2 夕奈の思い出 死にたがりの少女と赤いマフラー

 

 高校生の頃、私には一人の友人がいた。


 その子はビジュアル系バンドが好きで、体重は40キロを切っていて、いつもヘラヘラした顔で、ヨロヨロしながら学校に通っていた。


 彼女は真っ赤なヴィヴィアンウエストウッドのマフラーをよく巻いていたっけ。

 年上の彼氏に貰ったのだと、自慢していた。

 彼女がいつも履いていた刺繍入りの靴下も、ヴィヴィアンウエストウッドだった。それは自分で買ったものらしかった。

 

 彼女は高校生がやってはいけないようなバイトをしていた。若さと美しさをお金に変えていた。


 そうして毎週末になると、自作のドレスを着て、大好きなビジュアル系バンドのライブへと出かけて行った。

 早く東京へ出たい、東京で暮らしたいとよく言っていた。


 高校を卒業した後、自然と彼女とは連絡をとらなくなった。

 どこで何をしているのか、本当は興味があったけれど、なんとなく自分から連絡する勇気がなかった。


 あれから七年の月日が流れた。

 私は社会人だし、周りの友人も結婚し始めている。


 久々に地元に帰った私は、小規模な同窓会に出席した。

 そして知った。

 彼女がもう、四年も前に亡くなっていたのだということを。





◇◇◇◇◇◇




「何ていうバンドだったんだろう……」


 ぽつりと、そんな独り言が口から漏れた。

 仕事帰り。私はいつも歩いている交通量の多い表通りを歩く気分になれなくて、今日は初めて一本裏の通りを歩きながら駅に向かっている。

 なんだか駅に着きたくない。ぶらぶらと、だらだらと、いつまでも一人で時間を潰していたいような、そんな気分だ。


 彼女の死を知ったときは、とてもショックだった。彼女とは子供の頃同じ幼稚園に通っていたという縁もあって、高校生の頃、毎朝一緒に登校していた時期があった。

 悲しくなったし、信じられないと思ったし、なぜ早いうちに自分から連絡をとらなかったのだろうと考えたりした。


 でも七年も連絡を取り合わなかった上、彼女が亡くなっていたことにさえ、四年も気づかなかったなんて。

 そんなのもう、ほとんど他人、みたいなもんだよな。

 それなのに悲しんでいる自分のことを、偽善的だなとも感じる。


 ともかくそれから、彼女のことを思い返すようになった。

 あの時、ああだったな、こうだったなと。


 そういう状態になって、一週間程たつ。


「えーっと、ヴォーカルの男の人が女装してて、あの子が好きだったのは……なんとか様っていつも言ってたな」


 もう彼女と一緒にいたのは七年から十年も前のことだし、正直言って私は彼女の話をろくに聞いていなかった。

 いや、それは特別に彼女に興味がなかったからではないのだ。私は基本的に、人の話はろくに聞いていない。


 なんとか様。駄目だ、全然わからない。こんなに何も思い出せないのでは、ネットで検索することさえも出来ないな。


 ふぅ、と息を吐き、空を見上げる。

 なんか、嫌なのだ。


 彼女が死んでしまったなんて、とても悲しいのに、涙が出てこないことが嫌なのだ。


 彼女は確かに私の青春の一部で、私の記憶の中で大切な存在の一人だった。

 だけど、もうその彼女との記憶も今となっては朧げなのだ。

 だから、感情も靄がかかってしまっているのか、喉の奥に突っかかったように、何かが表に出てこない。


 憂鬱な気持ちで歩き続けていたら、道の先にインド雑貨屋みたいなものが見えて来た。


「え、こんなところにインド雑貨のお店あったの?」


 私は無類の雑貨好きだ。おかしいなあ。今まで駅周辺の雑貨屋を検索したときに、インド雑貨屋なんて出てきたことはなかったと思うのだけれど。


 興味を惹かれながら近づいていき、とうとう店の前まで来た。

 古びた木造の建物の入り口にはインドっぽい置物が置かれていて、その上に大きな看板が取り付けられている。


「チャイ専門店・チャイドリーム」


 ……チャイ専門店? なんだ、インド雑貨屋じゃなかったのか。

 しかし珍しいなあ。チャイの専門店だなんて。


 お店の窓から中を覗こうとしたけれど、すりガラスだからあまりよく見えない。

 

