戦華

文木-fumiki-

エピローグ 異変

 とある場所にある大きな大陸は、長く深い海峡によって二つに分断されている。

 

 一方には人間の治める国が、もう一方には魔力を持つ魔族の国があった。


「諸君、良く集まってくれた。」


 しゃがれた低い声が広い部屋に重々しく反響する。

 人間側の王国、国王である大柄の男はやつれた顔で階段下の頭を垂れる五人を見下ろした。


「近年魔物による被害は甚大だ。もはや一刻の猶予も無い。軍を率いて早急に魔物の王…魔王を打ち滅ぼすのだ。」


 魔物による被害は毎年一定数だ。それが今年に入って前年より上回ってきている。

 何年も、何百年も続く人間と魔物の小競り合いはいつものこと。しかし今王国内では内乱が起こる寸前にまで市民の不満は高まっている。それを外へ向けさせるためにも、国内に力のある者たちを留めないためにも、国王は必死に声を張り上げる。


「魔王は我が王国に攻め入り、乗っ取るつもりだ。何としてでも魔物の侵攻を食い止めねばならん。これは聖戦である。」


 聖戦。その言葉に五人は事の重大さを感じゆっくりと頷いた。


 国王は横目で玉座の端で控えていた黒いローブの男に合図する。茶髪やブロンドに茶色い瞳が一般的な王国では珍しく、髪色は見えないが銀色の不思議な色合いの瞳を持つ男が、王の傍で黒く長い箱を開いて見せる。

