第12話「荒地を進む」

 船に揺られること一時間。俺と近代寺は遥海市へ到着した。日は既に沈んでいたが、その賑わいは明るい太陽のように俺たちを出迎えた。


 船着き場の前には砂浜が広がり、街の夜景に照らされている。辺り一面から人々の活気ある声が聴こえ、出店からは食欲をそそる香りが漂っている。……俺は、思わず楽園を幻視した。


「いやー、ついに着きましたね風見鶏さん! まずは何食べます? 私はあそこのかき氷とか良いと思うんですけど!」


 この期に及んで何故かハイテンションの近代寺。分からない、俺にはこの女の気分が本当に分からない。


「……分かってると思うが、遊びに来たわけじゃねェからね?」

「分かってますよぅ調査だってことぐらい。……でももしこっちに森久保さんがいたらどうしましょう、なにか秘密兵器とか準備されていたらと思うとビビっちゃいますね……」


 わざとらしく頭を抱える近代寺を見ていると、無駄に力んでいた俺がアホらしくなってくる。ついでに言うと近代寺はそこまでビビっていないと思う。なぜならさっき、船の中で海老名の話をしたからだ。そのため、海老名の超越的能力があればどうにかなると近代寺は思っているのだろうと俺は分析した。


「言っとくけどな近代寺。もしここが主戦場となる場合、海老名は助けに来ないと思うぜ」


 俺の発言に、近代寺は口をあんぐりと大きく開けた。そんなアホな、とでも言いたげな表情である。


「うえぇー、そんな、どうしてですか。だって海老名さんってばみんなの力になりたいんですよね? いやそりゃあ頼ってばかりっていうのもどうかとは思いますけど!」

「そこなんだよ。確かにあいつは利他主義の権化みたいなやつだ。だがな、直接的な結果への干渉はしないんだよ。あいつはただ、助けを求めてきた人間の選択――それを後押ししているに過ぎねェ。あくまでも途中までなんだ。じゃなきゃ、あいつの思った通りの結果だけが世界に出力されちまう。そうなるともう、それは利他的じゃなく海老名の利己的な事象操作になっちまう。……そういうのはやり過ぎだとあいつは思ってんのさ」


 あれだけの力を持っておきながら難儀なルールを設けているものだと思う。だが、そうでもしないと抑え込めないほど強大な力なのかもしれない――そのようにも思える。いずれにせよ、力を振りかざさない海老名のことを、俺は少なからず尊敬していた。凄まじき力を持ちながらも誰かのためだけに生きる海老名の姿は、俺にとって太陽のような存在でもあったのだ。


「なるほど、海老名さんらしいとも言えますね。それだけ立派な人だから解析者として覚醒できたのかもしれません」

「ああ、そうなのかもな」


 海老名の在り方を考え、ややセンチメンタルな気分に浸りかかった――その時だった。




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                                   」



 俺――いやおそらく、周りすべての反応から察するに――少なくとも周囲一帯で――何らかの強烈なイメージが脳裏を駆け抜けた。


 思い出す――そのイメージはどこか既視感があった。……それは何年も前の話ではない、つい先日の話――そうだ、それは拳のイメージ、そしてその一撃を放ったのは――


「――――道途」


 何かがあったのだ。だがそれが何かは分からない。……それでもこのイメージは、――大きな出来事があったのだろう。そう思うだけの力があった。


「――風見鶏さん、今の」


 近代寺が不安げに俺を見つめる。――のんびりしている暇は、やはりなさそうだ。


「ああ、行くぞ。俺に考えがあるからついてこい」


 ◇


 謎の集団幻覚――と、臨時ニュースが告げている。『慌てることはない、現時点で何も世界に異変は発生していない』――そんな言葉も聞こえる。……状況はまだ判然としない、だが、だからこそ立ち止まらず前に進まねばならない。ゆえに、俺は近代寺の手をとって路地を駆け――そして、不動産屋に来た。


