Ⅳ:ペオラとまっかなちょう
ある昔、ペオラと言う、お人好しで優しい女の子がおりました。
ペオラは太陽のように明るく元気な、今年で七歳になる金色の髪をした小さな女の子です。背もまだ小さくて、お人形のような愛玩さと、小動物のような庇護欲をそそる体をした、とても小さくてかわいらしい女の子でした。
雪のように白い肌に、翠の瞳は、妖精を運んでくる森のよう。ペオラ自身が妖精のようで、お父さんとお母さんからは、さぞかし特別な存在なことでしょう。
もちろん、お父さんとお母さんはそんなペオラのことを大切に育てました。ペオラのことを鬱陶しいと思ったことなど一度もないそうです。暴力や雑言はしませんでした。
その甲斐あってか、現在六歳のペオラは無邪気で無垢な、それでいて温かい心を持った子に育ち、二人の自慢の娘となっていました。
体を動かすことも叶わなくなった、病室の中だとしても。
♰ ♰ ♰
白い病室の中で、誰かの小さな泣き声が響いています。同じく白いカーテンからは、場違いなほど眩しい陽光が注がれていました。
「ごめんなさい・・・・・・私がもっとちゃんとあなたを見ていれば・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
結局、女の人――ペオラのお母さんはこの言葉で泣き始めました。ペオラはお母さんが泣いた時、いつも困ってしまいます。ギュッと、シーツを握りしめました。
――お、おかあさん、なかないで?
そう言ったことが過去にありましたが、かえってお母さんを泣かせてしまったのでした。それでも泣くお母さんというのは、わざとペオラが困るように泣いているのでしょうか?
ペオラが何も言わないので、慌てたような声が入りました。
「大丈夫ですよ、お母様。きっとすぐ良くなります」
ペオラのお母さんは、隣に座る看護師さんに優しく背中を撫でられ、なだめられています。こうして黙っていれば困ることはないと、ペオラは最近知ったのでした。
しかし、お母さんは看護師さんの慰めが欲しかったわけではないようです。
血相を変えて手を振り払うと、
「嘘よ! じゃあなんで娘は・・・・・・・ペオラは動けないままなの‼」
そうヒステリックに怒鳴り散らし、看護師さんに掴みかかろうとします。やめて! そう言ってお母さんを止められたら、どんなにいいでしょう。ですが、お母さんも言った通り、今のペオラは辛うじて話すことはできても、真っ白なベッドの上から足を出すことも叶わない身となっていたのでした。
もう一度、お母さんはの顔はしわくちゃになって、
「これじゃあ、ペオラが可哀そうよ‼ こんな白いだけで何もない場所に閉じ込められて、まるで、放たれることのない鳥籠に入れられた小鳥じゃない‼」
泣きかけたペトラですが、ぐっと涙をこらえました。お母さんを、みんなを悲しませてはいけない。わたしは、ずっと『笑顔』でないと――。
「・・・・・・・・・・・・・・」
鳥籠・・・・・・・。ペオラにその言葉は、あまりふさわしい例えではありませんでした。
では、ペオラは自分のこと――全身麻痺で、寝ることの方が多い状態の今を、なんと例えるのでしょうか。きっと、こう例えるはずです。
――わたしは蝶のさなぎ。いつか公園で見た、力強くてたくましいさなぎ。今はまだ閉じこもっているけど、いつか大きく羽ばたく、命の蝶。
♰ ♰ ♰
ペオラはとても優しかったので、たくさんのお友達がいました。
毎日のようにみんなで遊んで、パーティーをして、おしゃべりをして、それはもう楽しかったのです。みんなと遊んだ日は、一日たりとも忘れることはできません。
遊び仲間の中でも、ペオラは特にみんなから好かれていました。
それもそうです。ペオラはとても優しいので、みんなからお願いされたことは断れなかったのですから。
一人一枚だと言っているビスケットを、お友達にあげました。
お気に入りのお人形を、お友達にあげました。
大好きだった絵本を、お友達にあげました。
綺麗な宝石を、お友達にあげました。
ある日は、はいていた靴も、お友達にあげました。
お友達はとても喜んでキスまでしそうなほどでしたが、両親はお人好し過ぎるペオラを心配しました。それでも、ペオラは怒るどころか、温かい気持ちに包まれたのです。
『ペオラちゃん、ありがとう!』
その言葉が、ペオラの胸にゆっくりと落ちてきた時、空っぽの小瓶に飴が溜まっていくような、幸福感と満足感を得たのでした。なんだかんだで、両親がペオラを褒めてくれていたこともあるでしょう。
