第4話「頃中」

「お疲れさま。今日の仕事はここまで。せっかくのホテルなのに、何もできなくて残念ね♪」


「まあ、仕事だしな」



 からかったつもりなのだろうが、俺にはそうは見えなかった。どうしても、悲しそうな顔に見える。儚さが似合う悲しみのない哀しい表情を見る度、胸が締め付けられてしまう。なぜだ。何だ。すべてを諦めたこの表情は。感情は。人工知能に感情はあるかと聞かれれば、今だけはイエスだ。



「ミサ。この小説って――」


「あら、どうしたの」


「いや、あの子の最後のお願いでね。この作者にお礼を言ってくれと。死にたくなる世界に生まれてきてしまったけど、この本に会えたことだけは生きていて良かったと思ったそうだよ」


「そう。それなら、その夢は既に叶ったじゃない。良かったね」



 今度の笑顔は可憐だった。とても可愛らしい。



「? 何か、知ってるのか?」   


「? 何をかしら」


「その、作者とか。ミサはこの本、知ってるの?」


「ええ、とてもよく知ってるわ。私が書いたわけじゃないし、彼に何か言った訳じゃないけど、ずっと見守っていたから良く知っているわよ」



 やはり、俺が書いたのか。



「そうよ。あなたが書いたの」



 このペンネームは俺のモノだ。しかし、こんな本は出した覚えがない。そもそもデビューできた記憶もない。身に、覚えがない。



「まあ、ここにいるあなたではないけど」


「おれでは、ない」


「そう。これを書いたのは別の世界のあなた。例えば世界Aとかにしましょうか。世界線Aの恒くん。それはもちろんそこに元々いた恒ではなく、世界線Bの恒が望んだこと。望んだ世界。世界線Bの恒はあなたのような殺し屋によって殺されることを望んだ。過去に戻ってやり直したかったのね。何をって、あなたなら自分のことだから分かると思うけど、夢をかなえるためよ。小説家になりたかったから、時間があって本気で目指していた大学生時代に戻った。そして、見事ある大きな新人賞を受賞してデビュー。その作品がそれ。『頃中』。面白いタイトルよね。まるで言葉遊び見たい」



「それは本当なんだな。それは……」



 詰まる。



「ええ、もちろん」



 肯定。



 俺ではない自分がここに、この世界にいる? この本が、何よりの証拠だ? でも、俺のペンネームは誰かに真似されるようなものじゃない。平凡だけど、普通じゃない。帯には身に覚えのない賞を受賞したらしかった。憧れていた、あの。



「これは、自分じゃないけど、間違いなく俺の作品だ」



 俺は、今ここにいるけど、だけど俺はもう、俺ではないのか。自分ではないのか。じゃあ、誰だ?……何だ?



「あなたはもう、戻れなくなったのよ」



 ミサが悲哀に満ちていた理由が、ようやく分かってきた。



「それは……」



 もはや言葉が続かない。夢が叶った現実を夢として見せられている。そして、それは俺のことだけど自分ではない。なぜそうなったのか。思い当たる節ならある。思い当たってしまう。


「この仕組みを支えている、成り立たせているのが閻魔様、現世のお地蔵さまだって話は、出会った頃にしたわよね?」


「ああ」


「閻魔様はヒンドゥー教における冥界の主様。生前の罪を裁かれるお方。鏡の話とかは有名だと思うから省くけど、それを可能にしているのは現世で化身である地蔵菩薩があるため。お地蔵さまがいつも見ているのよ、現世(ここ)で何をしているのか。どうやって生きているのか。何をしてきたのか。これから何をするのか。全部」



 地獄の主。生前の罪を裁く者。



「もうわかっていると思うけど、恒君は、あなたは既に生を終えているの。自分で殺めたでしょ。自分を」



 ああ、そうだ。マンションの屋上から飛び降りた。



「自分で自分の命を殺める。自分を殺す。死を持って終わらせようとしたんだから、身勝手も良いところよ。この世界のこと何もわかってない。自分のことも理解してない。自分を殺せば社会ではやっていけると勘違いしてる。社会で働いているのに、そんなことも知らない。本当何してたの、今まで」



 何してたのか。いや、酷い言われようだ。だけど、返す言葉はまるでない。反論できない。その通りだったから。何してたんだろうな、今まで。



「いい? 自分で自分を殺せば、それは自分自身の存在そのものを失う事なのよ。何か、他の要因で人は死ぬものなのに、それを拒絶する行為。天寿全う、病気、災害、事件、事故。死は生を終える事だけど、自殺はそうじゃない。生を失うことなの。ねえ、私、怒ってるからね?」



 彼女がなぜそこまで感情的になるのか。それは命に携わっているからだ。関わっているからだ。生き死にを見届けて、見定める。ヒトが見ていなくても、彼女は見ている。



「あなたが取るべき選択肢は二つ。このまま暗殺者、悪魔となって特定の自殺者を他の世界に送る。条件とかはこれから教えていくから安心して。もう一つは何もしない。何もしなければ、存在意義がなければ消えるだけ。あなたは自分の存在証明を既に失っているのだから、他で証明しないと。他の何かによって証明してもらわないと」



 それは自分ではできない。自分で証明してもそれはただの慰め。大げさに言えば世界に認めてもらえなければいけない。




「……取り敢えず、続ける。辞めることはいつでも出来るしな。辞めさせられるかもしれないけど」



「そう。案外即答なのね」




 どんなに酷い世界でも。どれほど悲観と絶望しか蔓延らない環境でも。自ら己を殺めた者に救いはない。生を受けた時点で、それに抗い続けるしかないのだ。それが生き物。生きている者。死を得た今、生を失った今だけ分かる。


 死にたいときは誰かに分かってほしいと同時に思ってしまうのは、最後ぐらい我儘をと言うことなんだろうけど、それは究極のエゴであることをすぐに悟らせる。生きてはいたいが、こんな世界・環境では生きていたくない。それが、すべてだ。だからこそ、その代償は死なんかじゃ到底支払えない。



 いや、もう、遅いんだけどな。本当に。



 それからミサに促されるようにして、俺はようやく少女の座っていたところに腰かけた。



「仕事があるだけ、ありがたいよ」



 頃中。過去を駆けた俺が書いたこの小説は、この世で生きることをあきらめた一人に何かを与えたのだという。仕事は終わったのだ。俺のデビュー作を読むぐらいの時間ぐらいはあるだろう。そう思って、紙の表紙をめくって、一ページ目を探した。

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コロナカ 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima

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