第54話 遍路旅。秋と栗の思い出話

 これに目を通して頂けた全ての人に、お早う。今日は。今晩は。

 赤雪です。不定期更新です。


 秋になりましたね。


 実は赤雪、ずっと以前、24歳学生の頃、歩き遍路というものをやったことがあります。


 遍路についてご存じない方も居られると思いますので説明しますと、弘法大師の足跡をたどり修行をするというものですが、コースになっていて、88の寺と20の別格といわれる寺を巡礼します。(赤雪は区切り打ちを続け、合計108の寺と高野山を訪れ、結願しました)


 それぞれその寺にはご本尊が祀られた本堂と、弘法大師が祀られた大師堂がありますので、線香、灯明を奉納し、経を一遍唱えて、ふだを納めます。


 札には何処の誰が何を願ったかが判るように書いて、納め札箱に入れます。

 そして殆どの人は「納経帳」というものにご朱印を頂き、これを功徳の証しとして死後の世界に携えます。

(納経帳を御朱印帳とも言いますが、御朱印帳は納経帳とはいいません。)

 

 もちろんそれは強制されるものではなく、服装も自由、ご朱印もスタンプラリー的に集めるのも集めないのも勝手という自由が、若い人達、特に外国のバックパッカーに人気を呼んで、近年外人さんが増えているようです。


 赤雪の場合ですが、そもそも遍路に出ようと決心した訳が、信貴山のてい僧正から背中を押され、錫杖しゃくじょうと編み笠の修行道具を頂いたのがきっかけでしたので、格好だけが先行したような修行僧スタイルで歩き始めました。


 先程、スタイルは自由と書きましたが、本来は遍路スタイルというものがあります。

 菅笠、白衣、杖に輪袈裟わげさ頭陀袋ずたぶくろですね。これに「同行2人」(大師様と2人でいるという意味)と書いて遍路スタイルのできあがりです。


 歩き始めて判るのですが、この巡礼者であると一目でわかるスタイルをすると文化に根ざした凄いメリットがあります。

 まず、道が分からなくてウロウロするだけで誰かが来て道を教えてくれます。

(普通なら不審者で警察に通報です)


 小中学生はすれ違う度に、「お遍路さんお早うございます」又は「お遍路さん、きをつけて」と挨拶してくれますし、高校生は笑顔で頭を下げてくれます。

 丁度、疲れたと思う頃には町内会で作った接待所があり、お茶を飲んで行きませんかと、声をかけてくれます。

 善根宿ぜんこんやどというものがあり、善意で無料で宿泊させてくれる宿があります。


 しかし――歩いていると、これらをメリットという言葉で一括りにしてはいけないのだと気がつきます。

 何故ならこれは「こころ」だからです。


 喉が渇いたとき何処からか女の子が走ってきてミカンを接待してくれました。

 善根宿(ぜんこんやど)が空いていて寝る所が只で確保出来ました。

 でもこれをラッキーと思ってはいけないのです。

 これは「感謝」で「ありがとう」なのだから。


 遍路旅はそんな簡単なことから、歩を進める毎に気づかせてくれます。


 遍路宿に泊まると、巡礼者同士話しをする事があります。


 あるとき、25歳から30歳ぐらいに見える女性と、同宿になったことがあります。

 食事の後、リビングでお茶を飲んでいたら、その女性が話しかけてきました。

 可愛がっていた犬が死に、淋しくなって、犬の霊を慰めるために遍路に出たと言います。


 でも、歩く理由や身の上は訊く事も聞くこともタブーでありマナー違反です。

 それはその人の「業」を背負うことになり、その覚悟を持った者だけが聞くべきだから。

 修行者どうしで人生相談でもあるまい。ということでもありますが、人はどんな「業」をもって遍路にでているかわかりません。考えたら恐い事ですからね。


 だけど犬を懐かしむという程度の話しであればまあいいかと思い、聞いてあげることにしました。

 すると話しは意外な方向に進み、「明日から一緒に歩いてくれませんか」というのです。


 理由は、前の宿で一緒になった男性の遍路がうるさくつきまとって恐いから。というのでした。

 その男性遍路は行く先々で自分を待ち構えていて、話しかけてくるのだとか。


 明日は難所といわれる12番焼山寺。

 行くところは同じでも歩く速さもペース配分も違えば、背負っているものも違います。夫婦でさえも一緒に歩けば喧嘩すると言われるのが歩き遍路です。

 

 赤雪はその女性に、一人で歩くのが恐いのであれば先達せんだつ(案内人のような者)を頼むか、ハイキングの積もりでいるなら、すぐに遍路をやめて家に帰るよう進言しました。


 歩き遍路で最も大事な事は時間と距離の管理です。

 自分のペースと行程の距離、かかる時間を考えて、どこまでいけるか。今日はどこに泊まるかを決定し、宿に宿泊の予約をします。

 それができなければ、最悪、山の中で夜になることがあるのです。


 ベテランの経営する遍路宿では、予約の電話をかけたとき、前日の宿が何処で何時に発ったか。今現在どこに居るかを訊き、その遍路のペースを知り、到着が遅くなるようなら断り、もっと手前で泊まるようにアドバイスしたり、車で迎えに来てくれるところもあるようでしたが、そんなところは少ないのです。

 

 翌朝6時。赤雪が宿を出るとき、その女性は、まだ食事にもきていませんでした。

 多分ですが、彼女の行く先々で待ち構えていたという男性遍路は、コースが同じであれば先に寺に着くのは当然のこと。女性が無事につくのを確かめていただけだったのかもしれません。

 或いは本当にその女性に下心を持っていたのかもしれませんし、もともとそんな遍路はいなかった可能性もあります。


 同行を断り、歩き遍路をやめるように薦めて本当によかったと思いました。


(実際に女性の一人遍路を狙う悪質な、遍路の格好をした男がいるという情報も寄せられています)


 秋の山道をしみじみと歩きます。栗が落ちていたので拾い頭陀袋に入れます。

 その日の宿は友人の家で、旧交を温めるために仕事を休んで車で途中まで迎えに来てくれました。 

 

 奥さんが栗を蒸してくれるというので渡したところ、虫が入っているのが3個あるけどどうします?と訊ねられました。

「どうします」というのは、気にしないで食べるか、はねるかということです。

 見せて貰うと、本当に小さな穴がぽつんとあいていて、虫が入っているのがわかりました。

 赤雪にはこの虫たちが本当に幸せでいるように思えて、3個の栗は蒸さずにはねてもらうことにしました。

 食事のときに友人が訊きます。「あの虫が幸せだって、どういうことだ?」

「あの虫たちは、ただ、ものを喰うためだけに這い回っていた訳だ」

「そうだな」

「それが栗を見つけて入っていった」

「それで?」

「想像して見ろ。喰うことだけが全てで生きてる虫が、前も回りも食い物だらけの中に居るんだ。食い物に包まれている。『分け入っても分け入っても食い物』だ。こんな幸せってないだろう。だからこの幸せを壊してはいけないと思った」

 そう言うと奥さんが「四国では虫だってタンパク質だとか言ってたべちゃうけど」といったので、友人が「お前恐えよ」と言い大爆笑になりました。


 赤雪の、遍路と秋と栗の思い出でした。

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ヨウの呟き。ときどき緋糸。 赤雪 妖 @0220

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