【5】

 僕は死んだ。

 多分、死んでいるのだろう。自分でも分からない。

 音が聴こえない。匂いを感じない。

 目は見える、いや、見えるという感覚とは違う。

 ただ、そこに在る、という感覚だけが、僕に残されていた。

 僕は大理石でできた花壇の上に在った。”僕”という概念が、空中に漂っている。

 やがて、僕はふわりふわりと漂うように、上へと昇っていった。

 ゆっくりと、ゆっくりと、時折、降り注ぐ雨に裂かれながら、漂うように、ゆっくり上へと。

 ビルの窓に、僕の姿は映っていなかった。身体はもう無いのだろう。僕は、概念だけの存在になって。

 ゆっくりと、ゆっくりと、昇っていく。

 ビルの上に、誰かがいた。

 ああ、あの女性だ。

 僕は女性の目の前に在った。

 僕は幽霊になったのだろうか?女性に、僕の姿は見えているのだろうか?

 女性は無表情だった。僕を見えているようで、見えていないようだった。


 だが、その眼は、さっきまでと違って———————。


 一体どれくらいの間、女性の目の前に在ったのかは分からなかった。時間という概念が・・・、時間とは何だろう。

 やがて、女性はゆっくりと縁から降りた。靴を履き、低い柵を乗り越えると、雨に濡れながら、屋上の扉へと歩いていく。

 僕はその背中を見送りながら、またゆっくりと昇っていった。空に吸い込まれるように。


 ——————来ればよかったのに。

 

 ・・・?

 これは、何だろう。

 ああ、これは、感情だ。

 僕は少しだけ、寂しくなっていた。


 ——————まあ、いいさ。


 そう感じた瞬間、雨が止んだ。

 僕は雲の隙間から降り注ぐ白い光によって、霧雨のように空へ溶けていった。

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空に、感情。 椎葉伊作 @siibaisaku6902

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