ワーカホリックの不幸な初夢

多賀 夢(元・みきてぃ)

ワーカホリックの不幸な初夢

「そこ、変えた方がいいんじゃない」

 画面を眺めていた弟が、後ろから静かな声で指摘した。

「ん、どこ」

「そこ。1つ前のsubの中、関数化した方がよさそう」

「あー、そうか。別のsubにもかかるねコレ」

 私はキーボードを操作して、弟が指摘した部分をコピーした。新たにFunctionと打ち込んでペーストする。

「こんな感じでどう?」

「うん。いいと思う」

 特に笑いもない。感情もない。だけど、やたら日の光が差し込むその部屋は、清浄で居心地がよかった。




「ねえ、起きてよ」

 ――なんか聞こえた気がする。

「起きてってば、もう昼だよ?」

 ――この声は旦那だ。ちょっと待って、なんで旦那が弟と一緒にいるの?

「おーきーてー!正月だからって寝すぎ!!」

 ――ああ、あれは初夢だったのか。そりゃそうだよな、あれが現実なわけがないんだ。

「もう起きろってばああ!」

 ――うん、もう一回寝よう。あの夢の中の方が、現実より幸せだもん。

「起きろ!」

「起きない」

 私は布団に深く潜った。また睡魔がやってきて、同じ夢がぼんやりと現れる。だけどさっきと違うのは、『これは夢なのだ』と知ってしまったことだ。むなしい幻が悲しくて、抗えない現実が余計辛くなる。

「ねえ!なんで起きないんだよ!」

「黙れ!!」

 私は布団を蹴って跳ね起きた。もうその時には、涙腺に熱いものが溜まっていた。目の前に迫っていた旦那は、そのちょっと幼い表情を微妙に硬くしている。

「起きるのが遅いから、起こそうとしたのに――」

「幸せな夢を見てたんだよ!」

 いきなり吠えた私は、一気に感情が高ぶった。

「ああ、とっても幸せな夢だったよ!弟と一緒にコーデイングする夢だ!お前、コーディングって分かるか!プログラムを書くことだよ!お前がいつも邪魔をする、私の仕事だよ!」


 私は個人で仕事を受けている、在宅SEだ。今の仕事には納期がないが、『少しでも早く形になるものが欲しい』と言われている。勤務予定時間として9時~18時と報告はしているが、取引相手の業務形態に合わせて遅くなる事もある。

 そのことは、旦那にも最初に説明したはずだった。だけど旦那は、18時を過ぎて作業をするとキレた。PCの前に座っているだけでもキレた。「契約外の残業させるなんて、会社がおかしい!」と私に喚き散らした。

 仕事を辞めて家に引きこもった旦那は、「今テレビで面白い事やってるから見て!」だとか、「ねえねえ、新しい情報がネットに上がってるよー!」と、自身がダラダラしている寝室に呼びつけたりする。仕事の邪魔になるから辞めてくれと言うと、「じゃあいつなら話しかけていいんだよ!」とやっぱりキレる。


 我慢していた。

 他人と暮らすというのは、そういうものなのだと。

 多少の邪魔は我慢しなきゃいけないんだと。

 だけど思い出してしまった。何気ない昔の記憶を。私が大人になるまでいた家を。


「私の家はなあ!相手のやってる事が何だろうが、一切文句なんて言わなかったんだよ!家族全員理系だったからかもしれないけど、没頭してたら見守って、むしろ一緒になって考えて、そういうのが当たり前の家だったんだ!」

 我が家にパソコンが来たのは、確か小学校5年生の時だったと思う。弟は3つ下だから、2年生。二人で同時に興味を持って、プログラミングを覚えた。私よりも時間がある分、先にプログラミングを形にしたのは弟だった。

 

 時間がない事は悔しいとは思ったけれど、弟に対して劣等感はなかった。弟は、他にも昆虫や物理について教えてくれた。私も、自分の好きだった神話や法話を弟に教えた。二人して大人の口調を真似ながら、哲学的な事まで討論した。

 あの時の私と弟は、真似ではなく本当に『大人』であったと思う。相手を認め、許し、支え、忠告する、対等の相手だった。


 だけど家を出ると、周囲はすべて上下関係と非効率な常識ばかりだった。

 就職、結婚とステージが進むたびに、私は息苦しい縛りに苦しんだ。特に旦那との常識の差は、私が在宅で仕事をするようになってからは強固な鎖となって私を封じた。


「あんたの常識で私を縛らないでよ!もっと自由にやらせてよ!残業!?そんな概念あるか!こっちは期日と出来高が大事なんだよ、残業はおろか徹夜も泊まり込みも当然の世界なんだよ!

 私はあんたと考え方が違うのよ!言われただけの事をするのが仕事なんかじゃない!私からだって提案して、作業工程増えたって良い物が作りたいのに、なのに!」


 旦那の胸倉をつかんで揺さぶる。違うんだ、仕事がどうとかじゃないんだ、私が欲しいのはそうじゃなくて――


「なんで私が思い通りにならないと、キレるのよ! どうしてあんたには、対等って考えがないんだよ! なんでも人のせいにするんじゃねえ、そして人を思い通りにしようとすんじゃねえ!」


 私は大声で叫んで泣いた。夢が示した過去と、現実の落差が辛すぎた。

 弟も私も、それぞれ別の大都市で就職し、結婚した。弟の奥さんは理解のある人で、自由を好む弟を呆れつつ見守る人だった。

 だけど私は、見ての通りの相手だった。時間と共に苦しみが増していった。従い続けたところで自由は来ない、叫んだって伝わらない。まるで壁に向かって話している、そんな錯覚さえ抱かせる旦那。


 あの頃に戻りたい。互いに、本当に対等な相手がいた時代に。

 当たり前に見守り、教え、支え合っていた頃に。清らかな気持ちが満ちた日々に。

 弟を取り戻したいわけじゃなく、弟の奥さんに嫉妬もしていない。私には、弟に対して欲も執着もない。ただ、自分でこの状況をどうにかしたくて、できなくて、いつの間にか諦めていたことに気づいただけ。


 私の夢は、子供時代とか少女時代とか、そんな過ぎた季節みたいなものではない。互いに相手の望みを聞く心さえあれば、相手の常識に合わせる寛容さがあれば、いつでも誰でも作れる世界だ。旦那がそれに気づいてくれれば、私の夢は手に入る。


 旦那も、つられたのか泣いていた。

「ごめん、僕、気をつけるから」

「できん事を言うな!」


 ――そう。分かっているんだ、それこそ夢だって。

 他人は、どうやったって変えられやしない。私が諦めるしか、ないんだ。

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ワーカホリックの不幸な初夢 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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