さよならを告げる獣

傴留デイジ

第1話

 



 ー私は中途半端だ。周りから見た私は異端、だった。


 背に生えた白い鳥のような翼。人の形にそっくりな体。人と鳥が混ざり合ったような、そんな姿。


 そんな姿をしたものは、生まれてから一度も、私以外に見たことがなかった。

 決して誰かと交じり合うことはできない。


 孤独だった。


 だから、旅をすることにした。

 私と同じ"存在もの"を探す旅に。




 はじめに行ったのは人がたくさん暮らす国。

 でも、まるでそこには私がいないように人々は通り過ぎていった。その瞳に映すことさえしなかった。

 色んな人が行き交う中で、私と同じ姿をしたものはいなかった。


 時々、まるで見えてるかのように私の方をじっと見る人もいた。

 それは老婆だったり、兵士だったり、少女だったり。

 でも、そのどれも、私に話しかけることはなかった。


「ねえ、聞いた? お隣のヴィッチェさんの娘さんのお話」

「コーリンちゃんがどうかしたの?」

「なんでも、白い翼を生やした人を見た!ってその人を探しに行ったみたいなんだけど、探しに行ったきりまだ帰ってこないんですって」


 そんな話を耳にした。

 私の中で可能性が芽生えた。


 ー私が見つけれていないだけで、もしかしたらいるのかもしれない。


 私はもう少し、この国で探してみることにした。




「コーリンちゃん、亡くなったんですってね…。まだ、若いのに…、可哀想に…」


 探し始めて一週間が経った。まだ、私と似た人は見つかっていない。


「ウィルソンさんのところの息子さん、戦争で命を落としたみたいよ。いやね、戦争なんて、早くなくなってしまえばいいのに…」


 1ヶ月がたった。まだ見つかってはいないが、どうやらこの国では戦争が始まったみたいだった。

 気のせいか、私のことが見える人が多くなったように思えた。


「ミル婆、ついに逝ってしまったみたいよ。この前まで元気だったのに…残念ね」


 この国に来て、一年が経った。

 やはり、私と同じような人とは出会えなかった。

 きっとこの国にはいないだろう。

 私は人の国を静かに去った。



 次に向かったのは、鳥の獣たちの住う森。

 鳥の獣たちを真似して、私も木の上で生活してみることにした。

 鳥たちが飛び立ったら、私も真似して空を飛んでみた。


 色んな森を転々とした。時には同じ森に帰ることもあった。

 そうしてしばらく、鳥たちと暮らしてみたが、いつまで経っても細い木の枝の上での生活は慣れなかった。

 それに鳥たちはキーキー、ピーピーと鳴くばかりで意思の疎通が全くとれなかった。

 時には翼を大きく広げ、敵意を向けられた。

 だからきっと、私は鳥の獣とは違う生き物なんだと思い知った。

 そうして私は鳥の住う森から飛び立った。


 ーーー


 それからもしばらく色んなところに行った。

 しかし、どこへ行っても私と同じ存在ものはいなかった。

 何度も突きつけられる現実孤独に、心は疲弊した。

 だから私は旅をすることをやめた。

 森の奥深くにあった洞窟の中に、私は隠れるように身を潜めた。




 あれから何年たったか分からない。

 ふと思い立って、人のいるところへ行ってみることにした。


 そこである少女と出会った。


 その少女は私を見つめると、こう告げた。


「貴女は鳥さん? それとも人さん?」

「…私にも分からない」


 その少女はルーナリア・リンドブルムと名乗った。

 そして誇り高き公爵の令嬢ですわ、と胸を張った。

 その少女に名前を聞かれたが、私が自分の名前は分からないと答えると、不便ねと名前をつけてくれた。


「貴女のお名前は、今日からイベリスよ!」


 そう自信満々につけてくれた私の名は、どうやらルーナリアの好きな花の名前からとったそうだ。




 それからしばらくは、ルーナリアと一緒に過ごした。

 ルーナリアと過ごす時は、今まで過ごしてきた時の中で1番楽しく、心が安らいだ。


 ルーナリアはきつい顔立ちの見た目とは違い、優しくお転婆な令嬢だった。

 ただ、極度の人見知りと恥ずかしがり屋な一面、それに加えて高圧的な喋り方をしてしまう癖が、彼女のいいところを覆い隠してしまった。


 ルーナリアが学園に通い出してからは、彼女のことを周りのものは"悪役令嬢"と呼んだ。

 公爵家の娘としてのプライドが、高圧的な喋り方に拍車をかける。

 きつい顔立ちのせいで、本人は人見知りで緊張してるだけなのに、睨んでると勘違いされた。

 婚約者となった王子のことが好きだっただけなのに、恥ずかしがり屋な一面が邪魔をして王子にルーナリアの良いところが伝わらず、嫌われた。


 そしてある少女が編入してきた時から、それは狂い始めた。

 その少女は平民にも関わらず、魔法の才があるとして特待生としてルーナリアの学校に編入してきた。

 平民育ちのその少女は、天真爛漫で誰にも分け隔てなく優しかった。

 その貴族の令嬢では絶対にしない元気無遠慮な振る舞いに、周りの令息たちは彼女に惹かれていった。

 ルーナリアは貴族の令嬢代表として、その少女に注意をしていたが、どこで間違ったのか、ルーナリアが編入生をいじめていると、噂が流れた。

 そしてその少女に惹かれていく令息たちは、皆見目麗しい者たちばかりで、その者たちはだんだんとルーナリアを責めるようになった。

 その中には、ルーナリアの婚約者である王子も含まれており、そのことにルーナリアは毎日心を痛め、夜が来る度涙を流していた。


 そしてある晩のこと。

 卒業生の貴族たちを見送るために開かれる夜会で、それは起こった。



「ルーナリア・リンドブルム! 貴様との婚約を今宵を持って破棄させてもらう!」


 そう高らかに宣言された婚約破棄。

 ダンスホールで繰り広げられる、犯してもいない罪の断罪劇。


 その内容は一つだけではなかった。

 曰く、ルーナリアが特待生の少女を人を使って襲おうとした、階段から突き落とした、周りを脅して特待生を虐めさせたなどなど。


 どれもありえないことばかり。


 ルーナリアは必死に「違う!わたくしではございません!」と言い募るも、その言葉を信じるものは誰もいなかった。



 そうしてルーナリアは、婚約を破棄され、犯してもいない罪の贖罪しょくざいとして、入ったら二度と外には出られないと言われる修道院に監禁された。

 ルーナリアは毎日、手を合わせ涙を流しながら祈っていた。

 ルーナリアは日に日に弱り果てた。




 それからしばらくの時が経ち、ルーナリアの最後の時が来た。

 ルーナリアは弱々しく私の手を握り、静かに告げた。


わたくし…、一体どこで間違ってしまったのでしょうね。ずっと考えているのだけれど、分からないの…」


 私はこういう時、なんと声をかければいいのか分からなかった。

 ただ心臓が鷲掴みされたように痛く、軋む。


「でも、イベリス…貴女が側にいてくれて本当によかった…。きっと貴女がいなかったら、わたくしはこの世界を憎んでいたわ…。貴女が側にいてくれたから、わたくし、独りではなかった…。それがどんなに嬉しいことか…きっとあの人たちは知らないままなんだわ…」


 そうしてもう力を入れるのも難しい腕を震わせながらも上げて、私の頬にそっと掌を添える。


「泣かないで…イベリス…。わたくしの大好きなお友達…」


 言われて、初めて、私は自分が泣いていることに気付いた。

 目頭が熱くて、視界がぼやける。

 頭がズキズキと痛むけど、それ以上に心が壊れそうなくらいに痛い。


「貴女が、わたくしのために泣いてくれる…それだけで、心が救われる…」


 ルーナリアの瞳から涙が溢れて流れる。

 涙を流しながら笑顔を浮かべる彼女は誰よりも美しかった。


わたくし…、きっと今誰よりも、幸せよ」


  ー誰に、なんと言われようと。


  その言葉は途中から空気が抜けるように、音を発しなかった。

 そして、ルーナリアも空気が抜けるように、ふっと、頬に添えられた手は力なくベッドの上に落ちた。


 私は瞳を閉じた彼女の額に、そっとキスをした。

 それが本能のように、感じた。



 ルーナリアの葬式は隠れるようにひっそりと行われた。

 泣く人は、誰もいなかった。


 ー噂でルーナリアの元婚約者の王子とあの少女は、少女が聖女の力を授かったことにより王家入りを認めてもらい結婚をしたという話が流れてきた。


 そんなことはどうでもよかった。

 今まで孤独には慣れていると思っていた。

 でも、ルーナリアと出会って、誰かと過ごす日々の楽しさを知った。

 不器用な優しさを知った。

 一緒にご飯を食べる温かさを知った。

 悲しみを、苦しみを知った。

 彼女にもらったものは量れないほどたくさんある。


 彼女のいない世界が、こんなにも色がないとは知らなかった。

 突きつけられる現実孤独に、心が耐えられなかった。

 私は、ルーナリアを求めるように世界を彷徨い歩いた。






 幾年が経ったある日、不思議な男と出会った。

 その男は、今まで出会った人とはまるで違う"何か"を持っていた。


「やぁ、突然だけど、君ももしかして人外なのかな」


 男はへらりと笑った。


「なあ、どうだい。人外同士、一緒に旅をしてみないか? ちょっとだけでもいいからさ」


 そうして私は、その男と旅をすることにした。

 男は、ウォン・ドートリーと名乗った。

 私がイベリスと名乗ると、彼はいい名前だね、と笑った。


 彼は、よく笑う人だった。いつも戯けたような喋り方をする。

 彼の話によれば、彼は不死身だそうだ。

 遠い昔に、誤って不死の滴を飲んでしまってから、歳も取らず死を知らない体となったそうだ。

 彼は、彼が今まで経験してきたたくさんの旅の話を聞かせてくれた。

 私はこの時間が、嫌いじゃなかった。

 ただ、彼は時々、全てを諦めてしまっているような顔をする時があった。


 私はふと、彼なら私と似たものを知っているかもしれないと思い、聞いてみた。

 けれど彼は、「君みたいな人は見たことがないね」と申し訳なさそうに眉を下げた。



 彼と共に旅をする中で、色んな人と出会った。

 私が旅をした時とは全く違うその旅に、ルーナリアの時以来久しく感じていなかった"楽しい"という気持ちを思い出させてくれた。

 私のことが見えない人が大半だったが、その中でも少しだけだが私のことを認識できるものもいた。

 皆、異端の私を受け入れてくれた。

 それがとても嬉しかった。


 だが、皆等しく短い期間の間に命を落としていった。


「君はまるでさよならを告げる獣だね」


 そう彼に言われた時、妙にしっくりきた。

 人でも鳥でもない。

 "獣"という言葉が私にはお似合いなのかもしれない、と。



 彼は本当に死ななかった。

 これまでこんな長生きな人は見たことがないくらいに、長い時を彼と旅した。


 その旅でたくさんの別れと出会った。

 私は死んでゆくものたちの額にキスを落とす。

 その行為を今まで静観するだけだった彼が、ふと私に疑問を投げかけてきた。


「今までずっと不思議に思ってたけどさぁ、それは何かの儀式なの?」

「分からない。これは私の本能のようなものだから」


 彼はしばらく考えるように押し黙る。

 そして、彼の思考は次第に彼の口から零れ落ちていく。


「もしかして…僕は今まで勘違いしてたんじゃないか…? 彼女のことが見えるのは僕が人外だからと思ってたけど…。もし、それがのなら。

 僕は…」


 彼はぶつぶつと何事かを呟いていたが、急に黙ると私の方へとやってきた。


「なぁ、イベリス。僕にキスしてくれないか」

「…どうして?」


 その唐突な彼の発言を、私は理解できなかった。


「どうしても、だ。試したいことがあるんだ。彼らと同じように、僕の額にキスをしてくれないだろうか」


 私はしばらく考えた後、彼に近寄った。

 彼はそれに合わせるように腰をかがめる。

 そっと、彼の額にキスをする。


 すると彼は、閉じていた瞳を勢いよく開いた。


「あぁ…!」


 彼の体が、淡い光を放ち始める。

 今までに見たことがないほど幸福な顔をして彼は私に笑いかけた。


「僕は一生終わることができないと思っていた…。長い時を孤独と共に過ごすんだと、ずっと一人ぼっちだって。でも、ああ…っ、僕はやっと"終わる"ことができる…!」


 彼は私の手を強く握る。彼の瞳からは大粒の涙が溢れていた。


「こんなに嬉しいことはないよ。君のおかげだ、イベリス。君は急な展開で状況を飲み込めてないかもしれない。君を独りにするのは心苦しいけど…。君との旅は本当に…楽しくて、幸せだったよ」


 彼の体が白い破片となって崩れ落ちていく。


「イベリス」


 彼の体はもう後顔を残すのみとなった時。

 彼の口が言葉を紡ぐ。


Ευχαριστώありがとう


 その言葉を最後に、彼の破片はきらきらと空へと消えていった。

 最後の言葉が何という意味を持つのか、私は知らなかった。


 彼が消えていった場所をただ眺めていた。

 私はまた独りになってしまった。


 死なないと思っていた彼の消失を目の当たりにして、私は自分がいつ死ぬのだろうと思った。

 けれどそんな思考は、すぐに掻き消える。

 彼との旅で、私は気づいてしまった。

 遠い記憶の彼方で誰かが言っていた、白い翼を持つ人は、私のことで。

 きっと私と同じ存在ものはいないと。

 そして、漠然とわかった。

 私はきっと、"死ぬことはない"と。


 私は旅をする理由もなくなってしまった。

 またやってくる孤独に、耐える術が分からなかった。


 ーいっそ、誰にも出会わなければよかった。


 だから、もう誰にも出会わないように。

 私は森の奥深くで身を潜めることにした。




 ーーー




 ー美味しそうな、匂いがした。


 その匂いに、眠らせていた意識が覚醒する。

 どのくらい眠っていたのだろうか。

 気づけば私の翼の上には、白い埃が積もっていた。


 洞窟を出て、匂いを辿って歩いていると、森の中に家があった。


 ーあれほど誰かと出会いたくはないと思っていたのに。


 気づいたら、私は家の中にいた。


「えっと、あなたは…?」


 家の中には、一人の女の子がいた。

 長い髪を三つ編みで束ねて、眼鏡をかけた、そんな素朴な少女。

 私は視線を机の上へとやった。

 そこには白い液体状の食べ物が、美味しそうな匂いとともに白い湯気をあげていた。


 それはルーナリアが大好物だといっていた、"シチュー"によく似ていた。



 私がシチューを食べたいというと、彼女は私を快く受け入れてくれた。


 彼女は、エーミ・スノマックと名乗った。

 私がイベリスと名乗ると、彼女は白い綺麗なお花の名前と一緒ね、とその花の写真が載った本を見せてくれた。

 その花は私と同じで、真っ白な花だった。


 彼女の作るご飯は美味しかった。

 私は時々、ふらりと彼女の元を訪ねてはご飯をもらった。

 久しぶりの誰かとの食卓は、やはり温かかった。


 彼女の家には本がたくさんあった。

 それは図鑑だったり、旅をするお話だったり、恋をするお話だったり。

 彼女は色んな物語を語ってくれた。

 私はそれを聞くのが、楽しかった。


「本はね、現実とは違う別の世界へと連れてってくれるの。私を違う誰かにしてくれる」


 彼女がそう語ったときがあった。

 その顔は寂しそうで、昔旅を一緒にしたウォンが時々浮かべる表情とよく似ていた。



 ある日、彼女は自分が病を患っているのだと話した。


「私ね、自分の心臓の鼓動を聞くのが好きだったの。鼓動を聞いているとね、生きてるって感じられるから。でもね、ある日他の人の鼓動を聴きたくなった私は、聞いてみたの。…私の鼓動と全然違った。その時ね、ああ、私は他の人とは違うんだって…気づいたの」


 悲しそうに、苦しそうに、歪んだその微笑みは、彼女の心だった。


「みんなが私を落ち込ませないために、病気ってこと隠してたんだって。それを知って、みんなが私のことを心配してくれてるんだって…嬉しかったのに…。私、とっても…」


 "寂しかったの"、彼女の唇はそう告げたように思えた。


「だから私、みんなにわがままを言うことにしたの。だって最後ぐらい、自分の思うまま…、自由のままに生きたいじゃない?」


 それが作り笑いだってことは、私にも分かるほどに彼女はヘタクソに笑ってみせた。



 彼女の体は日に日に弱っていった。

 ある日は、ベッドから起き上がれないこともあった。

 寝たきりが続くようになってからは、私は毎日彼女の元へ訪ねた。

 彼女は寝たきりになるようになってから、私の話を聞きたがるようになった。

 私のことが知りたいのだと、彼女は言った。


 私は途方もない旅の話をした。

 ある日には鳥と暮らした話を。死なない男の話を。美しい公爵令嬢の話を。

 たくさんの出会いと別れの話をした。

 彼女は時に泣き、笑いながら、私の話に嬉しそうに耳を傾けた。

 誰かに話を聞いてもらえることは、こんなに心地いいのだと知った。




 ーそうして彼女の最後の刻がきた。


「ねえ、イベリス。お話を聞かせて」


 私の話に、やはり彼女は嬉しそうに耳を傾けた。


「…ねえ、イベリス。あなたは、いつか、自分のことを"獣"だと言っていたわね…」


 彼女は私の手をそっと、強く握ると静かに言葉を紡いだ。


「あなたは、獣なんかではないわ。きっと、あなたはάγγελοζ天使なのよ」


 アンゲロス、そう発音された言葉がどういった意味を持つのか私には分からなかった。


「彼らは、遠い、遠い昔の太古の時代にいたとされる伝説。人の魂を天へと導き、還してくれる存在。私は、あなたが彼らと同じものだと思ったの」


 私は違う、と思った。人の魂を導くことはおろか、天へと還したこともなければその方法さえ、私は知らない。

 だからきっと、彼女がいう彼らとは違う。


「…違う、って顔してるね、ふふっ。…でもね、やっぱり私はそうだと思う。確かに彼らとは違うかもしれない…。でもあなたは、孤独を分かち合い、死にそっと静かに寄り添ってくれる…、そんな優しい生き物よ」


 その言葉は私の胸にすっ、とおりてきた。


「私ね、本当は死ぬのが怖かった。独りが怖かった。毎日いつ死ぬか分からない恐怖に独りで耐えるのは辛かった。…でも、自分の死に様なんて見せたくないじゃない? みんなが私の死に泣くのは、独りよりもっと辛いと思ったの。だから、独りで死のう、って…。でも、イベリスが来て、独りじゃなくなった。独りじゃないってことが、こんなに幸せで心強いなんて知らなかった。死ぬのがあんなに怖かったのに…、今はね、今は、何にも怖くないの」


 不思議よね、と笑う。


「イベリス、あなたが私の死に寄り添ってくれる、それがどれだけ嬉しいことか、あなたには分からないかもしれない。死ぬときに独りじゃないことが、どんなに幸せか…。…ねえ、イベリス。最期のお願い聞いてくれる…?」


 なに、と問いかけると、ありがとう、と彼女は笑った。


「私の他にもね、きっと孤独で死んでいく人はたくさんいると思うの。だから…、その人たちにも寄り添ってあげてほしい。もしかしたら、このお願いはあなたを苦しめるかもしれない…。でも…、私、私ね? 長い、ほんとに長い時の中を、誰かの孤独に寄り添うのが、あなたの使命なんじゃないかって…」


 そう思うの、と申し訳なさそうに彼女は笑う。


 でも、私にとって彼女のお願いは、長い永遠を生きる時の中で、はじめて私の生きる意味を見つけた気がした。




 最後に本を読んでほしい、と言われた。

 でも、私は文字が読めなかった。

 結局本は、彼女が読んだ。

 それは彼女が最も好きだった冒険譚のお話。


 お話が終盤に差し掛かる頃には、彼女の声は掠れ、喉から空気が漏れるように声を押し出す。

 それでも、彼女は本を読むのをやめなかった。

 やがて、冒険譚は終わり、彼女の終わりが来る。


「…さよなら、イベリス」


 最期の力を振り絞り発された声は、二人きりの空間に静かに響いた。


「おやすみ、エーミ・スノマック…」


 額に、キスを落とす。

 彼女は最後に一粒の涙をこぼし、目を閉じた。      


 私は彼女を抱え森の奥深くへと行く。

 そこで深い穴を掘り、その穴に彼女をそっと横たえた。

 土をかけたあと、彼女の好きな黄色の花を添えると、私は静かにその場を後にした。



 彼女が私に与えてくれたのは、生きる意味だった。


 私は翼を広げる。

 目指す先はない。

 今から、長いー終わらない旅が始まる。





 ーーー





 永遠と言える、永い一瞬の時を過ごした。

 世界は時代によって様々に変わっていった。

 ある時は魔法が世界を支配し、またある時は戦争が世界を支配した。

 そんな時の中で、生物たちは時代に対応するように姿を変えていった。

 人も例外ではない。

 魔法が世界を支配した時代には、耳が長くとんがった人間が生まれた。

 戦争が世界を支配した時代には、獣と混じり合ったような姿をした人間が生まれた。

 でも、そのどれも時代と共に姿を消した。

 ただ、私と同じ存在ものはどの時代でも生まれなかった。



 時代が過ぎ去っていく中、たくさんの出会いと別れを繰り返した。

 人が"魂"と呼んでいるものが見えるようになった。

 その中で、私は遠い昔に別れたものと似ている魂を持つものに会うことがあった。


 ある日は、エーミ・スノマックに似たもの。

 彼女は本が好きだった。そして、エーミ・スノマックとは違い、本を自ら書いていた。

 それはエーミ・スノマックが好きだった、冒険をするお話だった。

 彼女には、私の姿は見えなかった。

 でも、それでいいと思った。


 ある日は、ウォン・ドートリーと似たもの。

 やはり彼にも私のことは見えなかった。

 彼は愛する人を見つけていた。

 手を取り合い笑う姿は、独りぼっちに諦め笑っていた彼とは全く違った。

 それが、嬉しかった。



 ーけれど、たくさんの似たものと出会う中で、のことはいつまでも見つけられなかった。



 長い時の中、私のことを"イベリス"と呼ぶものは居なくなっていった。

 その代わりに、いつからか"天使"とよばれるようになった。

 次第にそれはイベリスとは違う、私のことを指すとなった。






 最近、私には特に感じることがあった。

 それは、


 ーそろそろ終わりが来る。


 そんな漠然としたもの。

 でも、それを感じるたび、私は不思議な気持ちだった。

 終わるということがどういうことなのか分からなかった。

 永遠ともいえるような時間を生きてきて、ほんとうに終わりなどあるのだろうかと疑った。




 でもその時は、ついに来た。


 それは、私と同じ存在ものだった。

 背に生えた翼、人の形をした体。人と鳥が混ざり合ったような、そんな姿。

 そして、どこまでもだった。


 とても懐かしい、どこかで出会ったことがあるかのような、そんな気持ちになった。

 彼女は私の頬にそっと手を添える。

 ゆっくり近づくと、私の額にキスをした。


 ーああ…


 私はその時、初めて心の底から自分が笑っているとわかった。

 涙が流れる。


 私の存在が消えていくのを感じた。


 "終われる"ということが、どんなに嬉しいことか、今ようやく分かった。

 死にゆく時、誰かが側にいるということが、独りではないということがどんなに幸せか。


 いつだったか、"誰にも出会わなければよかった"と思ったことがあった。

 でも、今は胸を張っていえる。


 "出会ってよかった"、と。


 そうでなければ、こんなに暖かくて、優しくて、愛しい気持ちを知らないままだった。

 それを教えてくれたのは、他でもない今までの出会い別れだった。

 私は自分の消滅を感じて、初めて、彼らの気持ちを理解することができた。

 私はそれがなによりも嬉しかった。



 私の体が淡い光を放ち、破片となって空へと還る。

 私の体も、後は顔を残すのみとなった時。

 もう呼ばれることはないと思っていた、名前を聞いた気がした。


 それは愛しい、愛しい…

 私だけの名前。








 ーおやすみ、イベリス私のお友達。良い、夢をー

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