経糸と緯糸

 次の日から早速制作に取り掛かることにした。


 僕は小さい頃からおじさんに献上博多は習っていたので、図柄もやり方も覚えている。


 その事をつるに話すと彼女も織り方は知っているという。


 「織作おりさく」という名前からして、多分稼業は織物屋だろうと疑いもしなかった。


 色を決めるのはつるの、


「私、赤がいい!」の一言で決まった。


 まずは仕掛しかけの用意を始めた。


 仕掛けとは、織り始める前の段取りのことだ。


 これは小さい時から僕の仕事だった。


 博多織はたて糸にはヨリの強い、細い絹糸を使う。


 それに太いよこ糸を細かく打ち込む。


 本帯ほんおびの幅は四十センチ弱だが、献上博多の場合は経糸を一万四千本程使う。


 糸を綜絖そうこうに通すだけでも約2週間かかった。


 次はおさに糸を通すのに、また1週間ほどの時間が過ぎていった。


 ジャカードの紋紙もんがみはおじさんから借りてくることにした。


 おじさんの言葉を思い出す。


「博多織はたて糸の浮き沈みでがらをだすけん。だからおりは段取りが八分はちぶたい」


 確かに仕掛け《ようい》にかかる時間は長い。


 仕掛けを終えれば後は織るだけで比較的にはやく進む。


 最近の献上博多は全てと言っていいほど機械織だ。


 勿論、今回のコンクールは手織りが条件だ。


 つると僕は交代で織る事にした。


 母さん一人の給料では家計をやりくりできないので、僕は火曜と木曜の放課後と日曜日は、近くの高速インターにあるラーメン屋でアルバイトをしている。


 それ以外の日はおじさんの手伝いをしているが、今回のコンクールのために休みをもらうことにした。


 つるは僕がアルバイトに行く日に織る。


 こうして二人のコラボは始まった。


 つるは織っている間は誰にも見られたくないと言って、取りつく島もない。


 僕はいつも彼女が織った後の帯を見比べる。


 つるが織ると何とも言えない光沢と上品さが出てくるのは何故だろう。


 その美しさに見とれながら続きを織りつづけた。


 織り始めて一ヶ月半で四メートルの帯は完成した。


 つるは随分と頑張ったせいか、か細くなったような気がする。





 やっと博多織の制作が終わった後、二人にはゆっくりと過ごせる時間が戻ってきた。


 僕たちはいつものペースに戻って、ゆっくりと帰り道を一緒に歩いた。


 つるがどこに住んでいるのかが気になって、彼女に聞いた。


「つる、お前どこに住んどんね?」


 つるは返事をいつものように曖昧に濁した。


 僕は怪しまれては困ると思い、他の話題に切り替えた。


 しばらくして二人が別れるいつもの十字路に来た。


 つるは僕に手を振る。


「じゃあ、また明日」


 僕は自分の帰り道を数分ほど歩いた後で、つるの後を追うために道を戻った。


 僕が後をつけているとは知らず、つるはひとりで山の方角へと歩いていく。


 道は少しずつ狭くなって山の麓から登り始めた。


 あたりは随分と寂しくなってきて、少し不気味な雰囲気が漂う。


 しばらくすると道は石段に変わって、その先には小さな赤い鳥居とりいが立っていた。


 鳥居をくぐる時、真っ黒なカラスが僕を睨みつけた。


 その先にある階段は急に左に折れて、つるの後ろ姿は見えなくなった。


 ぼくは彼女を見失うのを恐れて足を早めた。


 角を曲がったところに小さなほこらが寂しそうに佇んでいた。


 しかしあたりにはつるの姿は見当たらない。


 ただ大きな鳥が飛び去った後の影だけが映った。


 ぼくはひとり狐につままれたような気分で祠の前に立ちすくんだ。





 4月末に博多織委員会から担任の先生に連絡があった。


 つると二人で織った献上博多が、なんと黒田長政賞に選ばれたらしい。


 高校生が賞に選ばれたのは今までにない快挙だそうだ。


 この賞をもらえた理由は、やはりつるが織る帯の美しさだと思った。


 二人は織物を通して心が強く結ばれていくのを感じた。


 たて糸が僕で、よこ糸がつる。


 ふたりは人生という帯を一緒に織り始めた。





 高校生最後の年が始まった春の終わりに、部活の先生は次のコンクールの話を始めた。


 黒田長政賞に選ばれた僕たちは、自動的に総理大臣賞へ応募出来る。


 この賞は全国から選ばれた生徒が、独自の柄を屈して制作した帯の美しさを競い合う。


 僕たちは博多織独特の佐賀錦さがにしきを基本に、独自の柄を開発することに決めた。


 佐賀錦さがにしきとは経糸に金糸(金箔を貼った和紙を細く切ったもの)を使い、緯糸は白糸で織る。


 とても豪華な織物だが、どこまで金糸を上品に見せれるかで勝負が決まる。


 僕は雪の中に飛び去って行った鶴を頭の中に思い浮かべながら、図案を描き始めた。


 つるはその図案を見た時に一言漏らした。


「あの日は雪が沢山降っていた」


 何のことか理解出来ずにいる僕を見て言い直した。


「この図案、鶴と雪のイメージがとてもきれいね」


 金糸はとてもデリケートなので毎日に織れる長さはとても短い。


 それでもつるは僕の三倍ほどのスピードで帯を織っていく。


 やはりつるの織りには特別な美しさを感じさせられる。


 まるで絹以外の糸で織っているように思えるほど美しい。


 帯が長くなっていくほど、つるは痩せ細っていった。


 僕がアルバイトに出る前に、「お前、今日は休みな!」と言っても、


「私、大丈夫だから。バイト頑張ってきてね」と言ってやめようとしない。

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