死の予感 完結

 

 制作を始めて五ヶ月が過ぎていった。


 今日は日曜日だが、先生に教室を開けてくれるように頼んだ。


 明日までにおびを提出しなければならないからだ。


 締め切り寸前なのに、僕はどうしてもバイトを休むことが出来ない。


 後五センチで佐賀錦さがにしきは完成だ。


 鶴は、「私に任せて」と言って、僕を教室から追い出した。


 ぼくはバイトの間も帯のことが気になって落ち着かない。


 仕事が終わるまでに何度も携帯の時間を見直した。


 バイトが終わると、自転車で田んぼ道を全力で突っ走って学校に戻った。


 つるが織っている校舎の二階の窓ガラスにはもう電灯が灯っている。


 周りはもう夕焼けで真っ赤に染まり始めた。


 僕は階段を一目散に駆け上がった。


「私が織っているところを見ちゃダメッ!」


 つるから言われていた言葉も忘れて部活の部屋の扉を開けた。


 そこにはつるの姿はなく、本物の鶴が羽を広げて帯を織っている。


 鶴が首をこちらに向けて僕の瞳を見つめた。


 その時、「私が織っているところを見ちゃダメッ!」という言葉を思い出して、咄嗟に開けてしまった扉を閉めた。


 僕は約束を破ってしまった自分を恨むと同時に、遠い昔に起こった同じ経験が記憶の片隅に鮮やかによみがえってくる。


 それは数百年という時間をさかのぼった、ある寒い日だった。


 僕はひとりで山小屋に住んでいた。


 その遠い雪の日に、ひとりの女性が僕を訪ねてきた。


 その人の肌は雪のように白かった。


 その美しい手を僕は覚えている。


 そのひとりぼっちの寂しい毎日を忘れさせてくれたのが、あなただった。


 それから二人は一緒に住み始めた。


 あなたとの幸せな日々が始まった。


 僕はその日がいつまでも続くのだと疑ったことはなかった。


 そしてある日、僕は見てしまった。


 見てはいけないあなたの正体を見てしまった。


 その遠い過ぎ去った日と同じように……


 バン、バン、ガシャン、バン、バン


 静かな校舎に反響する音だけを聞きながら、凍りついたように静かに扉の前に佇んだ。





 十五分ほどして機織はたおりの音は止んだ。


 蒼白な顔をしたつるが、織り終わった反物たんものを両手に抱えて教室から出てきた。


 後悔を隠しきれない僕の瞳を見つめた時、つるは一目散に階段を駆け上がって行った。


「つる!待ってくれ!」


 ぼくは叫びながらセーラー服の後を追って走る。


 彼女が屋上への扉を開けた瞬間、つるの手から佐賀錦さがにしきが落ちた。


 反物たんものはセメントの上に転がり落ちて、表の模様が二メートルほどはだけた。


 金糸と純白の羽で織られた模様は夕日にかざされて光り輝く。


 振り返ったつるの瞳からひとすじの涙が流れ落ちた。


「わたし、あなたの優しさが忘れられずに女の子になって戻ってきたの。


 でも愛する人から自分の正体を見られたら、もう人間には戻れなくなる。


 わたし、あなたと一緒にいたかった。


 いつまでも、いつまでも一緒にいたかった。


 だからあなたのことは決して忘れない。


 あなたの優しさは決して忘れない」


 つるは本当の鶴に姿を変え、大きな純白の翼を羽ばたいて宙に舞い上がった。


 つるを失うことは一生後悔してしまうことを覚えている。


「つる、行かないで!戻ってきてくれ!」


 大声で叫んだ。


 僕は飛び立つ鶴を抱きとどめようと、命がけで屋上の柵を飛び越えた。


 僕の手は鶴の足を握りしめそこない、宙をつかんだ。


 重力に逆らうことの出来ない僕の体は一直線に地面へと落ちる。


 鶴の白い翼が視界から遠ざかっていく。


 いかにも自分の死を予言するように、僕は真っ赤に染まった空を見上げた。


 自分の最後が刻々と迫ってくる瞬間も、自身の死よりもつるを失ってしまう現実を恐れた。


 これで全てが終わってしまう。


 頭上を旋回しながら狂ったように鳴きわめくつるの声が、誰もいない校庭に響き渡った。


 つるは僕を助ける為に全身全霊ぜんしんぜんれいの力を込めて急降下を試みた。


 僕は最後の力を振り絞って死への挑戦を試みる。


 白い翼が僕の体を後ろから抱きかかえるように覆いかぶさった時に、つるの体が先に地面に激突する。


 僕は背中越しにつるの肋骨ろっこつが数本折れたのを感じ取った。


 つるが大きく泣き叫んだ。


「ギギギャーーーーーーーーーーーーーーッ」


 死の幕が降りるように目の前が真っ暗になっていった。





 それからどのくらい時間は経ってしまったのだろう?


 やっと意識を取り戻し始めた時に、僕の胸をかたくなに抱きしめているかぼそい両手に気付いた。


 いかにも僕を守るように硬く閉じている白い手をほどいて、恐そる恐そるつるの顔をみつめた。


 目を閉じた蒼白な顔には死が漂っていた。


 息をしていない唇からは真っ赤な血が流れ落ちる。


 数百年待ち続けたつるとの再会が今終わろうとしている。


 その残酷な別れが二人を引き裂く。


 僕は魂が抜けてしまった体を抱きしめながら、生き残った自分の運命をうらむ。


 つるは僕を助ける為に自分の命を犠牲にした。


「つるーーーーーーーーーー!

 目を開けてくれーーーーーーー!

 つるーーーー!

 お願いだから目を開けてくれーー!」


 叫び続けるわめき声が暗くなっていく校庭に寂しく響き渡った。





 僕のほおを伝って一筋の涙が、つるの閉じた目元に落ちた。


 その時つるの長いまつ毛が微妙びみょうに動いたような気がした。


 確かにわずかだが動いた。


 僕は万が一の可能性を信じて天に祈る。


「神様、お願いですからつるを助けてください」


 祈り続ける…………


 その時、奇跡は起こった。


 つるの大きな瞳が泣きじゃくる僕を見つめた。


「あなたのそばにいさせてください。


 こうしていつまでもあなたに抱かれていたい…………」


 ささやかにつぶやいた。


 西の空へ沈みゆく太陽の光は二人を優しく包んだ。


 つるを抱いた僕の長い影が校庭いっぱいに広がった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生つるの恩返し 子供の頃から聞いていたおとぎ話は、ただのおとぎ話ではなかった。鶴は僕に逢うために、生まれ変わって逢いに来てくれた。 まろん ぐらっせ @maronglasse

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