー1杯が1600円のホテルでしょ?」

「更に!2名様でお越しください、だって!」

「やったぁー!」


 スマホはどこまで進化するのかと思っていたら、米国オレンジ社のi-glassesが登場した。いずれ、スマホはガラケーならぬ“ガラスマ”と呼ばれるようになるだろう。既に中国メーカーが特許抵触すれすれの廉価版を発表している。一時期世界中の人間がマスクをしたように、遠からず眼鏡型通信端末をかけた人間だらけになってしまう。いやその前にイヤホン型通信端末やコンタクトレンズ型通信端末が開発されているかも知れない。


 ステージでは若者に大人気の5人組ロックバンド『フューチャーズ』が、ブレインバンクのCMソングを演奏している。

「ねぇ!こんなの招待状に書いてなかったよね!」

 妻が大声で水野に話しかけて来る。特にファンという訳ではないが、有名バンドの生演奏に妻は興奮気味だ。

 演奏が終わると、CMに出演している俳優やお笑い芸人が手を振りながら登場。各テーブルを回って、写真撮影やサインに笑顔で応じている。まるで夢を見ているようだ。

 メインディッシュの時間になると、俳優らは一旦いなくなり、会場は明るくなった。運ばれて来たのは、分厚いヒレステーキの上に同じ大きさのフォアグラが乗ったもの。溢れんばかりのトリュフスライスの香りが鼻腔で暴れ回る。

「こんなの、最初で最後かも」

 水野は小さく切り分けてはステーキを口に運び、目を閉じて丁寧に咀嚼し、ゆっくり嚥下する。驚くほど旨い。

「あぁ、もう半分しかない・・」


 水野が働く機械業界も、リモートが大活躍だ。機械を設置先の定期点検やメンテナンスもリモートで行なっている。最近では大型機械に内蔵したAIコンピュータが、わずかな異音や振動を早期に察知し、不具合個所を教えてくれる。早期発見早期修理により、大きなトラブルは皆無となっている。


 このような社会になっても、いやだからこそ、生身のコミュニケーションが必要だ。東京機械は、社の方針としてその重要性を掲げており、その点は今井商事の方針と合致している。新たに両社の取引が始まり、徐々に取扱高が拡大したのも、お互いに居心地の良さを感じていたからだろう。もちろん、水野の存在も大きい。

 もともと東京機械は、大手メーカーの大規模工場への納入を得意としていた。その分、中小メーカーとの取引では日機の後塵を拝していた。特に手薄であった千葉、茨城両県の中規模工場向け販売に、今井商事が大きな足掛りとなったのである。


「モニターの皆様、本日はお越し頂きありがとうございます」

 ステージではブレインバンクの旗会長のスピーチが始まった。いきなりバンド演奏から始まり、特に司会者はいないようで、旗会長のスピーチも突然始まった。

「皆様から頂いたご意見は、可能な限り取り入れています。また直ぐに実現は出来ませんが、素晴らしいご提案もたくさんありました。今後の改良に活かしたいと思います」

 旗会長は、余計な挨拶はなく、分かりやすい言葉遣いで、スピーチを進める。

「50名全てのモニターの皆様に心より感謝申し上げます。ささやかですが、お礼の品をお帰りの際にお渡し致します。その中で、特に秀でたご提案を頂いた1名のモニターの方がいらっしゃいます。この方のご提案で、商品設計が大きく変わりました。わが社の開発スタッフはてんてこ舞いでしたが」

 シーンとした会場に笑いが広がる。

「ねぇ。あなたじゃない?」

「まさか」

 水野は“世の中には頭のいい人がいるもんだ”と改めて感じ入っていた。

「どうぞ、ステージまでお越しください。水野様、水野健太様。お連れ様とご一緒にどうぞ!」


 そしてゴルフは大きく変わった。従来のゴルフとは明らかに違うので、“ニューゴルフ”と呼ばれている。水野がモニターとして体験したものとも、全く別ものである。

 まずe-caddieではなく、“BBゴルフアプリ”をオレンジ社のi-glassesにインストールする方式となった。これは水野の妻のアイデアと同じだ。ブレインバンクのショップやサイトでi-glassesを購入・契約すれば、アプリはインストールされている。実質無料だ。他社からの乗り換えでも無料でインストールしてくれる。他社契約のままインストールするには、3,000円が必要になる。日本にはこんなにゴルフ好きがいたのかと思うほど、i-glassesの契約はブレインバンクに殺到した。

 e-ballは試作品そのままである。大きく変わったのはコースへの設備投資が不要になったことだ。例えばOB杭や池などあらゆるところに発信機を取り付けるとしていたが止めた。代わりに昨年ブレインバンクが打ち上げた商業衛星を利用することにしたのだ。 e-ballが発する信号を人工衛星がキャッチし、誤差0㍉の位置情報からOBかどうかを判定してi-glassesに情報を送信する。つまり国内全てのゴルフ場がそのままニューゴルフの対象になるということだ。


