エピローグ 目覚め

「お帰りなさい、副隊長ー。」


 門番との軽い掛け合いの後、十分に息抜きができたと執務室へ向かう手前。懐にあった通信機が震えた。


『エスト地方より紅蓮龍キャハマンが飛来。即刻撃退せよ。』


 簡素な通達だが、最低でも五回は見返した。


紅蓮龍キャハマンって…嘘だろ…」


 エスト地方は戦闘部隊の管轄である強力な魔物が住まう山岳地帯で、その中にエスト・モンターニュ、通称エスト山と呼ばれる一番標高の高い火山がある。そこには火山に好んで生息する超強力な魔物である龍が縄張りとして住んでおり、戦闘部隊でも特にその動向に注意して観察塔を設置しているほどの脅威だ。


 知能は他の魔物より高く寿命もまた長いが、普段は温厚で子が殺されぬ限り気が荒ぶることはない。バーストの記憶でも一番新しい紅蓮龍の活動記録は500年前だ。


 それが何故今の時期に突然活動を始めたのか。


「バースト。何をしている。行くぞ。」


 思考を巡らせていると、颯爽と目の前をノエルが通る。帽子に外套を羽織り正装している。


「既に観察塔とは連絡を取った。今のところ全員無事なようだ。王国内に侵入される前に食い止める。」


 そう言いながらもノエルは魔術で城へ行った時と同じく空間の割れ目、闇門ポルテネブルを出現させる。


 今のところ、全員無事。その言葉にグッと拳を握り、ノエルのすぐ後に続いた。


 観察塔がある場所まで王国内からは遠く、いくら熟練者が闇門ポルテネブルを使ってもたどりつける距離ではない。そのため何度かにわけて移動を行う。闇門の中は時の流れが微妙にズレており、一秒から一分の差が生じる。


 五度目の闇門を通じてようやく観察塔へたどり着いた時には、もう紅蓮龍は目前に迫っていた。


「アステル隊長…!先遣隊が近寄って進行方向を修正しようとしてるんですが、どうにもできず五名中負傷者が二名…!」


「分かった。負傷者を連れすぐに下がれ。」


「はいっ…!!」


 紅蓮龍は気性が荒ぶると全身から高温の炎を吹き出す。今こうして向かってきているだけで熱気がノエルの頬を撫でた。


「バースト。まずは攻撃して注意を向けさせろ。私は壁をつくる。」


「分かりました!」


 魔力が同じ属性のバーストならば、ダメージを与えずに注意を引ける。先に述べたように、他の紅蓮龍を怒らせないためには傷をつけずに撃退するしかないのだ。


「…っし!」


 高温の体表が揺らめいて見える紅蓮龍は煌々と輝き、本で見るより何倍も恐ろしい。

 バーストは気合いを入れ直して愛銃を出現させた。


駁撃エクス・ティリー!」


 まず装甲の堅い肩を撃ち、次いで振り向きざまに顎を狙う。魔物で言えば小石を連続で投げつけているようなものだ。それだけで注意は引ける。しかし動きが早い長い尻尾の攻撃をうまくかわしつつ正確に射撃するのは実戦経験の豊富なバーストですら苦しい。


「こっち向きましたァ!!」


 影残ソンブルを連用しながらノエルと距離を取る。

 完全に注意がバーストに向いた隙を狙って、ノエルは刀を出現させた。


「…氷の断罪グラス・コンデニュー。」


 その声と共に周囲の温度が下がっていく。呼吸を整え両手に冷気漂う刀を握ると、鋭く振り下ろした。


 強大な力の解放と気圧の変化ですさまじい風が吹く。それはバーストの手元まで狂わせたが、紅蓮龍の国への侵攻を止める程度の巨大な壁ができた。紅蓮龍は火の龍であるため、魔力で錬成された溶けない氷には積極的に近寄らないことは分かっている。