 中のものに王は目を輝かせ、それを取り出すと高く掲げた。


 銀色に鈍く輝く剣はこの国にはない素材でできており、束と鞘には宝石があしらわれている。


「聖剣エクリプス。これがそなたらの力となるだろう。これで魔王の首を落としてくるのだ。」


 五人の中のひとりが進み出て、うやうやしく剣を受け取り鞘から引き抜いた。

 瞬間、太陽の光を反射し月のように剣がまばゆく謁見室を照らす。


「行くのだ、勇者たちよ。魔王を倒し、この国に平穏をもたらすのだ!」


 王国の門が大きく開かれ、待っていた大衆が大歓声を上げながら道を作る。

 国境を越え魔物を倒し海峡を渡り、魔王国にはびこる悪を、その元凶である魔王を倒す勇者の旅。

 その過酷な道の第一歩を、華やかなる第一歩を。

 五人は軍勢を連れ誇らしげに歩く。腰に輝く聖剣を下げて――――



 ピチチ、と小鳥が窓枠で鳴く。鮮やかな赤い羽根の先には小さく火が灯っており、羽ばたくと火の粉を落とす。落ちた火の粉は木製の窓枠や机の上に焦げ跡を残した。


「おやおや、ダメじゃないか。また籠から逃げ出したのかい?あれはまだ君には狭いようだね…」


 銀色の長い髪を垂らした美麗な男が白い指を向けると、小鳥は引き寄せられるようにその指にとまった。


 ジュウ、と指が焼ける音がしたが、痛みに顔をしかめる様子もなく彼は机の焦げ跡を白いローブで拭った。その袖に炭が付いていくつもの黒い筋ができる。


「ルチル、君の籠はまた新しく作るから、どうか僕の机は燃やさないでおくれ。」


 小鳥は返事をするように鳴くと、部屋にある金属製の止まり木に大人しくとまって羽をつくろい始めた。


「失礼致します、魔王様。今よろしいでしょうか。」


 扉の外から声が掛かり、魔王と呼ばれた男は翡翠色の瞳をそちらへ向ける。


「何だい、エクエス。」


 カチャリ、と静かに入室してきた男は灰色の軍服に身を包み、白い髪をひとつに引き結んだ優男は凛々しい顔で入室してきた。


 しかしすぐに魔王を見て顔をほころばせる。


「なぁんだ。やっぱりここにいたのか、ルチルは。」


 魔王はくすくすと笑いながら机に寄り掛かる。ここは彼の自室だ。


「国境警備部隊長さまはルチルと遊んでばかりだ。」


 エクエスは苦笑いしながら、暗い茶色の瞳をルチルへ向ける。


「新しい籠を作ってやってる間にまた逃げ出してしまって。いっそこの部屋を籠にしてしまえばいいんじゃないですか?」


「それも悪くないんだがね、掃除が大変だろう。」


「それもそうだ…。今日は調子が良さそうですね?」


 エクエスの笑顔に魔王も同じように微笑み、右の脇腹をさする。


「お蔭様でね。やっとここまで回復したよ。」


「陛下相手にここまで時間がかかるなんて…やはりあれは封印していて正解ですね。」


 真面目な顔をしてエクエスがひとり頷いていると、またノックが響いた。


「入りますよーぉ。」


 のんびりとした声と共に、厳めしい精悍せいかんな男が入ってくる。こげ茶色の短髪に無精髭ぶしょうひげ、軍服は着崩しているが、聡明な赤の瞳が印象的だ。


 その赤い瞳が魔王とエクエスを捉えると、不服そうに細められる。


「何でエクエスもいるんだ。仲間外れは悲しいねぇ。」


 わざとらしく言う彼に、エクエスも魔王も笑いながら応える。


「俺はルチルを探しに来たんだ。」


「そんなファロはどうしたんだい。」


「俺はシリウス魔王陛下に報告をしに来たんだよ。お仕事ですよ、お仕事。」


 後を追って猫と人の間の型をしたメイドが香りのよいお茶を三つ、ローテーブルへ用意した。


「ありがとう。」


 それぞれにお礼を言われ、ぶわっと嬉しそうにメイドは毛を逆立てて下がっていった。


「それじゃあお茶を飲みながら報告させてもらおうかな。エクエスにも話しておきたいことなんだけどね。」


「そうだったのか。聞かせてくれ。」


 魔王シリウスと国境警備部隊隊長エクエス・グランド、国内治安部隊隊長ルツァリ・ファロ・エスクードは幼い頃から共に過ごしてきた。シリウスが教師として、幼いファロとエクエスに教養と戦い方を教えたのだ。


「ああそうだ、彼らも呼ぼうか。情報の共有はしておいた方が良いだろう。」


 シリウスがそう提案して、懐から小型の通信機を取り出す。

 それから部屋を隊長たちの会議室へと移動し、お茶のお代わりが来た頃、彼らはやってきた。


「お待たせした。」


 灰色の軍服をかっちりと着こなす細身の体。黒い髪と青銀の瞳が美しい男が、涼しい顔でためらいなく自分の席へ腰を下ろした。


 対外戦闘部隊隊長のノエル・アステル。


「相変わらず氷の貴公子は落ち着いてるねぇ。」


「あら、私が最後でしたか。お待たせ致しました。」


 続いて入ってきたのは、長い茶髪に緑色の瞳のしとやかな女性だ。背は低く下がった目尻と相まって柔和な雰囲気が感じられる。しかし彼女はシリウスよりも年は上だ。


 治癒部隊隊長のリリア・フルール。


「じゃあ、揃ったところで始めましょうか?」


 ファロの問いかけに、シリウスがお茶を一口すすって頷く。


「よし、聞こう。」


 薄暗い中手元の資料をペラペラとめくり、ある一枚を取り出して大きく広げて机の奥に立てられているルーペの前へかざす。すると円になっている五人の席に同じように映し出された。

 それはこの国の地図に照らし合わせた被害報告の資料だった。


「俺の副官の、シャルロットちゃんがまとめてくれたんだけどねえ…いやぁ優秀だよあの子は。」


 そう前置きをして、ファロは話し始める。


「最近、下級魔獣族ガイユールがなんとなく殺気立っててね。国境付近のあたりで少し被害が出てるらしいんだ。今は人数を増員して対処に当たってるよ。」


「隊員にも重軽傷者が出ています。」


「確かに、国境あたりも少し騒がしいなと思っていたんだ…」


「原因は?」


 ノエルが厳しい目を向けると、ファロは肩をすくめて見せた。


「それが分かってたら言ってるよ。残念ながら、手掛かりはないんだ。今技術班にも調査をお願いしてるところなんだけど…情報が少なくてね。今分かっているのはこの分布図だけなんだ。」


 皆がその一点を見つめる中、シリウスが眉を寄せて苦々しく呟いた。


「……ヴェストゲートか…」


 魔王国のある大陸は、魔素を多く含む空気と大地のせいで下級魔獣ガイユールでも強力な魔物が生まれやすい。人間の王国に害をもたらす魔獣は多くが魔王国では生き残れぬ力の弱い魔物だ。それが争いの火種となってしまうことが多いのだが、和解を結ぼうにも応じないことに加え魔王国も他国までかまけている暇はない。


