しろかぜさんそう、かれさんそう

マツダセイウチ

第1話 提案

 ある晴れた冬の日。期末テストの1日目を終えた高校生たちの群れが校門から吐き出されていく。テストという重圧から解放された生徒たちのお喋りは賑やかで、留まるところを知らない。その中に天ケ瀬遥もいた。遥は高校2年生だった。再来年は受験を控えている。背は平均よりやや高く、やせ形で、柔らかいくせっ毛をショートボブにしている。高校生らしく化粧っけのない顔はあどけない少女にも、見ようによっては少年にも見えた。隣にいるのは友人の愛梨だ。愛梨は中性的な遥とは違い、小柄でロングヘアー、タレ目で睫毛が長くぱっちりした目が印象的でいかにも女の子といった見た目だった。タイプは全然違うが2人は何故か仲が良かった。


「はー、やっとテスト終わったー。数学めちゃムズくなかった?自信ないどーしよ」


 愛梨は大きな瞳をくりくりさせながら言った。その愛らしい様子に遥も微笑んで応えた。


「ねー。でも愛梨そういっていつも点数いいじゃん」


 遥は本心からそう言ったが、愛梨はため息をついた。


「そんなことないよ。けっこームリして偏差値ギリギリの大学選んじゃったからほんとに大変。遥はどこに行くんだっけ?」


「私?北明文化大学」


 それを聞き、愛梨は驚いて目を見張った。


「えっでもそこすごい遠くない?どうしてそこにしたの」


 遥は目の前の信号を見ながら飄々とした態度で言った。


「そこ、寮があるから。それが決め手。意外と少ないんだよね、寮のある大学」


「そっか」愛梨はいったん目を伏せ、それからチラリと遥の顔を見て

「家出たいんだ?」といった。愛梨は遥が複雑な生い立ちなのを知っていた。


「うん、まあね。おばちゃんたちは気にしないでって言ってくれるけどさ」


 遥は天涯孤独だった。両親は遥が赤ん坊だった頃に亡くなった。真夜中、住んでいたアパートが火事になり、遥の母親は迫りくる火の手から逃れようと遥を抱えて3階のベランダから飛び降りた。結果として遥は助かったが、母親はその時の怪我が原因で亡くなった。父親は部屋で遺体となって発見された。おそらく寝ている間に煙を吸って絶命したのだろうと警察官が言っていたのを朧気に覚えている。


 両親を失った遥を引き取ったのは母方の叔母夫婦だった。遥の不幸中の幸いは叔母夫婦がとても良い人だったということだ。二人は遥を我が子のように可愛がって育ててくれた。叔母夫婦は遥を引き取ってから実子を3人もうけたが、わけへだてることなく全員を慈しんでくれた。遥はそれにとても感謝していた。だからこそ、この二人に余計な負担や迷惑はかけたくなかった。遥は大学生になったら家を出ようと決めていた。だから大学も寮と奨学金があるところを選んだ。遥自身は特にやりたい事やなりたい職業はなかった。自立した生活を送る事が何より優先だった。


 その日、お昼はコンビニで済ませ、愛梨と一緒に図書館で勉強に励んだ。叔母にはあらかじめ連絡を入れておいた。明日もまたテストだ。油断は禁物である。遥と愛梨は得意教科が違うので、それぞれが得意な方を教え合うというスタイルで進めていった。勉強会は異様に長い休憩を挟みながら夕方まで続いた。


 愛梨と別れ、自宅までは徒歩で帰る。この道も通るのもあと僅かだ。

 叔母夫婦の家は歩いて15分ほどの所にある。四角く、白いペンキ塗りの簡素な6階建てのマンションは、団地と間違われることもあった。


 叔母夫婦の家はマンションの5階の角部屋だ。ダークブルーの金属製のドアは、昼間は鍵をかけていない。遥は室内に入り、鞄を部屋に置いてからリビングの方へ向かった。夕飯時なので、リビングはおかずのいい匂いで満ちていた。下の兄弟達はそれぞれゲームをしたり本を読んだりして夕飯ができるのを待っていた。