「なんで!? 不動産屋さん!? どうしてですか!?」

「まぁ落ち着け。実は特殊なもんが買えるんだよ。――特殊な地脈がな」


 表向きは不動産、だが魔獣を狩るハンターに対しては別の顔を見せる――そういう特殊な販売形式を取る不動産業者が存在した。彼らが売るもの――それこそが、不明物質の流れる地脈であった。


「大穴の存在までは今まで詳しく知らなかったが、自力でアンノウン・マグネットの採取を行うハンターがいるのは知ってたんだよ。で、そいつらは決まって不動産屋で特殊な土地――つまり、大穴から通ずる地脈の眠る土地を購入していたってわけだ。ま、そんな事するやつなんて道楽でハンター業をやっているセレブぐらいだがな」


 ……そう。それだけ価値があり、なおかつリスクのある土地ゆえに、そう安々と購入することはできなかった。だが――俺には今、強力な手札があるのだった。――そう、森久保氏からの報酬という名の手札が。


「……今の俺にはセレブ並みの資金がある。これで買えるってわけよ」

「そ、そんな勿体ないことするんですか! 確かに森久保さんは怪しいかもですけど、あれは正当な報酬として持っておけばいいでしょうに」

「いや、いい。あんな一気にえげつない額になる金塊渡されても俺は持て余しちまうからさ。……それに、森久保さんにそっくりそのまま送り返すよりは有効な使い方だからいいだろ」


 驚く近代寺を軽くいなす俺。もう決めたことなのでそれで良いのだ。

 ――すると、扉の開く音がした。店の方からだ。


「……珍しいな。は、そのほとんどが引退して別荘を購入していくようになったものだが……む、お前」


 店の中から店主が出てきた。老齢の男だが、その屈強な筋肉は衰えを見せていなかった。――俺は、この店主を知っていた。


「お久しぶりです師匠。ちょっとばかし入用の土地がありましてね」

「フン、隠居老人を叩き起こしに来たのか? まあいい、入れ」


 その男の名は朧川おぼろがわ慟哭どうこく。ハンターとしてだけでなく――今の俺を形作った、いわば人生の師匠であった。


 これまでの経緯を話すと、師匠は「そういうことか」と、何かに納得したかのような声を上げた。


「……師匠、心当たりでもあるんですか?」

「ある……少し準備するから待ってろ」


 それだけ言って師匠は奥の部屋へと入っていった。……応接間には俺と近代寺の二人だけが取り残された。……さて、なにか話でもしようか。


「近代寺」「風見鶏さん」


 同時だった。全くの同時。リハーサルでもしたのかと第三者から疑われそうなレベルで同じタイミングの発声だった。当然リハーサルなどしていないのでただの偶然なのだが。ゆえに特に何ということもなく話をすすめることにした。


「……近代寺、先言っていいぞ」


 俺は無理に話す必要性も緊急性もなかったのでそう促すと、近代寺はなぜか顔を赤くさせながら「で、では僭越ながら……」などとやたらかしこまった言い回しを繰り出してきた。本当によく分からない。


「あのぉ、風見鶏さんはお師匠さんのところに行ってから、どんな生活を送っていたんですか? あのその、なんだか気になっちゃって……」


 伏し目のまま訊いてくる近代寺。見るからに照れている。わけが分からない、俺に対して照れる理由が思いつかない。

 ……まぁ何でも良いか。こういう状況はそのうち自ずと答え合わせが始まるものだ。あからさまな違和感というものは、総じてそういうものであると俺は認識しているし、経験上大方そのとおりに事は運ばれていった。だから今は、あえて何も訊かないでおこう、そう思った。


「何って、別に特別なことはないよ。魔獣ハンターとして戦う心構えとか戦い方とか、何より逃げ方を教わっていた――って感じかな。ハンターなら誰でも教わることなんじゃないかな」


