雪の雫(5)

 氷城に領主が帰ってきてからしばらくして、城内に激震が走った。


 雪乙女の髪が幼い姿のときのように首元が見えるほどばっさり短くなってしまったのだ。


 豊かな大河でフウィートゥルヴたちと戯れる尊く愛らしい光景が失われた。侍女となり、髪に触れる機会まで得たシーラなど滝のような涙を流して惜しんだ。


 気分しだいでいつでも伸ばせるのだが、せつなはなんとなく口を噤んだ。


 もともとの姿に近い状態で城内で過ごしていたある日。久しぶりにヘルに現れた太陽が見える廊下で城にいるのは珍しい人物と鉢合わせする。短い癖っ毛に、ズボン姿のボーイッシュな少女。


「メニャ!」


「セツナー、久しぶりー」


 鍛冶屋の看板娘のメニア。せつなが人間ではないと知ったあとも変わらず付き合ってくれている友人。「今日はおっきいねぇ」と彼女は近い目線で笑う。


「どうして城に?」


「お届け物だよ」


 いつもは店に行くか、メニアの父の方が来るので、無愛想な父親に代わり接客担当を自称するメニアが店を空けるのは珍しい。


「今回は私も製図から気合い入れて参加したからねー。大切なお客様・・・・・・の為だもの」


「ふーん?」


 メニアの両手に挟まれるほどの小さな箱。ヴィルヘルムは今回は一体何を発注したのだろうか。


 あのサイズだと武器ではなさそうだけど……。


 ずっとニヤついてる様子も気にかかる。なんだか怪しかったのでついて行くことにした。


 応接間で待っていたヴィルヘルムは、メニアの後ろにいるせつなを見て眉尻を小さく動かす。


「ご依頼の品、持ってきましたぁ」


「ご苦労」


「ねえねえセツナ。フウィートゥルヴ触ってみていい?」


「大丈夫だと思うけど……」


 箱をヴィルヘルムに渡した途端、振り返ったメニアの手のひらに指先で誘導して雪精を乗せる。といっても直接肌に触れることはなく、僅かに浮いていた。


 ――しゃんしゃんしゃん


「おー、冷たいのに気持ちー。かわいー」


 小突かれるままに雪精は宙で回る。


「メニア、確認したぞ」


 「はーい」とメニアはあっさりと雪精を手放してヴィルヘルムに向き合う。急に引き締まった横顔につられ、せつなも無意識にごくりと息を呑む。


「いかがでした?」


「問題ない。良い仕上がりだ」


「ありがとうございます!」


 せつなが中身を見る間もなく、取引は終わってしまった。


 メニャのところに頼んで、小さくて……なんだろ?


 推理の真似事を始めた途端、ヴィルヘルムに呼ばれる。


「セツナ」


「……なに」


 毎日のように呼ばれるのに、せつなの方が相手の名前を呼べていないせいか未だに慣れず、急に呼ばれるとどうしても反応が遅れてしまう。叫ばず対応できるくらいには、一応成長もしているけれど。