「ふぅっ」


 紅蓮龍があっけにとられたように氷の壁を見つめ、注意が逸れたバーストは大きく息をついて汗を拭う。だが次の瞬間、紅蓮龍は予想もできない行動に出た。


 大きな唸り声と共に氷の壁に向かって巨体をぶつけ始めたのだ。


「な…っ!?」


 異常ともいえる行動にノエルが言葉を失ったが、すぐに切り替え、微弱な氷の粒を飛ばす。

 紅蓮龍は気にするように首を振ったが、突進をやめようとはしない。


 亀裂の入った氷の壁のすぐ横に再びノエルが壁をつくる。しかしこれでは消耗戦だ。


「おい、やめろ!!そっちは魔王様の国がある!こっち向け!!」


 バーストがいくら弾丸を打ち込んでみても興味も示さない。


「何故…」


 もしや、術者によって操られているのかもしれない。


 そう思い通信機を手に取ったところで、それを止めるように誰かの手が置かれた。


「間に合ったねぇ…」


 息を切らしながら止めたのは、ファロだった。

 後ろには副隊長である女性上級魔獣族、シャルロット・アマリアがいる。


 不審に思いながらノエルが眉を寄せると、ファロは紅蓮龍に向かって飛び上がった。ノエルのつくった氷の壁の上へ着地して、大きく息を吸い込み叫ぶ。


「おーーーーい!!!!!俺の話を聞いてくれーー!!!!!」


 あろうことか紅蓮龍に向かって話しかけたのだ。


「やめるんだーーー!!!!」


 紅蓮龍は魔物の中では賢いが、人語に触れていなければ意思の疎通はできない。紅蓮龍が懐くという報告は見たことがない。責めるような目をシャルロットに向けるが、彼女は必死に口を引き結んで己の隊長を見つめていた。その表情は不安でいっぱいなのが見て取れる。無意識に鹿のような耳が出てしまっているくらいだ。その心配は相当なものだろう。

 バーストも何事かと戻ってきて同じようにファロの奇行を見守っている。


「ロゼさんは無事だよーーーー!!!!!!!」


 そう響き渡った声に、紅蓮龍の動きが止まる。陽炎のように揺らめいてた高温が徐々に引いていき、本来の赤黒い鱗へ落ち着いた。ゆっくりと頭を上げ、ファロと目を合わせるように見上げる。


「大丈夫、今治療中だ。ロゼさんが危ないと思って来てくれようとしたんだね?もう大丈夫だよ。お家へ帰んな。」


 高い声で紅蓮龍は鳴くと、またゆっくりとエステ山の方へ向いて進み始めた。


 撃退というべきか、とにかく魔王国への侵攻は防げたことに一同安堵する。


「隊長ー!!」


 ファロが下を見ると、泣き出しそうな顔でシャルロットが手を振っている。


「シャルちゃん。ごめんねぇ心配させて。でももうちょっと待ってね。」


 彼はそう言うと、背を向けた紅蓮龍に向かって再び大きく飛んだ。


「はぁ!!?」


 シャルロットが般若のようにまなじりを上げて抗議の声を出したのを、ノエルとバーストはそっと見ていないふりをする。


業火の、厄災っフォウ・デザストル!」


 ファロは飛んだ勢いをそのままに、炎の大剣を出現させると大きく振りかぶって炎を飛ばした。その炎は淡く黄色く、紅蓮龍の体に付くと包み込むように広がった。その炎は先程の突進で傷付いた肩や顔を癒し、消える。

 また高い声で紅蓮龍が鳴き、振り返らずに帰っていく。


「何かあったらどうするんですかっ!!いくらうまくいったからって調子に乗らないでくださいっっ!!!」


 皆のもとへ戻るなり部下に怒鳴りつけられたファロは嬉しそうに頷いて平謝りする。


「いやぁごめんねぇ。ちょっと昔の知り合いだったもんだからさぁ。」


「エスクード隊長。」


 シャルロットとファロの間にノエルが割込み、青銀の鋭い視線を投げかける。状況を察してか、シャルロットとバーストは先に報告すると闇門を開いて去った。二人の魔力が十分離れたところでノエルは口を開く。


「封印は解けたのか?先程の紅蓮龍とどう関わりがある。」


 ファロは苦笑しながら、帽子を斜めに被り直して視線を交差させた。


「封印は無事解けたよ。今処置中。フルール隊長が頑張って下さってるから大丈夫じゃないかなぁ。」


「あの龍は。」


「あの子はむかーしロゼさんが怪我したところを助けたんだよ。恩を感じてるらしくて懐いちゃってね。その話を思い出して急いで来てみたんだけど、正解だったみたい。」


「…紅蓮龍を…」


「人前に出てこないだけで、結構懐っこいみたいだよ?」


 愛玩魔物のようにあっけらかんと笑うファロに追求する気も失せ、ノエルは背を向けて闇門を出現させる。


「あれ、ロゼさんのこと気にならないの?」


「…命が下れば従うまでだ。」


「あ、そう…」


 ひとり残されてしまったファロは意地の悪い笑みを浮かべて彼方にある魔王城に想いを馳せる。


 その時は突然だった。


「お見舞いですよぉー。」


「あら、お疲れ様です。エスクード隊長。大きな花束ですね。」


「フルール隊長にはお菓子もありますよ。」


「それはありがとうございます。」


 花束を抱えて現れたファロを笑いながらリリアが迎えていた時。

 パキ、とひび割れるような音がした直後だ。触発されたように一気に淡い青色の結界が砕けた。その瞬間、塞がっているように見えた傷口から鮮血が吹き出す。


「ロゼさんっ!!!」


「離れて!術式展開!」


 小柄なリリアはファロを片手で押しのけると両手をかざし白い結界でロゼを覆う。


禁断の実フリュイデファンデュ。」


 言葉を紡ぐと、するするとリリアから植物のツルが伸びてロゼの傷口に蕾をつけた。それはみるみるうちに開花し、実をつけては枯れ、その実はすぐに熟し蜜を垂らし始める。その蜜を大きな傷から順に塗っていき、最後に口に残った蜜を垂らす。


