第壱話 ロゼ・ヘイズ
「―――っ」
彼女の意識が微かに浮上したのを、その隊員は見逃さなかった。
ロゼの髪色が変化したことで、とある貴族の要人として階級ある隊員に任せていたのだが、その時いたのは副隊長のリオ・ペタロと18位のルティス・アステルだった。
「り、リオ副隊長、反応が…!」
「えっ?」
リオは黄色の瞳を瞬かせ水色のショートカットをわしゃわしゃと掻きむしる。
「えっと、ええっと…!ルティス隊員、この場はちょっと任せるます!私は隊長を呼んでくるわね!」
「えぇっ!?」
伏せっている者の前で大声を上げてはいけないとルティスは口を押さえたが、リオは慌ただしく扉を開けて出て行ってしまう。
どうしたものかと、とりあえず恐る恐る薄紅の瞳をロゼへと向ける。
「う…うぅ…」
勝気な瞳とは裏腹に、情けない顔をして端正な顔を見ていると、突然開かれた目がぱちりと合った。
「……――き、ぃ―――っ」
澄んだ空色の瞳が苦しそうに細められ、かすれた声が途中で消える。
「あっま、まだ暫くじっとしてください…!何か月も眠っていたのですから…」
虚ろな瞳が再びゆっくりと開かれ、ふわりと細められる。
「え…」
ルティスが声を掛ける前に、また慌ただしく扉が開かれた。
リオと共に同時に入ってきたのはリリアだ。彼女は落ち着いた表情でロゼを覗き込みルティスに尋ねる。
「どんな様子でしたか?」
「はいっ!えぇ…何だか、悲しそう…でした。」
リリアは眉を少し寄せ、俯く。
「―――そうですか。少しですが意識はあったようですね。またすぐ目覚めるでしょうから、その時にはこれを半分に薄めて飲ませてください。リオ、あなたは急患の手当てを。」
「はいです!」
しかしすぐに手に持っていた小瓶をルティスに預けると、そのままリオを連れて下がっていった。
「えぇ…!」
残されてしまったルティスはしばらく室内をうろついたが、結局椅子に座りロゼの目覚めを待った。
「はあ…」
人知れず大きなため息をついて、ルティスはまたロゼへ視線を向ける。
その綺麗な顔立ちは、きっと一度見たら忘れないだろうに、彼女の頭にロゼの情報は入っていない。
ルティスはノエルの年の離れた妹だった。父母は若くして病で亡くしたため、乳母に預けられて育ったから兄とは折り合いが悪く、貴族社会とは無縁に自由気ままに育ってしまったから疎まれているだろうと自分で思っている。兄であるノエルはたったひとり、祖父の跡を、戦闘部隊隊長とアステル家の家督を継いでいる。
「兄様ならば…この方をご存じなのだろうか…」
似ているところと言えば、少し吊り上がったこの目と黒い髪くらいだ。
「――ぅ……」
小さな呻きにいち早く反応してゆっくりと彼女の肩に触れる。
「失礼します。…お目覚めですか?聞こえますか?」
震えるまぶたがゆっくりと持ち上がり、再び空色の瞳と視線が交差する。彼女は口を開いて閉じる。返事をしたいのだろうが、うまく声が出せないらしい。そんな彼女の背中に手を差し入れ、優しく上体を起こしてやる。
「何か月も眠っていたので、まだ魔力が安定していないのでしょう。これを。」
ルティスが水で薄めたリリアの薬をそっと口元へ持って行くと、少しずつ飲んでくれた。これで少しは楽になるだろう。
「まだ完全回復には時間が掛かると思うので―――」
「―――いいや、もう良いよ。ありがとう。」
「えっ!!?」
流れるように出た言葉に、ルティスは驚嘆の声を上げる。
通常、回復に多くの魔力を費やせばそれなりに回復を待たねば声も発せない。リリアの薬を飲んだとしても例外はない。しかし彼女は一瞬で声が出せるまで回復してしまったようだ。それは彼女から溢れる魔力量で理解できる。
「あ、の…あなたさま、は…?」
驚きに声が上擦るルティスに、ロゼは目を細めるだけの薄い笑みを浮かべる。
「シリウス陛下はご健在かな。」
「はい…っ?」
兄が有名なだけあって、ルティスの方もそれなりに顔は知られている。それを無視してシリウスの名を口にするとは、と絶句する。
「と、とりあえずフルール隊長をお呼び致しますので、お待ちください…!」
考えることを一度止め、今できることを口にして深く頭を下げると一目散に退出してリリアを探しに駆け回った。
