第弐話 伝説の源
ロゼ・ヘイズの生還が確認されるとすぐに全隊長にそのことが知らされた。それにより更に術者の生存が濃厚となるからだ。
一層緊張が高まる中、表向きには大して変わらない。それは必要以上に警戒をされないようにするためと、魔王国の守護に絶対的な自信があるからだ。何が起きようと最低限の被害で食い止めるという固い信念がある。
またロゼの生存を公開すると救護施設に被害が及ぶかもしれないからと、目覚めた後でも副隊長以下非公開と厳命されている。
しかし噂とはどうあっても煙のように静かに広がるもので、それは対外戦闘部隊の元隊員にまで届いてしまった。魔族の寿命は魔力で決まる。シリウスや隊長・副隊長レベルの魔力でなければ階級を持つ隊員で生きていても、かなりの高齢になっていた。
「…ヘイズ隊長が…生きている…?」
前線で傷を負い隊を離れるしかなかったその隊員は、霞んだ眼を見開いて孫の言葉に返事をした。
「いや、噂だから分からないんだけど…前にヴェストゲートが騒がしかったろ?その時にらしき人がみつかったって…でもただの噂だよ、じいちゃん。」
ただの噂にしてはたちが悪い、と彼は重い体を起こして杖を手に取った。もう完全な人型を保てないくらいに魔力が衰えていて、狸の獣人である彼の頬と手にはひげと毛が生え、獣の耳と尻尾も出ている。
「行くぞ、サンボ。散っていった同士の為にも、わしはこの目で確かめねばならん…!」
「いやじいちゃん!行くってどこへ――」
「治癒部隊じゃ。わししかもう居らんだろう。」
高齢でふらつく足元で行くと言うのか。孫はその狂信的な姿に呆気にとられたが、放ってはおけないとすぐに後を追う。
「待ってよ俺も行くって!!」
サンボは幼い頃見た勇敢な祖父の背に憧れて魔王部隊へ入ったのだ。今いる部隊は国境警備隊だが、そこで地道に努力し、15位という階級まで上り詰めた。
「サンジェロおじいさん!今日はどうされました?」
父が商いをしている実家からほど近い治癒部隊の八番救護施設へ行くと、にこやかに隊員が話しかけてきた。
「ロゼ・ヘイズ隊長が見つかったとの噂を耳にした。それは本当かの?」
グッと杖を握った彼の額には冷や汗が流れている。サンジェロの過去を知っている隊員は押し黙ってしまった。
「あ…私は、何も知らされていません…それも、おじいさんと同じように噂程度でしょう。分からないです。…ごめんなさい。」
「いやいや!聞いてみたかっただけですから!良いんですよ。…さ、じいちゃんもう行こう。」
申し訳なさそうに頭を下げた隊員にサンボが慌てて言った。しかしサンジェロは昔のように険しい表情で首を振る。
「…本部へ行く。すまんかったな。」
「ちょ、じいちゃん!!」
「フルール隊長に直接問うしかないじゃろう。ひとりで行く。」
「…っ…放っておけるかよ!」
そうして、治癒部隊本部へ足を運ぶこと数時間。治癒部隊の隊員でない限り中を自由に歩き回れないので、待合室に座ったままサンジェロとサンボはじっとリリアを待った。
「隊長はお忙しいんだ、またいつでも出直せば良いだろ?」
「わしは明日をも知れん身だ。悔いの無いよう生きる。それが同士と交わした約束じゃ。」
頑固な祖父を見て、憧れのこもった視線と呆れの混じったため息をこぼす。
「…サンボじゃねぇか?」
掛けられた声に顔を上げて、サンボは勢いよく立ち上がる。
「グリット副隊長!お、おつっお疲れ様です!」
「おう、お疲れ。見舞いか?偉いな。」
ニカッと笑みを浮かべたバーストは、一時期サンボの上司だった。戦闘部隊の討伐班で共に戦ったことがあり、危ないところを幾度も救ってもらった恩人だ。
「い、いえ…その……」
今の状況をサンボは言い辛くなり、言葉が尻すぼみになる。それを見兼ねてか、サンジェロは立ち上がり堂々と言った。
「グリット副隊長とお見受けします。わしはサンボの祖父サンジェロ。ここにロゼ・ヘイズ隊長がいらっしゃるかと思い確認のため参りました。」
