カノン成長編11 ”見殺し”の代償

 負傷したアーミットをほろで休ませ、デュソーが馬車の手綱たずなを握る。

 百戦錬磨ひゃくせんれんまのデュソーにとっては、矢傷を負ったのは不覚のきわみ。やはり十年以上も実戦から遠ざかっていたことでかんが鈍っていることを、否が応にも実感させられたのだった。


 御者ぎょしゃのアーミットは申し訳なさそうに、小柄な体をさらに小さくして項垂うなだれている。

 ルーアは未だ放心状態。カノンが話しかけても、気のない相槌あいずちしか返ってこない。

 カノンはといえば、やり場のない鬱屈うっくつした気持ちを抱えながら馬車にられていた。


 今後、具体的にはどう動くべきなのか。聖都シャイロンに行き、聖王より勇者として正式に認められた後のことはまだ何も決まっていない。

 それでも、目指すゴールはただ一つだ。新たな魔王として生まれ変わった勇者シャインから器を奪い、再び魔王として君臨すること。そのためだけに十五年もの歳月さいげつを人間として過ごしてきたのだから。



 野盗の襲撃しゅうげきから数刻ほどして、アストラールの国境に差し掛かった。

 街道の関所で、デュソーがラミア伯から預けられた通行証代わりの手紙を男に渡す。二人は顔見知りらしく、特に疑われたり、調べられたりするようなこともなかった。また、デュソーと対等に話しているところを見ると、それなりに役のある人間のようだ。


 男が手紙にサインを入れ、伝書鳥をシャイロン方面に放つ。

 一行は一刻ほど関所の待合室で休憩きゅうけいを取り、ミルクとパンをご馳走ちそうになった。手を付けないのは失礼にあたると考えたのか、ルーアも食事だけは黙々とっていた。


「(シャイロンに着けばこの女ともお別れだ。この先会うこともねーし、気にするだけ無駄むだだよな)」


 カノンは正面に座るルーアをぼんやりながめながら、心の中でそうつぶやいた。自らに対して強引に言い聞かせたと言ってもいいかもしれない。



 アストラールに入ってからの道中は、平和そのものだった。


 ぞくや魔物に遭遇そうぐうするどころか、すれ違うのは聖騎士の集団ばかり。どの部隊も若手を中心に編成されていた。

 彼らはデュソーの姿を認めるなり、ほぼ例外なく首を垂れる。デュソーは、その彼らの頭上に右手をかざす。これは規則などで決まっているわけではないものの、英雄への尊敬の気持ちを表す、聖騎士団独自の慣習のひとつであった。


「おっさん、人気モンだな」

「昔とった杵柄きねづかってやつだ。つまらぬ失態しったいを犯してしまった今は、彼らの尊敬に値しないが」

「ケケッ、すっかり自信失っちまってるじゃねーか。無理もないけど」


 短い会話ののち、一行の間には再び陰鬱いんうつな空気がただよった。



 聖都シャイロンは大陸屈指の大都市である。緻密ちみつに区画が整備されており、騎士団が隊列をなしても十分に通れる道幅が確保されている。

 敷地しきち面積で最大のほこるのはガルガリアの王都バイロンだが、雑多な印象を受けるそちらに比べ、シャイロンは整然とした美しさが感じられる地だった。


「ゴミひとつ落ちてないんだな」

「神の代理人である聖王様のお膝元ひざもとだからな。落としたら重罪、禁錮刑きんこけいだ」


 なんとも生きづらそうな場所だとカノンは思った。



 御者ぎょしゃのアーミットとはシャイロンに着いて間もなくお別れとなった。

 聖病院せいびょういんでしばらく療養りょうようし、後日、聖騎士団の見廻みまわり隊ともにラミア伯の屋敷やしきまで戻るという。


 続いて、ルーアの育ての親を名乗るシスターがやってきた。

 旅商人だった彼女の両親は魔獣まじゅうおそわれて亡くなり、ルーアはそのことを行商中に預けられていた商人仲間の家で知った。身寄みよりを亡くした彼女は、その後、聖護院せいごいんという養護施設ようごしせつで育てられたという。両親が教会に多額たがくの寄付をしていたために何不自由なく育ててもらえたと、カノンは以前本人に聞いたことがあった。


 デュソーは自前のカバンから取り出した羊皮紙ようひし署名しょめいをすると、役所へ持参するようルーアに伝えた。彼女の給料は定期的にシャイロンの信託銀行しんたくぎんこうに振り込まれているが、お役目を終えたことで退職金を受け取ることができるそうだ。


 名残なごり惜しそうなデュソーに、「おっさん、いっそ結婚しちまったらいいんじゃないか」という軽口が喉元のどもとまで出たが、さすがのカノンも空気を読んだ。今の二人をからかっても、何も面白くないだろう。

 人間はもろい。魔王ゲラであった頃に常々感じていたことだ。信頼する者の裏切り、愛する者との別れ、たったひとつの出来事が人生や人格を大きく変えてしまう。


「また会おう、ルーア」


 デュソーのかけた言葉が唯一の別れの挨拶あいさつになった。カノンは口を開かない。

 ルーアもカノンの方を向くことはなかった。デュソーに軽く会釈えしゃくをしただけできびすを返し、シスターとともに立ち去った。


「なあ、カノン。私が倒れている間に何があった? 野盗におそわれたショックだけで、あの気丈なルーアがここまで気を落とすとは思えないのだが・・・」


 小さな背中を見送りながら、小さな声でデュソーが問う。


「さあ」


 カノンはデュソーから顔をそむけた。そむけるしかなかった。

 ルーアの心をこわしてしまったのは自分だ。刃を向けられふるえる彼女を見殺しにした。


 魔王の意思でも勇者の印でもない何かがカノンの心をめ付ける。

 この気持ちに何と名前を付けるべきか、元魔王には分からなかった。

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聖魔逆転! 〜最悪の勇者と正義の魔王の異世界物語〜 よしかわゆきじ @yoshikawayukiji

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