scene 10. In a Sentimental Mood Ⅱ
ヴィノフラディのフラットに着いたのは、昼の一時半を少し過ぎた頃だった。
ルカがドアを開け、荷物を半分持ったテディが先にエントリーホールに入って明かりをつける。そしてリビングに繋がる両開きの扉を開けると――テディがほっとしたように息をついた。
「おかえり」
背後からそう声をかけると、テディは振り返り、ふっと微笑んだ。
「ただいま。……おつかれさま、ルカ」
白い壁、淡いベージュのカーテン、トープのソファセット。品の良いアルダーのコンソールテーブルの上には緑がかった青色の灰皿が置かれている。その傍の窓際にあるのはレザー張りのエッグチェア――テディのお気に入りの喫煙席だ。
テディは持っていた荷物を床に置くと、テーブルの上に置いてあるタブレットコンピューターを手に取り、エッグチェアに腰掛けた。
土産にと買ったお菓子をキッチンの棚に、着替えの入ったバッグを床に置いて洗濯機の入っている扉を開け――と、あれこれ片付けていたルカはそれを見て、「おい……」と両手を腰に当てた。
「なにやってんだよ、おまえもちょっとは片付けろ。俺だって坐っちまったらやらないと思うから、こうやって先にやってるのに」
おつかれさまったって言葉だけじゃな、とぼやくルカに、テディは「あ、ごめん」と謝った。
「俺もやるよ……でも、ちょっと待って。事件のことが気になって……もうニュースになってるかもしれないから見てみようと思って――」
「はあ?」
ルカはうんざりした顔をした。
「そんなことどうだっていいじゃないか。あの汚れがほんとに被害者の血と一致したら、いやでも連絡くるんだし。ってかおまえ、俺がPCの前にばっかりいたら怒るくせに、なんで自分は帰ってくるなりそんなことしてんだよ、勝手な奴だな」
一息に捲したてられ、テディがむっと不満げな顔になる。
「ちょっと見たかっただけだよ、すぐに終わる。そしたらちゃんと片付け――」
「嘘つけ、いつも服でもなんでも脱ぎっぱなしでなんにもしないくせに。俺だってそういうのにまめなほうじゃないけど、おまえがなんにもしなさすぎるからやるようになったんだぞ? 俺はいつだっておまえのことばっかりだ。今回のドライブだってそうだった。なのにおまえはユーリにばっかり気を遣って――」
「待って、待ってよ、そういう話じゃないだろ。片付けはやるよ、謝っただろ。ユーリのことだってルカ、考えすぎだよ。ユーリは――」
「勘違いするなよ? 俺は別に、ユーリに妬いてるわけじゃない。おまえがユーリのことを好きなのもユーリと寝るのも、俺はちゃんと認めてる。それで実際たすかってるってのもわかってる。俺がひっかかってんのは、おまえがユーリに対してはいろいろ察して気遣いもできるのに、それが俺にはないことなんだよ!」
云いだしたら止まらなくなってしまった。ルカはくそ、と溢してくるりとテディに背を向け、自分を落ち着かせるように天井を仰いで息を吐いた。
せっかく新車で迎えに行き、バレンタインのプレゼントを渡してドライブ旅行までしてきたのに、帰宅してすぐこれでは、いったいなにをやっているのだか――
「……ルカ、ばかだね」
「はぁ!?」
せっかく云いすぎたことを反省していたところへ莫迦と云われ、怒りも露わに振り向くと――少し小首を傾げ、困ったような笑みを浮かべながらテディがじっとルカを見つめていた。
いくつになっても変わらない、その愛くるしい仕種と表情に毒気を抜かれ、少し途惑いつつルカも真っ直ぐにテディの顔を見る。
「そりゃ、ユーリには気を遣うよ。俺、いつもユーリには悪いなって思ってるもん……ユーリもルカもどっちも大好きだけど、やっぱり……違うよ。だって、ルカは俺の……家族でしょ?」
はにかんだように、それでいいんだよねと窺うように、テディは云った。「……だから、ルカにはそんなに気は遣わない。わざわざ気を遣わなくたってわかるときはわかるし、ルカのほうからなんでも遠慮なく云ってくると思ってるし。……ユーリはね、違うんだよ。ユーリはすっごく俺のこと大事にしてくれる。俺のことを思って、ルカとうまくやっていけるようにって、ユーリは自分の気持ちを押し殺していろいろ気をまわしてくれるんだ。……そんなお人好しに、甘えっぱなしでいられると思う? たかがビールだって、運転しなきゃいけないルカと飲めない俺に気を遣って、一杯だけ、なんて云うような奴なんだよ?」