「なんか暗いけど、やってるのかなあ?」


 すごく入るのに勇気がいる。でも真っ暗というわけではなく灯りがついている感じはあるし、多分、営業中だろう。

 思い切って、私は入り口の扉を開いた。



 


◇◇◇◇◇◇



「いらしゃいマセ」


「わっ」


 薄暗い店の奥から、とつぜんターバンを巻いたインド人が出て来たので、思わずびっくりして声をあげてしまった。

 どうやらこの人、店員さんだったらしい。


「一名様ネ、奥ドゾ」


 そう言って彼が歩き出したので、私もその後について行く。

 ふと天井を見上げると、小さな星型のランプが無数に散りばめられている。まるで星空みたいに。


 このお店の席はどの席も、木製のパーテーションで覆われていて、席が見えないようになっている。

 チャイ専門店だけあって、チャイの味だけに集中してほしいという店主のこだわりなのかもしれない。


 私が席に着くと、店員さんはメニューを開いて渡してくれた。


「おすすめは、ドリームチャイね」

「そうなんですね……」

 

 ぱっとメニューを見渡したけれど、どれがどんな味だが全く想像がつかないメニュー名ばかりだ。

 ○○チャイ、△△チャイ……。チャイ以外のメニューはない。


 だったら初めて来たんだし、そのおすすめのチャイをいただこうじゃないか。


「じゃあ、そのドリームチャイを、お願いできます?」


 私はそう言ってメニュー表を閉じ、店員さんに手渡した。


「ドリームチャイ、了解ネ」


 店員さんはメニュー表を持って去って行った。



 それから程なくして、ドリームチャイが来た。

 ザラザラとした触り心地の、小さな鉢みたいな器。めずらしい器だなあ。本場インドのものなのかな。

 チャイの表面は白く泡立っていて、スパイスの粉が浮き上がっている。


「いい香り」


 一通りスパイスの香りを楽しんでから、チャイを一口。


「美味しい……。こんなチャイ、初めて飲んだ。すごっ……」


 思わず感動で涙がこぼれそうな程に美味しいチャイだ。濃厚で、香高くて、奥深くて……。

 ここ、今度絶対に友達を連れて来なくちゃな……。そう考えながら、もう一口。


 はあ、身体が温まるなあ。もう一口、もう一口。


 そうしてどのくらい飲んだ頃だろうか。

 私は激しい眠気に襲われて、テーブルの上に倒れるように突っ伏した。





◇◇◇◇◇◇





「夕奈(ゆな)ちゃん、おはよー」


 声をかけられ、私は振り向く。

 そこには同級生の美玖(みく)が立っている。


「美玖ちゃん、おはよ」


 美玖ちゃんはフフフ、といつものように笑った。駅の駐輪場はコンクリートの打ちっぱなしだからか、声は反響するし、空気が冷えきっている。美玖ちゃんの笑い声はこだまして、白い息がふわっと昇った。

 彼女は今日も、彼氏に貰ったという真っ赤なヴィヴィアンウエストウッドのマフラーをしている。


「夕奈ちゃんが好きっていってたアーティストが昨日、テレビに出てたよ。でもどこがいいのか全然わかんなかった」


 そう言いながら、美玖ちゃんは自転車にかけてあるチェーンを外し始める。


 彼女はいつも、こういうことを言う。友達だとしても良い事ばっかり言わないっていうか、率直っていうか。ダサいだの、センスが悪いだの、相手との関係性が悪くなりそうな事でも冗談のような雰囲気ではなく、グサっと刺す感じに言ってくるのだ。


「歌詞がいいんだよ、歌詞が」


 私はそう答えながら、自転車の向きを変えた。今日も遅刻しそうだから、早く行かなくちゃ。


 大体、そんなこと言うんなら私だって美玖ちゃんの好きなビジュアル系バンドの良さは全くわからない。どうしてそこまで熱中できるんだろう。まだ高校生なのに、危ないバイトまでして稼いだお金で追っかけをするなんて。


