Ⅲ:リアとたいせつなおにんぎょう

 ある昔、リアという、お人形好きの小さな女の子がおりました。


 リアは王都から離れた田舎の、とある小さな村で生まれました。その村は、大きさこそ小さいものの、食料や生活に困るような場所ではなく、むしろ、緑色の原っぱが一面に広がった、動物も多い素敵な村でした。

 緑と動物たちの中ですくすくと育ったリアは、今では六歳になり、金色の髪をなびかせて、お人形のようなかわいらしさを持つ、ちょっぴり大人びた姿をしていました。


「んー」


 庭の小鳥が鳴き始めたら、朝の合図です。リアはもぞもぞとシーツを動かして、ゆっくりとベッドから起き上がります。窓からは、リアの眠気をすっきり覚ましてしまうような、眩しい太陽の光が注がれていました。

 夢うつつな気分で呆けていると、リアは大切なことを思い出してさけびました。


「そうだわ! 今日は、村のみんなと遊ぶ日だったわ!」


 そういって、どたどたと身支度を始めます。木製の床が小さく悲鳴を上げました。

 リアには、原っぱの上で一緒に遊ぶ、たくさんのおともだちがいました。

 友達とは、追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、戦いごっこをしたり、おままごとをしたりしました。みんなと遊ぶのは、リアにとって何よりも楽しいことでした。

 お気に入りの白いワンピースに着替えると、リアは、リビングへ朝食を食べに向かおうとしました。


「・・・・・・・あら?」


 しかしそこで、ベッドの中で息苦しそうに埋まっている、ひとりの人形を目にとめました。

 おもむろに近づき、


「ごめんね、コッペ。苦しかったね、おはよう!」


 リアは語りかけるようにベッドの中の人形――コッペにそう言うと、ゆっくりと抱き上げました。コッペはもちろん人形なので何も言いませんが、作り物の赤の瞳は、リアを責めてはいないようでした。リアはそんなコッペが愛おしくなって、ぎゅっと抱きしめました。


 コッペは、リアが三歳の時、誕生日の贈り物として、お父さんとお母さんがくれた人形です。

 球体関節人形といって、本当の人間のようにかわいらしくお着替えをしたり、歩かせたりすることが出来る、優れたお人形でした。

 コッペの大きさはリアの身長の半分ほどで、一緒に成長していたら、きっとリアと同じくらいの身長になっていたでしょう。コッペの肌は陶器のはずなのですが柔らかく、ぷくぷくしていました。

 また、コッペはリアが着たこともない豪華なドレスをまとっていて、ゆったりと何層もの桃色のフリルが膨らみ、蕾のように広がった姫袖。他にも、さらさらと宙をかく垂れ下がったブロンズの髪が、金髪のリアにはうらやましいくらいでした。 

 なかでもリアがコッペをうらやましいと思ったのは、その頭に、美しい赤薔薇のヘッドドレスが、ティアラのようについていたことでした。


「帰ってきたら、一緒に遊びましょうね!」


 リアはコッペをベッドの上に立たせると、まだ誰もいないリビングへと急ぎました。


   ♰   ♰   ♰


 リビングのテーブルの上には、お皿はおろか、テーブルクロスも敷いてありませんでした。リアは短い溜息をつくと、部屋の奥に呼びかけました。


「お母さーん! もう朝よ! 小鳥さんも言っているでしょう!」


 しかし、部屋の奥からは物音一つしません。リアはもう一度、溜息をつきました。

 それから、いそいそと、トースターでパンを焼き、スープを用意して、ベーコンを焼きました。朝ごはんの完成です。リアは賢い子ですから、六歳にもかかわらず、一人で家のことができました。

 ちょこんとイスに座って、リアは朝食を一人で食べました。

 明るい太陽があるのに、家の中は、どこかさびれて静かでした。太陽が照らしてくれているはずなのに暗いのです。埃でくすんでいる窓の外で、変わらず小鳥は朝を告げているのに・・・・・・・。