 今日は久し振りに4人でのラウンドだ。

「水野、“サプライズをお楽しみに”とはどういうことだ。だいたい正規料金の房総ロイヤルなんて、俺たちには贅沢過ぎるぞ」

 橋本がスタート前のレストランで突っかかって来る。他の2人も同意見とばかりにニヤニヤ頷いている。

「まあまあ、落ち着いて。コーヒーは俺がご馳走するからさ」

 水野は運ばれて来たコーヒーをブラックで旨そうにひと口味わい、先日のパーティーについて説明する。

「ということで、もう夢のような時間でさ。で、最後に俺の名前が呼ばれて、特別表彰を受けたって訳さ」

 水野の提案が特に優れ、大いに役立ったということであった。特別賞として、全国のゴルフ場で使用出来る、“BBゴルフペイ”を授与されたのであるる。

「いくら分貰ったんだ?」

「それがさぁ、何と100万円分なんだ」

「ひゃっひゃっ100万円⁈」

 石井がひっくり返った声で聞いて来る。

「そうさ。すげぇだろ」

「100万円分なんて、相当参考になったんだろうな。でも、俺たちのアイデアも入ったんだろ?」

 山本が冷静に指摘する。

「その通り。という訳で、今日はコーヒー代だけではなく、全て“BBゴルフペイ”払いとするさ」

「イエイ!水野、いや水野様、あんたは偉い!良き友を持って幸せだぁー」

 橋本が大袈裟にガッツポーズをする。何事かと皆んなが水野のテーブルの方を見ている。

「ところで水野、お前のそれ、i-glassesだよな?」

 山本はやはり冷静だ。

「これは、モニター全員がお礼として貰ったんだ。もちろん“BBゴルフアプリ”がインストールされているんだ」

「でも俺たちはまだi-glassesを持ってないぞ」

「大丈夫。フロントでレンタル出来るから。スタート前に取りに行こう」

「でも、まだ品薄状態だから、レンタルは少し先になるんじゃなかったのか?」

「房総ロイヤルは色々協力したから特別にレンタル出来るみたいなんだ。ほら、あのグループは4人ともレンタル品だよ」

「レンタル料はいくらなんだ?」

「1000円らしい。 e-ballは500円で購入出来る。他にもここだけのサービスがあるみたいだけど、それはコースに出てからのお楽しみだな」


 スタートホールでそれぞれアプリを立ち上げ、自分の e-ballを読み込ませる。この時、4人が同伴競技者であることをアプリが認識する。ティーイングエリアから見ると、i-glassesから飛び出した画面が実際のコースと重なり、OBやバンカー、隠れた池までが距離とともに映し出されている。プレイヤーの飛距離に合わせて、狙いどころも分かるようになっている。データ蓄積のため最低3ラウンドのプレイが必要であったが、このアプリでは事前に練習場で各クラブを2〜3球も打てば良い。もちろん普通のボールで構わない。アプリがヘッドスピードとミート率から算出するそうだ。あとはラウンド毎にAIが学習し、プレイヤーの上達に合わせてデータも更新されていく。残念ながら今回は、水野以外はデータゼロからのスタートである。

 グリーン上では傾斜や芝目が、浮かび上がった無数の矢印で分かるようになっている。今も根強いファンが多い、あのゴルフゲームのようだ。

 ボールの位置は常に画面上に表示されているので、打った時点でOBかどうかも分かる。“念のため暫定球を”はなくなる。画面を切り替えれば同伴者のボール位置や打数も見ることが出来る。打ちやすいよう、ボール位置を勝手に動かすと2打が自動的に付加される。ほとんどの不正やズルは出来なくなっている。“ヨイショ”が必要な接待ゴルフには不向きかも知れない。


「いや、これは凄い!凄過ぎるぞ!」

「へぇー、こんなことも出来るんだ!」

 ホール毎、ショット毎、皆んなは驚きの連続である。モニターである程度経験済みの4人でもこうだから、初めての人には異次元の世界かも知れない。

 8番ホールで、石井が池ポチャしてしまった。

「うわ、どうしよう。誰かボールの予備を持ってない?」

「石井、大丈夫だよ。画面から“ヘルプ”“を選んでみて」

「えーと、ここを見て、瞬きしてっと。よし、だんだん慣れて来たぞ」

 どこから来たのか、ドローンが石井の頭上近くでホバリングしている。

「今度は“池”を選んで」

「よし、選んだよ」

 ドローンは軽やかに飛び立つと池に“ドボン”とダイフし、数秒後には石井のボールを挟んで戻って来た。地面スレスレまで降下し、“ポトリ”と石井の足元にボールを置く。

「これもまだここだけのサービスらしいんだ」

「もう、言葉が出ないよ!」

「未来が来たー!」


 ラウンド終了後、『ランキング』画面に切り替えると、全国ランキングを見ることが出来る。独自のハンディキャップに基づいている。一定の人数に達したら、順位に応じて賞品を贈呈することも検討されているようだ。

「流石にまだ人数が少ないな」

「橋本、お前9位だぞ」

「本当だ。おい、石井は95位、ブービーじゃないか」

「これ、2回以上ラウンドしたらどうなるんだ?平均スコアか?」

 平均はせず、それぞれのラウンドを順位付けする。名前の後ろに②とか③が付いている人がいる。これは、2回目、3回目のラウンドを表しているようだ。

「おいおい、もう5回目なんて猛者がいるぞ」

「よし、俺たちも水野のBBゴルフペイがなくなるまで、せっせとラウンドしようじゃ、な〜いかぁ!」

 石井の台詞のような言い方に、4人で大笑いした。


「ねえねえ、ビッグニュースだよ!」

「本当に?実は俺もなんだ!」

「じゃあ、先に言って」

「そっちが先に言えよ」

 水野が会社から帰って来るなり、妻が玄関先で興奮気味に話しかけて来る。水野も少し高揚している。

「じゃあ、同時に言おうか?」

「いいよ。せーのっ・・」


「私たちの赤ちゃんがお腹にいるよ!!!」

「俺、今度、課長代理だって!!!」

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近未来ゴルフ @qoot

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