エピローグ 違和感
魔王国には一般市民である人型魔族の
その他に人型の
そして魔王軍の各部隊の本拠地は、城を中心に四方に分かれている。その中でも人間国側、ヴェストゲートがある方面がエクエスのいる国境警備部隊、その対角線に対外戦闘部隊、少し内陸の南側に治癒部隊、北側に国内治安部隊が配置されている。
そこから各隊が班をつくり各地へ派遣、国内へ侵入してくる
入隊のための資格などは特になく、人型の魔族も魔王城にいたメイドのような獣人型の獣族も関係はない。簡単な実力測定で入隊は可能だ。しかし強制的に各部隊へ配属される。
希望する隊がある場合、最も確実なのはシリウス自らが創設した魔術学院で学ぶことだ。魔力を持つ者なら誰でも入学でき、魔力の扱い方や基本的な学習、実戦の訓練ができる。数年から五年程度の教育課程を終え各部隊へ入隊、優秀な者や入隊してからの能力が一定以上評価されると位をあたえられ階級が上がっていく。
主な隊員はほとんどが一般市民や孤児である。孤児は魔王国外での生まれが多く、育った環境によっては国内の下級貴族よりも戦闘力は高い。リリアは孤児の
彼女を除き他は
「お、お疲れ様っす、アステル隊長!」
本拠地へ戻るなり姿勢を正して出迎えたのは、副隊長であるバースト・グリット。出身は国外。種族は上級魔族。
赤色の髪に琥珀色の細い瞳が特徴で、身長の高いノエルでも少し見上げるくらい大柄だ。
熱い性格は学院から変わらず、少し粗雑なところもまた変わらない。ノエルの特徴から品行方正として定まってきた戦闘部隊も彼のおかげで緊張が解れ、やや過ごしやすくなっていることで感謝されている。
「…変わりないか。」
「あ、いや、それが…」
ノエルが簡潔に問うと、歯切れが悪そうに返してくるバースト。
とにかく隊長と副隊長専用の執務室へと向かう。丸窓から見える竹林はわざわざ屋敷から移送させたものだ。
きちっと整頓されているノエルの卓上と比べ、乱雑に書類が重ねられた中からバーストが一枚の報告書を引き抜いて見せる。
「……ヴェストロワ…?」
ヴェストゲートを抜けた魔王国外ヴェスト地方、その外れにある荒野地帯だ。切り立った崖と岩が多く、住み着く魔物も少ない場所だったが、そこで負傷者が出たという報告書だった。
加えて救援を要請している。
「バースト。すぐに手の空いている階位の隊員を呼べ。」
「えっと、さっき8位のエルマンをヴェストゲートにやったんで…4位のギルと6位のメッシュが今―――」
「4位を呼べ。」
ためらいもなく上の階級を口にしたノエルに、ただ事ではないとバーストは冷や汗を流す。通信機を手に取り緊急参上要請を行うと、五分も掛からずに来てくれた。
その間にノエルはファロに通信。そこへは周囲の安全確認後、念のため技術班も派遣してくれるとのことだった。
「失礼します。4位ギル・シリング。参りました!」
「シリング。すぐに班員を集めヴェストロワへ向かえ。」
「ヴェストロワ地区へ…?」
「詳細は通信機で通達する。安全確認の後、技術班と合流しろ。…急げ。」
「は、はい!」
大した魔物が出ないそこは階位を持たない隊員たちの初任務の目的地にされる程穏やかな場所だ。首を傾げたシリングだが、ノエルの鋭い瞳に慌てて駆けていった。
「あの、隊長…ヴェスト地域で何かあったんすか…?」
シリングが去っていった扉を見て、バーストはおずおずと尋ねる。
考え事をしているノエルは眉間に皺を寄せながらバーストに視線を移すと、隊長会議の報告を共有した。
「え…だから4位のギルを…それって俺が行った方が良かったんじゃ――」
「バースト。」
顔を引きつらせながら異例の事態に青ざめるバーストを厳しい声で呼ぶ。