 だけど私は、そういうことは言わない。なんか、言う気が起きない。


「へえ~、歌詞がいいんだ? じゃあちょっと歌ってみてよ」


 馬鹿にした口ぶりで、美玖ちゃんはそう言った。さすがに、ちょっとムカつく。


 私はその好きなアーティストの歌の中でも特に好きな歌を口ずさんだ。


「え、なんでそんな喋るような感じなの? 早口で聞き取れなかったんだけど」


 肩を震わせて笑いながら、美玖ちゃんがそう言う。私はキレ気味に答えた。


「ラップなんだよっ!」





 それから私たちは駐輪場を出て、学校に向かって自転車を走らせる。

 はあ、すっごく寒い。すっごく寒いのにスカートをわざわざたくし上げて短くして履いているもんだから、もう太ももがチクチク針で刺されるみたいに痛む。


「それでね~、そのユーナ様がねー、すっごい面白かったの、ふふふふふ……」


 隣を並走する美玖ちゃんが、また好きなバンドの話をしながら笑っている。

 正直、風でほとんど聞き取れない。

 でもまあいっか。なんか楽しそうだなーとか思いながら、私は適当に「ふぅん」と相づちを打つ。

 ユーナ様という名前は美玖ちゃんの話に頻繁に出てくる。好きなバンドのボーカルらしい。

 私の名前と似ているから、私の話をされているのかバンドの話をしているのか、たまにわからなくなるんだよな。


 信号が赤になって、私たちは自転車を止めた。私は時計をチェックする。このペースなら、今日はどうにか間に合いそうだ。


「ねえ、見て、夕奈ちゃん……」


 そう言って美玖ちゃんは制服の袖をめくって見せた。


「またリスカしちゃった。ふふふふふふ……」


 彼女の腕は、日々繰り返すリスカによって傷だらけになっている。リスカ跡はかさぶたで赤黒い。

 美玖ちゃんは赤い色が好きなのかもしれないと私は思った。マフラーも赤いし、リスカ跡も赤いし。


 彼女にリスカした腕を見せられたことは前にもあった。でも私はなんて答えていいかわからなくて「うん」と答えた。

 本当は「そんなことやめなよ」と言ったほうがいいのかな。

 よく他の友達が彼女にそう言っているのを耳にする。でもなんとなく、私はそういう言葉をかける気にならない。

 「病院に行ったほうがいいよ」って言うこともできない。美玖ちゃんは既に、精神科に通っているし。

 

 私だって正直言って、結構死にたいと思っている。

 

 今通っている学校は嫌いだ。進学校の女子高で、くそ真面目でいい子ちゃんな意見を言う生徒ばかり。教室にいると息が詰まりそうで、休み時間になるといつも一人ベランダに出てヘッドホンで音楽を聴いてやり過ごしている。

 

 先生は一流大学への進学率ばかりを気にしているし、成績の良い子はちやほやして、成績の悪い子のことは「あなたのような生徒がいて残念です」とみんなの前で公開処刑して以上終了。

 そんなに勉強の成績だけが大事なのかな。中学生の頃までは、どちらかと言うと勉強することも授業をうけることも好きだったけれど、高校生になってから、どちらも嫌いになった。


 本当は芸術コースのある高校に通いたかったけれど、親が許してくれなかった。そのことで親との関係もイマイチだ。


親は親で、成績の落ちた私に失望しているみたいだし。だから家にも居場所がなくて、自分の部屋にばかり篭っている。


 


 そのせいだろう。美玖ちゃんのリスカ跡を見ても、死にたいんだろうな、としか思わない。

 

 私にとって、死にたいという気持ちは普通であり自然だ。


 むしろこの世に生きている人で死にたいと思っていない人が多い状況が不思議だ。


 自分の感覚でいけば全員死にたいはずなのに、死にたくない人が多いなんて信じられない。


 