 頷きながら聞いていた近代寺だったが、俺が『逃げ方』と言った辺りで目を少しだけ見開かせたのが分かった。なにか思うところがあったのだろうか。


「気になることでもあったか?」


 俺の問いかけに近代寺は一瞬体を跳ねさせた。余程驚いたようだ。図星だったということだろうか。


「ええ、その……逃げ方っていうのはどういう心構えなのかなって、ちょっと気になりまして」

「そっか。そうだなぁ……」


 一言で簡潔に説明できてしまう内容ゆえ、もしかすると誤解を招いてしまうかもしれない……。そのような概念でもあるため、どのように説明しようか迷ったが、一言二言増えてでも誤解のないような言い方をすべきだろうという考えでまとまった。


「この場合の『逃げ方』には二つの意味がある。

一つは『手に負えない相手からは全力で逃げて情報を持ち帰れ』というもの。

 そしてもう一つは――『ハンター業からの引き際を見誤るな』だ」


 たったそれだけのこと。だがそれができなかったばかりに命を落とした魔獣ハンターは多い。真に強い魔獣ハンターというのは、タイミングを見極めて引退した俺の師匠のような人のことを言うのだろう――そのように俺は思っている。


「引き際、ですか……確かに、考えないといけないことですね」


 どこか思いつめた表情で語る近代寺を見て、少しだけ心配になった。……俺にも人の心はある。なんでもかんでも気にし過ぎだと言い切って放置するわけではないのだ。


「どうした? なんかあったのか?」

「い、いえその、えっと……」

 まごつく近代寺。部屋の奥から師匠の足音が聞こえてくる。のんびり雑談をする時間はなさそうだ。


「なんだ? 言いたいことがあるのなら遠慮せず言えって。大抵のことじゃ驚かねェよ」


 足音が近づく。仮に師匠が聞くとまずい話だった場合、近代寺は沈黙を貫くだろう。だがそれならわざわざここで話す必要すらない。……となると、俺に対して言いたいことがあるが言えずにいる……辺りが真相となるだろうか。


「俺のことなんだろ? もし俺の記憶に関することだったとしても構わず言って良いぞ。その方がお前さんも気が楽だろ」

「…………!」


 今度こそ大きく目を見開く近代寺。宇井座村で感じたいくつかのデジャブ。それらのきっかけは近代寺によるものがほとんどだったと記憶している。あれが俺に何かを思い出させる行為だったとするならば色々と辻褄は合う。……そうであるならば俺の推理力も捨てたものではない。そう思えた。


「合ってるか?」

 俺の言葉に近代寺は頷く。師匠はすぐそこまで来ているが、どうしたもんか。


「師匠に聴かれちゃマズイか?」

 いえ、と近代寺は言いかける――が、若干口ごもったように思えた。

 なら、こちらはこちらで独断するか。


「お茶を持ってきたぞ、ん?」

 お茶とお菓子を持ってきた師匠。いかつい見た目ゆえに怖がられることが多いが、その実気配り上手なナイスガイだったりする。……ただ申し訳ないがちょっとだけ再び退室していただこう。


「すみません師匠。ちょっとだけ、あとちょっとだけ奥の部屋にいてもらっていいですか?」

「は? 来たのお前らじゃん……」

「それはそうなんですが、頼んます」


 この通り、とお辞儀をして頼み込む。師匠の困惑は当然のものなのだが、近代寺の話はもしかすると急を要するかもしれないのだ。


「あーその、風見鶏。あの嬢さんのことなら、俺知ってるぞ。見たのはしばらくぶりだが」

「…………なるほど」


 俺が師匠に弟子入りできたのは、そもそもの前で俺と誰かを最初に見つけたのが師匠だったからだ。俺の記憶はそこから始まっている、十五歳の夏のことだ。となると、やはり俺の推理は当たっているのだろう……。


 ――師匠が俺の前を通り抜け、近代寺に近づきながら口を開いた。


「お嬢さん、まだ話してなかったのか? 二人で来たからもしやと思ったんだが」

 ……師匠の言葉に、近代寺は顔を伏せる。なにか言い淀んでいるようで、怯えるかのような吐息だけが聞こえてくる。

 察したことがあったようで、師匠は俺に声をかけた。


「先にお前の要件を聞こう。……勘だが、その方が良い」

 師匠の勘はよく当たる。ここは従っておこう。


「実は、不明物質の流れる土地を買いたくて」

「……そんな金あんのか? ――あー、もしや森久保か?」

 なんだか納得のいったといった風に何度か頷く師匠。……もしやよくあることなのか?


