異世界海洋伝説リップル ~腹ペコ大公討伐編

一矢射的

スキュラとガリュプデス 前編


 そこは、さざ波ゆれる大海原。

 波間を漂う「奇妙な箱」からこの物語は始まるのでございます。


 さてはて、これはいったい何の箱でしょうか?


 おや、目を凝らしてよく見れば、箱の側面上部に小窓がありますね。

 驚いたことに、その窓枠には頑丈がんじょう鉄格子てつごうしがはめられているではありませんか。

 昼間にもなお薄暗い格子の奥では、爛々らんらん双眸そうぼうが輝いております。そう、つまりこの箱はオリなのです。独房どくぼうと言えば聞こえは良いでしょう。実際は罪人が閉じ込められ、海へ流された棺桶かんおけのようなものであります。

 そのような流刑にしょされる、哀れな犠牲者はどのような人物でございましょう? 


 ちょっと中の様子をうかがってみましょうか。


 

「がぁぁ! 畜生! アイツ等、人がちょっと戦闘中に行方をくらましたぐらいで逆恨みしやがって。あんなモン、戦術的撤退だっていうの」



 ……少なくとも冤罪えんざいではなさそうですね。


 罪人の黒き髪は肩にかかるほど、切れ長の目と端正たんせいな顔立ちは美形と言えなくもない。されど、見た目ばかりが立派な漆黒の鎧には傷ひとつなく、敵に居所を教えるような香水の匂いは場数を踏んだ戦士なら有り得ないものでした。

 そんな優男を閉じ込めた棺桶は潮の流れによってある岩礁がんしょうへと向かっています。

 行けば帰れぬと評判の場所でした。

 せっかくの美顔も恐怖と疲労で見る影もありません。囚人は無駄と知りながらも鉄格子をつかんで叫ばずにはいられませんでした。



「おぉーい、誰か居ないか? 助けてくれよー」



 あらゆる船が迂回うかいする海域で、人の姿などあるわけもなく。さしもの色男もこれまでかと思われたその時でした。すぐそばの海面からひょっこりと顔を出す者があったのです。



「アタシでよろしければ。ここに居ますけれど?」

「げっ? 海中から女!? 魔物か?」



 こんな所で人に出くわしたら当然の反応かもしれません。

 しかし、彼女は心外だと言った風にプゥーっと頬をふくらませるのでした。



「まぁ失敬しちゃう。助けに来て差し上げたんですけどぉ~」



 髪は外にハネたショートボブで青柳あおやぎ色。気まぐれな海のように波立ち、貝殻の髪飾りと相まってキラキラ虹色に輝いていました。二重でまつ毛の長いパッチリお目目は疑いを知らぬように澄みきっています。あどけなさを感じる小鼻と桃色の唇もまた美しく、その初々しさがかえって男性を魅了するのでした。

 ただし、それも会ったのが人里ならば……の話です。

 海中から現れた美女、それが魔の者じゃなければ何なのでしょう?

 男から疑惑の視線を感じたのでしょうか。女性はこれを見ろと言わんばかりに、一度深く潜航し、海面から跳び上がりました。その様はイルカのジャンプに負け劣らずパワフルでダイナミックでした。そして、小窓から海水をたっぷりかけられた男性にも一瞬ですがハッキリと見えたのです。彼女の下半身がウロコに覆われた魚であることが。

 全身をさらした女性は再び、箱の近くに浮いてきました。金色の水着と胸の谷間がまぶしいけれど、そんな物を凝視しても警戒されるだけ。男は何とか目線を愛くるしい彼女の顔へと持っていきました。



「アンタ、に、人魚か」

「そうで~す。うるわしの人魚姫ちゃんですよ~。リップルといいます、初めまして」



 人魚といえば温厚で友好的な種族です。

 男は若干ですが胸をなで下ろしたのでございます。



「お、俺は、ロイドって言うんだ。凄腕すごうでの剣士だぜ」

「はぁ~、その凄腕さんがどうして檻に閉じ込められているんですか~? 何か悪いことでも?」

「ぐっ、それは」

「言えないんですか~。悪い人ですね? ではこれで」

「いや待て! 誤解だって。言うよ。ダチと冒険中にとんでもなくヤベー魔物と出くわしてよ。死にたくないから一目散に逃げたら、仲間が『前衛ぜんえいの職場放棄だ』とブチ切れやがって。仕返しにこんなおりへ閉じ込めた挙句あげく、ロンカロンカ岩礁へ続く潮の道に流しやがった」

「それはロイドさんが悪いのでは?」

「そうだけどよ! アイツ等は、俺よりベテランの冒険者で別に死人も出てないんだぜ? やり過ぎだよ。ロンカロンカはこの辺りで一番危険な怪物の棲みかじゃないか」

「あぁ~知ってますぅ。『腹ペコ大公』ですね」



 その悪名は人魚の間でも有名でした。

 あまりにも強く偉大な怪物であるため人間には成すすべもなく、生贄を捧げたり、贈り物を届けたりすることでご機嫌をとりながら何とか共存してきたのだとか。

 そこでひらめいたリップルはポンと手を打ちました。

 何気ない仕草も可愛いですね。



「ははーん、そうか。やけに手際てぎわが良すぎると思ったら、この檻は本来イケニエ用のものですね。ロイドさんが『スゲームカついた』から身代わりに流されちゃったんだ」

「言い方ァ! まぁ、そうだけどよ。地元の漁村じゃ、イケニエのクジ引きが近づいてきたから皆が戦々恐々としていたよ。クソ、冒険者となって村の為に戦えばクジは免除めんじょという約束だったのに……はぁ、ババ引いた」

「ふぅーん、少し気の毒になってきました」

「それで、結局のところ人魚姫さんとやらは助けてくれるのかい?」



 実は人魚を束ねる長は「長老」であり、姫なんて肩書きは存在しないのですけれど。

 こう名乗れば、人間の態度が全然違うことは織り込み済みでした。長老と血縁関係があるのは事実ですし、完全な嘘ではありません。遠い遠い親戚程度のえんなんですがね。

 リップルはしらを切って話を進めることにしました。



「でもね、逃げ出したって別の人がイケニエにされるだけでしょう? いっそ、私達でその腹ペコ大公を何とかしてみませんか?」

「誰もかなわないから生贄いけにえがいるんだって!」

「そうやって決めつけるから、世の中なにも変わらないんですよ~。誠意をもって話し合えば、案外良い人かもしれないじゃないですか。私達で会いに行きませんか、行きましょうよ」

「怪物は人じゃねーから。何を言ってんだ、アンタ」



 人と人魚で価値観が違うのは当然だとしても、どうも話が噛み合いません。

 新米冒険者のロイドでも、これは妙だと勘付きました。



「リップルさん? アンタ何か隠してねーか? もしかして、俺と出会わなくても一人で大公に挑むつもりだったんじゃないのか? 巻きえは多い方が良い……アンタの顔にそう書いてあるぜ」

「おおぅ! 鋭いですね。実はそうなんです。一緒に旅をしていた友達が行方不明になってしまいまして。大蟹のマサミちゃんって言うんですけどね」

「カニかよ。交友関係広そうだな」

「どうやら人間に囚われてしまったらしくて。漁師さん相手に情報収集をしていたら、この付近でとれた大物はみんな腹ペコ大公の所へ献上けんじょうされるって言うじゃないですか」

「それで岩礁へ向かう途中だったのか。友達思いなのは結構だけど、仲良く大公の胃袋に収まってどうするんだよ。一人でも逃げようって考えはないの?」

「ないですね! 意気地なしに持てる縄張りなんてない。人魚のことわざですよ」



 ロイドは渋面でしばらくうなっていました。

 檻の中でなければ即座に逃げを打つ所です。

 無鉄砲と勇気は違う、それが彼の哲学でした。

 強い奴には逆らわず、危険を感じたら即座に「逃走」を選んできたロイドです。その考えは必ずしも間違ってはいないのでしょう。憎まれながらも今日まで生き残った事実がそれを証明しています。しかし、その結果として彼は今どこに居るのでしょうか?

 卑怯者ひきょうものに似つかわしい末路まつろ、ロイド自身もそれを認めざるを得ませんでした。意気地なし、リップルの言葉が剣士の胸に深ぁ~く突き刺さりました。



「生き延びたんじゃねぇ、ただ楽な道を選んでいただけか。賢ぶっているくせに、何たるザマよ。ずっと逃げてばかりの人生だった。周りの人間にも迷惑をかけてばかり。苦労はみんな他の誰かに押し付けてきた。だから、俺がこんな目に遭っているのに、だぁーれも助けてくれなかったんだよな。これが因果応報いんがおうほうって奴か」

「もし、大公に生贄を辞めさせられたら。きっと仲間は貴方を見直すと思うんですけれど。アタシも、心細い時ですから。凄腕の殿方が居てくれたら、すっごく嬉しいかなぁ~なんて」

「ちぇ、いくらレディでも下半身が魚じゃ嬉しさも半分だな。デートも出来やしない」

「なんてことを言うんですか! 貴方、絶対モテないでしょ。ふぅん、海の魔女からクスリをもらえばアタシだって人間になれるんですからね。そうなってから、今の台詞せりふやむといいですよ」

「ははは。何だかアンタとなら、どんな無理難題でもやれそうな気がしてくるよ」



 鉄格子越しではありましたが、リップルとロイドは固い握手を交わしたのでした。

 腹をくくった剣士は、まるで十年の修行を終えたかのように精悍せいかんな顔つきになっていたのです。


 ロイドはおごそかな調子でたずねました。



「なぁ、姫さん。何か武器を持ってないか? 短剣でいいよ。貸してくれ。俺だってな、やる時はやるってことを見せてやる」











 やがてロイドを閉じ込めた箱はロンカロンカ岩礁がんしょうへと流れ着きました。

 岩礁は塔のように一本そびえ立つ巨岩の内側がくりぬかれ要塞ようさいと化しています。腹ペコ大公の部下である魔物が沢山たくさんいて一筋縄ひとすじなわではいきません。

 リップルとは話し合いの末、別行動をとることに決めました。まずは従順じゅうじゅんなイケニエをよそおい内側に入り込む。その後にリップルが陽動ようどう作戦で敵の気を引き、脱出したロイドが蜂起ほうきする作戦でした。

 計画は思った以上にうまくいきました。


 大公の部下たちはボスの大食いにほとほと手を焼いていたのでした。

 トカゲ男や小鬼たちが流れ着いたロイドのおりを見て大喜びするぐらいに。



「ぐゲッ!? 村から生贄いけにえが届いたぞ? 少し早くないか」

「なにかまいやしねぇ。魚介ぎょかい類は明日の誕生パーティーに出すとして、今夜の晩飯が決まっていなかったんだ。丁度いい、コイツを使おうぜ」

「そうそう、グズグズしていたら俺達が喰われちまう」



 怪物どもは喜び勇んで檻を担ぎ上げると、食糧庫に運び込んだのです。

 ロイドは口を閉ざして震えているフリをしていました。しかし、マントの下では人魚姫から受け取った短剣をしかと握りしめていたのでした。


 やがて沖合で人魚とイルカが戯れていると見張りが騒ぎ立て、好奇心旺盛おうせいな連中がその頭数を減らしました。


 中腰の姿勢で好機を待ち続け、檻が開かれた瞬間ロイドは飛び出しました。

 相手は無抵抗なえさたかくくっていたのでしょう。トカゲ男は、あれよあれよという間に槍を叩き落され、尻餅をついてしまいました。間髪かんぱつ入れずにロイドは叫びます。



「お前ら、観念かんねんしろ! 英雄ロイド・カサヴェテス様が来たからは、もう年貢ねんぐの納め時だぞ。死にたくなければ囚人を解放しろ。勿論もちろん、魚介類もだ」



 先輩冒険者の見様見真似、それでもハッタリは効果絶大でした。

 たとえ不意打ちであっても、仲間が倒されて士気しきの低い連中は逆らう素振そぶりすら見せなかったのです。いや、それどころか……。



「まったく、部下に飯すら出さないボスなんざ願い下げだよ」

「アホらしい、食料を全部自分で喰っちまいやがって」

「おい勇者さんよ、腹ペコ大公なら岩場の熱水泉ねっすいせんにつかってるぜ。海を望む温泉みたいなもんだ。俺たちが言いたいこと……わかるよな?」



 見れば大公の部下たちは皆ガリガリにせているではありませんか。

 これでは戦いになりません。


 何とも拍子ひょうし抜けですが、勝利は勝利。檻が次々と解放されていく中、一匹の蟹がロイドの下へ駆け寄ってきたのです。



「んまぁ~見目麗みめうるわしく、聡明そうめいな御方。しかも腕が立つのねぇ~。囚われのお姫様を探しているなら、丁度ここに居るわよぉーん」

「うん。絶対にアンタだな、カニだし。マサミちゃんだろ? 友達のリップルに頼まれ助けに来たぞ。俺はやる事があるから、人魚姫と先に逃げてくれ」

「あら、あの娘ったら。義理固いんだから。まったくお馬鹿さん! それを聞かされて逃げ出すマサミちゃんじゃないわよ」



 ハサミをジャキジャキと鳴らす大蟹は人間よりもサイズが大きく、なかなか頼りになりそうでした。

 それにマサミちゃんの話によれば、リップルは絶対に怖気おじけづいたりせず腹ペコ大公の所へ向かうというのです。



「あの娘ったらあんな性格でしょ? ノホホンとしているくせに正義感が強いの」

「まぁ、そうだな」

「それにね、怪物退治にはご褒美ほうびが付き物なのよ」

「ほう? それは初耳だが。大公が宝でも貯め込んでいるのか?」

「そうじゃなくて。人間になれる薬をあの娘が探しているのは聞いた?」

「ああ、魔女が作れるとか……」

「その材料が『強い魔物のウロコ』なんですって。大公なら最適さいてきだわ」

「君たちは見かけによらず大胆だいたんだな、尊敬するぜ」

「勇者ともあろうものが、弱気じゃイケナイわ! さぁ私達も行きましょう」


 いよいよ決戦の時がやってきたようです。








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