エピローグ 束の間の平穏
異様な緊張感が魔王国の各部隊に漂う。
敵であろう術者はその痕跡を一切見せない。ということは、あまり傷を負っていないか高い治癒力を持っているかのどちらかだ。
ロゼの生死が分からない以上その存在は伏せられたままだが、何が噂を呼んだのか、もしかしたら生きているかもしれないと隊員の間で囁かれている。
「アステル隊長。その…」
執務中にバーストが顔を上げる。朝から落ち着きがないことは察していたが、責務に関係がないことだろうと分かっているノエルは呼びかけに無視する。
バーストは琥珀色の瞳を上下左右に彷徨わせ、暫くして諦めたように顔を伏せた。
「すんません…噂に流されるなんて、俺まだまだっすね…」
「バースト。」
「はいッ!」
ノエルの冷たい声にまた怒られる、と反射的に背筋が伸びる。しかし上司を見ると目を合わせるどころか受け取れと資料が突き出されているだけだった。
それは届けてこい、という意味。
立ち上がってバーストが受け取ると、ノエルは青銀の瞳を資料へ滑らせたまま言う。
「国境部隊長へ。そのまま休憩に入れ。」
「あ、ありがとうございます…」
資料は定期的な報告書だ。連携の強化のため、こうして週に何度か報告書を送り合っている。それは重要書類でない限り下位の隊員に頼むことも可能だが、執務が苦手なバーストの息抜きにとノエルが慮って行かせてくれる。
バーストは丁寧に資料を封書に入れ、外出用の短い外套を首で止める。
軍服と同じく灰色で、襟についている青い宝石のようなボタンと右胸と背中に一本ずつ入っている青の太い縦線は戦闘部隊の証だ。治安部隊の外套は目立ちやすいよう赤。国境部隊は緑だ。
「バースト。」
部屋を出る直前に呼び止められ、返事をする間もなくノエルは早口に言う。
「非公開とは、無駄に混乱を招かないよう配慮されているということだ。…行け。」
責務中は無駄な会話を嫌う上司がした不器用なフォローに、バーストは破顔した。
「はいっ!行ってきます!」
気にしてくれていたのか、と喜ぶのもつかの間。そんなに自分の考えていたことは筒抜けだったかとバーストは頭を悩ませながら隊舎を出る。
外はぐるりと大きく塀で囲われており、訓練場や隊員の仮宿舎、休憩所にちょっとした緑の公園などがある。塀の上部や大きな隊門は青く縁取られ、門番が笑いながら彼に声を掛けた。
「お疲れ様です!いやぁついに追い出されましたか、グリット副隊長!」
「お、追い出されてねぇし!届けモンだよ!撃ち抜くぞ!」
門番たちは楽しそうに笑って門を開く。このような軽口は日常茶飯事だ。
どこか親しみやすいバーストはこうして部下にからかわれることが多い。
「俺を撃ち抜いたら、門番ちゃんと代わって下さいね!」
「うるせぇちゃんと仕事しろ!…たく。」
それでも物怖じぜずに話しかけてくれるからか、バーストは嬉しそうに笑って隊舎を出た。
目的地の国境警備部隊本部は対角線上に位置するが、そのまま真っ直ぐに突っ切れる構造ではない。遠回りだが楽な道は、低地にある治癒部隊本部の隣を通る経路だ。急ぎの場合は多少坂道だが真っ直ぐな道の多い治安部隊本部の横を通る。
だが今は急ぎとも言われておらず休憩も貰っているため、彼は楽な道を選ぶことにした。
治癒部隊に近付くと徐々に増える店は品ぞろえが良い。それは見舞い用にと花売りや菓子売りがそのまま治癒部隊の周囲に腰を落ち着けた結果で、いつ来ても活気が溢れている。こんな場所が療養施設の近くにあれば元気も出るだろうと、魔王や純貴族が手厚く支援しているおかげだろう。
「おや、グリット副隊長じゃないのぉ。」
そんな魔獣族がごった返している中、低い声がバーストを呼び止めた。