「師匠、知ってんですか?」

 俺の質問に師匠は「ああ」と首肯した。

「ここのところ、俺や仕事仲間のところに名だたる魔獣ハンターが隠居用のマイホームなり別荘なりを買いに来るんだよ。……ここが引き際だって言ってな」

「そいつらももしかして――」

「ああ。森久保から依頼を受け、報酬で大金を受け取っている」


 名だたるハンター、引退、森久保――。何かが繋がり始めている。森久保氏を中心にして、陰謀めいた渦が蠢いている状況が鮮明になっていく。


「なぁ風見鶏。ハンターの引き際、進退の方……忘れたわけじゃないだろうな?」


 師匠の目が鋭く光る。その力強さは健在だ。今でもハンターとしてやっていけるだろう。……だが師匠は隠居した。己の引き際を悟って。――実のところ、森久保の一件は俺にとっても選択のタイミングだったのだ。あまり考えないでいただけで、森久保からの依頼を達成したあの時は――俺にとっての引き際であったかもしれなかったのだ。


「分かってますよ師匠。引き際ってのは――もう戦うだけの力がないと悟った時――そして、。でしょう?」

「ふん、分かってるなら良い。――だからもう一度聞くぞ。お前がここで買うべきものはなんだ?」


 師匠は俺の身を案じてくれている。俺自身の引き際を考えるなら素直に従っておくべきだ。俺はもう既に森久保から「これ以上魔獣案件に関わるな」と言われたようなものなのだ。猶予を与えられたようなものなのだ。だから俺はここで買うべきものは不明物質の流れる土地などではない。本来は、その選択をすべきではない。

 ――だが、


「すみません師匠、それでも俺は、この気持ちは曲げらんねェです」


 ——俺は荒野を見たかった。あの夢を、己に素直な選択をした時に見られるあの荒野の夢を――俺は何度でも見たかったのだ。


「俺がやりたいようにやらせてはくれねェですか? 一度は空っぽに戻った俺でも、こんだけ時間が経てばやりたいことが見つかるんです。十五の時の俺も、きっとそうだったんです。その時どうなったかは分かりゃしませんが、何かをやって、そして今の俺として生まれ変わったんです。……だから、今の俺にも、なにかやり遂げさせちゃくれませんか」


 自分でも驚くほどに言葉が溢れ出してきた。思っていた以上に俺はロマンチストなのかもしれない。――忘れていただけで、そもそも俺はこういうやつなのかもしれない。そのようにも思えた。