「ただいま」


 遥の声を聞き、フライパンで何かを炒めている叔母が振り返って笑いかけた。


「おかえり。テストはどうだった?」


「まあまあかな。数学が難しかったかも」


「そう?でも遥ちゃんはいつもちゃんとやってるじゃない。何も言われなくてもね。だから大丈夫よ」


「そうかな」


「そうよ、しっかりしてるもの。あ、これ出来たから運んでくれる?」


 叔母はほうれん草の卵炒めを皿に盛り、遥に差し出した。

 遥は食事の準備を手伝い、下の兄弟たちをテーブルに座らせた。箸を人数分並べていると、叔父が会社から戻ってきた。


「ただいま。おお、今日はみぞれ煮か。うまそうだな」


 叔父はテーブルの上の湯気を立てるおかずを見て顔を綻ばせた。


「おかえり。今日早かったね」


「ああ。久しぶりに定時で帰れてね。嬉しすぎて逆に怖いくらいだよ。明日辺り天変地異があるかも」


 叔父の冗談に遥と叔母は思わず笑った。


「大げさねえ。素直に喜びなさいよ」


 叔父も笑いながら、着替えをしに廊下の方へ戻っていった。ほどなくして、セーターにジーンズ姿で戻ってきた叔父を迎え、家族は夕飯を取り始めた。


「遥ちゃん、今日テストだったろ?どうだった?」


 味噌汁を啜りながら叔父は遥に尋ねた。叔父の横では下の弟2人がソーセージを取り合っていた。末っ子の妹は叔母の膝の上で、大人しくふりかけご飯を食べていた。


「まあまあかな。数学が結構難しかった」


 遥は叔母に聞かれた時と全く同じ返しをした。叔母も思わず口を挟んだ。


「あなた、それさっき私も聞いたわよ」


「おおそうか、すまんね。大学は北明文化大だっけ?」


「そう。知ってる?おじちゃん」


「うん。知ってる。でもここから随分遠くないか?通うの大変だろう?」


「大丈夫、そこ寮があるから」


 鶏のみぞれ煮を頬張りながら遥はさらりと答えた。

 叔父はそれを聞き、付け合わせのたくあんを齧りながら感心したようにため息をついた。


「相変わらずしっかりしてるなあ。なんか俺たちに遠慮してない?遥ちゃんはまだ子供なんだしそんなに気を使わなくてもいいんだよ。お金なら大丈夫。おじちゃん最近出世したから」


「えっ、すごい!」


 驚く遥に、叔父は得意気な表情で言った。


「だろう?これからは課長補佐代理だからよろしく」


「何それ?なんかすごいのかすごくないのか、よく分からないわね」


 叔母の辛辣なコメントに、叔父と遥は笑うしかなかった。実際遥も課長補佐代理がどんな役職なのかよく分からなかったが、自分に気を遣わせまいという叔父の心配りが嬉しかった。ここはとても居心地が良い。だからこそ、自分はここを出ていかなくてはならないと思うのだった。


 夕食を終え、風呂を済ませた遥が部屋で雑誌を読んで寛いでいると、部屋をノックする音がした。


「はーい」


「遥ちゃん、ちょっといい?」


 ドアの向こうからしたのは叔母の声だった。遥はベッドから体を起こした。


「いいよ、何?」


 そういわれ、叔母はドアを開けて部屋に入った。そして遥の顔を見ておずおずとこう切り出した。


「さっきの大学の話なんだけど─寮って全寮制?」


 突然の問に、遥は内心戸惑いながら首を振った。


「ううん、選択制だよ」


「そう」叔母は少しためらいつつも話を始めた。

「余計なお世話だったら悪いんだけど、その大学の近くに遠い親戚の人が住んでてね、すごく大きなお屋敷なの。それで部屋が余ってるから使ってもいいって言ってるんだけどどうかしら。寮だと狭いし大勢の人とずっと一緒って大変でしょう。今すぐ決めなくてもお部屋を見てからでもいいって」


 叔母はスマートフォンを取り出し、何か操作したあと、画面を遥に見せた。


「ほら、こんな部屋なんだけど、どう?ワンちゃんと猫ちゃんもいるらしいわよ。もちろん、嫌なら全然断ってもいいからね」


 スマートフォンの画面には部屋が映し出されていた。漆喰の壁にダークブラウンの無垢のフローリング。天井付近に飾り窓があり、花と鳥を模したステンドグラスが嵌められている。左端に置かれたアンティーク風の机とクローゼットの扉も同じカラーで統一されていた。新しくはないが全体的に洒落た雰囲気で、外国のおとぎ話に出てきそうだった。ペールグリーンの遮光カーテンと白いレースカーテンの掛かった窓の外にはベランダがあり、そこから木の梢が見えた。森の中にあるのだろうか、と遥は思った。


「すごい。可愛い部屋だね。ホントに使っていいの?」


 遥の満更でもない表情を見て、叔母はホッとした顔をした。


「うん。掃除だけしてくれたらあとは自由にしていいらしいわ。部屋代みたいのはいらないし食事もお手伝いさんが用意してくれるそうだから」


 これは思っても見ない提案だった。遥自身、他人とずっと一緒というのはあまり得意ではない性格で、寮生活もそれを密かに心配していた。親戚なら全くの他人ではないし、それに部屋も気に入った。遥は叔母に心から感謝した。


「嬉しい。ありがとうおばちゃん」


「いいのよ。むしろこんなことしかしてあげられなくてごめんね。何かあったらいつでも帰ってらっしゃい」


 遥は両腕を伸ばし、子供のように叔母に抱きついた。叔母も遥を抱きしめ、髪の毛を撫でた。部屋は暖かい沈黙で満ちていた。


「じゃあ、親戚の人には私から話しておくわね。実際会ってお部屋も見させてもらう?」


「うん。その方が安心かも」


 もうあの部屋に住むのは遥の中ではほぼ確定していたが、念を入れたほうが良いと遥は思った。叔母は微笑んで頷いた。


「そうよね。もうすぐ冬休みだしちょうどいいじゃない。日にち聞いておくわね。じゃあおやすみ。明日もテストでしょ。頑張ってね」


「うん、頑張る。おやすみ」


 叔母は静かにドアを閉め、寝室に引き上げていった。時計を見ると、22時を示していた。明日も学校なので遥もそろそろ寝ることにした。


 その日の夜、遥は珍しく夢を見た。叔母に見せてもらったあの部屋に遥はいた。写真には映っていなかったベッドに腰掛け、そこからベランダの外を眺めていた。窓は開いており、白いレースのカーテンが風を受けてそよそよと揺れていた。ただそれだけの夢だったが、とても心地がよい夢だった。


 朝、目を覚ました遥はその夢の余韻に浸りながら、これから始まる新しい生活に思いを馳せた。何も特別な事はいらない。昨日の夢みたいな穏やかな日がずっと続いてくれたら良いと遥は思うのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しろかぜさんそう、かれさんそう マツダセイウチ @seiuchi_m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