第17話 エイトスの来訪
えええっ!
このヒト、いったいなにやってんの!?
ボクは目を疑った。
シュテルンフューゲルから
魔導騎士で、近い将来、バスク侯爵家の後継者だよ?
ふつう、大貴族さまに床の雑巾がけさせる!?
そして病み上がりのヒトに労働させるなんて、スピカも鬼畜だね。
どうやらディランは、ボクがいない間に意識を回復したらしい。顔色からすると体調も悪くはなさそうだ。
けれど、この程度の掃除なら洗浄魔法を使えばすぐに終わるハズ。土属性魔法しか使えないヒルマンはともかく、ディランほどのヒトが魔法を使わないのは
「おめぇサンがいるおかげで、掃除が捗るよォ」
「いえ。しかし、これはなかなか大変ですね」
そんな会話を聞きながら彼らの側を通り過ぎようとしたところで、ディランの視線を感じた。
立ち止まって、彼の方に顔を向ける。
「黒ネコ?」
ディランが不思議そうに銀色の瞳をボクに向けている。
「おお、黒猫の旦那ァ。姐サンなら部屋だよォ」
ヒルマンの方へ顔を向け「ニィ」と返し、とてとてとスピカの部屋へ向かった。
四日ほど前、ボクはマリア・クィンに会うためヴィラ・ドスト王国の学園都市シュテルンフューゲルを訪れた。
シュテルンフューゲルにある王立魔導研究所でマリア・クィンから聞いた話によると、レヴィナスは周辺諸国の混乱を引き起こす目的でラステルを亡命させたという。
たしかに、ラステルのラムダンジュが暴走すれば、それらの国は壊滅的な打撃を受ける。
……うーん。でもねぇ。
亡命国やその周辺諸国を混乱させて、どうするつもりなんだろう?
逆に、ラステルのラムダンジュが暴走しなかったら?
ラステルが「適合者」ならアルメアも周辺諸国も混乱しないし、アルメアに利があるだけで意味が無い。
いったい、レヴィナスはどうしたいんだろう?
以前に見た彼の顔を思い浮かべてみた。
ダメだ。
ボクは頭を振った。
ボクの光速思考を悪魔メイクが邪魔をする。
光速で悪魔メイク顔だけが浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す。
どうしても思考を持って行かれてしまう。
全然、考えがまとまらない。
ため息をついて、スピカの部屋へ入った。
「あら、シャノワお帰り」
彼女の声に顔を上げる。
ボクは、思わず目を見開いた。ちょっぴり身体の毛も逆立ったかもしれない。
ええっ! ええええ!?
信じられない人がそこにいた。
燃えるような赤い頭髪をした大漢が、スピカを向かい合うようにお行儀よく畳の上で正座をしている。
彼は、ボクの方へ顔を向けて穏やかな笑みを浮かべていた。
「エイトス!? どうして、キミがここに?」
――エイトス・レーヴ。
もとはアルメア王国「白銀の騎士団」の第一騎士団隊長。「鬼神」のふたつ名で呼ばれていたほどの猛将だ。
ベナルティア王国との戦いにおいて、ベナルティア竜騎士団の名将ザクルを討ち取るなどの戦功があったけれど、ワケあって下野した。
その後、彼はアルメア王国第一王子レオンの護衛騎士となり、ボクとともに冒険者ギルド9625を設立した。いまでは真のギルドマスターであるボクの補佐役として、ギルド9625の経営を切り盛りする。
ネコのボクでは対外的に支障があるので、表向きはエイトスがギルド9625のギルドマスターという形になっている。
「お久しぶりです。マスター・シャノワ」
エイトスの側へ駆け寄り彼の膝に右前足を掛けたとき、ボクは「はっ」と気が付いて足を止めた。
とてもイヤな予感がした。
わざわざ、エイトスがヴィラ・ドストまでボクに会いに来た理由。
手紙でもなく。
ギルド9625のメンバーを遣いに出すのでもなく。
エイトスが直接ボクに伝えなければならない報せがあるというコトだ。
「なにがあった? エイトス」
エイトスはスピカの方へ視線を向けてから、ボクの方へ真剣な顔を見せた。
「あたしは、外した方がいいかしら?」
スピカが遠慮がちにそう言って立ち上がろうとする。
「いや、キミもここでエイトスの報告を聞いて欲しい。遮音壁を」
ボクはエイトスの顔を見ながらそう言って、退室しようとするスピカを止める。
たぶん、スピカにも報せた方がいいと思う。
「分かったわ。キヌエいる?」
スピカは、パンパンと手を鳴らして竜人のキヌエを呼んだ。
キヌエはすぐにやって来た。
「お呼びでしょうか?」
「部屋の遮音壁を展開して。それから、この部屋には誰も近づけないように。お願い」
「かしこまりました」
エイトスは部屋に遮音壁が展開されたのを確認すると、ちょこんと座るボクの目をじっと見ながら神妙な面持ちで口を開いた。
「ラステル・クィンのラムダンジュ発現が近いようです」
スピカが息を呑み、手で口を塞ぐ。
ボクは右腕をぺろぺろ舐めて顔を洗う。念入りに毛繕いしてから顔を上げた。
「発現が近い?」
「はい。私がアルメアを出る時点では眠り続けている状態でした」
一週間ほど前に、自宅で「眠り姫」となったらしい。ちょうどボクがシュテルンフューゲルで彼女の母親マリア・クィンに会っていた頃だ。
ラムダンジュ適合者なのかどうかは、ラステルが目覚めないと判らないね。
彼女が「不適合者」なら、天使の力が暴走する。
「サンドラ事件」で天使の力が暴走したサンドラ・クィンを討ち取ったのは、ラムダンジュ「適合者」だったサンドラの姉。
ヴィラ・ドストの魔導騎士ばかりか、
暴走したラムダンジュ「不適合者」を止めることができるとすれば、ラムダンジュ「適合者」かそれと同等の力を持った者というコトになる。
すくなくとも、黄金騎士レベルの者でなければ止めることができない。
アルメア王国でそれだけの力を持つ者といえば、アルメアの剣聖アリス・バトラーと、ここにいるエイトス・レーヴくらいだろうか?
このふたりで天使の力が暴走したラステルを討ち取ることができなければ、彼女を止めることができるニンゲンはアルメア王国にはいない。
「アリスは?」
「レオン王子の護衛任務にあたっています。しばらく、アルメア王都から動かすことはありません」
ボクは目を閉じた。
ラステルのラムダンジュがどうなるか判るまで、エイトスとアリスを王都に留めなければならない。
そして、ふたりの力を疑ってはいないけれど、万が一というコトもある。
……まだ調査が途中だけど仕方ないね。
「いったん、ボクもアルメアへ戻るよ」
そう言うとエイトスは頷いて見せた。
「あたしも行くわ」
スピカがボクの方へ顔を向けて言った。
気丈に見せているけれど、アメジスト色の瞳が揺れている。
ラステルが心配なのだろう。
彼女はスピカの親友だからね。
それにスピカもいるなら、最悪の事態でも心強い。
「ありがとう、スピカ。ラステルにもしものコトがあった場合、キミが必要だ。どうか力を貸して欲しい」
わたりネコのアノン わら けんたろう @waraken
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