 ベーコンを食べ始めた時、部屋の奥の方で、ガタガタと大きな物音がしました。きっと、お母さんが起きたのです。リアは緊張して肩をこわばらせました。

 それから間もなくして、リアと同じ金髪を逆立てたお母さんが現れました。

 お母さんはリアを見ると、すぐに怒りだしました。

 テーブルを思いっきり叩くと、


「あら、私の分はないの⁉ この役立たず‼」


 唾を吐きながらそう言って、リアの頭を叩きました。ごつん、と鈍い音がして、くらっと視界がかすみました。けれども、リアは涙を出すことだけはこらえました。

 じんじんとはれる頭に手を当てながら、リアは言います。


「ごめんなさい。だって、まだ寝ていると思ったから・・・・・・・」


 もう一度、お母さんはリアを叩きました。くわえていたパンが床に落ちました。


「そんなわけないじゃないの‼ 私はね、お前の為に、ずっと仕事をしていたんだよ‼ その美味しそうなベーコンをご覧‼ それは誰のお金で買ったものか知っているの? 私だよ‼ 私が頑張って働いて、それで買ったものなの‼ 本当なら、お前に食べる資格などないものだよ‼」


 お母さんはリアをイスから蹴り落して、ワンピースを強引に引っ張って立ち上がらせました。埃っぽい部屋に、大きな埃が舞いました。

 リアはもちろん、泣きません。


「何、その目は⁉ まったく、余計なことしかしない愚かな子‼」


 お母さんはリアを見下しながら悪態をつくと、同じくテーブルの上にあったスープの入ったボウルを持ち上げました。

 蔑むような表情で、


「この不味いスープだって、食材の無駄でしょう‼ 勝手に作るなって、あれほど言っておいたのに・・・・・・・‼ 庭は植物園にするし・・・・・・・‼ 私は植物が嫌いなのよ‼」


「無駄なんかじゃないわ‼ スープにはたくさんの野菜が入っていて、栄養にいいのよ? お母さんはいつもお酒しか飲まないから、野菜は大切なの‼ それに、お金がないから、わたしが自分で野菜を作らなきゃいけないの‼」


「うるさいね‼ 親に口答えするんじゃない‼」


 お母さんの持っていたボウルがひっくり返り、驚くリアは熱々のスープを被りました。


「きゃっ‼」


 ボウル一杯の熱湯がリアの頭に降り注ぎ、湯気が一瞬で部屋を埋め尽くしました。

 木製の床に熱湯がかかり、部屋は野菜と木材の独特なにおいで埋め尽くされました。

 あまりの熱さに、リアは転げまわって苦しみました。肌が焼けるような、焦げるような、ものすごい痛みが体中をかけめぐり、ワンピースもびちょびちょになってしまいました。これでは、外に遊びには行けません。


「あははは! いい気味ね。子供なんだから、このくらいは当然よね?」


「あつい! あついわ‼ 助けて‼」


「助けるわけないでしょう‼ 一生、そうやって苦しんでいればいいんだわ‼」


 床にうずくまって苦しんでいるリアに、お母さんは何度も蹴りをいれて、笑っていました。


   ♰   ♰   ♰


 しばらく前のこと、お父さんは家からいなくなっていました。

 リアはまだお父さんが帰ってくると思っているようですが、リアのお父さんはもう帰ってきません。というのも、リアのお父さんは、お母さんではない別の女の人と恋をして、他の村に逃げてしまったのです。いわゆる、「かけおち」というものでした。

