中華後宮ものというと、往々にして女性陣のつばぜり合いというか、なかなかに重たい権謀術数が巡らされているものだ。
しかし、この物語には笑顔が満ちている。
やりとりをよく見れば、もちろん政争のそれがあるし、起きていることは恐ろしくもある。
けれど、主人公がその場にいるだけで、じつに読者は楽しい気分になれるのだ。
それは勘違いだったり、あるいは主人公の意志が裏目に出てのものなのだが、それがすべてよい方向に向かう。
思わず笑ってしまうぐらいに、コミカルな行き違いは、本当に楽しくて仕方がない。
話は明朗でわかりやすく、終わり方は気持ちがいい。
きっと愉快な気分になれること請け合いの物語、最初だけがシリアスだが……どうか是非とも、ご覧あれ!
もっと早くに知ってもっと宣伝したかった。
小野不由美さんの『十二国記』が道を拓き、酒見賢一さんの『後宮小説』(アニメ化タイトル『雲のように風のように』)や雪乃紗衣さんの『彩雲国物語』で
「中華風のファンタジーもイケるじゃないか!」
と読み手も書き手も気づいた(笑)このジャンル。
とはいえ。東洋史由来の設定や登場人物の名前や国名の取り扱いには、相応の『バランス感覚』が必要になる。凝りすぎれば難解になり、適当にすれば世界観がうすっぺらくなる。たとえば教科書にのってる『山月記』。あんなに難しい漢語が出てくるのに楽しく読めて読後感がいいのは、漢文のエッセンスが必要十分かつ最低限に絞られていて、主題を邪魔しないから。
どのへんを厚くしてどの辺を薄く。どこを深くしてどこを浅く。
漢文漢語は要所でハマれば物凄くかっこいい。これは「だいたい中世ヨーロッパ風」ですむゲーム由来のファンタジーにはマネのできない強み。
作中に登場する設定は宦官や科挙など実在のものや書画関係の小ネタ、道教・方術の知識を組み込んで『実在感』(リアリティ)を補強しながら、「本事詩」「伝灯禄」「楽昌の鏡」というオリジナルの設定もよく練られていて、いかもありそうなオリジナルの勅撰詞華集(かな?)や高僧伝(かも?)になっている。この名づけのセンスもすごい。
爽快感のある王道の筋立ての周囲を、手抜かりなくきっちり作り込んできてるのが世界観の確立に一役買っていて、それでいて読み手の足を止めないように情報量を絞ってコメディとして楽しめる様になっているなど、読んでいて気持ちいい。
もうそろそろクライマックス。
この物語がどのように閉じて、次の物語がどのように開幕するのか?
今から楽しみでしょうがない。