《ちっぽけな幸せは世界一長い夜に訪れる》

神有月ニヤ

第1話

《ちっぽけな幸せは世界一長い夜に訪れる 第1話》


この世は狭い・・・。


灰色の空が目を不機嫌にさせ、行き交う人々の雑踏は耳を不機嫌にさせる。充満する排気ガスは鼻を、高級なのに不味い飯は舌を不機嫌にさせ、生温い風は肌を不機嫌にさせた。

全世界の人間何人、いや、何万人以上が思っているかは分からないが、俺は声を大にして言いたい。


この世は狭い。


スクランブル交差点のど真ん中で空を見上げる俺は、周りの人から見れば『変な奴』だったり『邪魔な奴』だと思われたりもするだろう。それを証拠に、歩行者信号が赤に変わったのを皮切りに、クラクションの音が止まらなかった。


『早くどけよ、邪魔だこのヤロー!!』


あー、はいはい。


トラックの運ちゃんに怒鳴られ仕方なくど真ん中から退いたが、周りからの目は冷たく、鋭く、心地イイぐらい痛かった。俺がその視線に目を向けるとすぐさま逸(そ)らす。それもそうだろう。この国の人間の大半は、そういう人間だ。見てるのが知られたくないからコソコソとする。でも大体分かってるんだよ、誰が俺のことを見ていたかなんて。


さて、これからどうしたもんかな・・・。


行く当てなどない。時間は『まだ』午前8時。俺はダッフルコートの右ポケットに入っていたタバコを口に咥え、一緒に入っていたライターで火を点ける。もちろんここは路上タバコ禁止区域だ。ふかしていると案の定、周りからは咳払いやジロジロとした視線、コソコソ話さえも雑踏に紛れて感じ取れた。そして程なく、どこからともなく現れた偽善者に咎められる。


『あなた、ここは路上タバコ禁止ですよ!』


「・・・知ってるよ」


『すぐに吸うのを止めてください』


「・・・・・・」


俺が靴底でタバコの火を消すと、そいつどこかへ行ってしまった。後ろ姿はどことなく満足そうだった。


最後のタバコだったのにな。


ボサボサの頭をわしゃわしゃと掻きむしり、俺は大通りから一本入った。人通りは多くないが店が所狭しと並んでる通りへと進み、ただ何をするわけでもなく、壁にもたれかかった。


金でも降ってこねぇかなー・・・。


そんな事を思って見上げた空は、俺を見下していた。『甘くねぇぞ』と言いたげな表情をしており、何よりムカつくのは、それを俺にだけ言っているように見えた事だ。今にも雨が降り出しそうな鉛色の空は、ズッシリとプレッシャーを吹っかけてきていた。


なんで俺だけこんな思いをしなきゃならんのだ。


全ての元凶は、数年前の人生の選択においての失敗。いや、それ以前に生まれた時既に、この運命は決まっていたのかもしれない。

特別裕福な家庭ではなかった我が家は、親父、お袋、妹の4人家族。サラリーマンの親父に専業主婦のお袋、4つ離れた妹は当時はまだ大学生だった。職種さえ選ばなければ、一応仕事はあるこのご時世、俺は役者の夢を諦めきれずに実家暮らしのバイト生活だった。いつまでも就職もせず、家に金を入れるでもない俺を、家族はついに見放した。


『就職するなら家に置いてやる』


この言葉に俺は首を横に振り、追い出された。その時俺も気付いていれば良かったのかもしれない。素直に就職しておけば、と。しかし、舞台にはとてつもない力がある。役者仲間とどんなに喧嘩しようが、演出家にどんなに怒られようが、チケットノルマが足りなくて自費を出そうが、最後のカーテンコールでお客さんの顔を見れば全てが無に還る。舞台には、言葉で言い表し難い魅力があった。舞台が悪いだなんて一度も思ったことはない。ただ、『自分は生きてる』と実感できるのがソレだっただけだ。おかげで今後悔はしていないし、追い出した家族も恨んではいない。思うのは、もうちょっと自分に都合の良い世界にならないかな、ということ。自分が一番よく分かってる、クズだって。何も努力してこなかった人間に明日の日の目を見る事がないくらい、重々承知している。が、何の為に働き、何の為に生きるのかが分からなくなってきているのは事実だ。演劇をやっていた頃は、『舞台を成功させる』という気持ち一本でバイトながら精を出していたが、今となっては、何もやる気が起きない。あんなに好きだった演劇が、嫌いとまではいかないが、やる境遇ではないのだ。何故かって?俺が今、無職のホームレスだからだ。


「腹がへったな・・・」


小さく溜め息を吐く。俺は今まで楽しみだった食事が憂鬱な時間へと変わっていた。飯にありつくには多少のリスクを負うからだ。コンビニ裏のゴミ捨て場にある廃棄処理された弁当やおにぎり、パン。カラスや野良猫達との飯の争いには慣れたが、どうしても慣れないものがある。それは他のホームレス達との争いだ。当たり前だが、生き物は飯を食っていかなければ生きてはいけない。それがプランクトンだったり肉や植物だったり様々なだけで、飯を食わなければ死ぬ。本能的な部分であるだけに、一番恐れているのは人間との争いだった。


これで良いだろう。


俺はコンビニ裏のゴミ捨て場から、弁当を3つ拝借した。後で返すわけではないが、言葉だけでも気持ちはあった。俺は1日食べて、1日食べない、というサイクルで生活している。これは1日行動するのと、しないのとで分けている。今日は行動する日なのだ。そして食事をする場所はいつも近くの大きな公園と決まっている。ここは人通りも割りかしあるので他のホームレスも少ない。公園の端々に森とまではいかないが木々が乱立しているからその木の陰で食べたり休んだりしていた。警察がたまに巡回で近くに来るが、ホームレスの数が少ないからか、注意されるだけで何か処罰を受けたり強制立ち退きまではいったことがないから居心地も悪くはなかった。


今日はここにしよう。


俺は公園内の少し高台になっている場所を選んだ。そこからの眺めは、都会にひっそりと存在している場所とは思えない程穏やかだった。春には桜が咲き、夏にはセミが、秋には一面落ち葉のじゅうたんになり、冬は木々が冷たい風を和らげてくれる。他にもいくつか休めるポイントはあるのだが、今日は何だか見下ろしたい気分だったのだ。早速盗ってきた弁当を1つ開ける。幕の内弁当だ。シャケ、煮物、炊き込みご飯、漬物。バランスの取れたその弁当は、食べるだけで健康を感じ取れるほどだった。賞味期限が切れている事以外は・・・。程なく平らげ、俺は木陰に寝転んだ。


「気持ちいいなぁ〜・・・・・・」


午前中独特の爽やかさに抱かれながら、俺はその心地よさと、空腹が満たされたということにより眠気が蘇り、その場でうたた寝をしてしまった。


《ちっぽけな幸せは世界一長い夜に訪れる 第2話》へ続く?

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《ちっぽけな幸せは世界一長い夜に訪れる》 神有月ニヤ @yuuya-gimmick

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