 そんなことがあったものですから、リアは落ち込みました。もちろん、リアのお母さんも狂ったように泣きました。お父さんを憎んでもいたでしょう。

 今までの優しいお母さんからは遠のいていくその姿に、リアは不安になりました。

 しかし、お父さんがいなくなって数日が立ったある日、お母さんは気持ちを和らげるために、リアのことを殴り始めたのです。

 リアはお父さんとお母さんの愛の結晶であるわけですが、それは皮肉にも、憎悪の塊ともなりうるというわけです。


 一通りリアをいたぶると、お母さんは言いました。


「それじゃあいいこと? 今日は一日中、すみずみまで家を綺麗になさい。私は部屋で仕事をするから、決して覗いてはダメよ?」


 もう一度高笑いをすると、お母さんは部屋の奥へと消えていきました。

 ちなみに、お母さんは部屋で仕事と言っていますが、実際は昼寝をしているだけです。朝食のベーコンだって、リアが村の商人さんに譲ってもらったものでした。

 お母さんは、一人で何もできなくなっていました。

 リアは瞳に涙をためながら、ぞうきんを持って、こぼれたスープを拭きました。体を動かすたびに、ワンピースが肌にすれて、熱湯を被った部分がひりひりと痛みました。


「・・・・・・・・・・・・・・」


 こんなはずじゃなかった―――。リアは思います。

 絶対にお母さんのようにはならない。

 ちゃんと良い子で、お父さんを待てるようになるんだ、と。


   ♰   ♰   ♰


 静かな夜になると、リアのくつろぎの時間がやってきました。

 夜はお母さんも寝て、怒る人はいません。今までなら家族みんなでお風呂に入ったりもしたものですが、今では、リアがお風呂に入れるのは三日に一回でした。

 リアにとって自分の部屋は――蜘蛛の巣のかかる軋んだ空間でしたが――お城のような場所でした。誰にも邪魔されないで、お人形たちとおしゃべりができる、夢のような空間だったのです。

 今夜もリアは、声を弾ませます。


「ねえ聞いて、フレーテ‼ お母さんったら、今日はわたしにスープをかけてきたのよ? ひどいと思わない?」


「ジュゼも聞いて! 今日もたくさん殴られて、大変だったんだから!」


「そうそう、ヒルダ。おかげでお気に入りのワンピースが濡れて、遊びにも行けなかったの! あなたのそのお洋服が、わたしにも着れたらいいんだけどね・・・・・・・」


「大丈夫よ、コッペ。わたしは平気。あなたは本当に優しいのね・・・・・・・」


 リアには、コッペの他にも、たくさんの人形を持っていました。

 すべて、お父さんがいなくなる前に買ってくれたものでした。

 どれもかわいらしい球体関節人形で、小さな磁器の顔と多種で豪奢なドレスに身を包み、瞳はそろって赤色でした。

 お人形とお話をしている時だけ、リアの心は落ち着くのです。いいえ、もしかしたら、リアは彼女たちが球体関節人形であることを忘れているのではないでしょうか。

 リアはときどき楽しそうに笑いながら、


「だから、みんな、ごめんなさいね?」


 といって、人形たちを、まだ小さい手で、何度も殴っていました。

 これがリアの家の中での「あそび」であり、「くつろぎ」でした。

 フレーテのかわいらしいはずの顔は、半分が欠けていて、右目が空っぽでした。

 ジュゼの体の部位は、全てが逆でした。足の付け根に、手が差し込まれているのです。

 ヒルダの首には細いひもがまかれていて、天井から吊るされていました。

 その他の人形たちも、塗装が剥がされていたり、体のパーツがなかったり、ぐちゃぐちゃに分解されていたりと、ひどい有様でした。

 がちゃん、と音がして、リアの足元の人形の胴体が壊れました。


「あら、今日はキャセルが壊れてしまったのね。じゃあ・・・・・・・メリアでいいかしら」


 リアはキャセルを放り投げると、別の人形を取り出して殴り始めます。磁器特有の、硬くて痛い音が響きましたが、リアは意にも介しませんでした。

 リアは、シックな黒色のドレスを着ているメリアの右足を掴んで宙吊りにすると、


「ふふ・・・・・・・メリア、わたしにどうして欲しい?」


 リアの部屋の隅には、壊れてしまった、どこが人形かも分からないゴミの山がありました。今日その山に加わったのは、キャセルだったのです。そして、メリアも―――、

 メリアを踏みつぶして壊すと、ふと、リアはコッペの視線を感じました。コッペはリアから少し離れたところに、寝るようにして放りだされていました。

 リアは目を細めると、


「・・・・・・・どうしたの、コッペ? 大丈夫。あなたにはこんなことはしないわ。だって、あなたはわたしが貰った、最初のお人形だから・・・・・・・」


 儚くそう微笑んで間もなく、がちゃん、と再び、磁器の砕かれる音が響きました。

 リアはコッペの目の前で、何体もの人形を壊しました。

 もちろんコッペは人形なので何も言いませんが、どんな気持ちを抱いているのか、リアには分からないことでしょう。

 コッペにとって他の人形は、妹のような存在かもしれない。そしてそれをいじめるリアは、悪い魔女のように見えるかもしれません。

 もしかしたら、リアがお母さんに向ける感情と、同じ感情を抱いているかもしれない・・・・・・・。

 闇の中で三体の人形を壊すと、リアはいつもと変わらず、コッペを胸に抱いて眠りました。


   ♰   ♰   ♰


「・・・・・・・え?」


 翌日、おともだちと遊ぶことができたリアが夕暮れの中家に帰ると、その光景に目を疑いました。


「あら、リア! おかえりなさい! 待ってたのよ‼」


 なんとそこには、いつにも増して上機嫌の、お母さんがいました。その日のお母さんは朝からこんな感じでうす気味悪いくらいで、笑顔で遊びに送り出してくれたのですが・・・・・・・。