苦笑し、テディは続けた。「……俺はときどき、自分に自信がなくなったりしてルカを困らせることもあるけど……でも、俺にとってルカは唯一、なんにも気を遣わないで、安心して楽にいられる存在……大切な家族なんだよ。なにがあったって、ずっと一緒だって……」
思ってていいんだよね? と、また小首を傾げ、念を押すように尋ねるその目に、僅かに縋るような色が差す。
昔よく見た不安げに曇る表情を思いだし、ルカはふっと微笑んだ。
「ああ、もちろんだよ。俺たちはもう家族だ……どんなことがあっても絶対に離れない。ずっと一緒だ」
久しぶりに云った台詞の懐かしさに目を細め、ルカは手を伸ばし、テディをぎゅっと抱きしめた。
充分に互いの温もりを確かめあったあと、離れようとしてふと目が合う。
「……そういえば、帰ってきてからまだキスもしてなかったな」
「昔は朝から晩まで
同じようなことを思いだしていたのか、お互いにくすりと笑いながら口吻ける。
何度も何度も唇を喰み、息を奪い合ってセーターの裾から手を入れ背中を掻き抱くと、ふたりは壁伝いに移動して手探りで扉を開け――カーテン越しの柔らかい光が照らす寝室に傾れこんだ。
躰のラインに沿ったタイトなリブニットのセーターを頭からすっぽりと脱がせると、褐色に染めた髪がくしゃ、と乱れた。それを指で梳くように撫で、ルカはテディの躰をベッドの上に横たえた。
そうしてルカが身に着けているものを脱ぎ始めるとテディもジーンズのジッパーを開け、両脚で振り落とすようにそれを脱ぎ棄てた。ブランケットを捲り、ふたりして裸でそのなかに潜りこみ、互いに引き寄せ合いながら深く口吻ける。
そのとき――
「……電話、鳴ってるんじゃない?」
耳に届いた微かな音に、ふたりは顔を離し一瞬ぴたりと動きを止めた。が。
「……知るか、ほっとけ」
ルカはそう云って再度口吻け、愛撫を始めた。
柔らかな髪を撫で、唇から頬、頬から耳許へと辿り、耳朶に吸いつく。テディがはぁ、と熱い息を溢し、ルカの背中に手をまわす。ルカは頸筋、胸許へとキスを浴びせていき――ふと、気がついたことを確認した。
「……いい?」
「……いま訊く?」
テディは夢から醒めて途惑ったような顔をして少し身を起こし、サイドテーブルの抽斗から潤滑ジェルのチューブを出すと、ルカに渡した。「だめなら俺、シャワー浴びに行くじゃない。訊くにしてももっと早く訊いてよ……雰囲気壊れちゃうだろ」
「悪かったな」
「今度ユーリに教われば? ユーリはそういうの、すごくさりげなく気遣ってくれて、巧いよ」
すぅっとルカの機嫌が急降下し、妙なところでスイッチが入ったように火がついた。
「へえ、そう。ふうん、ユーリは巧いのか。……まあ、自信満々であんなパンツ穿いてたしな」
「あっ――巧いって、そういう意味じゃなくって……気遣いとか、誘い方が……っ――」
「ああ、なるほどね。誘い方が巧いんだ。まあ、なんか遊んでそうだしな、さぞかしいろいろと巧いんだろうさ」
「いっ……痛いよルカ……っ、そんな乱暴にしちゃ――」
「ユーリの奴はもっと優しくするって? 前にスリーサムでやったときはけっこう強引だった気がするけどな」
「んっ、ユーリは……強引だけど、どっちかっていうと……責めるのが好きなんだよきっと。ちょっと……SMごっこっぽく――」
愛撫する手をぴたりと止め、ルカがテディを睨んだ。
「おい……それ、禁句だぞ」
「ごめん」
なんとなく気分が醒めて妙な間が空き――仕切り直すようにもう一度キスをする。
「……ねえ、ルカ」
「ん?」
組み伏せられたままの姿勢でじっとルカを見上げ、真顔でテディが云った。
「変な言い方だけど……俺、病気になったり、歳をとってどっちかの躰が動かなくなったとしても、きっとルカの傍にいるだけで幸せだよ」
一瞬目を瞠り、ルカは感情を覗かれるのを避けるように顔を逸らすと――綻びそうな唇をきゅっと噛んだ。
「……要するに、セックスなんかどうでもいいって云いたいんだろうけど」
「うん……?」
ルカは悪戯を思いついた悪ガキのような笑みを浮かべ、がばっとテディに襲いかかるように覆い被さった。
「そうはいかないぞ、今日はもうベッドから出さないからな……!」
「えぇっ、ちょっ……あはははっ、やだルカ、ちょっと待って――」
じゃれ合い、ベッドが波打ち舞う埃を、射しこむ陽の光がきらきらと照らしだす。
ベッドの右隅側の扉は半開きのままで、リビングのテーブルに置いたスマートフォンの着信音を遮るものはなかったが――ふたりには、もう聞こえるはずもなかった。
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