「!エスクード隊長!ぉお疲れ様っす!!」
バーストは強面の自覚があるが、それに渋さが加わった外見をしているファロにも密かに憧れを抱いていた。
威勢の良い挨拶にファロは口角を上げて頷く。外出用のツバの浅い帽子と外套には、隊長である証の翡翠色の宝石が飾られている。そんな正装してどこへ行くのかと尋ねようと近寄れば、手元には見舞いとは似つかわしくない美しい花束が抱えられている。
「えっまさか…」
ぽっとある意味顔を赤らめ、込み上げるような笑みを浮かべたバーストの頭の中を察して、ファロは声を出して笑う。
「あっはは、違う違う。俺には特定のヒトはいないからね…残念ながら。」
「そうなんすか…」
なんだとあからさまに残念そうな顔をする。
「じゃあ、どうしたんす?あ。陛下に?」
「いいや。…ある意味、陛下と同じくらい大事なヒトに、かな。」
思わず周囲を歩いていた者も赤面する台詞にバーストは舌を巻く。
「じゃあ、俺は行くよ。引き留めて悪かったね。」
「いえ……」
男気溢れるその背中に、憧れずにいられないバーストは暫くそのまま見送った。
俺もあんな風に花を贈れるようになれたら…
そんな自分を想像するが、いまいちピンと来ずその場を後にした。
「!グリット副隊長!お疲れ様です!…どうぞ!」
きびきびした国境部隊の門番がバーストの階級を見てすぐに門を開いてくれる。
どこか殺伐とした印象のある戦闘部隊に比べ、こちらは緑も多く穏やかだ。しかし敵が侵入しているかもしれないとの先触れが出回っているため緊張感はここでも変わらない。
本部に足を踏み入れるとすぐにひとりの隊員が声を掛けてくれる。
「お疲れ様、バースト。」
「ヴァン先輩!お疲れ様っす!」
爽やかな緑色の髪に金色の瞳を持つヴァン・ドゥーガスは、学院時代バーストが世話になった先輩だ。今でも交流を続けており、副隊長になった時一番に祝ってくれたのも彼だ。
「エクエス隊長に用か?少し待ってくれればもう戻る頃だと思う。」
「あざっす。じゃあ待たせてもらっても良いすか?」
「待つだけじゃなくて…久々にどうだ?」
にっこりと八重歯を覗かせ笑顔を浮かべたヴァンは、魔力を凝縮し自分の獲物である拳をメリケンサック風に固める。
「えっいや、でも場所とか―――」
「外にある鍛練場なら問題ないだろ。行くぞ!」
穏やかな顔に似合わず武闘派なヴァンはさっさと歩いていってしまう。バーストも気は荒い方だがそれとは違う荒々しさが彼にはあった。
「よし、用意は良いか?」
バーストは慌てて外套と資料を審判を買って出てくれた隊員に預けて構える。
両手には赤い炎のような彫刻のあしらわれた拳銃が握られていた。
「お、おす!」
副隊長二人の様子を見比べて、審判が手を振り下ろす。
「では――始め!」
魔族獣族関係なく、魔物の魔力は身体強化を施し戦う直接戦闘型と魔力を固定させて放出し戦う間接戦闘型に二分される。多くはバーストのように自分の魔力を具現化させ武器にする戦法をとるが、訓練を重ねればヴァンのように自らの身体能力の底上げと同時に武器を出現させることができる。
魔力が拮抗している同士なのにグッと圧が上がったように感じるのは、強化が施された証。
特にヴァンは人狼を祖先に持つ
「行くぞ、バースト!」
「わざわざ言われなくても避けられますよッ!」
ちなみに具現化された魔力は火のように燃えあがったり水のように流れ出たりと自然に由来する力が多い。それは単にイメージがしやすいからだ。
「ならこれはどうだ?――
そしてヴァンの魔力は、水。固定した魔力に名を与えることでその力を更に増幅させることができる。