 そして、お母さんの隣には、見覚えのない、太った男が立っていました。

 リアの家は貧乏で小汚い服――お気に入りのワンピースもそうです――しか着るものがありませんでしたが、その男の服装はそんなリアの服よりも汚れていて、お腹が服からはみ出て獣のような毛深い肌を露わにし、リアよりもきつい臭いがしました。

 きっと家のない、もしくは追い出された、没落した貴族ではないでしょうか。丸々と太ったその体系だけが、こうなる前の裕福さを物語っているようでした。

 瞳を震わせながら、リアが問います。


「お母さん・・・・・・・その人・・・・・・・だあれ?」


 いやぁね、とお母さんは嬉しそうに目を細めました。


「何言ってるの、リア! お父さんよ! あなたのお父さん! そして、私の夫よ! 帰ってきたのよ、私のところに‼ きっと、あの性悪女にうんざりしたに違いないわ‼」


 男に抱き着き、キスをするお母さんの様子を見ながら、リアは絶句しました。

 肌が泡立ち、崩れてしまうかのようでした。証拠に、リアは真っすぐその男と目を合わせることができませんでした。

 信じられない思いで一杯でした。ありえない、何度もそう言い聞かせました。

 この人がお父さんだなんて、ありえない‼


   ♰   ♰   ♰

 

 夜になって、リアはその怒りと悲しみを、持っている人形たちに向けました。その感情は、今までに抱いたことがないくらい大きく、醜いものでした。


「なんでっ‼ なんでよっ‼」


 がしゃん、がしゃん・・・・・・・次々とお人形が砕かれていきます。木の棚に並んだお人形が、どんどんいなくなっていき、部屋の隅の山が大きくなります。

 気のせいか、微かに差し込む月の光が、リアを嘲笑っているようでした。外では、悲しい風が、カサカサと木々を揺らしていました。

 先程やってきた男は、リアの本当の父親ではありません。

 ついに、お母さんは頭がおかしくなってしまったのです。

 おそらく、家の近くでお金もなく泣いている男を、拾っただけなのです。それを、頭のおかしくなったお母さんが勘違いして、家に連れてきたのです。

 それなのに先程、お母さんは舞い上がって、「妹をつくってあげるわね」と、軋む床の奥へ二人で消えてしまいました。

 耳をすませば、お母さんが笑う声が廊下の奥から聞こえます。ガタガタと、大きな物音も。


「うそよ! これは悪い夢なんだわ!」


 また一つ、人形を壊して、リアは叫びます。

 これらのたくさんのかわいいお人形をくれた人が、リアのお父さんです。

 あんな醜い姿をした豚のような男など、リアのお父さんではない‼

 お父さんは、お母さんよりも自分を、それこそお人形のようにかわいがってくれた人です。優しく、背が高くてハンサムで、いつも幸せそうに笑っているのが、リアの大好きなお父さんなのです。