「これを――」


「あーっと、領主様! せっかくですから庭へ出たらいかがですか! 天気がよくて、きっと絶好のお散歩日和ですよー」


 突然声を上げたメニアにせつなもヴィルヘルムも呆気にとられて瞬く。


「いや俺は……」


「そうですよ旦那様!」


 メニアの起こした波に隅に控えていたラルフが乗る。ヴィルヘルムに耳打ちをして、納得のいくことだったらしくヴィルヘルムは小さく頷いて「行くぞ」とせつなに声をかけた。


「え、うん?」


 戸惑いながらもついて行ってせつなが部屋から出ると、ラルフとメニアは目を合わせて無言で互いを称え合った。




 白く染まり聳える木々。雪が絶えることがないこの地で、停止したようにありながらちゃんと生きているというのだから不思議だ。


 雪を纏った枝が空を狭め、小鳥の囀り一つなく、ここだけ世間から切り離されたような。華やかな彩りはなくても、透明度のある静けさをせつなは好いていた。


 枝の雪から見えないほど細かい結晶が常時降り、日差しで空気が輝く。前を歩くヴィルヘルムの髪との洗練された空気の境界に曖昧になる。


 ああ、ヴィルヘルム世界は今日もこんなに美しい。


「こっちだ」


 はっ、と我に返る。胸の前で手を合わせた信者のようなポーズで思考がまたどこかへ飛んでいて反省。


 何事もなかったような顔を取り繕うも、それを目にした瞬間ほぐれてしまう。


 太い柱に支えられた円錐の屋根、中にはテーブルとイスが揃えられたガゼボ。こんな開けた建造物があるのは意外だった。


 ヴィルヘルムは屋根の下にせつなを招き入れ、向かい合って、持っていた小箱のフタを取って彼女に渡す。


 箱の中の藍色の布の台座に収まった、平たい金色の土台に下向きに咲く四輪の白い花。慎ましく開いている三枚の大きな花弁の隙間から覗く、小さな三枚の花弁に包まれた青い宝石は、今にもこぼれ落ちそうな涙のよう。


「これって……」


「『スナートーレ』。極寒の地ニフルヘイムでも咲く数少ない花の一つだ」


 ヴィルヘルムは花を模したバレッタを、軽く黒髪をすいて留める。


「これなら髪の長さは関係ないだろ」


 残念ながら鏡がないので、せつなは自身の後頭部に付けられた可憐に揺れる花を見ることはできない。けれどせつなは笑った。


「ふ、ははは」


「どうした?」


「えっと……偶然なんだけど。この花、私の故郷じゃ『スノードロップ』っていう名前で、直訳すると『雪のしずく』でね」


 しゃがみ込み、作った氷の棒で白い地面に『雪雫』と文字を書く。


「これで『せつな』って読むんだよ」


 せつなの隣で屈み、ヴィルヘルムは地面に刻まれた文字を指でなぞる。


「セツナ……」

 その口からその音が発せられる度、鼓動が早まる。


 共に膝を伸ばして、隣に立ち。なんとなく顔を見合わせたせつなは、それまで失敗が嘘のように、存外と滑らかにその言葉を口にできた。


「ヴィル」


 そのときの彼の変化に、せつなは瞬きも忘れて見惚れる。


 雲の切れ間から差し込む陽光のような笑顔。


 ――あ。


 それを見た瞬間、許される気がした。


 白く細く長い、節々はしっかりとして決して弱々しくなどない。指を絡めながら合わせたせつなの手はすっぽりと収まり、手の甲にあたる少し固い指の腹の感触に安堵を覚える。


 静かに目を伏せ、繋がれた手を見つめるせつなをヴィルヘルムは見下ろしていた。




 帰還後、ヴィルヘルムはすぐにソルの店で入手した宝石を持って、信頼のおけるヘルの鍛冶屋に向かった。これを使って彼女への贈り物を作れないだろうかと思ったのだ。


 女性メニアも交えてあれやこれやと相談していたのだが、女性への贈り物に慣れてないうえ、しっくりこなくてヴィルヘルムはなかなか決められなかった。


 そんなとき、スナートーレを見かけた。


 雪を被りながら咲く小さな白い花に、彼女の姿が重なる。愛らしくありながら、重圧にも負けない毅然咲き誇る花。


 色もちょうどいい。コルムのガラス粉で作った花の真ん中に青を含ませ、金具は髪の長さ関係なく使えるようにした。


 彼女の長い髪を美しいと思っていたけれど、ヴィルヘルムはそれを口にしなかった。自分の考えよりも、彼女自身の好みを優先して欲しかったからだ。


 らしくなく緊張していたのだろう。


 贈り物には周囲の状況も大切だというラルフの甘言を受け入れ、こうして二人だけになれる場所に来て。


 初めてでもないのに、名前を呼ばれただけでこんなにも心揺さぶられるとは思わなかった。


 いちいち自分の行動に大げさに反応するせつなの気持ちが少しだけわかったような気がする。


 顔が、暑い……。




「……行くか」


「うん」


 目を合わせることなく二人は横に並んで庭を歩く。


 繋いだ手は、離れない。

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気づいたら異世界で雪女になっていました 花見川港 @hanamigawaminato

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