 師匠はしばらく考え込んでいたが、首を縦に振ってくれた。


「……青春のやり直しみたいなもんか。なんにも保証はしてやれねェが、力にはなってやるよ」

「……ありがとうございます、師匠」

「いいさ、好きに生きて好きに駆け抜けるが良いさ。背中ぐらいは押してやる」


 そう言いながら師匠は俺の背中を叩いてきた。もう準備ができているらしい。仕事の早い人だ。


「……とまぁ、お前の方はこれでオーケーだが……お嬢さん、話せるかい?」

 師匠は近代寺に問いかける。――近代寺は、

「…………いざ話すとなると、……あの、その……、こんなにも声に出せなくなるもんなんですね……」


 近代寺は、苦虫を噛み潰したような表情をどうにかやめようとしている――ように見える。何かを言いたいのに、言い出せない。そのような表情だと感じられた。


「本当は、その、本当は……風見鶏さんの方から気づいてもらえる……思い出してもらえると、その、良かったんですが……」

 どこまでも歯切れの悪い言い回し――だが、逆にそれで俺の中で浮かび上がっていた推論の信憑性が増していった。


「――なぁ、近代寺。言いづらいのなら俺の方から訊いてもいいか?」

 できるだけ、努めて優しい口調を心がけた。それで近代寺の負担が多少なりとも減るのならそれで良いと思ったのだ。


「え……風見鶏さん、もしかして」

「思い出したわけじゃないけどさ、察しはつくよ。……俺は宇井座村に住んでたんだろ?」

「………………!」


 今の俺が発生した時――つまり十五の時の記憶――その始まりはあまりにも曖昧で、どうしようもなく霧がかかっている。ハンターになる――そう決心し俺という存在を再定義したことで、ようやく視界や認識がハッキリとしだしたのだ。だから師匠のバイクに乗せられて旅立った時の光景が、俺の原風景とさえ言えた。


「……風見鶏さん。……ええ、はい。その通りです。……私は、私はそれをずっと言いたくて……言いたく、て……」


 今にも泣き出しそうな声で近代寺は言う。……記憶は戻らずとも、分かり合えることはできる。信じ合うことはできる。俺だってそのように思っている。


 ただ――、まだ何か、


「……なぁ、近代寺」


 まだ何か――


「…………本当に、本当にそれで全部か?」


 違和感があった。


「――――ぇ」

 この程度のこと、とは言うまい。彼女のことをまるで思い出せなかった俺にも非はある。彼女がどのような思いを抱いて今の俺と接していたのか――それを考えると『この程度のこと』などと断ずることなどできない。


 ――だが、先刻からの近代寺は――いや、近代寺の態度は、これまでに押し殺してきた感情だけのものとは思えなかった。……真相が近づくにつれて、彼女自身が考えずにいた――目を背け続けていた何かを、必死で隠そうとしている――そのように感じられたのだ。


「近代寺、教えてくれ――お前が知っている真実を。あの時、俺の身に何が起こったのかを。……頼む近代寺、教えてくれ」

 視線をそらさず、俺は近代寺へ問いを投げた。

 近代寺は答えない、顔を横に振り、俺の言葉を拒否する。


「……近代寺、頼む」

 ――やはり拒否。何があったというのか。あの時、少年だった俺に一体どのような出来事が起こったのか。


「……言えない理由だけでも、せめて、教えてくれないか」


 妥協と言えば妥協だ。だが『せめて』――せめてそれだけは――だった。せめてなぜ言えないのかだけでも知りたかったのだ。


 ――数秒の後。俺の思いを察してくれたのか、近代寺は今にも泣き出しそうな顔で、そして絞り出すかのような声で、どうにか話し始めた。


「――ぃ、言えま、言えませ、ん……だって、だって、知ったら、それを知ったら風見鶏さんは、……ちが、ちがう、そうじゃなくて、私が、私が…………私が、耐えられない――」


 そして近代寺は泣き崩れた。その場で大きな声をあげて、まるで子どものように泣き始めた。


「近代寺……何があったんだよ……」

「なのに……っ、なのに私はっ、私は風見鶏くんに会いたくてっ……〈/〉くんに会いたくて……っ、でも、でも――」


 ――分からない。何一つ分からない。脱力感すらあった。いや、これは無力感なのかもしれない。俺は、近代寺に何をした? 或いは、何をされた? 真相は本当にあるのだろうか。あったとして、見て良いのだろうか? 俺は、俺は――


「引っ張られるな風見鶏。俺もこの件はよく分からんがな、今はハンターとしてのお前に戻ったほうが良さそうだ。過去のないお前が、知らない過去に引きずりこまれそうになってるからな」

「――――ハァ、ハァ、ありがとうございます、師匠。……近代寺のこと、気にかかりますが、ハァ、ハァ、まずは森久保の方を対処します。地脈の方、お願いしても良いですか?」

「……ああ、そうしよう。おそらく森久保も動き出す頃合いだろうよ。さっきの妙な衝撃イメージ、お前の発言がマジなら、その道途とかいうやつが森久保コーポレーションでぶっ放した可能性が高い。もし森久保がここで何かをやろうとしてるってのなら、この追い詰められた状況で奴は事を急ぐかもだ。――朝までに準備を済ませようか」

「……はい」

 おそらく、決戦は近い。今はただ、やれることをやるだけだった。


 ◇


 地脈を利用した作戦の準備をしている時、師匠がつぶやいた。


「……実際、お前は森久保に勝つだろうよ。なんなら、こんな策なんざなくたってな」

「…………」


 沈黙で返す。師匠の言いたいことは分かる。森久保が如何に十全であろうとも、刀を使えば難なく勝てる相手だろう。だが、俺はあの斬撃は使いたくなかった。もちろん師匠だってそれは承知の上だ。その上で、あえて俺は問われているのだ。そこまでして俺が相対すべき存在なのか――と。


 分からない。正直なところ、分からなかった。俺は別に正義の味方になりたいわけではない。……ただ、荒野の夢を見るために、その条件――幸福な達成感を得ること――を満たしたかっただけに過ぎない。本当にそれだけだった。

 ……俺はただ、俺の思う幸福感を得たいだけなのだろう。たまたまそれが、結構な頻度で誰かの笑顔だったと言うだけのこと。誰かを助けたいのではなく、誰かを助けることが——結果的に、俺にとっての幸福に繋がっていただけなのだ。


「お前が刀を使いたがらないのはよく分かる。同じ立場ではないから分かっているつもりなだけかもだが……使いこなせなかったことで、お前の視界だけでなく俺たち全ての視界からも――を、一部だけとは言え作り出しちまったんだからな」

「…………」


 俺が生成する刀による斬撃は、世界そのものを切り裂きかねない。俺の視界だけで収まればいいが、出力の加減を見誤り――空の一部に空白を作り出してしまった。――今更悔やんでもどうにもならない。あの空白は、おそらく空白のままだろう。俺の少年時代の記憶と同じだ。どこかに落ちてしまって、もうここにはない。そのような実感がある。


「だからこうやって地脈を利用する作戦を立案したんだろうが、俺からしたら用心し過ぎだと思う。……風見鶏、お前は森久保が大穴とやらを掌握した想定で動いているんだな?」

「…………流石ですね師匠、その通りですよ」


 大穴のことなど何も分からない。そもそも掌握できるかどうかすら知らない。……だが、海老名のような解析者がいる。解析に成功した人間がいるのなら、掌握してしまった人間も現れ得る。その可能性を考慮する事自体はなんら不自然ではないだろう。


 ……不明物質が流れる土地ならば高純度のアンノウン・マグネットが大量に含まれる。それを用いて不明物質を含有している存在――つまり魔獣を、物量を以って飲み込む腹づもりである。飲み込み方は実のところシンプルで、土地表層を爆破することで地中に眠るアンノウン・マグネットを露出させ、魔獣及び想定しうる最悪形態の森久保に含まれる不明物質と反応させるというものである。それで中和に成功すれば、一気に戦いを終わらせることができる――そういった理由で、俺はこの作戦を立案した。どの道森久保が戦闘を仕掛けてきた場合、静かな攻防には決してならないだろうという予感があった。


「お前がそうしたいのなら止めはしない。……だが俺にはこれ以上の助けはできん、あくまでも俺は人並みに戦えただけだからな。うまく立ち回っていただけに過ぎん。お前の想定通りの戦況になってしまえば、俺は手出しなんぞできんよ」


 師匠はリアリストを自称する。実際そうなのだろうし、仕事仲間もそういった印象で接していたと思う。

 だが、俺に対してだけは半ば捨て身とも言えそうなほどに思いきった選択をしてくれたと思う。俺の来歴、俺の能力、不明瞭かつ危険極まりないそれらを見た上でなお、師匠は俺を鍛えてくれた。今回だってその一つだろう。戦いへの加勢はできないと言いつつも、作戦の準備は即座に行ってくれた。単純に俺のことを不憫に思って気にかけてくれているだけなのかもしれないが、いずれにせよ、そんな師匠のおかげで今の俺がいる。だからそれで良いのだ。こうやって俺が俺なりの選択をできていること――その礎を作ってくれたのが師匠だ。それでもう既に、俺の中で師匠は大きな存在なのだ。