「副隊長の身は重い。己の立場を理解しろ。」
バーストは最近副隊長に任命されたばかりだった。元は戦闘部隊の討伐隊という特に戦いが強いられる場所で体を張っていた。しかも生まれは魔王国外で、魔術学院で基礎を学び、戦闘能力は特筆しているが思考はまだ浅い。
先陣きって戦い評価されて副隊長を任せられたためか、いまだ指示を出すのが遅く、こうしてノエルに叱咤されては自分の立場を再認している。
彼は口数は少ないが、バーストはノエルが隊長だからこそ副隊長の任を受け入れた。
学院時代からの目標であり憧れだったのだ。
「――っはい、すみませんっした!」
叱咤はこの人なりの激励だ。そう思って頭を下げる。
それから十日。シリングの隊を派遣し、技術班からの報告を待つのみだったノエルの元へ通信が届いた。
通信では長文を送れないため、詳細は現地か班長が直接報告書を持って来ることになっている。しかし送信者はシリングではなくシリウスだった。
『隊長は即刻城へ参上せよ。これは機密である。』
即刻参上せよ、とはこれまでにない非常事態である。ノエルの緊張感に異常を感じたバーストはすぐに顔を引き締めた。
「――暫く任せる。」
「はい!!」
ビッと指の先まで緊張を走らせ敬礼をした。
ノエルは左手をかざし、魔術でもって空間を歪める。歪んだ中央に縦の切れ込みが一筋でき、そこに躊躇なく手を差し込むとぐっと横に引いた。暗闇が広がるその中に身を投げ込む。
一瞬の浮遊感の後、再び今度は輝く切れ込みが現れ、同じようにそこへ体を滑り込ませるとそこは城の手前、上空だった。
同じような闇の切れ込みから他の隊長が顔を覗かせる。
「ノエル、フルール隊長!」
トッ、と軽やかに着地したエクエスがやや強張った顔で呼び、片手を上げて挨拶をする。
リリアは表情こそいつもと変わらず穏やかだが、同じように緊張感を纏っていた。
「グランド隊長、アステル隊長。…エスクード隊長は既に陛下の元ですか。私たちも急ぎ参りましょう。」
魔王城では使える魔術に一定の制限がかかっており、先程の空間移動は使えない。ここからは早足だ。しかし城は昔、魔王の強さを誇示するために作られたものなので、内部は簡単な造りになっている。
上から見ると城は渦巻き状になっていて、城門から直線に進めば中央にある謁見の広間まで行くことができる。魔王の私室は玉座のある台座後方の回廊を抜けた先の尖塔だ。
城門をくぐり、庭園を抜け、大広間をそのまま抜けて台座の壁の裏手へ進む。丁度魔王の私室の下がこの前も集まった隊長たちの会議室だ。特殊な魔鉱石で造られている為窓はなく、話している内容は外部から聞こえなくなっている。
しかしその手前で猫のメイドが待っていた。
「隊長方。申し訳ありませんが今回はこちらではなく、連合会議室へとのことですにゃ。」
尖塔の一階、左隣の部屋は同じく魔鉱石で造られた隊長副隊長が集まる会議室だ。ちなみに右隣は副隊長の会議室になっている。
三人は顔を見合わせたが、すぐにそちらへと足を運んだ。
薄暗い部屋が更に光源を落とされ、よく見えない。しかしシリウスとファロの気配を感じて中に入り扉を閉める。
「一体どうしたんですか、こんなに暗くし、て…」
九つの席の中央。暗闇に浮かぶ薄い青色の結界。その中にひとり、彫刻のように美しい女性が目を閉じていた。
しかし良く見れば灰色の軍服は血で染まり汚れている。激しい戦火の中にいたであろう様子が見て取れる。
言葉を失くしたエクエスが、唇を震わせてその名を紡ぐ。
「まさか……ロゼ―――さん――…」
元対外戦闘部隊隊長、ロゼ・ヘイズ。
