埋葬者―Milvus migrans―
藍染三月
Milvus migrans
草木を揺らすことのない
空色の目をした友人が、懐中時計を壊したと苦笑していたのを不意に回視する。嫌な予感を振り払いたくて、その彼女に会いに行こうかと顔を上げれば、壮年の男性が蒼白い顔で立っていた。僕の方へ
「娘が、死んだんだ」
この男性のことは知っている。狭い村だから、ということもあるが、友人の父親だからだ。
「どうか……優しく送ってやってくれ。リーズは君のことを気に入っていたんだよ」
「ルスキニアを埋葬するのが僕の役目ですから、ご安心ください」
「……ああ、よろしく頼むよ。ミルウス・ミグランス」
哀傷が
それは僕の名前ではない。埋葬者の呼び名だ。この村では死者が出ると村人達に役割が与えられ、村全体で葬儀を行っていた。死者を
死は悲しいものであり、病の隣人であり、死骸に触れれば穢されてしまう、と村の人々は言った。それでも家族の遺体にすら近付かない彼らは、愚かな平穏に浸る鳩のようだった。愛する人を弔うことよりも、自分の命を優先する様には嘆息が溢れる。
友人の家へ足を踏み入れた。床板を軋ませて室内に入れば、
階段から落ちて亡くなったらしく、後頭部から流れた紅血が衣服の襟を染色している。彼女はそそっかしいところがあったからな、なんて
埋葬者による葬儀は、人々に吐き気を抱かせるものらしい。それゆえ僕達埋葬者は誰の目にも留まらない自宅で死者を弔っていた。
碧天の眩さに
微かな燭光だけが広がる薄暗い室内で、床に寝かせた彼女の服をそっと取り去って、生気のない体を一瞥した。冷たい手を指先で掬い上げ、色を無くした爪に口付けを落とす。彼女がこの手で摘んだ木の実を僕にくれたのは、昨日のことだ。とても甘くて、美味しくて。彼女は、美味しいと微笑んだ僕を嬉しそうに見ていて。
震えた唇を開いた僕は、僅かに伸びている爪の裏側へ歯を押し当て、そのまま引き剥がした。小さなそれを失くしてしまわぬように、口腔へ押し込んで噛み砕いていく。咀嚼する程に自分の骨が震えているのを感じながら懐から刃物を取り出した。
肉体とは、魂を捕らえている籠である。その肉体を壊すことで、魂はようやく籠から天へ還ることが出来る。ミルウス・ミグランスは、骨に纏わりつく腐肉を全て取り去って、死者を解放しなければならない。悪戯に遺体を弄んでいるのではなく、敬意を払っているという証明に、その体を余すことなく飲み下す。
それなのに黙想してしまう。この手を繋いだ日があったことも、心地良い体温が確かに宿っていたことも、握られた感覚も、鮮明に思い起こせる。
冷え切って硬直した指に
抉れば抉るほどこの胸が
腕を裂き終え、次いで開くのは胴体。拍動は僕のものしか感じられなかった。彼女の心音を聴いたのは、幼い頃同じ布団で寝た時くらいだったろうか。
華奢な足をそっと持ち上げて
瞼を軽く押し上げて彼女の
苦笑しようとして吐き出した息は痛嘆に塗れてしまう。
「リーズ」
なぜ呼び掛けてみたのか、自分でもわからない。半分だけ壊れた鳥籠から、魂はもう出て行ってしまっているはずだ。これほど壊しておきながら今更、戻ってきてくれと、僕に微笑んでくれと、
叶わぬ願いも、
「ありがとう。おやすみ」
喘鳴を漏らしてしまいそうで、声はあまり紡げない。呼応することのない心臓を飲み込んで、彼女の骨を綺麗に拭いていく。
彼女を棺桶に収めると、僕はそれを担いだ。癖のように染み付いた旋律が、痙攣する僕の唇から無意識の内に零れていた。木製の扉を開けたら、
「Who'll carry the coffin? I, said the Kite,if it's not through the night,I'll carry the coffin……」
涼風に声を攫わせる。動かし続けたせいか、悲しみで震えるせいか、口唇は上手く動かなかった。微笑を象った頬には流涕の痕が残っていた。
頭上を仰ぐ。彼女の碧眼を思わせる碧落に
さぁ、賛美歌を携えて鐘を鳴らしに行こう。
埋葬者―Milvus migrans― 藍染三月 @parantica_sita
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