その9
『一体、どういうことだ・・・・』彼の声は震えていた。
世田谷にあるベテラン演歌歌手、くろぬま健氏の豪邸の居間に通された俺は、彼に報告書を手渡し、そして調査対象だった、大岩洋太郎氏の告白を聞かせた。
報告書を読んだ時点で、彼は不愉快そうにしていたが、録音を聞くと、ピークに達したようである。
『この男がやったと分かっているなら、何故しょっぴいて警察に引き渡さなかった?!』
なじるような口調で俺に問いかける。
『お言葉ですがね』俺は素っ気なく言い、口の端にシナモンスティックを咥えて端を噛んだ。
『私はただ”誰が貴方を脅迫しているか”を突き止めてくれと依頼されただけで、逮捕してくれなんてリクエストはありませんでしたけれどね』俺は一本目を齧り尽くし、二本目を取り出して咥えた。
『よしんば彼を警察に連れて行ったところで無駄でしょう。警察だって事件性なしと判断するのが関の山でしょうな。それに貴方は被害届を出していない。どうです?』
彼は歯ぎしりをし、黙り込んだ。
『・・・・とにかく、契約違反だぞ・・・・』絞るような声を出して、くろぬまは俺を睨みつける。
俺は何も言わず、着手金として貰っていた金を銀行の封筒に入れたまま、彼の前に放り出す。
『どうもご不満のようですな。仕方がない。
彼はまた何か言おうとしたが、言葉を呑み込み、封筒を懐に収める。
それじゃこれで、俺は唇の端のシナモンスティックを揺らしながら、趣味の悪い大豪邸を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それっきりだ。
ええ?
”面白くないな”だと?
当り前だ。
現実の探偵稼業なんてのは、こんなもんさ。
血沸き肉躍る冒険活劇は、映画やバイオレンス小説や劇画の中だけにしか起こらない。
まあ・・・・仕方がないな。
特別大サーヴィスだ。感謝しろよ。
大岩洋太郎氏は、あの
つまりは”くろぬま健氏を脅迫したのは自分だ”という事と、彼の一方的な逆恨みが原因だったということをね。
警察の方も一応の取り調べはしたものの、当たり前だが具体的な証拠が何一つないため、書類を検察庁に送る事すら出来なかった。
一応くろぬま氏にも任意の事情聴取がかかったが、彼は、
”脅迫など受けていない。自分には一切身に覚えがない”と答えただけで、それ以上の協力は拒否した。
警視庁だって、一応彼と”恐い社会”のつながりについては薄々は知っていた。
彼の金がそうした社会の”シノギ”とやらの一部になっていたのも、感づいてはいたんだろう。
しかし曲がりなりにも民主警察だ。
証拠がなけりゃ”ちょっとこい”としょっ引くわけにもゆくまい。
そんなわけだから、こちらも何も起こらなかった。
だから彼は今でもテレビでのうのうとド派手な着物やタキシード姿を晒してド演歌をきかせている。
聞くところによれば、最近久々の新曲が大ヒットを飛ばしたそうな。
ま、俺には関係ないがね。
”ちっともすっきりしてないじゃないか”って?
ああ、そうかよ。
終わり
*)この物語はフィクションです。登場人物、その他全ては作者の想像の産物であります。
泥だらけのお宝 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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