そして、何と言っても『笑顔』です! 感謝を口にするお友達の顔は笑顔でいっぱいで、ペオラまで笑顔になりました。生きることの喜びを、ペオラは笑顔になることで得たのです。
そして、こう思うようになりました。
――わたし、もっとみんなを笑顔にしたい‼
――みんなを笑顔にして、小瓶を笑顔でいっぱいにしたいなぁ‼
それから、ペオラはお友達だけでなく、すぐそこの街に出て、街の人たちにも優しくすることにしたのです。たちまち、ペオラは街の人からも愛されていくようになります。
ある日は、足を怪我している猫を、手当てしてやりました。
ある日は、パンくずを、小鳥さんたちにあげました。
ある日は、道に迷っているおばあさんに、道を教えてあげました。
ある日は、元気なあいさつと笑顔で、街中を幸せに包みました。
ある日は、寒くて震えている男の子に、毛布を差し出しました。
ある日は、迷子をさがす母親といっしょに、一日中街を走り回りました。
ある日は、路地裏に寝転がっている人に、お金を持っていきました。
ある日は、一人で涙を流す青年に、そっと手をつないであげました。
面倒だと思うことも、やめてしまおうかとも、逃げ出したいとも、ペオラは思いませんでした。それどころか、またしてもペオラは、温かい気持ちに包まれたのです。
『あら、この猫、ペオラちゃんに懐いちゃったわぁ』
『本当に助かりました! ありがとね!』
『ペオラちゃんは優しい子だね、ありがとう』
『いいのかい? いいのかい? ごめんなあ・・・・・・・でも、ありがとう・・・・・・・』
『君は温かい心の持ち主なんだね、ありがとう』
お友達とはまた違った『笑顔』が、そこにありました。嬉しくて、なんど飛び跳ねそうになったことか。そのくらい、ペオラにとって『笑顔』は、大きな贈り物でした。
「わたしこそ、ありがとうなの!」
笑顔を見せてくれたら、ペオラも笑顔を返します。『笑顔』は、心のあいさつなのです。
一人ひとりの感謝と笑顔が、ペオラの心の小瓶を、静かに、でもいっぱいに満たしていきました。同じくらい、ペオラの笑顔も満たされたものになっていきました。
そうして、ペオラが疲れて家に帰ってくれば、お母さんが温かいココアを用意して待ってくれていたのでした。夜になれば役人さんのお父さんも帰ってきて、一緒にお風呂に入ったり、ボードゲームをして遊びました。
「きょうは、じゅうにんのひとをえがおにしたの!」
自信満々に両手を広げるペオラの報告を聞いて、両親は一番の笑顔を見せます。ペオラは、そんな両親の笑顔が、誰の笑顔よりも大好きでした。
お母さんは笑顔で、ペオラを抱きしめてくれます。
「まあ・・・・・・・。ほんとうに、貴女は優しい子に育ったのね。大好きだわ、ペオラ」
お父さんも笑顔で、ペオラの頭を撫でてくれます。
「父さんもだよ、ペオラ。父親として、嬉しい限りだ」
三人でご飯を食べて、三人でベッドに入って、三人で笑顔になる。ウトウトしてきたら、梟の鳴き声を子守歌にして、優しい眠りにつく・・・・・・・。
ペオラはこの幸せな日々が大好きで、ずっと、ずっと続いていくものだと思いました。
あの、雨の日までは。
♰ ♰ ♰
ペオラの視界には、白の天井しか映りません。白は清潔の色です。確か、平和の象徴でもあったような気がします。とにかく、人々を勇気づけてくれる、すてきな色です。
病室での生活自体は、ペオラにとってさほど苦ではありませんでした。
全身麻痺状態で、体こそ自由に動かないものの、お母さんが絵本を読んでくれるし、液体でなければなりませんでしたが、食べたいものは何でも食べられました。欲しいものだって、お父さんが飛んで買ってきました。
そんな中、ペオラにとって唯一の苦だったのは、『おみまい』の時間でした。
『おみまい』には、たくさんの人がやって来ました。ペオラのお友達はもちろんのこと、猫を一緒に助けた女の人、道案内をしてあげたおばあさん、寒がっていた男の子と、数えきれないほどの街の人が、ペオラの病室を訪ねてきたのでした。
次々とやって来る人に、お母さんは誇らしいような様子で話をしていましたが、ベッドの上のペオラは、今にもこの場から逃げたしたくて仕方がありませんでした。
なぜなら、ペオラの病室にやって来る人はみんな、お母さんと同じように泣いていたからです。
ごめんなさい・・・・・・・、ごめんね・・・・・・・、ごめんなあ・・・・・・・
どうしてあやまるの? どうして泣いているの? とは聞けませんでした。聞いてしまったら、ペオラの心が裂けるような気がしたからです。
きっと、ペオラは分かっていたのだと思います。
『笑顔』をプレゼントするペオラが、みんなを悲しませていることに。
それではいけないのです。自分は、みんなを笑顔にする存在なのですから。泣かせてしまうことなどもってのほかです。
「どうしたらいいの・・・・・・・」
ペオラが純白のベッドの上で項垂れていると、不意にドアをノックする音が響きました。お母さんが立ち上がり、ドアの方に向かいます。また『おみまい』なの? また悲しいお顔を見ないといけないの? ペオラは再び暗い気持ちになりました。
しかし、入ってきたのはペオラの心境とは真反対の、白衣を着た若いお医者さんでした。
♰ ♰ ♰
その日は、黒い空が街を覆う、雨の日。
いつものように、ペオラは傘をさして街に行き、みんなを笑顔にするつもりでした。雨の日は特に街の人の気分が滅入ってしまうので、ペオラは太陽のように明るくふるまうように心がけていました。
ペオラが金髪を揺らして、笑顔で商店街を走れば、みんなが明るい気持ちに包まれます。
「こんにちわ、なの‼」
大きな声であいさつをして、楽しそうに笑うペオラは、本当に太陽のようだったのです。
ああペオラちゃん! 今日もかわいいね。あら、元気? この間はどうもね。ペオラおねえちゃん! やっほー‼
三人の人を笑顔にし、歌を口ずさみながら、ペオラが路地裏に入ったとき、雨に濡れることもお構いなしに、俯いて泣いている青年がいました。その頬は、雨なのか涙なのか分からないくらい濡れていました。
「あっ」
ペオラがその青年を見るのは初めてではありませんでした。水たまりを踏みながら、元気よく青年のもとへと足を進めます。
そうして、上目遣いで青年の顔を見ると、優しく声をかけました。
「おにいさん、なかないで?」
雨粒の音の中で聞こえてきたペオラの声に、青年はゆっくりと振り向き、それがペオラだと分かると、力なく笑いかけました。寂しそうな顔でした。
「ああ、ペオラちゃんか・・・・・・・。こんな日でもくるんだね・・・・・・・」
もちろんなの! とペオラが大きく頷き、持っていた傘を差しだします。しかし、青年は胸の前で手を左右に振りました。
「だめだよ。それじゃあ、君が濡れちゃうじゃないか」
申し訳なさそうに言う青年に、ペオラはぷく~っと頬を膨らませると、
「いいの! ペオラはなかないから!」
「はは・・・・・・・、まいったなあ。・・・・・・・じゃあ、二人で入ろうか」
青年の提案に、ペオラは目を輝かせました。
「うん!」
青年に傘を差しだすと、ちょこんと、青年の隣に並びます。
すると、ペオラはなんの不自然もなく、青年の涙と雨で冷たくなってしまった手を握りました。遠くから見ると弱そうな青年でしたが、やはり男の人らしいごつごつした手をしていました。
青年が、どこか驚いたようにペオラを見ます。
「はー、はー」
青年の視線には気がついていないのか、ペオラはそのまま握った青年の大きな手に、小さな口から息を吹きかけました。
「ペオラちゃん? な、何してるの?」
「つめたいから、あったかくするの!」
そう言って屈託もなく笑うペオラに、青年は、今日もっとも綺麗な笑顔を向けました。
「やっぱり、ペオラちゃんは、とってもあったかいんだね」
「なあに? いきがあったかいの?」
「いいや、心があったかいんだ」
青年は笑顔を取り戻し、ペオラといっしょに、路地裏の外へと、ゆっくりと歩みを進めました。
この十分後、ペオラは路地裏の階段から、転がるようにして落ちてしまったのです。
♰ ♰ ♰
お医者さんは真っすぐにペオラのベッドまでくると、神妙な顔でこう言いました。
「・・・・・・ペオラちゃん。君はこうなる前、たくさんの人を助けたそうだね。ここまで面会が多い患者も珍しい。よっぽどみんなに愛されているんだね」
「うん! みんな、とってもえがおだったのよ!」
今は悲しませている、とは思わないようにしました。と同時、ペオラはまた悲しくなりました。街のみんなはこうやって笑顔で話せば笑ってくれるのに、目の前のお医者さんは笑ってくれないどころか、哀れんだようにペオラを見るからです。
やはり、ペオラは重傷を負ったことで、みんなを『笑顔』にすることができなくなってしまったのでしょうか? ズキズキと小さな胸が痛みました。
そんな時です――
「人助けができなくなって、悲しいかい?」
「‼」
なぐさめるように言われたその言葉に、ペオラはひどく心を打たれました。心の底、割れかけた『笑顔』の小瓶が、少しですが、修復されていくように感じました。宙を掴むように手を伸ばしたいけれど、その手は動かない。
「わたし・・・・・・・わたしはっ・・・・・・・」
この気持ちが分かりませんでした。悲しい。悲しいはずなのに満たされる、この気持ちは何なのでしょう。
ペオラが苦しんでいると、お医者さんは手を伸ばして、ごつごつした手で頭を撫でてくれました。その顔には、いつも見るものとは種類の違う『笑顔』――。
「悲しかったんだね、つらかったね」
その言葉で、ペオラの感情は決壊しました。
この人なら分かってくれるのではないか、そんな気がしたのです。
「うっ・・・・・・・ぁなしい・・・・・・・」
病院にやってきて初めて、ペオラはぽろぽろと涙を流しました。今まで泣かなかったことが不思議なくらい、涙があふれて止まりませんでした。
「・・・かなしいっ・・・・・・・かなしいのぉ・・・・・・・」
頭を撫でられながら、何度も思いました。悲しい、つらい、と。
こうして泣いていても、涙を拭えないもどかしさに、ますます悔しさと悲しみが募るだけでした。
動けるようになりたい。また人助けをして、『笑顔』を集めたい。お友達とはしゃぎたい。お母さんとお父さんの笑顔が見たい。幸せな時間を手に入れたい。幸せになりたい。いや、みんなに幸せになって欲しい。それが、ペオラの幸せ。
お医者さんはおもむろに、ペオラの頭から手を離すと、
「君にしかできない人助けがあるんだ」
ペオラの翠の目を真っすぐ見据えて言いました。『人助け』、その言葉に、ペオラは目を開き、大声でこう言いました。
「なあに! おしえて! ペオラにしかできないこと! おしえて!」
勢いよく訊ねるペオラに、お医者さんの顔は渋っているようでした。
「いいけど、これはペオラちゃんにとっては、とてもつらいことかもしれない。それでもかい?」
「うん! ペオラ、みんなのために、なんでもするの!」
♰ ♰ ♰
二日後、ペオラの右腕はなくなっていました。
そう。これがお医者さんのいう『人助け』だったのです。
「君が右腕を摘出してくれれば、この症状について何かが分かるかもしれない。そうでなくても、右腕を移植すれば、助かる患者がいるかもしれないんだ」
ペオラは即答で「わかったの!」と言いましたが、お父さんとお母さんは猛反対しました。
「私の娘を何だと思っているの? そんなことの為に、軽々しく摘出などといわないで頂戴!」
「そうだぞ。そんなこと、何もペオラに任せなくてもいいじゃないか‼ それじゃあ、ペオラの良心を冒涜していることに、なぜ気がつかない‼」
しかし、これにはあろうことかペオラ自身が反論しました。
「そんなこと、じゃないの! みんなをたすければ、みんなはよろこんでくれるの! わたしは、みんなのえがおがみたいのっ‼」
ペオラの思いは強く、これには両親も何も言えませんでした。
「いいこと? ペオラ。あなたが右腕を失ったら、確かに笑顔になってくれる人がいるかもしれないわ。けれどね、私たち親が右腕の欠けた娘を見ることは、とってもとっても悲しいことだわ」
「いいか、ペオラ。父さんにとってペオラは一番なんだ。だから、なにもペオラの一番を否定するわけじゃないし、しない。だけどな、よく考えろ。ペオラは、自分自身が欠けていくことが、自分の一番に繋がると思うか?」
お母さんとお父さんはそう言いますが、ペオラの耳にはもう入ることのない言葉でした。
そうしてこれが、家族最後の会話となってしまったのです。
わたしが、みんなを笑顔にする――。
そのためには、わたしが頑張らなければ――。
♰ ♰ ♰
「君が右腕をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『ぼくはケガをして、ピアノが弾けなかった。でも、君のおかげで弾けるようになったんだ! 嬉しくて、涙が止まらなかったよ‼ 今度発表会のビデオを送るから、ぜひ聞いてほしいな‼ 本当にありがとう!』
「君が左腕をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『実に興味深い研究の成果が得られた。幼いながらも我々医学の為に尽くしてくれるとは、私はペオラ殿に最大級の感謝を示したい。賞状を送ろうと思う。ペオラ殿こそ、真の医学者である』
「君が右足をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『ほんとうにありがとう! 事故に遭った息子がまた歩けるようになるなんて‼ 絶対にお見舞いに行かせてね! そこでちゃんと、お礼をするからね! 何か好きなものはある? なんでも持っていくわ‼』
「君が右目をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『毎日絶望していたんだ。包帯を巻いて生きるのなんて御免・・・・・・・だったのに‼ まさか君の目が僕を救うことになるなんて‼ ああ、この感謝をどう伝えよう‼ 僕は読書家なんだけど、本を読み上げてくれる機械を恩人の君にあげるよ‼ 美味しいものだって、たくさんごちそうしようじゃないか‼』
「君が左足をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『おねえちゃん、ありがとうございます。おねえちゃんのおかげで、わたしはあるけるようになりました。だいすきです』
「君が両耳をあげた相手から、手紙が届いているよ」
『聞こえなくなったはずなのに、また音楽が聴けるようになるなんて! 耳をくれるなんて、なんて素晴らしいのかしら! 今度抱きしめさせてね! ありがとね!』
「君が髪をあげた相手から、手紙が届いたよ」
『素敵な髪をありがとうございます。早速世界一の人形を作りたいと思います。感謝です』
「君が左目をあげた相手から、手紙だね」
『ありがとう』
「君にはたくさんの手紙が届くんだ。愛されている証拠だね」
『ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、・・・・・・・
♰ ♰ ♰
いつからなのか、そこは病院ではありませんでした。白ではない真っ黒な部屋で、男女とみられる死体と、それらが発する死臭が、場をおぞましいものに変えていました。
「さて、もうこれ以上手紙を考えるのも飽きてしまったな。・・・・・・・まあ、もう手紙を見ることも、僕の声を聞くこともできないのだけれどね」
白衣を着た青年はそう言うと、真っ赤なベッドの上で横になっている、ちいさな少女を目に留めました。
少女――ペオラは、見るも無残な姿で、ベッドに横たわって・・・・・・いいえ、ベッドに捨てられていました。芋虫のような四肢のない真っ赤な姿で、何をするにも這うばかり。這うのにもグチャグチャと黄色い液体を吐き散らさないといけませんでした。綺麗に揺れていた金髪は毟り取られ、華奢な体は骨などないかのようにねじ曲がり、耳もなく血が滴り、抉りだされた両目はどこを見ているのか分かりません。
ただ不思議なことに、桜色の口だけは残っていました。あったかい息を出す口だけは。
「最初に路地裏で逢った時から、これは運命だったんだ。彼女こそ僕の天使なのだと。あまりにかわいいからつい、手に入れたくなってしまったよ。ああ、僕の天使。純粋で、無垢で、『笑顔』の天使」
青年はそう言って、傍らのホルマリンの中―――小さな手や足、耳や眼球、金色の髪が入ったもの―――を見ると、幸せそうに微笑みます。
「今日は心臓の日。やっと君をすべて手に入れることができるね」
ペオラはなにも分かっていないのか、それとも何も見えず、聞こえないからなのか、恐らく両方でしょうが、先程からずっと、壊れた人形のように歪な動きをしています。
ペオラの口元だけは、変わらぬ笑みを浮かべて、
―――きょうは、だれのやくにたてるの? だれを、えがおにできるの?
と訊いているようでした。
「はは・・・・・今日『笑顔』になるのは、僕だよ」
再びペオラが這い始める前に、青年はベッドに向かいました。
「そう言えば、ペオラちゃん・・・・・・・君は、人を『笑顔』にすることが大好きだったね」
青年はペオラの小さな体に馬乗りになると、静かにナイフを取り出して、
「だとしたら君は幸せなんじゃないかな。だって、僕は今、物凄く幸せそうな顔で、笑っているだろうから」
―――うん! わたし、とってもしあわせなの!
眼窩を空っぽにして血を流すペオラがそう言った気がして、青年は暗がりの中、狂ったように嗤いました。
痙攣をおこすペオラを見下して、涙が出るほど嗤うと、
「じゃあ、『笑顔』しか知らない哀れで美しい天使よ。永遠に、僕の手で―――」
ゆっくりと、慈しむようにナイフを振り下ろして、
ざしゅっ、
再び、ペオラが激しく痙攣をします。青年は、人の言葉をしゃべっているようには思えない嗤い声をあげました。そうして、撫でるように、ペオラの腹部を縦に引き裂きました。
―――ありがとう。
ペオラの腹部が縦に切り裂かれた時、そのお腹の中から、青年には見えない、真っ赤なあるものが羽ばたきました。
それは、たった今さなぎから解き放たれた、ペオラの、赤い蝶。
命のように真っ赤なその蝶は、何回か羽を動かすと、暗闇と一緒に、静かに消えました。
――――めでたしめでたし。
黄変する童話 十一 @ayamati
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