絞めまして、さようなら。

時任時雨

開けて、閉めて

わたしはその扉を開けます。


絞まります。絞まります。首筋を這うようにきゅっと、そっと。彼女の暖かい手はわたしの首筋を包み込みます。冷たい床に崩れるように倒れこみました。


「ねぇ、どうして!?」


わたしは静かに、眠るように意識が薄れていきます。


不思議と苦しくはありません。


ただ少しずつ、ほんの少しずつ体が冷たくなっていきます。感覚が鈍って、雪の中にいるようで。どこから寒くなっていくのか、初めて知りました。


視界に映るものもゆっくりになって、目の前の彼女は泣いていて。雫がわたしの頬に落ちるまで、妙に時間がかかっています。なんでだろう。なんでだろう。


どうして彼女は泣いていて、どうしてわたしは首を絞められているのだろう。


鈍った頭は恐ろしいくらいに冴えてきて、冷静で、『ああ、これが走馬灯ってやつなのかもなぁ』と変な感動に身を包まれていきます。


そんな冴えた頭はたった一つのわかりきった答えをはじき出しました。


わたしが、彼女をふったから。


「私じゃ、私とじゃあダメなの!?」


くっと強い力がかかりました。


同時にポタリと、頭の中に一滴の墨汁が落とされました。その黒い染みが広がっていくにつれて、わたしは思考も曖昧になっていきます。


かけている眼鏡に水滴がぽたり、ぽたりと。彼女の目から流れる何かがわたしの視界を歪ませていきます。ずっとずっと、暖かくて。首だけが暖かくて。体は冷たいから、その暖かさはとても気持ちよくて。


「子供なんて、いらないじゃない! 私はあなたといられればそれで……」


そうでした。


わたしは「子供が欲しいね」なんてことを言いました。そしてそのときに気づきました。子供が欲しいなんてひどく単純で、だけど女同士じゃそれはできません。


「男に興味ないって言ったじゃない……」


決して手段がないわけではありません。けれど、それはわたしたちにとってとても高いハードルでした。親の理解も得られず、友人にも打ち明けず、ただ二人でそっと暮らしているわたしたちには。


「なんで、今更になって、あんなこと言うの!?」


日に日に子供が欲しいと思う欲求は強くなっていき、先日、わたしは彼女に別れを告げました。理由も、とても自分勝手な都合だということも、全部伝えて。


「私にはあなたしかいないのにッ、こういう私にしたのはあなたなのに!」


きっと、彼女は普通でした。わたしは少し変でした。


「わーた、しーはー」


染みはどんどん広がっていってわたしの意識を奪っていきます。


「あ、なた、のーこ、とを」


声が上から振ってきます。彼女のかすれた声が。


「すきだ、てーい、ったのーに」


嫌いになったわけじゃないです。ただ自分がよくわからなくなっただけです。


「あなたは」


子供が欲しいのか、彼女と過ごしたいのか。その二つの選択肢を突き付けられたときに、選べなかった。


「ど う、して」


彼女は悪くない。悪いのは、ズルいのは全部わたし。


だからわたしはこう言いました。


「ありがとう、わたしも好きだよ」


染みは黒くて。冷たくて。


彼女の手だけが暖かかいものでした。


一面の黒景色。


そこにわたしはもういません。




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絞めまして、さようなら。 時任時雨 @shigurenyawa

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