 そもそも、あの男が本当のお父さんなら、新しいお人形を持ってくるはずです。

 妹など必要ありません。リアが一番欲しいのは、自分を愛してくれるお父さんと、お父さんが持ってくるお人形だけです。


「それなのに・・・・・・・」


 それなのに、お母さんは、あの男をお父さんだと思っている・・・・・・・。


「ふざけないで‼ わたしのお父さんを返して‼」


 がしゃああん、となぎ払うように、一気に人形を壊しました。


「お父さん! お父さん!」


 小さな手で、何回も、何回も、人形たちを叩きました。磁器が割れ、破片が刺さって、たくさんの血が出ました。


「お父さん! お父さん! お父さん!」


 小さな足で、何回も、何回も、人形たちを蹴りました。踏みつぶすと、それは簡単に細かい粒になりました。破片を踏めば、足の裏がチクチクと痛みました。


「お父さん! お父さん! お父さん! お父さん!」


 リアは泣き叫びました。おぼれるように何回も宙に手をだし、もがき、壊し、嗄れるほどに床を血と涙で埋め尽くしました。

 足が、手が、目が、ドレスが、全てが壊れ、混じり、塊となって、散らばって、転がって、崩れて、優しい思い出とともに、灰のように消えていきます。

 がしゃん、がしゃん、がしゃん・・・・・・・悪夢のように音は響いて・・・・・・・。


 やがて、そこには、大量の人形の死骸と、ひとりの人形だけが残りました。床は、どこを歩いても磁器の破片で埋め尽くされていました。


「はぁっ・・・・・・・はぁっ・・・・・・・」


 肩で息をしているリアは、ふと、ある視線を感じました。ゆっくりと、視線の方へ目を向けます。そこには、桃色のドレスに身を包む、かわいらしい人形がいました。


「コッペ・・・・・・・」


 コッペは変わらず、その赤い瞳を開けたまま、何をするとでもなく、じっと、リアと目を合わせていました。怒っているのか、哀れんでいるのかは分かりません。ですが、リアはその視線に、怒りと同時に恐怖を覚えました。

 まるで、リアが悪戯をした時にお父さんが見せる、静かな眼差しのような、その視線に。

 刹那、リアの心に、黒い感情が浮き上がりました。


「・・・・・・・・・・・・っ‼ お父さんのバカ‼」


 次の瞬間、リアは血にまみれた右手を振り上げると、思いっきり、動かないコッペに振り下ろしました。


   ♰   ♰   ♰


「・・・・・・・うぅっ・・・・・・・・・・・・・・お父さん・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・」


 夜の冷たい風が吹く、リアの部屋で。彼女は破片の中でうずくまり、震えながら涙を流していました。何やらその小さな胸の中に、ひとりの人形を抱いているようです。


「コッペ・・・・・・・ごめんね・・・・・・・」


 そこには、首から上の外れた、コッペのカラダだけがありました。

 コッペの首の根っこから先は、闇のような真っ黒の穴で、ブロンズの髪が美しい頭は、少し離れた場所に転がっていました。そうです。さきほどリアは勢い余って、コッペの頭を叩き、その首を外してしまったのです。血こそ出なかったものの、遠くでリアを見つめる赤の瞳は、どこまでも深い深淵のようでした。

 リアはゆっくりと磁器の破片をどかしながら、コッペの小さな頭を拾い上げました。


「コッペ・・・・・・・‼」


 必死の様相で首の穴に頭を押し込んでみますが、うまく入れることができません。コッペの持つ赤色の瞳が、不気味に輝くだけです。

 ブロンズの髪が不穏に揺れる中、リアはただひたすらに首を繋げようと奮闘しますが、繋がることはありませんでした。


「そんな・・・・・・・どうしよう・・・・・・・。大切な人形なのに・・・・・・・」


 リアはへたり込みながら、絶望していました。コッペの首といっしょに、お父さんとのつながりも絶たれたような、そんな絶望を感じました。

 無数の不良品の中に、コッペも加わってしまったのです。

 それは、悪夢のようでした。


「そんなのいやぁっ――――‼」


 ぎゅっ、とリアはコッペの胴体を抱きしめました。しかし、コッペの髪が頬をかする感触はありません。コッペの頭は外れてしまったのですから。


「そんな・・・・・・・わたしは、わたしは・・・・・・・‼」


 そして、リアは今まで自分がしてきたことが、いかにおぞましくひどいことだったのかを知りました。

 またそれが、リアをいじめる、お母さんと重なっていることも。

 リアはお母さんと同じで、ちゃんと良い子で、お父さんを待てなかったということも。

 ポロポロと、涙が溢れ出してきました。


「お人形さん、ごめんなさい‼ いじわるして、ごめんなさい‼ お母さんと同じで、ごめんなさい‼ 叩いてごめんなさい‼ 壊してごめんなさい‼ だから・・・・・・・もうしないから・・・・・・・もとにもどってよぉ・・・・・・・‼」


