ヘッドホンのLとRの間に浮かぶ海月
遙夏しま
ヘッドフォンのLとRの間に浮かぶ海月
ヘッドフォンの調子が悪い。たまに耳の奥の方で水をかくような音がする。「しぃーすぃー」といった小さな
「買い換えるか……。いや待て。だって三万円もしたのに」
ひとりごとを言いながら僕はデスクで腕を組む。デンマーク製でミニマルデザインでワイヤレスで真っ黒なそれを僕はInstagramで一ヶ月くらい見つめていた。そのなんともいえないコンフォータブルな姿(実際、製品名にComfortableという文字がはいっていた)をうっとりながめて、これをつけて音楽を聴き、PC作業をしたらさぞかし仕事もはかどるにちがいないと夢想した。
そしてある日、妻に「そんなに欲しいなら買えばいいじゃない」と言われ、だって三万円もするんだよ、僕はべつに音楽にこだわるタイプでも音質を追い求めるタイプでもないし、こういっちゃなんだけどヘッドフォンをかけて外出したり、家でオーケストラを味わったりするような生活もしていないし、情けない話をいってしまうと本当にいろかたちだけが気に入ってるだけなんだ、と鼻の穴を膨らましながらいうと「三万円でしょ?」と言われ、仕事中でもなんでも見つめてて、機会損失って言葉を知らないのかと諭されると返す言葉もなく、まあたしかにそのとおりだと思っておそるおそる購入を決意した。
そんなヘッドフォンだから雑音なんてものを出されると困ってしまうのだ。なんというかこれ以上、僕のところへ機会損失をよこさないでほしいから。僕はヘッドフォンをかける。雑音をもう一度、確認しようと宇多田ヒカルを流してみる。
「しぃー」
きた。やはり雑音。
「すぃー」
右側で鳴っている。これじゃあ宇多田ヒカルのうしろで
いやいやそういうことじゃない。
こちらが大人しくしていれば、海月はだんだんと数を増やす。「しぃー」と「すぃー」にくわえて「ふぃー」という音もしだした。増殖する海月。こんどは右から左に移動しだした。十匹やそこらで済まない海月の集団がいる。左の耳の少し奥の方に移動したかれらは、ふたたび僕の耳に居座る。すぃーふぃーしぃーふぃー。
今度は
当然、海月は僕のことなど無視して「すぃー、ふぃー」と泳ぎ続けている。
手前に来ては後ろ。
後ろに行っては右から左。
しばらく漂って、奥へ。
……いや待て、奥ってなんだ。
ヘッドフォンを軸にして奥なんて位置、ないよな。
でも奥だな。奥にいる。それがわかる。上と下、右と左、手前と後ろ、そして奥……。位置として奥という感覚がたしかにそこにある。現にあるのだ。聴いていれば当然のように僕の前に存在するのだ。よくよく考えるとヘッドフォンで音を聴いているだけなんだから、音の位置もくそもない気もするが、それも実際、音を聴いていればそこにある。変なものだけれど、おそらく誰もが共感できる気がする。奥か。うん、奥だな。
ただの雑音だと思って聴いていれば気になって仕方ないが、海月だと思うとたまに許せる場面がでてくる。不思議なものだけれど、生きているもの相手だと思うと人間はわずかばかり優しくなれる。よく銀行のATMみたいな機械とかでも叩かれないために、画面上に受付のひとを表示している。得てして妙な話だと思う。ひとは生きている他者には優しさを与える生き物なのかもしれない。性善説だ。素晴らしい。1いいね!
海月が似合う音楽を探す。ふよふよと静かに漂う海月がいるヘッドフォンだと思えば、まぁなんとなく気にならず使えるかなと思ったのだ。海月はさすが海の神秘だけあって、ちょっとしっとりした音楽が合う。それは間違いない。
さっき聴いた宇多田ヒカルは『First Love』だったが海月によく合っていた(令和に『First Love』を好んで聴く自分については放っておいてほしい)。クラシックなムードでショパンなんかも似合う。海月とショパン。ディスコグラフィにありそうだ。フランクシナトラもいい。音源がすでにかすれ気味なのが多いので、海月がうまく紛れているといったほうが正確かもしれないが。意外性をもとめて『今夜はブギー・バック』を流してみた。これはダメだった。ただの聴きにくいブギー・バックだった。あと名前に海月があればもちろん合うだろう思って、安藤裕子の『海原の月』を流してみたけれど、よく見たら海月じゃなくて、海原の月なので、彼らは歌い出しだけ泳いで、サビになるとどこかにいってしまった。
海月たちには好みがあるのかもしれない。ふむ。
やっと出てきた集中力があっさり切れる午後三時半。僕は終わらないタスクリストに見切りをつけて、いったん海月のことを考える。意識を集中すると海月がそこかしこに泳いでいるのがわかる。ヘッドフォンに棲む海月か。
音ばかりが部屋を漂い。気配だけが、やたらにその存在を主張してくる。お化けや妖怪の類として同列にならべてみれば、なるほど、ヘッドフォンの海月はなかなかかわいいものだ。
もし霊感が芽生えるんだったら海月が見えるのがいいと僕は考える。部屋中に満ち満ちた海月たちを目で追って、カーテンを閉め、なるべく静かな音楽をかける。彼らが泳ぐ姿を見ながら、「体調により今日は仕事できません」とツイートでもしよう。だって海月が泳いでいる部屋にして元気にバリバリ仕事ができる人間なんて、僕はこのかた見たことがない。落ち着いてしまう。息を深く吐き出して、体を丸め、目を半分だけ細め。そういう体の諸々を海月がひきだして、僕の体調はそういうふうになる。そういうものなんだ。海月って生き物と人間って生き物の関係は。(そういうものでしょう?)
たくさんの海月は日々のいろいろなことを、きっと優しく包んでくれる。現代にはそういうロマンティックに閉じたごく個人的な空間がたくさん必要なんじゃないかと僕は思う。わりと真剣に思う。ロマンティック。しばしばその言葉はひとびとに否定的にとらえられてしまうけれど。実際のところロマンを必要としない人間はいないんじゃないかと僕は思っている。どんなにタフに生きているつもりでも、愛を必要とせず生きていける哺乳動物が、この世におそらく存在しないのといっしょである。I LOVE YOU. YOU LOVE ME. 愛やロマンは体温を自ら沸かせる動物がこの世界を生きていくにおいて、ごく現実的で、実際的な存在であると、常々そう思っている。
だから僕はその閉じられたロマンティックさについて、なるべく具体的な想像をする。小さく閉塞した部屋にふさわしい空気感。明かりの具合。ただよう海月の輪郭。窓は大きいほうがいいのか、小さいほうがいいのか。カーテンは必要だろうか。床座であるべきか、椅子座であるべきか(おそらくそれは人によるだろう)。音は、匂いは……。
「……コーヒーのみたいな」
ヘッドフォンをかけたままデスクから立ち上がり、キッチンへいく。水をいれ、ケトルを火にかける。音楽を聴いたままケトルを火にかけるのは意外と難しいことに気がつく。海月はまだ僕の後ろ奥あたりですいーふぃーとやっている。首のうなじあたりをポリポリと掻く。「ロマンティックに閉じたごく個人的な空間」と声に出して言ってみて、僕自身の想像と現実との折り合いを確かめる。指先でつつくとふっと壊れてしまいそうな海月を後頭部あたりに漂わせ、夕方までは現実の隣を泳ごうと言い訳しながら、僕はソファに寝転がって膝を折る。
音楽は鳴りつづけている。
ヘッドホンのLとRの間に浮かぶ海月 遙夏しま @mhige
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます