スキュラとガリュプデス 後編
ロイド達がくり貫かれた通路から天然の
そして、南海の絶景を眺めながら髪をすく女性が一人。腰まで温泉につかり、胸を隠そうともしていません。しかし、色香よりも漂う妖気でロイドの背中は汗びっしょりでした。
持てる限りの
「おい、腹ペコ大公とやらはどこにいる? お前は奴の女か?」
女は振り返り、
そして、おかしくてたまらないといった風に口元を手の甲で抑えながらケラケラ笑いだしたのです。
「な、なにがおかしい?」
「おかしいねぇ。アンタの探している相手は目の前に居るっていうのに」
「なんだと?」
「私が腹ペコ大公さぁ。まさか女とは思わなかったのかい?」
妙な話です。ドラゴンや巨人ならいざ知らず、ロイドよりも背の低い女性が部下の食べ物すら独り占めしてしまうような怪物だとは。
「海の怪物は見た目通りの敵とは限らないわ。油断は禁物よ」
「おう、先手必勝だ」
ロイドは大声で応じながら温泉に足を踏み入れました。
ハッキリ言って愚かな行為です。経験豊富な冒険者ならば、まず相手の出方と正体を探るでしょう。敵が大物であれば猶更です。
剣士として未熟な所がモロに出てしまいました。
案の定、温泉は底が深く足がつきません。
立ち泳ぎの有様になり、ロイドは
考える暇すら与えられず、濁った湯の中から次々とタコを連想させる触手が飛び出してきました。
数本は短剣で切り落としたものの、足元が悪い上で多勢に無勢。勝ち目はありません。
「ふぅん、他愛ない。お前では、酒のツマミにもならんなぁ」
触手にグルグル巻きつかれ、後は底に沈むだけとなったロイド。
そんな彼を大公は笑い飛ばしました。
「待った、待ったーー! ここで出なけりゃ女がすたるのよ」
そこへ助け船を出したのはマサミちゃん。温泉に入ると自慢のハサミで次から次へと触手を切り取ってしまい、ロイドを束縛から解放しました。
カニって泳げるの? 皆さまは疑問に思うかもしれませんが、ある種のカニは
少なくともロイドよりは遥かに
「さぁ、勇者様、背中へお乗りになって。リップルをよく乗せるから、
ロイドが
ギィン!
まるで岩を切りつけたかのような手ごたえでした。刃が欠け、
皮膚こそ切れていますが、傷口の下は緑のウロコに覆われていました。
大公は高笑いを上げながらロイド達を睨みつけました。
「ほほう、やるではないか。では冥土の土産に見せてやろう。腹ペコ大公とは単なる通り名、怪獣スキュラが私の名前よ!」
やがて、何かが湯の底からせり上がってきました。
激しい地響きと揺れ、盛り上がる湯面、水柱を割って現れたのは巨大な肉の塊でした。
見上げるほど大きなミートボールの頂点に、ちっぽけな女の上半身が生えています。恐らくあれは、チョウチンアンコウの明かり同様、獲物を温泉におびき寄せる餌なのでしょう。
そして、タコの触手が次から次へと肉塊の至る所から生えては空を覆う
成程、これなら大食いも納得のサイズです。人間など、犬の頭で一口ペロリ。
まさしくスキュラは怪物なのでした。
その恐ろしさにロイドが震え上がったのも無理はありません。
逃げ出そうという気持ちさえも頭から抜け落ちてしまいました。
「どうした? 無力さを噛みしめているのか? ならば楽にしてやろう」
しかし、犬の牙がロイド達を食い千切る寸前、まるで場違いな歌声がスキュラの耳に届いたのでした。
「ド~はドラゴンのド♪ レはレッドテトラのレ♪」
怪物はロイド達と人魚を交互に見つめ、思わず失笑してしまいました。
「なんだ? まだ仲間がいたのか。その小さいナリで助っ人?
ムッとしながらもリップルは
「貴方が腹ペコ大公さんね~?」
「いかにもそうだ、小さき海の
「お話があって来たの~。貴方は村から生贄を集めているんですって? どうしてそんな酷いことをするの~、止めて下さ~い」
スキュラは少し考えました。
人魚は余りにも弱そうで、倒した所で何の自慢にもなりません。
それに見た目は可愛らしく、声も美しい。ペットとして飼えば、部下の不平不満も収まるのではないかと思われました。
潰すのはいつでも出来ます。脅して
「ふふ、生意気な娘だ。気に入ったぞ、少し話をしてやる。私が誰よりも大食いなのは、この海で最も強いからだ。より強い者が沢山食べる。当然の話だろう?」
「そりゃ~そうだけど」
「自然の掟という奴よ。私とて初めから強かったわけではないぞ。昔の私は、深海の原生生物、下等なスライムの
「迷惑ですぅ、そんなに育ちませんから」
「強者が絶対だ。私は七つの海で最強。誰も逆らうことは出来ぬ。
「えーと、貴方は確かに強そうだけど……他にも強い生き物はいますよ?」
「む? 聞き捨てならん、それは誰だ?」
おや、なんだか流れが変わってきましたよ?
リップルは長老様から聞いた伝説を一生懸命に思い出したのでした。
「がりゅぷです」
「ガリュプデス? 何奴だ」
「海の水を全て飲み干すほど、大きくて強い怪物ですぅ。日に三度、ガリュプデスは海水を飲み込んでは吐き出すんですよ~。超有名、まさか知らないんですか~?」
「ぐぬぬ、私より強いと言うのか? 有り得ぬ、そんな奴が居るものか。どうせ口から出まかせであろう」
「いいえ、居ます。だって見て下さい。海には潮の満ち引きがあるじゃないですか。あれはガリュプデスが海水を飲んだり吐いたりしている何よりの証拠。浜辺に寄せる波だって、彼の呼吸から生まれているんですよ。居ないとすれば、そんな事が起きる理由を、他に説明できますか?」
「むむむ、確かに。この海の向こうには、それほどの強者が居たというのか。何という事だ。『井の中の蛙大海を知らず』とは私のことであったか」
「海は広いんですよ~。何ならご自分の目で見て回ったらどうですかぁ」
「よくぞ、教えてくれた。感謝する。図体があまりに大きくなり過ぎると、周りの意見が届かなくなっていかんな。どれ、そうと判れば善は急げ。そのガリュプデスとやらを求めて旅立つとしよう」
何ということでしょう!
スキュラは重い腰を上げ、旅に出てしまいました。
九死に一生を得たロイド達は、リップルの肩を叩いて賞賛したのです。
「お前、凄いな! まさかあの状況から生き残れるとは思わなかった。いま息が出来ているのも不思議なくらいだよ」
「えへへ、アタシはただ長老様の話をお伝えしただけですぅ」
「大したクソ度胸よ、アンタにしか出来ないわ。でもね……」
マサミちゃんが声をひそめてリップルに耳打ちしてきました。
「ガリュプデスはただの作り話よ」
「え?」
言われたことを理解するなり、リップルの顔から血の気が引いていきました。
「うそ? だって潮の満ち引きは!? 波は? 海流は? あれれ?」
「それ、ただの
「氷り鬼?」
「コリオリ! この世界は何でも大きなボールの形をしているんですって。表面が水で覆われた球体、それが回転している所を思い描いてみなさい。回転の勢いで海が波立つでしょう。自然現象なのよ、単なる!」
「えええ!! どうしよう!? 嘘を教えちゃった」
「別にいーんじゃない。喰って温泉ばかりじゃ太るでしょ。たまには運動した方がいいわ、スキュラも」
ロイドも知らなかったくせにちゃっかりとリップルを
「そうそう、世界は広いのさ。どこかに奴を倒せる本当の英雄が居るはずだ。今は素直に全員が生き延びたことを喜ぼうぜ。それにホラ」
ロイドが人魚姫へ差し出したのは借りていた短剣です。
その欠けた刃にはスキュラの
まぐれ当たりを誇る気にもなれず、剣士は苦笑まじりにそれを手渡しました。
「これが必要なんだろ?」
「あー! 人間になれる薬! すっかり忘れてました」
「ははは、まるで天使みたいだな、君は」
ロイドはゴクリと唾を飲み込んでから、心に生まれた願望を口にしてみました。
「それでさ、もし人間になれたら、俺と一緒に街へ
「……そうですねー。それも悪くないかな~」
どこか歯切れの悪い返事は、リップルらしからぬものでした。
「その前に一つ聞いておきたいんですけどぉ、おとぎ話で人魚姫を捨てた王子様のこと……貴方はどう思います?」
「え? 何の話? そりゃ酷い奴だと思うよ。俺なら絶対そんな事はしないね。君の笑顔は虚ろな心を安らぎで満たしてくれる。人生は
リップルは意味深に溜息をつくと、貝殻の髪飾りを外してロイドに握らせました。
「貴方がいつか一人前の剣士になって、それでもアタシの事を忘れていなかったら……その髪飾りを海に投げ入れて。その時はデートの誘いにのってあげる。忘れたり、失くしたりしたらダメですよ?」
「へへ、君みたいな人を忘れるはずがないだろ? きっとだぜ」
手を振るロイドを岸辺に残して出発する際、マサミちゃんが友達に囁きました。
「アンタ、まだ前の男を引きずってんの? いい加減に忘れちゃいなさい」
「別にぃ? ただねぇ、ちょっとだけ用心深くなったの。本当に凄腕の剣士になったら、さぞやモテるでしょうからぁ。それでもアタシに求愛をしたいのであれば、そうね、その時は……考えてあげようかな」
はたして貝殻を投げる日はやってくるのでしょうか?
それは気まぐれな運命の女神だけがご存じなのであります。
それでは最後に、旅立ったスキュラがどうなったのかを語りましょう。
これには
後者の話は遠いギリシャの地に伝わっています。
海峡を挟んでガリュプデスとスキュラが今もずっと睨み合いを続けているとか。
二匹の怪物に狙われた船はさぞや生きた心地がしなかったでしょうね。
まさに進退窮まった有様です。そんな伝承から、貴方たちの良く知る「あの
そう、前門の虎、後門の狼です。
これらは全て、歴史に語られぬ英雄譚。
どうか、貴方の記憶だけに留め置き下さいませ。
めでたくもあり、めでたくもなし。
異世界海洋伝説リップル ~腹ペコ大公討伐編 一矢射的 @taitan2345
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