もう一つ

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もう一つ

 甲州街道を通り参勤交代で江戸に出仕する際の最後の宿場町・内藤新宿は、江戸に入る直前の地方大名が長旅の疲れを癒し、旅の終わりを祝う場所として栄えた一大繁華街であった。その後、内藤新宿は「新宿」と呼ばれるようになり、戦後は歌舞伎町等の繁華街を擁する日本最大の歓楽地になったことはご存知の通りである。

 内藤新宿黄金街。小さな蕎麦屋やうどん屋が立ち並ぶその横丁には、毎夜無類の酒好きが集まる街として栄えた。高級料亭を除けば、当時家の外で酒を飲む場所というと、蕎麦やうどんのような麺屋を意味した。酒を飲んだ後に麺で締めるという文化はこれに端を発する。

 道中奉行・佐佐木滝行は、同僚の石田正三と連れだってたまに黄金街に飲みに行くことを習慣としていた。二人とも酒好きということもあったが、宿場町の治安管理を仕事とする道中奉行を務める上で、街を偵察することも目的としてあった。

 二人には気になることがあった。最近の部下からの報告書によると、耳慣れぬ葉草が黄金街に出回り、食されているらしい。未無人(みんと)という怪しげな名前を持つ葉草であった。

「未無人。どうも怪しい名前だな。報告書によると何とも言えぬ爽快感が得られるとの評判で流行りつつあるということだが、一種の麻薬の類だとすると大変なことになるぞ。」

 奉行所から黄金街へと向かう大通り、通称奉行通りを歩きながら石田は佐佐木に言った。

「麻薬であれば勿論大変だ。これが江戸の市中に出回ろうものなら奉行所の管理責任が問われ、幹部の首が一つ二つ飛ぶのでは済まんぞ。名前からの印象では舶来の植物のように聞こえるが、不思議なのは他の宿場町で流行ったとの報告がないことだ。内藤新宿の黄金街だけで流行っているということが解せない。」

 佐佐木の推察はもっともで、舶来の植物だとすると最初の入手地は長崎の出島。その後甲州街道ルートで伝わったとすると、もっと西国で流行り始めるのが普通である。ところがそのような報告はなく、江戸に入る直前の宿場町だけで突然流行り出したというのがよく分からない。

「名は舶来風だが、誰かが自家栽培しているのかもしれんな。」

「うん。俺もその線を疑っている。違法植物を栽培しているとなると、それ自身が罪だが、危険宗教の匂いもする。未だ人で無し。ずいぶんと意味深で厭世的な名前じゃないか。」

 ともあれ、まずは実態調査から始めるしかない。佐佐木と石田は黄金街に足を踏み入れた。


 初夏の夕刻とあってまだ空は明るかった。しかしその日は仕事を終えた町人や侍たちが既に一献傾け始めている。階級社会であったので、町人は町人用の店、侍は侍用の店と分かれていることが多かったが、中には両者が混ざり合う店もあった。

 さて、どの店に入り聞き取り調査をしたものかと佐佐木と石田がしばし店定めをしていると、大人たちの繁華街には似合わぬ幼い女の子が、店前で客引きをしている店がある。年の頃は七、八歳といったところか。

「お侍さんたち、飲んでってー。お酒おいしいよー。」

「はは。酒を飲んだことのない子供に、酒がうまいよなんて言われると、なんだか可笑しいな。」

 そう言って佐佐木は笑ったが、石田の方は笑わず、こんな幼子に酔っ払いの客引きをさせるとは何事だと憤慨していた。

「親の顔を見て、ひと言注意してやる。」

 そう言って石田が店に入ったので、佐佐木も追って入った。

 店内は店主が一人で切り盛りしており、客席数は十席未満の小さな店であった。黄金街では標準的な大きさである。店主が二人に気付き、いらっしゃいませと言った。

「御免。店主、表に立つ子供はその方の子か。」

「いや、僕の子供ではないですけど。どうかされましたか。」

「そうか。では誰の子だ。まだ年端の行かぬ子供を客引きにするとはけしからん。」

「常連さんの娘さんでして、お母さんの方が今、別の店に飲みに行ってるので、その間ちょっと娘さんに手伝ってもらってるんです。お母さんにも一応ご了解頂いてますんで。あ、でも、もし何かまずいんでしたら、やめさせますけど。」

「なに。子供を置いて飲みに行く?なんて親だ。」

 真面目な石田は呆れた表情を浮かべた。

「でも僕はちょっとくらいはいいんじゃないかなあと思うんですけど。お母さんも息抜きが必要だし、娘さんも結構楽しんでいるんで。」

 そう言ってハハと乾いた笑い声を店主がたてた瞬間、石田の怒りが沸騰しかけたが、佐佐木がそれを制して言った。

「店主。その方の言い分も分かるが、とはいえここは酔っ払いの多い場所だ。子供に何かあってはいかん。店前でうろうろさせるよりも、席は空いているのだから中で母親を待たせてやれ。」

「はあ、わかりました。れいなちゃん、もう中に入っていいよ。」

 石田は店主の軽いノリにまだ何か言いたそうだったが、せっかくだからここで一杯飲んで行こうという佐佐木の提案に促され、大人しく席に着いた。れいなという娘は端の席にちょこんと座り、店にあった絵本を読み始めた。

 店主が二人に品書きを渡し、黄金街はよく来られるかと聞いた。

「ああ、たまに来る。この店には初めて来るが、いつ頃開店したのだ?去年か。気付かなかったな。この辺は店の入れ替わりが激しいからな。えっと、それでは冷や酒を貰おうか。いや待て、この品書きにある店主のお薦めというのが気になるな。これは何だ?」

