巻き込まれない探偵

てこ/ひかり

巻き込まれない殺人事件

「小学生の頃、担任の先生に『読書感想文』を褒められたことがあってね」

 

 車の中で、ハンドルを握る細身の男が懐かしそうに目を細めた。

背の高い、やたらひょろっとした男だった。年齢は二〇代前半くらいだろうか。


「それで調子に乗って、将来は小説家になろうと思い立ち、一度出版社に持ち込みに行ったこともあるんだよ」

「へぇ……すごいですね!」

 すると、助手席にいた少女がぱあっと顔を明るくさせた。こちらの少女はまだあどけなさを残している。着ているセーラー服からして高校生だろう。小柄で、リスのようなクリクリっとした瞳の可愛らしい少女だった。


「先生って、どんな小説書くんですか? 純文学? ファンタジー? あ……それとも、もしかして恋愛小説とか??」

「からかうなよ。僕は真剣だったんだ。『人間失格2』と言う……」

「“2“……ですか?」

 少女が眉をひそめた。男が頷く。

「嗚呼。当時は文学界に革命が起きると信じていた。少なくとも芥川賞は確実だと思ったんだが……偉い人から『“2“を付ければオリジナルってわけじゃない』と散々怒られてしまってね」

「当たり前でしょう!」

 少女が呆れたように声を張り上げた。


「“2“って……そんなのただのパクリじゃないですか! それじゃ本当に人間失格ですよ。先生、バカなんですか?」

「それ以来僕は活字を見るのも嫌になった。どういうわけか、出版社からも出禁になってね。それで探偵の道を選んだんだ」

「なるほどですね。残念な大人だなぁ」

「残念とは何だ残念とは。僕が文学界にいないことが、どれほどの損失か……」

「そんなことより! 武田先生っ!」


 武田先生と呼ばれた男が、口を『への字』にして少女に抗議する。少女は冷ややかな視線を男に向けた。


「依頼ですよ、依頼! ひっさしぶりの事件なんだから、もっと集中しないと!」

「分かってるさ、牧野クン」


 牧野と呼ばれた巻き髪の少女は、手元のスマートフォンで地図を検索しながら頬を膨らませた。怒った表情が、ますますリスそっくりだ。しかし武田の顔は浮かなかった。


「だけど今回も、無事……」

 

 ハンドルを切り、男が深々とため息をついた。彼は探偵だった。

 名探偵・武田言玄たけだげんげん

 頭脳明晰。容姿端麗。

 公式非公式を問わず、彼が解き明かした難事件は数知れず。

 誰が言ったか、『令和のシャーロック・ホームズ』とまでうたわれた武田だったが、しかし彼には探偵に最も必要な、が欠けていた……。

  

「着いたぞ」


 今、武田は依頼を受け、助手の牧野とともに人離れた山の奥地へと向かっているところだった。


 やがて二人が車を降りた時には、時刻はすでに二〇時を過ぎていた。

 村役場の前では、村井と言う中年男性が二人を待っていた。今回の依頼人だ。村井は深々と頭を下げた。二人は役場の一室に案内された。中天にかかる月の鮮やかな、雲ひとつないよく晴れた夜のことだった。事件はここから幕を開ける。


…………


「『巻き込まれない体質』??」

「えぇ」

「何ですかそれ?」


 武田の名刺を受け取り、依頼人の村井が首を捻った。『巻き込まれない体質』……自己紹介の最中、聞きなれない単語が耳に飛び込んで来た。村井にしてみれば、至極真っ当な疑問だ。この世に多種多様な体質があれど、『巻き込まれない体質』なんてものは今まで聞いたこともない。


「実は先生には、生まれつき妙ながあって……」

 すると武田の隣にいた牧野が、小さくため息を漏らした。

 牧野は年季の入ったソファに腰掛け、指先でくるくると自分の巻き髪を弄りながら、やがて武田探偵の特異な体質について語り始めた……。


 巻き込まれない体質。


 世の中には、よくトラブルや事件に巻き込まれやすい人というのがいる。

 巡り合わせとでも言うのか、最早そう言う『体質』なのだろう。


 武田はしかし、その真逆とも言える体質で、どう言うわけかありとあらゆる事件から避けられた。


 