 温厚なシリウスが王となってからは王国に攻めることはなくなったが、その昔は領土を広げるためだけに人間国を蹂躙することも多々あった。

 シリウスは国を結界で覆い、必要な場所には塀を建て、力の持たぬ中級魔族メディユールや、魔力はあるが力の弱い上級魔獣族シュペリユールなどの一般市民、有力貴族である最上級魔族メイユールの生活に害が及ばないよう尽力している。

 その中でも対人間用として作られたのが、ヴェストゲートという高い塀でできた門だ。対魔獣用よりもつくりは簡単で、触れただけでは傷付かないようになっている。人間は何年かおきに攻め入ってくるため、住民がおらずとも作らざるをえなかった場所である。

 ヴェスト地方は人間が通ってこれるだけあって危険度の低い魔物が多かったはずだが、ファロの提示した資料ではそこの被害数が真っ赤になっている。


「…しかし、人間が何かした、というのは考えにくいですね…」


 エクエスの声に皆が黙する。

 人間と魔力を持たない中級魔族メディユールに特筆して大きな違いはなく、強いて言えば魔力を持つ子供を生む可能性が高く魔力を扱う心得があるだけだ。しかし人間は魔族は等しく悪だという考えを放棄せずに攻めてくる。


「とにかく、ファロは引き続き技術班を派遣。エクエスとノエルも対処に当たってくれるかい?万が一に備えてリリアの方でも班をひとつヴェストゲートに駐在させて欲しい。」


「分かりました。」


「はい、陛下。」


 その他は国内、国境、国外共に変わった動きはないとのことだった。

 結果、ファロ率いる国内警備部隊を二班、エクエス率いる国境警備部隊を二班、ノエル率いる対外戦闘部隊を一班それぞれヴェストゲートへ配置することを確定し会議を終える。


「済まないねぇ。君のところも今の時期は忙しいだろう。」


 季節は厳しい冬に向かおうとしている。そのため暖かい時期に活動する魔物が冬越えの餌探しに躍起になって、豊かな国内へ侵略してこようとするのだ。知能は低くとも強力な下級魔獣ガイユールを国境へ入る前に食い止めるのが対外戦闘部隊の務め。


 ファロの苦笑にノエルは微動だにせず応えた。


「構わぬ。…今は人間も滅多に侵攻して来ない。」


「…そうだねぇ…。あちらさんも今は忙しそうだし。」


 人間との大きな争いがあったのは、もう500年も前になる。

 愚王は魔王国に侵攻を始め、両国に大きな被害が出た。結果、王国が防ごうとしていた内乱はその時の敗北によって引き起こされ自壊。復興と新たに生まれた小国同士の小競り合いが繰り返されているので、魔王国に攻めてくることは少ない。


「あの戦争はちょっと特殊でね…一部の中級魔族メディユールまで敵対することになっちゃったから内部も外部ももう大変でさ。当時の戦闘部隊長が優秀だったからなんとかなったけど。」


「ロゼ・ヘイズ隊長…」


 当時を知る者は魔王シリウスを含め幼くして魔王の従者だったファロとエクエス、国境警備隊長だったリリア、その他生き残った隊員たちだ。


 初代対外戦闘部隊隊長、ロゼ・ヘイズ。


 女性の最上級魔族メイユールであり、魔力は絶大。しかしながら冷静で謙虚な美しき隊長。前線で戦っていたシリウスが不意を突かれ聖剣に刺されるのを寸でのところで止め、敵方と相打ちとなった話は伝説として語られている。


「君が隊長になってやっと落ち着いてくれたよ。これからもよろしくね。アステル隊長。」


 対外戦闘部隊ではその後何代か隊長を務めた者たちがいたが、皆100年未満で辞めていく。理由は戦闘での怪我や戦死、人格の問題など様々だ。しかしロゼ以降、初めて隊長を務める年数が100年を超えた。


「…私からも、よろしく頼む。」


 ノエルが会釈程度に頭を下げると、ファロは嬉しそうに歯を見せて笑った。

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