「モヒートです。」

 佐佐木も石田も聞いたことのない酒であった。

「もう一つ?変わった名前の酒だな。どういう酒だ。」

「ミントを使った夏向きのカクテルで、この時期には人気ですね。」

「ちょっと待て。今なんと言った。未無人といったか。」

 佐佐木と石田は驚いて店主の顔を見た。

「はい、ミントです。うちではジュースは使ってなくて、葉を潰して作ってますから、本格的ですよ。」

「汁酢ではなくて、葉を使っているということは…、つまり、その方は未無人の葉を手に入れているということだな。それは、いったいどのような葉だ。」

 それですと言って、店主は店先に置いてある鉢植えを指さした。緑色の小さな葉がいくつか鉢植えから顔を出している。これか。店に入る時には気付かなかった。

「夏場は種を植えたらすぐに育つんですよ。」

 佐佐木と石田は顔を見合わせた。

「念のために聞くが、店主、これはその方の鉢植えか?」

「はい。僕のです。」

 石田が耳元で、すぐさま店主を取り押さえるかと聞いてきたが、佐佐木はまだだと小声で答えた。

「ふむ。それではその、もう一つという酒をもらおうか。」

「モヒートで。分かりました。お連れ様の方はどうされますか。」

 石田も同じものをと頼んだ。

「モヒートが二つですね。分かりました。」

 そう言うと店主はいったん店先に出て、鉢植えの葉を何枚かちぎり、水で洗った後、すり鉢で潰し始めた。しばらくすると、報告書にあった通り、ほのかな爽快感のある香りがしてくる。ある程度葉をすり潰した後、店主はそれを茶碗に入れた酒の中にぶち込み、箸でぐるぐると回した。

「お待たせしました。モヒートです。」

 佐佐木と石田は目の前に出された酒をじっと見つめた。酒の中に梅干を入れたりすることはあるが、葉っぱを入れた酒は初めてであった。石田が、どうする?という視線を送ったが、佐佐木はうなずいて一口飲んでみた。

 それは目の覚める酒であった。

 口の中いっぱいに広がる爽快感は、飲むほどに体が浄化させられる気持ちになる。不覚にも佐佐木は夢中になって一気に飲み干してしまった。それを見ていた石田も恐る恐る口にしてみたところ、これまた夢中で一気に飲み干してしまった。うまい。確かに、うまい。

「ふつう、酒は飲むほどに酔うものだが、これは逆に目が覚める。なんとも珍しい酒だ。店主、もう一つくれ。」

 そこで佐佐木はあっと驚いて気付いた。

「なるほど。だから名前がもう一つと言うのか。いくら飲んでも酔えない。だからもう一つもう一つと飲んでしまう。これは危険な酒だぞ。」

「あの、モヒートおかわりでいいですよね?」

「ああ、くれ。石田はどうする?もう一つ行くか。よし、店主、もう一つを二つだ。」

「モヒート二つで。分かりました。」


 こうしてその後、佐佐木と石田は飲むほどに目の覚める不思議な酒を、それぞれ七杯づづ飲むことになる。しかし当然それは爽快感があると言っても酒である。七杯も飲んでしまえば、二人ともすっかり酔っ払ってしまっていた。

「し、し、しかしぃ、石田ぁ。この、このもう一杯という酒はあれだなあ。飲んでも飲んでも、ち、ちっとも、酔えんなあ。あれだなあ、目が、目が覚めるな。石田ぁ、これは、これは危険だぞ。これはもう逮捕だなあ。石田あ、聞いてんのかおい、酔えないから逮捕だぞおい。」

 一人でしゃべっている佐佐木の横で、机に突っ伏した石田は寝息をたてていた。

 そこに、れいなの母が帰ってきた。

「ただいまー。れいな、ただいまー。大人しくしてた?マスター、ありがとね。」

「あ、全然大丈夫ですよ。さっき、りえさんが来ましたよ。別の店で飲んでからまたこっちに来るって言ってましたけど。」

「ほんとにー。でも今日はもう眠いし帰る。りえちゃんにまた今度ねって言っといて。れいな、ママ眠いし、もう帰ろうね。うわー、こっちのお客さんたち、ちょんまげがリアルだねー。マスターまた。」

「はい、お休みなさい。」

 れいなは母親に抱っこされ、店を出た。

 母親が流行りの歌を口ずさみながら歩く。

「夏夏夏夏ピーナッツ。れいなも歌って。夏夏夏夏ピーナッツ。(なつなつなつなつぴーなつ)そうそう。夏夏夏夏ピーナッツ(なつなつなつなつぴーなつ)。そうそう。うまーい。」

 母に合わせて歌いながら、娘は手に握った緑の葉をはいと差し出した。

「れいな、何これ?葉っぱ?」

「うん。これねえ、目が覚めるんだよ。」

「えー、どこに生えてたの?」

「お店の外。ママ眠いんでしょ。目が覚めていいよ。」

「お店のそばに生えてたの?なんかの毒の葉っぱかもしれないし捨てなよ。」

 娘はポイと投げ捨てた。

「れいな、明日の朝のパン買って帰ろうか。何がいい?」

「帽子パン。」

「お、帽子パンいいねー。買って帰ろう。」

 この時、娘れいな七歳、母あみ二十八歳。二人とも帽子パンがだーい好き。


(完)

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