「ありがとうございます、師匠。気持ちだけで十分です」


 森久保との戦いが始まるまでに交わした会話は、今のやり取りが最後だった。


 ◇


 一時間後――時刻にして午前六時。独立海上都市・遥海市中心部の地中より極光の柱が発生、そのまま天高くそびえる光の柱となった。


 ――いや、正確には、それは不明物質だったのだろう。大穴そのものから一気に放出された膨大な量の不明物質が、光と見紛うほどの極彩色を放ちながら地上に溢れ出たのだ。その量があまりに多過ぎたがために、溢れ出した際の勢いだけで柱の如き姿となり空に突き刺さったのだろう。


 ――分からない。俺には不明物質のことを知る機会はなかったはずだが、アレはそういうものだと俺の心が囁いていた。

 光の柱はやがて形を成し、巨大な人型となった。その無機質めいたまっさらな巨人はただ一言「邪魔をされた」と呟いた。


 ……森久保は既に大穴へのアクセスに成功していたようだ。道途の攻撃を回避できたのも、大穴を介した何らかの力を行使したためであろう。その力が何かまでは分からない。だが既に俺の作戦は失敗していた。咄嗟に土地表層を爆破させたが、アンノウン・マグネットはその尽くが不活性に終わった。


 ――直感が推測を出す。巨人が既に支配権を行使したのだと。最早勝てないと。準備してあった策はかき消されたと。……だからもう、斬るしかないと。


「――ああクソ、結局こうなるのかよ」

 ――諦観めいた悪態をつきながら、刀を生成する。


 ――一方で、巨人は語る。

「大穴――その全てを私は理解した。世界をつなぐ力の奔流。それは星の上にこびりついた文明などではない、本来の姿を顕すための扉なのだ。……それは入り口にして出口、オメガにしてアルファ。紅蓮さえ理解が及ばず、魔獣に取り込まれ、気の触れた解析者は力の矛先を私へと向けた。――無為、無意味、無様なり。世界の真実を垣間見るだけで満足した弱き者たちよ、私は違うぞ。私は世界中に張り巡らされた星の回路を通して、こうして新たなる姿を手にし、そして顕現した。――おお、全てを理解した、理解したのだ、世界の真実を……真なる星の姿を。……今一度、星に穴を穿ち、真世界を呼び戻そう――」


 ――元々森久保は、不明物質の魅力に取り憑かれていたのだろう。誰も理解の及ばないほどの好奇心と探究心で、彼は大穴の門戸を叩いたのだろう。……道途たちによる追跡によって急ぎ足になった結果が現状だろうが、正直なところ、彼にとっては些細な差異でしかなかったのかもしれない。最終的に森久保が到達したかった事象の実現が早まっただけのこと――そのように思える。……だが、そんなことはどうでも良い。

 俺の夢のために、森久保は斬らねばならなくなったのだから。


「――――――〈【】〉――――――」


 巨人が完全に活動を開始すれば世界そのものが標的になるだろう、そのように思う。だからその前に斬る。俺にとって森久保は最早その程度の存在だ。なにせ心配事が増えてしまったのだから。……理由は未だ定かではないが、俺が原因で近代寺は泣いてしまった。その光景が心に張り付いたままなのだ。ゆえに俺は、近代寺の話を聞いてやらないと――


「――いや、違うな」


 視界に映るのは幸いにも巨人のみ。だがアレは大穴からの奔流そのもの。斬ればどうなるかなど、正直なところ考えたくもない。だから、ついぞ近代寺には言わずにいた本音がもれた。


「俺はただ、近代寺と話したかっただけなんだ」


 理由なんて分からない、多分どこかで落としてしまった。――青春のやり直し、そういうことなのだろうか。それすら分からない。……それでも、とにかく俺は、近代寺という人間に、心の奥底――根源的なところで惹かれていたのだ。

