エピローグ:ファジーセットのデリカテッセ

「――まーったく。世話を焼かせてくれる姉弟子だよ。もうこれっきりにしてほしいね」


 グミは言った。傷が少し開いたのか脇腹の包帯が赤く染まっていた。


「――で? デリ、これはいったいどういうことなのか、教えてもらえるよね?」

「……ごめんなさい、グミさん」


 デリはしょんぼりしながら言った。


「みんなを守るのに、他にどうしようもなくって……。もしかしたら僕も魔法使いになれるんじゃないかと思って、でも、せ、性的な欲望を止められるかどうか、自信なんかなくって……」

「それで建物に目印を残しておいた……? まぁ間に合ってよかった――ということにしとこうか?」


 グミはため息まじりにデリの髪をかき混ぜ、床を見下ろす。下着を太股まで引き下ろされたスーキーが、浜辺に打ち上げられた魚のように痙攣していた。すっかり白目になった瞳から溶けたマスカラの混ざった黒い涙を流し、だらしなく垂れる舌は一回り小さくなって先がふたつに割れている。まるで蛇だ。ピアスが抜け落ちるときに裂けてしまったのだろう。

 グミはスーキーの顔の前にしゃがみ、冷たい声で言った。


سيرياناシリアナへようこそ、スーキー。この業を解くのは大変だ。デリみたいな美少年に見てもらいながら、アジフライとかいうのを頬張って、ケツの穴から口まで腕を通してもらわにゃならない。誰がそんなプレイをしてくれるっていうのさ。私らに頼むしかないかな? 土下座されても受けないけどね」


 スーキーはなにも答えない。聞こえていないかもしれない。

 グミはふっと短く笑い、腰をあげた。


「教えてもらってもいい? 破滅のアジフライって、ホントはどういう魔法なの?」

「……多分、ですけど」


 デリは橙色紙片をグミに差し出した。


「このレシピ、三人分なのに魚が四尾も要るんです。それに、ソースもひとり一種類ずつで、三人分だけ用意すること、ってあります。だから、余ったひとつは……」

「取り合いになる?」

「あと、どのソースを使うのかで、すごく揉めると思います」

「……ばっからしい!」


 グミは一笑に付したが、しかし、すぐに表情を改める。


「魔法使いならやるか……ホント、魔法使いだけに破滅をもたらす料理なわけだ」

「……とは、限らないですよ」

「ん?」

 

 なんでもないです、とデリは顔を左右に振った。食欲は性欲よりも強力だ。魔法使いに限らずとも命を賭して取り合いかねない。

 ――言っても、詮無きことではあるが。

 デリはのそのそと立ち上がると首台に載せられた祖父の目を閉じ、テーブルクロスを剥いで上からかぶせ、黙祷を捧げた。

 ごめんなさい、おじいちゃん。これからは言いつけを守ります。

 許してくれるかどうか、それは誰にもわからない。


「……僕、これからどうしたらいいんでしょう」

「とりあえず脅威は去った。スーキーはサークルを出し抜くのに躍起だったから報告してるとは思えないしね。だから、それは自分で決めなきゃいけない。と私は思う」

「でも、僕……」


 お金があってもどうにもならない。いきなり外の世界に放り出されても、どうすればいいのか。

 グミは腰をかがめ、デリと目線を合わせた。


「泊まるとこがないなら、私の部屋に泊まってもいい。ただし条件があるよ」

「条件ですか?」

「そう、条件」


 グミはおどけるようにニヤっと笑った。


「まず、ここを見つけたシュメールにお礼を言って、ちゃんと謝ること。自分の穿いてたパンツの匂いを今のパンツと嗅ぎ比べて街中探すだなんて、私だったら死にたくなるね。見つけたときには『新しい世界に目覚めそうで怖い』とか言って真理を語る賢者みたいになってたよ」

「あ、それは、えと……」


 他にいい方法が思いつかなかったから仕方がないが、まったく本当にそう思う。

 グミはデリのほっぺたをつまんだ。


「それから、マスターに『ただいま』って言わないと。これからどうするにせよ、マスターを放置してたらヤバい。ものすごい心配してたし、私は見つけるまでごはん抜きの刑だ」

「……それは大変ですね」


 デリは思わず吹き出した。しかし、グミは真剣な顔をして続ける。


「冗談じゃないよ? マスター、今日中に連れて帰ってこなかったら世界を真っ平らにして探すって言ってたんだから」

「……え?」

「マスター、やるっていったら本気でやるよ。マジでヤバイ。だから謝って」

「は、はい……」


 デリは頬を引きつらせた。


「じゃあ、ファジーセットに帰ろうか。帰ったら躰を洗ってあげるよ」

「――えっ……そ、それは自分でできます!」




「……あの、グミさん、僕も聞いてもいいですか?」

「んー? 内容によるかなー。なにが知りたいの?」

「えっと、グミさんの世界の……シリアナって、どんな世界なんですか?」

「おー、いい質問だ。本当は秘密なんだけど……頑張ったご褒美に教えてあげよう」


 グミは得意げに手を前に伸ばし、波を描くように揺らした。


「デリは知ってるかな? ドーバー海峡を越えたもっと向こう、地中海を渡ったあたりに、かつてカルタゴと呼ばれていた土地があるんだ。美しい入り江、碧々とした平原、険しくも雄々しい山々――その奥に、陽光に輝く真っ白い街がある」

「……地中海の……えっと、実在する街なんですか?」

「実在かぁ……面白いことを言うね。どうなんだろう。ひとつ確実に言えるのは、少なくとも私の主観的世界にはその名がついてる。だから、私が私でありシリアナの女王である限り、必ず、デリの世界にもシリアナが生まれる」


 グミは不敵な笑みを浮かべ、デリのくるくるとした金髪をかきまぜた。


「行ったことないし、見たこともない。でもそこにあるらしいし、私はそこで生まれたって聞いてる。だったら、あることにする。ないならつくる。だから私は、私の中のシリアナに女王として君臨し、この色気のない世界に夢を届けて回っているのさ」


 シリアナの女王は、そう言って笑った。

 夢か、とデリは口の中で呟く。

 世界は魔法使いの見る夢かもしれない。

 だったら僕も、夢を見るすべを学ぼう。

 そして、いつの日にか世界を作り変えよう。

 食卓の支配者ルーラーとして、破滅のアジフライの創り手として。

 デリの無垢な黒瞳が、一瞬、深淵を覗かせた。

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シリアナの女王と破滅のアジフライ λμ @ramdomyu

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