外伝4.幸せの箱庭にて(最終話)
お転婆に走り回る婚約者を追いかけるロルフは、ようやく捕まえた彼女を抱き締めて芝に転がる。自分を下にして彼女を守るのは当然だ。
「きゃっ、やっぱりロルフは足が速いわ」
「鍛えてるからね。君を守れる強さがないと捨てられてしまうよ」
「頭もいいの、ずるいわ」
勉強が苦手なエレンは唇を尖らせる。まだ触れることが許されない唇を指で突いて、自分の唇に押し当てるロルフはキスの代わりだと笑った。
「勉強出来なかったら、エレンに教えられないじゃないか」
「それもそうね」
くすくす笑うエレンの機嫌は直ったらしい。本気で拗ねたわけではないので恋人同士の戯れの一環だ。近くの茂みを揺らして顔を出したのは、エレンの兄フランだった。
「イチャつくのはいいけど、父上にバレないようにね」
拗ねるよ。そんな口調で軽く戒めていく。庭師の真似事が高じて、最近は新種のハーブや薬草を育て始めたフランは、いつも土に汚れてもいい格好をしていた。だが皇子として認識されなかったことはない。ベアトリス皇妃譲りの銀髪は、彼の身分証明にぴったりだった。
「おにぃたまぁ!」
鼻を啜りながら呼ぶ幼児の声に、ロルフが身を起こす。弟のデニスだろう。手を振って名を呼ぶと、すぐに駆け寄ってきた。まだ足取りが怪しい幼児は、母親にそっくりの顔を涙と鼻水で汚している。
両手を広げて抱き着く弟を受け止めたロルフの横で、ハンカチを取り出したエレンが顔を拭き始めた。押し当てたハンカチに、ちーんと鼻を噛む。汚れたハンカチをエレンは気にした様子なく、畳んで置いた。それからデニスに微笑みかける。
「ロルフが大好きなのね」
私と同じだわ。そんな響きに、幼子もにっこり笑う。にこにこと微笑み合う婚約者と弟の間に、ぐっと割って入った。膝の上に弟を乗せ、エレンの肩を抱き寄せる。
「僕を嫉妬させたいの?」
「ふふっ、お母様の助言通りね」
罠にハマったのよ、そう告げるエレンにロルフは苦笑いするしかなかった。嫉妬深いのにそれを隠そうとしたが、彼女はその嫉妬を受け止めたいと願う。
「ねえ、カリンはお昼寝かな」
そろそろ騒ぎ出すだろう末の妹姫の名を呟くフランの声に、大きな泣き声が重なった。やっぱり……そんな表情で肩を竦めるフランが立ち上がり、離宮のテラスへ向かう。その手にスコップを握ったまま。
「フランったら、スコップ持ってったわ」
「お母様が気づいて取り上げると思うよ」
スコップや汚れた道具を離宮に持ち込もうとすると、侍女長のソフィが止める。いつも行われる騒ぎを見ながら、ロルフはタイミングを図って促した。
「そろそろ午後のお茶だね。一緒に行こう」
「今日はお母様がスコーンを焼いてくださるの。お父様もご一緒されるのよ」
エレンは朝食で聞いた情報を口にし、指を咥えたデニスが「ちゅこん?」と首を傾げた。歳の離れた弟を抱き上げ、婚約者のエレンと腕を組んだロルフが歩き出す。そこへカリンが両手を広げて抱きついた。
「ロルフ、大好き」
「ありがとう、僕も
誤解されないようにきっちり引導を渡すロルフに、皇妃トリシャがくすくす笑いながら末姫を抱き寄せた。
「諦めなさい、あなたには無理よ」
嫌だと泣き喚くカリンに、エレンは得意げな顔で笑う。先に生まれた特権だと意味の分からない説明をしながら、婚約者と絡めた腕を引き寄せた。
「……ニルスにそっくりだよね」
娘達が取り合う親友の息子を苦々しく思うが、未来の息子でもあるので肩を竦めるだけに留め、エリクは席についた。いつの間にか住み着いた狼が、のそりと足元に寄り添う。
トリシャが焼いたスコーンに、ソフィのお手製ジャムを添えて。離宮は常に笑いと歓声が絶えない幸せに包まれる――見上げれば抜けるように青い空。
「エリク、私……幸せです」
「僕もだよ、愛しのトリシャ」
両親達の口付けを、子供達は見ないフリでお菓子を頬張る。手を洗っていないとフランが叱られたところで、書類片手のニルスが合流した。
「陛下、こちらの書類が未決済ですが?」
なぜ休憩に入っていると咎める響きに、皇帝陛下はやれやれと首を横に振った。
平和な日常が続く帝国は、またひとつ領土を拡大した。数百年の繁栄を誇ることになるフォルシウス帝国には、かつて魔女と誤解された天使が降臨し、悪虐皇帝を正して賢帝に変えた――伝説は時を超えて語り継がれたという。
END.
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