 リアは顔を涙でぐちゃぐちゃにして、何回も謝りました。

 いつだったか、お人形だって生きている――そう言ったのはお父さんです。

 それなのに、リアはお父さんに夢中になるあまりに、大切なことを忘れていました。お人形だって生きている。だから、家族のように大切にしないといけない。

 形のあるものには命が宿っている。なぜならその形は、人が作り出したものだから。お人形は、作った人の気持ちがこもっている。お人形も、人そのものなのだ。

 同じ形を持つものとして。

 形あるものを大事にすることができない心からは、人は、命は離れていく・・・・・・・。

 もう一度、大量の涙と共に、リアは謝りました。


「お父さん・・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・」


 ひょっとしたら、リアはコッペにすがることで、お父さんを手に入れようとしたのかもしれません。その証拠に、壊れたほかの人形を直そうとは思わないけれど、特別思い出の大きいコッペだけは、何としても治したいと思っているのですから。

 ともあれ、リアはコッペを壊したことで、大切なことに気がつくことができました。

 そのことに、お父さんは、人形はどう思うのでしょうか。


   ♰   ♰   ♰


 小鳥のいつもの泣き声で、自然と目が開きました。

 いつの間にかベッドで眠っていたようです。しかし、その肩は震えています。

 おぞましいあの夜が、瞼の裏から蘇ってくるようでした。ですが、どこかフワフワとした記憶だけになっていて、それはまるで――――


「―――夢、だったの・・・・・・・?」


 ゆっくりと起き上がって、まわりを見渡します。窓の外にはいつもと同じ、緑いっぱいの原っぱと、たくさん生い茂る植物園。朝を告げる小鳥に、しっかりと棚に収まったかわいらしいお人形たち。床には、磁器の破片一つ転がっていません。

 太陽の光も眩しく、夢からの目覚めを祝福していました。

 そして、今までの光景は夢だったのだと、確信することがありました。


「ああっ‼ もとに戻っているわ‼」


 そう。夢ではぽっかりと開いていたコッペの首穴に、しっかりと頭が入っていました。


「よかった・・・・・・・‼ やっぱり夢だったのね! 他のみんなも、元気そうでよかった‼」


 フレーテやジュゼやヒルダを見上げながらそう言うと、胸を撫で下ろし、大喜びしました。部屋の隅にあった屑の山も、そこにはありませんでした。

 やがて、朝の風に吹かれながら、すこし悲しそうな顔つきになって、


「お人形だって生きている・・・・・・・本当にその通りね。二度とあんな夢なんて見たくもないけれど、大切なことを思い出すことができたわ・・・・・・・。怖かったけれど、いい夢だったのかも・・・・・・・」


 その時です。奥から、優しい声でお母さんが「朝ごはんよー」と呼ぶ声がしました。遅れて、お父さんの声も。間もなく笑い声が響きます。

 とても幸せそうで、声を聞くだけで、こっちの気持ちも高鳴るようでした。


「分かったわ、今いくの!」


 そう言って、お気に入りの桃色のドレスに身を包んでから、リビングへと急ごうとした時でした。


「・・・・・・・あら?」


 ベッドの中で息苦しそうに埋まっている、ひとりの人形を目にとめました。

 見た瞬間、自然に笑顔になりました。それもそのはずです。このお人形は、お父さんが作ってくれた、世界に一つだけの大切なお人形なのですから。

 おもむろに近づくと、


「ごめんね。苦しかったね、おはよう!」


 語りかけるようにベッドの中の人形にそう言い、ゆっくりと抱き上げました。抱き上げられたのは人形なのでもちろん何も言いませんが、そのことを責めてはいないようでした。そんな人形が愛おしくなって、ぎゅっと抱きしめます。


「そうよね。責めることなんて、あなたにはできないわ」


 そのお人形は首から上がなく、白いワンピースを着ていました。頭は少し離れたところに、捨てられるようにして転がっていました。

 金色の髪をした、みずほらしくもかわいらしい、小さな人形でした。

 人形をもう一度強く抱きしめると、ブロンズの髪を揺らして、言います。


「お人形は大切にしないとね、そうでしょう、リア?」


 コッペはリアをベッドの上に立たせると、笑い声のするリビングへと急ぎました。


        ―――めでたしめでたし。

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