 するとロゼの髪色が突然黒から灰色、そして銀色へ変化した。


「えっ…」

 ファロの記憶にあるロゼの髪色はいつも黒だ。それに一筋薄紅が差してあるだけ。

 それが、溶けるようにほの暗い銀髪になってしまった。薄紅の部分は変わらないが、まったく知らない姿にファロは眉をひそめる。しかし、感じられる魔力は間違いなくロゼのもの。


 声を掛けようかと隣を見ると、余程集中しているのかリリアは脂汗を浮かべていて、ファロは大人しく口を閉じた。


「…血はこれで止まりました。後は体内に流し込んだ私の魔力に反応してロゼさんの魔力の回復と傷が癒えるのを待ちます。」


「じゃあ、ロゼさんは…生きてるの…?」


 深く息をついたリリアが、穏やかに微笑む。


「ええ。生きています。あとは彼女次第でしょう。」


 伝説の元対外戦闘部隊隊長、ロゼ・ヘイズが生きている―――


 その情報は副隊長以下非公開となり、治療のためリリアはロゼを治癒部隊救護施設へ移した。


 それから数か月。ロゼを封印した術者も見つけられず、何の手掛かりも得られないまま時は過ぎた。


「…陛下。」


 リリアが朝の定期健診をしていると、シリウスが訪ねて来た。

 手に持つ箱には小さな結晶でできた色とりどりの花がいっぱいに詰められている。


「出直そうか?」


 半分閉じられたカーテン越しに言うが、リリアはそのまま立ち上がりカーテンを開いた。

 固く目を閉じられているが、規則正しく呼吸ができている。本当はいつ目覚めてもおかしくはない程体は回復しているらしい。


「もう終わりましたから、大丈夫です。人払いをしますので…どうぞごゆっくり。」


「ありがとう。」


 さっと退出したリリアを目で追って、サイドテーブルに小箱を置く。


「お前は確か、花の香りが苦手だったから。」


 同じような色をした銀髪を一房取って、手の上に滑らせる。艶やかな髪はするりと落ちて、シリウスは労わるように頭を撫でた。


「よく、戻ってくれたね。」


 閉じられた瞳の色を知るシリウスは、辛そうに眉を寄せて手を離す。


「最もお前は、目覚めたくないのかもしれないけれど。……ごめんね。」


 何かに気付いたのか、シリウスは立ち上がって外を見る。灰色の軍服がそこらを歩いている中、白のスカーフを巻いている治癒隊員に話しかけられている男を見つける。


 彼は厳めしい顔に似合わず柔らかい笑みを浮かべて笑っていた。


「……じゃあ僕は行くよ。お前も気持ちが休まらないだろうから。」


 シリウスが去ってすぐ、ファロが花束を抱えてロゼの病室に現れた。


「ロゼさん、また来たよぉー。…―――ん?」


 ベッドサイドに置かれた小箱を見て、ファロは首をかしげる。


「こんな綺麗なもの、誰が…」


「お待たせしました、隊長。花瓶です。」


 小箱に触れる前に金色の巻き毛の隊員が同じ色の瞳を吊り上げて入ってくる。抱える程の花瓶には水が入っており重そうだ。


「ごめんごめん。重いでしょう。シャルロットちゃんは力持ちだねぇ。助かるよ。」


「隊長のようにお年ですと大変でしょうから。」


「お年って…」


「では私は失礼します。ヘイズさまの体調に響くと申し訳ないので。」


 ロゼを気遣うよう静かに花瓶を置くと、さっさと出て行ってしまった小柄な背中に苦笑を浮かべて肩をすくめる。


「今の子、シャルロットちゃんて言う俺の新しい副官の子なんだけどねぇ。まぁ俺の扱い方をよく知っててさぁ。ああしてツンケンしてるけど、根はすごーく良い子なんだよ。」


 花を活けながら楽しそうにファロは報告する。最近何が美味しかったとか、こんな出来事があったとか。


「目が覚めたら一緒にお酒でも飲みたいなぁ。ねぇ、ロゼさん。」


「俺たちが成長したところを見たらきっと驚くんじゃないか?」


 そう言いながら入ってきたのはエクエスだ。今日は非番なのか、白いセーターに黒いズボンと私服で、いつもは引き結んだ白い髪も下ろしている。


「おや聞かれてたか。恥ずかしいねぇ。」


 照れたように頬を掻くファロの肩に手を置いてエクエスは笑う。


「俺も一緒に飲んでも良いか?」


「じゃあ早速今日付き合ってよ。」


「もちろん良いぞ。仕事が終わったらな。」


「はいはい。ロゼさんの前でそんなこと言わないでよ、怒られちゃうじゃない。」


 気心の知り合った仲だからか、和やかな空気が流れる。


「早く起きてくれないと、俺たちおじいちゃんになっちゃいそうだよ。」


「本当だな。ロゼさん、頼みますよ。」


 それから少しして、香りの強い梅の花が咲く季節になった。

 冬の終わり。それを察したように彼女は目を開けた。

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