雪の雫(4)

 一度根本を燃やされたにも関わらず、塔は今日も太陽が頂点で輝くことを鐘で告げる。


 事情聴取が終わったあと、貴族たちは速やかに己の屋敷に戻った。おかしな酒を飲んだ後遺症ではなく、鎮圧の際に負った傷で療養する為だとか。特に塔の中でせつなたちを襲っていた連中はしばらく安静にせざるを得ない。


 正当防衛ではあるけれど、せつなには派手にやらかした自覚があった。文句の一つで出てくるかとおもえば、お咎めは一切なし。


 王宮の一部を破壊したヴィルヘルムには、王自ら「やり過ぎだ!」と叱咤があったというのに。


「この国の人って人外に寛容過ぎない?」


 城内庭園の支配権を鶏に持たせたままでいるとか。


『大切にするべきヒナに手を出したのた。記憶がないとはいえ、自分たちがどんな失態を演じたのか、明らかにはしたくないのだろう』


 木陰のベンチに座る子ども姿のせつなの隣で、日当たりのいい茂みの上に座り込むヴィンガル。ふっくらとした羽毛に小鳥たちが埋まってうたた寝をしていた。


 万事一件落着。――とはいかなかった。


 今回の件、そしてヴィルヘルムによるところヘルでの一件の首謀者でもある男が尋問に耐え続けているらしい。動機も目的も、ボァワズルマネスとの関係も依然不明のまま、せつなたちはソルを発たなければならない。


『さて、あの輩に吐き出させるほどの動悸がはたしてあるのか。悪戯心で混乱を引き起こす者は昔からいる。そういった輩は、深入りせず適当に閉じ込めておくに限るのだ』


「始末しろとは言わないんだ」


『自分自身にどんな引き金を仕込んでいるかわからないうちはな』


 城の地下に置いておくことが不安になるようなことを。しかし案じたところで、どう処理するか決めるのは、せつなでもヴィンガルでもなくこの国の人間たちだ。


「そろそろ行くよ」


『うむ』


 建物の日陰に佇んで待っていたシーラと共に応接間でアルフィと話しているヴィルヘルムのもとへ向かう。


 話しているアルフィの隣にはローニが座っていた。せつなが来ると顔を向けて立ち上がり、せつなの前で緊張した様子で「あのね」と口をもごもごとさせる。


「僕と、僕と友達になってください!」


「別にいいけど」


 眉を吊り上げ、身を乗り出すから何事かと思えば。肩透かしをくらった。


 けれどローニにとっては重大だったようで、頬を真っ赤にして笑っている。


 面と向かって「友達になってください」などと、普通の人でもあまり言わないと思うが、恥ずかしがり屋の彼にしては勇気を振り絞った行動だ。


 父親には及ばないものの、初めて会ったときよりも輝かしく見えた。


 息子が少女に頭を撫でられているのを父親は微笑ましく見守る。


「またねセツナ」


「うん、ローニも元気で」


 せつなたちを乗せて出ていく馬車が門の向こうに消えるまでローニは見続けた。


「とーさま……ボク、友達を守れるくらい強くなりたい」


「ローニ……」


 決意を宿した息子の背中をアルフィは押す。


「ならまずは、ヴィンガルから一本取れるようにならないとな」


「エッ」


 硬直した姿にアルフィはニヤリと笑う。


「冗談だ」


 涙混じりにほっとするローニ。まずは剣の握り方からきっちり指導してやらなければ。




 問題がなければこのまま行きの道を遡るような進路の予定になっているが、荷馬車が一台増えた分、時間はかかるだろう。


 来るときとは逆に流れる景色をせつなはぼんやりと眺める。


「――セツナ」


 馬が嘶き、空には鳥が飛ぶ。麗かな草原を風が駆け抜け、馬車の窓を花びらがたたく。


 ヴィルヘルムは、じっとせつなを見つめていた。


「…………なっ! なに突然!?」


「いや、思い返せば俺もお前の名前をあまり呼んだことがないと気づいてな」


 だからなんだというのか。どうして急に。


「お前が俺を呼ばないのは、そのせいじゃないのか?」


「はい?」


 落ち着け私――いや無理だ。


 だってそれではまるで、名前で呼んで欲しいからそうしたみたいではないか。


「呼んでも、いいの?」


「どうしてダメだと思うんだ」


「あ……」


 どうしてたかが名前を呼ぶだけのことを恥ずかしいと思うのか。面と向かって呼ぶのがなぜこんなに難しい。


「……ヴィ」


「……」


「ヴィ……」


 名前を呼ぶだけ。大したことはない。


 鼓動がうるさいせいで動揺で唇が震える。


「ヴィ、ヴィルへっにゃあ!?」


 胸の前で手を合わせ今まさに、といったそのとき、石でも踏んだのか馬車が大きく揺れた。


「申し訳ありません旦那様、雪乙女様! ご無事で、あ……」


 馬車を止めて中を確認した従者は、ヴィルヘルムの胸に抱き止められているせつなを見て「お邪魔いたしました」と背を向けて再び馬車を動かす。


「おい、大丈夫か」


 小刻みに揺れる白い塊から白く色付いた冷気が溢れ出す。車内の温度をまた一段と下げ、せつなに触れている場所から薄い氷の膜が張り付いていく。転がる際咄嗟にヴィルヘルムの胸元を掴んだ小さな拳は力強い。


 ヴィルヘルムに優しく肩をたたかれながら、せつなは溶けそうな顔を伏せ続けた。


 どうしてどうして、急にそんなこと言うかな!


 現状把握ができないほどの混乱か、無意識の甘えか。いつの間にか体制を正され、膝の上に座らされていたことにせつなが気づいたのは、一泊予定の村に辿り着いて馬車が止まったときであった。

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