体は衰えたが、サンジェロの軍人特有の気迫に、バーストはノエルに叱られる時のように背筋を伸ばす。
「どうもっす…え、ロゼ・ヘイズ隊長…?生きてらっしゃるんすか?」
バーストの返事に、サンジェロはがっくりと肩を落とした。副隊長ともあろう者までロゼのことを知らなければ、やはり噂だったのだろうと。
「………じいちゃん…」
萎れるように座ってしまった祖父に、サンボは眉を下げてその肩を抱くように触れる。
「…あの、知ってるんすか?ロゼ・ヘイズ元隊長のこと。」
バーストがその前にしゃがんで問うと、サンジェロはこっくりと頷いた。
「わしはあの方の部下じゃった…第5位、サンジェロ・マキア…恐らく当時の戦闘部隊で生き残っているのは、わしだけでしょう…」
彼の言葉にバーストは生唾を飲み込むと、更に距離を詰めて言う。
「教えてくれませんか。その時のこと。」
慰められているのか、と情けない気持ちでサンジェロが顔を上げると、予想外に瞳を輝かせたバーストが食い入るようにこちらを見ているのに気付いた。真剣に話を聞きたがっている。その様子にサンジェロは微笑み、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
時はさかのぼり、800年も昔のこと。サンジェロが丁度、サンボの年の時だ。
シリウスが魔王となり国の内部がやっと整って落ち着きのある日々を送っていた時だ。サンジェロの住んでいた地区が強力な
まだ魔王部隊も完全に機能はしておらず、自警団や住民自らが襲撃に対抗していた時分だ。
「くそぉ…!」
若く、魔力も高かった
魔獣の発せられる雷属性の魔力で体が傷付き、麻痺していくのを感じながらも攻撃を止めなかった。
その時に現れたのが、ロゼ率いる戦闘部隊だ。
「よく、耐えた。」
澄んだ清流のような声に全身の力が抜けたサンジェロは、隊員に受け止められて初めて自分が満身創痍なことに気付いた。
ロゼは腰まである灰色の外套をなびかせさっとサンジェロの前に立つと、すっと右手を薙ぎ払った。
それだけで、周囲の魔力の流れが変わる。
ズ―――と下級魔獣の体が引きずられ、街から離される。何が起こっているか理解できていないが、攻撃をされたと下級魔獣は鋭利な爪でこちらに向かってくる。
思わず体が動きかけたサンジェロを押さえ付けた隊員が煩わしそうに舌打ちした。
「黙って見とけ。」
黒髪の男が猫のように鋭い瞳で、自らの隊長の背を見守る。
「――――。」
ロゼが何かを呟くと、家屋の瓦礫がふわりと持ち上がって魔獣へ弾丸のように飛んでいく。圧倒的な力の差にまたもサンジェロは力が抜け、魔獣が動かなくなると同時に叫んでいた。
「俺をあなたの部下にしてくださいッ!!」
傷が痛もうが言わずにはいられなかった。
振り返ったロゼは空色の淡白な瞳を向けて、薄く笑みを浮かべる。
しかしサンジェロを押さえ付けていた隊員がうっとうしそうに言った。
「…アンタみたいな魔力が高いだけの役立たずは御免だ。」
「努力しますッ!!!あなた、みたいな…力を、護れる、力を…どうか…!」
それでも血を吐きながら、動かない体を引きずってどうにか頭を下げる。
「お願い…しますッ!!」
「…アザミ。そいつに治療と稽古を。」
涼やかな声からは感情が読みとれなかったが、稽古の言葉にサンジェロは涙を流した。
「はぁ?本気か、隊長。たかが上級魔獣だぞ。」
アザミと呼ばれた男は嫌そうに顔をしかめたが、その手はサンジェロを癒すための術式を展開している。ロゼはアザミの言葉に応えず、他の隊員に街の片付けや救助を指示する。
そして不格好に倒れたまま傷を癒されているサンジェロの隣に座ると、首をかしげて訊いた。短い黒髪に、一房だけ長い薄紅の髪が揺れた。
「…お前、名は。」
「サンジェロ、マキアと…申します…っ」
「サンジェロ…。サン。」