 日々そう思って生きているのだ。

 だから「そういうことやめなよ」なんて、心にもないことは言えない。

 でも「わかるわかる死にたいよねー、今度一緒に死ぬ?」などと言ってはいけないことも、もちろんわかっている。


 死ぬ勇気があるなら美玖ちゃんも私も、既に死んでいるだろうし。


 信号が青になって、私たちはまた自転車のペダルをこぎ始める。


 私たちはいつだって、大して内容のある会話はしない。

 ただ一緒に時間を過ごしているだけ。


 学校の駐輪場についたら、美玖ちゃんが言った。


「なんかさー、夕奈ちゃんって何言っても反応薄いよねー」


「そう……」


 私はその言葉にも、何の言葉も用意できなかった。

 確かに反応薄いだろうし。


 心にもないことは言いたくないけれど、人を傷つけることも言いたくないし。



 本当は、ホストの彼氏と付き合うのも、年齢誤魔化してイメクラで働くのも、やめたほうがいいんじゃない。

 でも死にたいくらい辛いから、ホストの彼氏とイメクラで稼げるお金に頼らないと、生きていけないんだよね。


 そうわかっているから、今日も私は何も言えない。

 今日も、明日も、明後日も。


 美玖ちゃんは私を見かけても声をかけてこなくなった。

 私も合わせるように、彼女に声をかけなくなった。


 そうして、次第に美玖ちゃんと私は一緒に登校しなくなっていった。

 美玖ちゃんは学校に来ない日が増えた。

 

 彼女がどういう進路を選んだのかも知らないまま、私は高校を卒業した。



 そして何も言えないまま、七年の時が過ぎた。


「夕奈ちゃん、もう死にたい気持ちじゃないんだね」


 赤いマフラーをした美玖ちゃんが、駐輪場の自転車のチェーンを外しながら、私にそう声をかける。


「環境が変わって、色んな事を経験して、考え方が変わったみたい」


 自転車の向きを変えながら、私はそう答える。


「夕奈ちゃんって全然ロックじゃないね」


 彼女のほうを振り向いて、私は言った。


「確かに私はロックじゃないのかもしれない。美玖ちゃんの人生はロックだったよ。あの後東京に出て、好きなバンドの作詞をして、メイド喫茶で働いてたんだってね。……自分のやりたいことをやって、本当にロックな人生だったね」


「初めて褒めてくれたね」


 そう言って、美玖ちゃんは笑った。ふふふと笑いながら、白い靄みたいになって、消え始めた。

 そんな彼女に私は言った。


「でもね、生きていればよかったのにって思うこともあるんだよ。美玖ちゃんが大好きだった漫画、美玖ちゃんが亡くなった後にアニメ化されてすごい人気が出たんだから……」


 私の声は、彼女には届かなかった。

 そして駐輪場も自転車も、何もかもが靄になって消えていった。




◇◇◇◇◇◇



「…………っ」


 はっとして顔をあげる。私、いつの間に眠ってしまっていたんだろう。

 すごくリアルな夢だった。

 高校生の頃の時間がそのまま蘇ったみたいに、匂いも気温も感情も、あのときそのものだった。


 そして、自分がボタボタと涙を流していることに気づいた。


「あっ……れ」


 私、泣いてる。今まで泣けなかったのに。


 そしてそのまま、私は声を殺して、身体を震わせて泣き続けた。

 木のパーテーションに囲われた奥の席で本当に良かったと思った。

 

 世の中、簡単じゃない。白か黒かじゃないし、間違いと正解の区別も難しい。


 だから私は何も言えなかった。今も私は、何も言えない癖が抜けていない。



 ただ、確かなことがある。

 私はあの頃確かに美玖ちゃんの隣で、彼女とどこか同じ気持ちで生きていた。

 

 そして私はできれば、彼女には生きていてほしかった。

 またふらっと彼女に会って、他愛もない話をしたかったんだ。





 会計を済ませ、店を出る。


「またおいで下サイ」


 ターバンを巻いたインド人の店員さんにそう声をかけられ、私は答えた。


「ありがとうございます。また来ます」




 星空を見上げながら、私は駅に向かって歩き始めた。

 夢を見て泣いたおかげか、気持ちの整理がついて、少しスッキリした気がする。


 私は美玖ちゃんのことをずっと忘れないだろう。宇宙の星々が、常にそこに在り続けるように。

 そして星は夜空を巡り、また私の頭上に姿を現す。

 きっとそんな風に、私は美玖ちゃんの記憶を持ったまま、いつか死ぬその日まで生き続けるだろう。

 


 あっ。そう言えば、なんとか様って、ユーナ様だったんだ。私と名前が似ているのに顔は全然違うから、美玖ちゃんがよく茶化してきたんだよな。

 ちょっと検索してみるか。ユーナ様、ユーナ様……。

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チャイ専門店チャイドリーム ~あなたの見たい夢、お見せします~ 猫田パナ @nekotapana

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