 頭脳明晰。容姿端麗。

 公式非公式を問わず、彼が解き明かした難事件は数知れず。

 誰が言ったか、『令和のシャーロック・ホームズ』とまでうたわれた武田だったが、しかし彼には、探偵に最も必要な『偶然を装ってさりげなく事件に巻き込まれる』能力が欠けていたのである!


「……前世で一体どんな悪行の限りを尽くしたのか、先生は生まれつき事件になんです」

「はぁ……??」

「評判もいいし、手際だって確かなはずなんですけどね。何分なにぶん事件に巻き込まれない……長針がない時計みたいなものですよ。要は無用の長物なんです」

「はぁ……」


 一通り助手の話を聞いても、村井はまだポカンと口を開けたままだった。言ってる意味がよく分からない。体質? 事件に巻き込まれない?? そんなの有り得るのか? 仮にあったとしても、だったら何故彼は探偵などやっているのだろうか。そもそも巻き込まれずして、どうやって事件を解決するのだろう?


「失礼な。誰が長針のない時計だって?」

 すると、説明を聞いていた武田がムッとして話に割り込んで来た。


「むしろ僕ァね、徳が高いんだよ。だから巻き込まれない。事件の方が避けて行くのさ」

「ダメじゃないですか。『巻き込まれない』なんて、探偵としては致命的ですよ」

「嗚呼! 『巻き込まれ体質』の奴らが羨ましい!」


 武田が頭を抱え、天を仰いだ。村井はぎょっとして、危うく珈琲を零しそうになった。


「今まで色々試してきた……」

 唐突に武田が語り始めた。

「事件に巻き込まれようと……旅館をしたり……」

「行った先々で事件に巻き込まれるのではなく、巻き込まれるために旅館に」

の子を助手に雇ったり……を吸ったり……にしてみたり……」

「努力の方向性がおかしいんですよね、この人」


 巻き髪の牧野がため息をついた。武田を見つめるその瞳は、哀れみに溢れている。武田は、泣いていた。その背中を牧野が慣れた手つきでさすっている。どうやら彼らにとっては、これが日常の風景らしい。嵐のように始まった演説に、村井は、ただ呆然とその様子を見守ることしかできなかった。


「だけど、どうしても事件に……」

「人としてはむしろ良いことなんですけどね。トラブルに『巻き込まれない』って。だけど探偵としては、ね」

「だからこそ僕ァね、一度依頼を受けたら全力でやりますよ。そういう体質なもんで。探偵なのに、中々事件に巡り合わないんで。たとえていうなら、僕ァ、短針のない時計みたいなもんですな。ハッハッハ! ハーッハッハァ!」