「あ――――」
怯えさせてしまっただろうか。
ロゼは小さくため息をついてベッドから出る。しかしカクンと膝の力が抜けて驚き、急いでベッド脇のサイドテーブルを掴んだ。そかしそれでは支えきれなかったのか、勢い余って共に倒れ込んでしまった。
「…――っ……」
テーブルにあった花瓶は宙を舞い、ロゼに花びらを落とす。幸い水は掛からず花瓶も割れなかったが、掃除が大変そうだ。
ロゼは花瓶だけでもと、右手を掬うように動かす。花瓶は手の動きに誘われるようにその場に立った。次に両手で顔を煽ぐように動かすと、動かなかったロゼの体が浮き、そのままベッドへ腰かける。ついでにとテーブルも戻し、花瓶も置く。
「失礼します。ロゼさ――――何をしているのですか、あなたは…」
呆れたような声と共にため息をついたリリアが額を片手でおさえた。
「…やぁ、リリア隊長。」
ロゼはまた目元だけの笑みを浮かべて挨拶をする。リリアは慣れたように傍へ寄ると、額に手を片手を当て目を閉じた。
「………正常に回復しているようですね。過回復・魔力共に問題ありません。」
時折、魔力が体の傷を癒そうと度を超して回復させてしまい体組織が崩壊することがある。魔力の流れを体越しに確認することでそういった内部の動きを読むことができるのだ。
リリアは扉付近で控えていたルティスに告げる。
「少し外して大丈夫ですよ。休憩に行ってください。」
「あ、はい。ありがとうございます。失礼致します…」
後ろ髪を引かれるようにルティスは扉を閉め、大きく息をついた。
「……それで、私はどのくらい目覚めなかった?陛下は?戦況はどうなっている?」
矢継ぎ早に出る質問に、リリアは苦笑する。それに気付いたロゼは声を詰まらせて一番気にしていることを尋ねる。
「…どれほど時が経った?」
くしゃり、と目に掛かった髪を撫で上げる。
その変化に気付いたロゼはすぐに自分の髪を手に取り眉を寄せた。
「…私は、死にかけたのか…。この姿、皆に見られたか?」
両手で頭を抱え、俯く。
リリアは椅子に腰かけ静かにその問いに答えた。
「陛下とエスクード隊長、私を始め治癒部隊の隊員数名は見ました。」
「陛下に見られたのならもう、意味は無いな…。…ん?エスクード?」
少し顔を上げて首をかしげると、リリアはくすっと微笑んで頷く。
「ルツァリ・ファロ・エスクード。国内戦闘部隊隊長ですよ。」
ロゼの脳内に、まだ幼い赤い瞳と白い髪の子供が思い浮かぶ。
しっかりと顔を上げてリリアを見る。そして、同じ質問をもう一度繰り返した。
「……私は…――どれほど、時が経った?」
「――およそ、500年です。」
「500…」
ロゼは小さくその数字を繰り返して、また俯く。
「…君は、変わらないな。」
「獣人型の上級魔獣族ですから。」
「……そうか。」
獣人型の上級魔獣族は人型とは違い、見た目の年齢が非常に分かりづらい。成長期を終えるのが早く、老いるまでが長い。人型も一定の年齢を超せば老いるが、獣人型と比べればその差は大きい。
「…じゃあ、もう争いは終わったか。」
「ええ。あなたのおかげで陛下も無事回復されました。魔王国の伝説ですよ。」
「…陛下が無事なら何よりだよ。」
冗談めかしてリリアが言うがロゼは皮肉に鼻で笑った。
リリアは一度口を閉じ、いつもの柔和な笑みを浮かべて言う。
「私は今、治癒部隊の隊長をしています。あなたが目覚めたことは副隊長以下非公開ですので、今後のことは追って決められるかと。…それでは、しばらく寝ていてくださいね。」
パタリ、と扉が閉じられた瞬間、薄い膜のようなものを部屋の周囲に感じた。
出入りする者を感知する結界だ。間違っても出て行くなという意味だろう。
ロゼは何度目かのため息を吐いて大人しくベッドに横になる。
「あれが、隊長か…」
先程名前の出た子供を想像する。もう一人はどうしているのか、聞けなかったなと目を閉じる。
500年目覚めなかったと言われても不思議ではなかった。
彼女は確かに、術者と対峙しているのだから。
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