胸まである黒髪の一部が薄桃色に染まっており、閉じられているが眉目秀麗な顔立ちだと伺える。
静まる一同の中、リリアは珍しく鋭い目で、席の合間を抜け傍に寄る。
「この姿…500年前と変わっていませんね…」
慎重に結界に触れ、外傷の有無を確認する。傷口はいくつか見受けられたが、血は流れておらず、呼吸も確認できない。
しかし少しして、リリアは仮説を口にした。
「この結界はまさか、時を止めているのですか?そのような魔術……私は知り得ませんが。」
ファロが近付いてきて、そっと結界に触れる。
「うん、俺もそう思いました。今技術班に解析を進めてもらってますよ。このままじゃ、……どちらか分からない。」
一瞬口を噤んだのは、生死が判別できない、という意味だからだ。
「陛下のお力でも、この類の魔術は解けないのか?」
黙ったままのシリウスを見て、ノエルがファロに問う。しかしファロは残念そうに首を振るだけだった。
「……僕の力では、壊しかねない…。」
悔しそうに言うシリウスの左手は、傷跡である右の脇腹へ添えられている。
「どこで見つかったんだ?やはりヴェストロワか?」
エクエスが聞くと、ファロが薄く笑みを浮かべて頷いた。
「そう。脆くなった崖に埋まっていたのを見つけてね。今までの異常な魔獣の行動原因は彼女だったってことさ。これで魔獣たちも大人しくなってくれるはずだよ。ただ――」
一度言葉を切って、不安げに赤い瞳を伏せる。
「ただ、その崖がね、同じような形の窪みが原因で不自然に脆くなってて……」
「もしかしたら、その術者が同じように自分を封印して最近になって目覚めたのかもしれない。僕はそう思っている。」
シリウスが小さく震えるような声で言う。それは痛みからか、部下をこんな状態にした怒りからか、こんな状態でも見つかった喜びか。
「なら、少し時が経てばロゼさんも目覚めるかもしれないですね。」
気丈にリリアが言うも、場の空気は暗く淀んだままだった。
「そうだね…。ロゼの封印が解けて、もし生きていたら君に治療を頼みたい。でも、極秘でね。ロゼは皆死んだと思っているから…」
「分かりました。では私は城へ常駐致します。」
「ありがとう。…術者は国内外どこにいるのか分からない。どんな容姿かも、目的も、力量すら。全部隊で警戒を頼むよ。」
「陛下の警護は。」
ノエルが問うと、的確に指示を出していたシリウスの動きが止まる。
それを横目に見てリリアがにっこりと笑顔を見せた。
「私がおります。これでも衰えていませんよ。」
「フルール隊長なら安心だぁ。」
ファロが砕けたように笑い、エクエスも頷く。
一旦話がまとまったところで会議は各自解散となった。リリアは城の者と話し合い、結局隊長会議室へ移動することになった。尖塔ならば魔王の私室もあり夜間の警備もできるからだ。
ファロは技術班に新しい動きがないか確認のためすぐに退席したが、エクエスはじっとロゼを見つめて動かない。
ノエルは席の向こうからその様子を伺う。
「…目覚める、でしょうか…」
エクエスの小さな呟きに、リリアは柔和な笑みを崩して小さく息をつく。
「血は止まっているように見えますが、生きて封印が解かれたらすぐに緊急治癒術式を施さねば危うい箇所にある傷です。」
ぐ、と喉を詰まらせたエクエスを宥めるようにシリウスがその背へ手を当てる。
「僕は、希望は捨てない。ロゼが戻ってきただけでも喜ばしいことだし、こうしてリリアも常駐してくれる。」
そんなシリウスの表情も明るいとは言えない。
随分と慕われている様子のロゼを見て、ノエルは無言で背を向けた。
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