「はぁ……」

「私のたとえとどう違ったんだろう……」


 何故先ほど自分が睨まれたのか。理解に苦しむ牧野を横目に、武田が食い気味に前にのめり込んだ。


「で? どんな事件なんですか? 密室殺人? 発火トリック? 時刻表トリック? それとも……」

「い、いえ! そんな大それたものではなく……!」


 ようやく演説が終わり、圧倒されていた村井は我に返った。どうやら武田は、久しぶりに依頼された事件に目を輝かせているようだ。村井は慌てて両手を顔の前で振った。


「そんなんじゃないんです! 今回はその、先生に個人的なお願いと言うか……」

「そうですか。話が進まないから、早いとこその辺で誰か襲われたりしませんかねぇ」

「何不謹慎なこと言ってるんですか!」

 その隣で、牧野が容赦なく武田の脇に肘打ちする。

「ぐあ!」

「それが探偵の言う……いえ、真っ当な大人の言うセリフですか!」

「痛ってぇ……だ、だってそうだろう?」


 武田が脇を抑えてうずくまった。


「キミ、お化け屋敷に入って、お化けが出て来なかったらどう思う?」

「どう思うって……」

 牧野は肩をすくめた。

「そりゃ確かにがっかりしますけど」

「それと同じだ。探偵が何処かに出向いて、何も事件が起こらないなんて可笑しいじゃないか。これは何かの陰謀だよ。何処かから圧力がかかっているに違いない」

「一体何処の誰が、『人間失格探偵』に圧力なんてかけるんですか」

「『人間失格探偵』じゃない! 『巻き込まれない探偵』だッ!」

 武田が吠えた。どうやらまだ、本人は失格していないつもりらしい。牧野は残念な大人を諦めて、村井に先を促した。


「それで村井さん……事件というのは?」

「え、えぇ。実は、武田先生に探して欲しいものがあったんですが……」

「はぁ、探し物ですか」

「期待したような大事件じゃないからって、露骨にがっかりしないで下さい先生。全力でやるんじゃなかったんですか?」

「ですが、不思議なことが起こりましてね。僕が探してたのは、去年亡くなった妻からもらったネクタイだったんですが」

「なるほどネクタイね。それで、不思議なことって?」

「実は……大変言いにくいんですが……」

 村井が汗を拭い、上目遣いに二人を見た。


「先生が村に着く直前……タンスの底から見つかったんですよ」

「え!?」

 村井はおずおずと、胸ポケットから銀色のネクタイを取り出した。それを見た瞬間、武田が頭を抱え、再び天を仰いだ。

「嗚呼!」

「またですか」

「嗚呼、!」

「また?」

 村井は目を白黒させた。武田は叫んだ。

「僕が事件に赴こうとすると……ッ! これがなんだ! 『巻き込まれない体質』の本領なんだよ。事件の方が僕を避けるッ!」

 牧野はもう慣れているのか、武田のゲリラ豪雨的突発演説を都合良く無視した。


「見つかったんですね! なら、よかったじゃないですか」

「え、ええ。申し訳ありません。お二人にはわざわざ遠いところまでお越しいただいたのに……」

「いえいえ、お気になさらず。こういうこと、良くあるんですよ。先生には」

「そうなんですか?」

 村井が目を丸くする。牧野は頷いた。


「ええ。先生の『巻き込まれなさ』によって、事件自体が……ある意味で、究極の『探偵体質』と言えるのかもしれません」

「すごい……!」

 村井が声を上ずらせた。


「やっぱり噂は本当だったんだ。どんな事件も立ちどころに解決するって。武田先生にお願いして良かった……!」


 依頼主はホッとしたように胸を撫でおろした。武田はしかし、まだ叫んでいた。


「冗談じゃない! 僕はまだ何もやってないじゃないか! これじゃ何にも実感がないよ。僕が一体どんな悪さをしたっていうんだ!」

「悪さっていうか、本来良いことなんですけどね。事件が解決するのは」

「そもそも、僕は事件を解決したいわけじゃない……」

 武田が袖で涙を拭った。


「本当はただ、みんなの前で頭の良さそうなことを言って……カッコつけたいだけなんだ……」

「何バカなこと言ってるんですか。先生ももっと正義感とか、探偵としての使命感みたいなもの持って下さいよ」

「これが『巻き込まれない探偵』……! 人はここまで情けなさを曝け出せるものなのか……」


 村井は驚いた。


 こうして、事件は解決した。

 人間失か……じゃなかった、巻き込まれない探偵・武田言玄の、類稀なるその体質によって。


 頭脳明晰。容姿端麗。

 巻き舌で、葉巻を吸っている。

 古今東西探しても、現場に到着したと同時に事件の方から自ずと解決してしまう探偵は、彼くらいのものであろう。今日もまた彼は本人の意思と関わらず、事件を解決する。せめて事件に直接巻き込まれたいと願いながら……。


〜fin〜

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