彼女は何度か名前を呟くと、にこりと形の良い唇に弧を描いた。
「力を与える代わりに、お前はこの地区の絶対守護を誓え。…戦死は、許されない。」
ぞっとするような圧のある言葉に血の気が引く。しかしサンジェロは頷いた。
「その為に私は、強くなりたいのです…!」
ロゼとサンジェロの出会いの話に聞き入っていたバーストとサンボは、滝のように涙を流していた。
「サンボ、お前のじいちゃんかっこいいな…っ」
「そうなんですよう…!」
そして声を潜めてこう付け足す。
「そんでヘイズ隊長はすげぇな…」
「話を聞く限りめちゃくちゃな強さしてますよ…」
サンジェロは微笑んで頷いた。
「ああ。あの方ほど強い者を見たことはない。…多少感情の分かりにくいところはあったが、何かあればすぐに自ら加勢にいらっしゃる、優しい方だ。」
「へぇ…戦闘部隊の隊長って皆分かりにくい性格してるんすかね。」
バーストは悪戯っぽく笑いながら言うと、サンジェロもつられて笑った。しかしすぐに肩を落として視線が下がる。
「じゃが…わしは背中傷を負い、満足に動けず…あの戦に参戦できんかった…。あの方の元で、もっと働きたかった。盾になりたかった…」
悔しそうに震える手を、サンボがそっと包む。サンジェロにとってどれほどロゼの存在が大きかったかを物語っている。きっとサンジェロがサンボにしたように、他の隊員たちもロゼのことを案じながら後世へと話したのだろう。戦の後、ロゼがいなくなってしまってからも、伝説の噂は絶えることがない。
「…そりゃ、噂でも気になっちまうよなぁ…」
バーストが呟き、サンボも頷く。
しかしその日、彼らの前にリリアが現れることはなかった。
次の日も、その次の日も、変わらずサンジェロはリリアを待ち続ける。
そしてもうひと月経つ頃、ようやくリリアがサンジェロの元に訪れた。
「すみません。少し任務で本部を離れていました。いかがいたしましたか?」
柔和な雰囲気でリリアが尋ねる。サンジェロは畏まって挨拶をすると、単刀直入に問うた。
「ロゼ・ヘイズ隊長はいらっしゃるか。」
懇願するような眼差しに、リリアは緑色の目を瞬いた。しかし次の瞬間、柔和な目が冷たく細められる。
「まさか、その噂の真偽を確かめるためだけにここへ?」
リリアから容赦なく発せられる圧に腰が低くなりそうになりつつも、しっかり杖を握り込んでサンジェロは胸を張る。
「はい。そのためだけにこのサンジェロ・マキア、ずっとお待ちしておりました。」
リリアとサンジェロの殺伐とした雰囲気に、リオは慌てふためきながら固唾を飲んで見守る。
先に折れたのは、リリアの方だった。
「…そうですか。ですが残念ながら、それはただの噂です。」
それだけを言うと、リリアは頭を下げて行ってしまった。リオが気遣わしげに何度も振り返っては頭を下げ、リリアの後に続く。
「……―――そうでしたか……」
サンジェロは肩の力を抜き、治癒部隊本部へ来る時よりもずっと重い足で自宅へ帰った。
「じいちゃん!ただいま!今日はどうだった――…」
サンボが帰ってくるなりサンジェロの部屋へ向かうが、小さくなった体を更に丸めてサンジェロはひとり、縁側に座っていた。
「じいちゃん……」
「…サンボ…」
いつもより力の無い声に、サンボは口を閉ざして隣に座った。
「……わしも年を取った。…だがいまだに、戦いのあの緊張感を忘れておらんのじゃよ。」
彼は大きく息を吐き出すと、ゆっくりと体を持ち上げて姿勢を正した。
「…火の無いところに煙は立たんと言う。わしは、信じたい。」
霞んだ目に宿った光が消えていないのを見て、サンボが笑顔になる。
「うん、俺も。信じるじいちゃんを信じてる!」
誰よりも頑固でかっこいい祖父の背中はまだ遠く、たくましく感じた。
戦華 文木-fumiki- @fumiki-30
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