 ……わけが分からない。俺にも、相手を深く理解したいという感情がちゃんと残っていたとは。諦観と納得で覆い尽くされていただけだったとは、我ながら可笑しくなってしまった。



「―――――― / ――――――」


 ――そして、


「               」


 ――俺は、制御を失った光の奔流を浴びた。



エピローグ


 落ちた先は穴の中。散らされていた記憶が、色とりどりの彩りを伴って俺の魂に降り掛かっていく。

 俺がいるのはいつかの荒野、無貌の荒野。以前俺に語りかけていた人物の姿が、今は見えず――代わりに少年期の記憶が次々と蘇ってくる。……は。なんだそりゃ。つまりは俺の一人芝居だったってわけ? 愉快痛快抱腹絶倒……などと言葉を繰り出してはみたものの、それにさりとて意味はなく。戻った記憶から嫌でも実感させられる事実を前に、感情のこもらない笑みを浮かべるのみ。


 中三の夏、俺と寿子ひさこが自殺を図ったのはただの勢いでしかなかった。思春期特有の不明瞭な不安感に苛まれた俺たちは、二人で未開の森へと踏み込んだ。それが世界との決別のつもりだったのだろう。少年期の戯言だとしか思えない。それはただ、木々があるその領域へと足を踏み入れただけに過ぎない。

 ……だがその歩みが足跡を作り、微弱ながらも道を生み出した。そのつもりなどなかったが、俺と寿子は大穴までの道を拓いていたのだ。

 ――そんな偶然でしかない行動により、俺たちは大穴を見つけ出した。森の中の空洞、そこにそれはあった。


 大穴は無貌の荒野に繋がっていた。より正確に言えば、無貌の荒野とは世界の見え方そのものであった。森久保は真世界と言っていたが、それはあくまで彼にはそう見えていただけに過ぎない。大穴は、肉体や概念といった様々なものを取っ払い、その魂が世界をどう見ているのかを鮮明にした領域なのだ。大穴は出口なのかもしれないが、いずれにせよ大穴を通った先でも、結局のところ人は各々の主観の中で生きているのだった。

 ……そして、俺の世界は、ただ大きな道が延々と続く旅路の世界だった。どこかにある答えを探して、ただ歩き続ける。俺の本質はそれだった。それだけしか見ていなかった。――だから荒野に人は俺だけだったのだ。……今まではそれで良かった。それで楽しかった。荒野の夢を見たかったのもそれが理由だろう。


 ――でも今は少しだけ違った。きっとそれは、あの少年の日、足を踏み外して大穴に落ちた時……いやその寸前までほのかに抱いていた思いにようやく気づいたからだろう。


 少年の時、大穴に落ちた後には——その思いはまた引っ込んでしまっていた。まだ小さい思いだったのだ。俺は近代寺寿子のことが好きだったのだ。


 ……大穴は生まれる前の魂と死んだ後の魂のみを許容する。あの時落ちた俺はまだ死んでいなかった。だから引き戻された。……けれどその際、俺は生まれてからその時までの十五年間を捨てていった。もとよりそのつもりで少年期の俺は足を踏み外したのだから。


 ――それで俺は、ある意味生まれ変わったのだ。風見鶏つかさは、その時死んだようなものだったのだ。


 ……その時に後もう少しだけ、寿子への思いに気づいていたならばああはならなかっただろうに。



「……ああ、でも今は気づいている」


 ――そうだ。今は気づいている。素直になれず、ただただ誤魔化し続けていたその思いに。


 ——俺はまだ死んじゃいない。……だから、今度こそ伝えに行こう。きっと今も泣きじゃくっている彼女のところへ行こう。――そう決心すると、荒野に門が現れた。良かった。まだ生きていて良いらしい。


「迷うのはもうやめだ。――近代寺に会いに行こう」


 そう言って俺は門を開けた。行き先は現世。迷うことはなかった。俺はもう道を決めた。だから、確固たる思いを胸に抱き、俺は近代寺のもとへと歩みを進めた。






ゲート・アストレイ、了。

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ゲート・アストレイ 澄岡京樹 @TapiokanotC

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