身体強化で急接近しメリケンサックを下から振り上げる。拳はバーストの範囲外だったが、追随するように流れる水流は別だ。魔力でかたどられたそれは刃のように鋭い。
「ッ!っと!」
寸でのところでバーストは影に包まれ、少し離れた場所に現れる。
魔力に心得のある魔物なら誰でも習得可能な緊急回避移動、
そしてすぐさま愛銃を構えて反撃する。
「
放たれた魔弾は炎のように一直線に飛ぶ。
ヴァンが半歩身を引き、弾丸は顔の横をすり抜る。かわしたと追撃を構えた瞬間、その弾は突然爆炎と共に爆ぜた。爆風で前のめったヴァンはそのまま前転して勢いを利用し正拳を突き出す。
途端に拳からあふれ出た水はそのままの速度で津波のようにバーストを襲うが、何発か波に向かって弾を打ち込むと爆発で相殺させる。
それを読んだかのように目の前に現れたヴァンの右ストレートを頬に受け、横に転がって衝撃を流しつつ彼の足元を撃つ。
上がった土煙の中、視界が晴れる頃に決着はついていた。
「…腕を上げたねえ、バースト。」
「いや、殺そうと思えば先輩のパンチで死んでましたよ俺…」
バーストの右手の銃はメリケンサックにより標準をずらされ、左手の銃はその額を捉えている。しかしヴァンもバーストの首元でその手を制止していた。
「りょ、両者引き分けっ!」
慌てて審判が言い放って、二人は距離を取る。
「うん、見事だったな!良かったぞ、ヴァン、グリット!」
その声を聞いて一目散にヴァンが反応しメリケンを解く。固定された魔力は溶けるように力の残滓を残し消えた。
「隊長!お戻りでしたか!」
嬉々として駆け寄るその様は忠犬のようで、バーストはいつものことながら苦笑して頭を下げる。
「お疲れ様っす…お邪魔してます、グランド隊長。」
「お疲れ。」
片手を軽く上げて挨拶してくれたエクエスに、バーストは審判役の隊員から返してもらった封書を手渡す。
「こちら、うちの隊長からです。」
「ああ。ありがとう。受け取ったよ。」
「じゃ、俺はこれで。」
任務完了、とすっきりした笑みを浮かべたバーストの肩にヴァンが手を置く。
「また付き合ってくれ。前線から退くと体がなまるからな。」
「ヴァンがいつも済まないな。」
苦笑気味のエクエスに同じような笑みを返しながら頷く。
「いえ、俺も良い訓練になるんで…」
「うん。俺もいつでも動けるようにしておかないとな。」
その声を聞いて一目散にヴァンが反応しメリケンを解く。固定された魔力は溶けるように力の残滓を残し消えた。
「隊長!お戻りでしたか!」
嬉々として駆け寄るその様は忠犬のようで、バーストはいつものことながら苦笑して頭を下げる。
「お疲れ様っす…お邪魔してます、グランド隊長。」
「お疲れ。」
片手を軽く上げて挨拶してくれたエクエスに、バーストは審判役の隊員から返してもらった封書を手渡す。
「こちら、うちの隊長からです。」
「ああ。ありがとう。受け取ったよ。」
「じゃ、俺はこれで。」
任務完了、とすっきりした笑みを浮かべたバーストの肩にヴァンが手を置く。
「また付き合ってくれ。前線から退くと体がなまるからな。」
「ヴァンがいつも済まないな。」
苦笑気味のエクエスに同じような笑みを返しながら頷く。
「いえ、俺も良い訓練になるんで…」
「うん。俺もいつでも動けるようにしておかないとな。」
そう言ったエクエスの横顔は引き締まっており、自然とバーストの肩にも力が入る。隊長までこんなに警戒させるとは、件の術者はどんな強者なのか。
戦闘部隊へ戻る帰り道がてら昼食を済ませたバーストはのんびりと本部まで歩く。
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