115.エピローグ

 学園の地下深く、ごく一部の人間しか知らない秘密の部屋に、僕と師匠、そして学園長は足を運んだ。

 魔神の襲撃から一夜明けた今日、僕たちは日常に戻っていた。街で暮らす人々には、昨日何があったのかわからない。人知れず平和が守られたことも伝わっていない。

 当たり前のような日常が、昨日も今日も続いている。そんな当たり前を守ったのは僕たちだ。

 まばゆい光を放つ部屋の中には、魔神の心臓が封印されている。そこにもう二つ、新たに心臓が封印された。


「これで封印は完了です」

「うむ。ご苦労じゃったな」

「いえ、これくらいはなんともありませんよ」

「……そうではない。魔神のことだけに限らず……あ奴を、セトを止めてたことじゃ」


 申し訳なさそうに目を伏せる学園長は、続けて僕に謝罪する。


「すまなかったのう。セトのことでお主らに迷惑をかけてしまった」

「いえそんな! 学園長が謝ることじゃありませんよ」


 僕がそう言っても、学園長は首を横に振って否定する。


「セトのことはワシにも責任はある。ワシはあ奴のことを主らよりも知っておった。セトは誰よりも魔術に対して純粋じゃった。それ以外のことに興味も示さず、魔術だけを追い求めておった。こうなることも……ワシには予想できたはずなんじゃ」

「学園長……」


 特級魔術師セト・ブレイセスが魔神の心臓に手をかけた。その事実を知っているのは、共に魔神と戦った者たちだけだ。

 表向きには、相変わらず世界のどこかを放浪しているということになっている。特級魔術師は誰もが認める魔術師の最高峰。そのうちの一人が裏切り、ましてや死亡したと知れば混乱は避けられない。

 魔神の脅威は未だに残っている。王国は余計な混乱を避けるために、この一見に緘口令をしいた。


「ワシにはセトを止めることができんかった。あの純粋さを咎めることも……あ奴の全力を受け止めることも叶わなかった。じゃからお主には感謝しておるよ」


 そう言いながら学園長は嬉しそうに微笑む。


「フレイ。セトの全力を受け止められたのは、おそらく世界でもお主だけじゃったろう。セトもそれをわかっておったから、最後にお主と戦うことを選んだのじゃ。お主ならば、己の全てをぶつけられると確信したんじゃろ」

「……だったら、僕は誇らしいです」


 現代最高の魔術師の一人、彼に最強だと言って貰えた瞬間を、今も鮮明に思い出すことができる。あの時の嬉しさは、師匠と両想いになれた時に匹敵するものだったから。


「そう言ってくれるとワシも嬉しい。のう、フレイよ。セトは最期、お主になんと言っておったのじゃ? ワシには遠くて聞こえんかった」


 僕はセトさんの最期の言葉を思い出し、口にする。


「俺が見られなかった深淵の先を、どうか代わりに見てほしい。君にならそれができると信じている……セトさんは最期にそう言っていました」

「……そうか。あ奴はお主に、自分の夢を託したんじゃな」

「はい」


 僕との戦いの中で、セトさんは念願だった魔術の深淵を覗くことができたようだ。だけど、同時にもっと深い場所があることを知った。

 命の終わりが近づいていた彼は、自分には見られないその先を、僕に変わりに見てほしいと託してきた。


「それで、主はどう答えたのじゃ?」

「はい、と」


 僕はセトさんから託された夢を受け取った。断る理由なんてなかった。だって僕も、彼と同じものを見てみたいと思うようになっていたから。

 あの瞬間から、セトさんの夢は僕の夢にもなったんだ。


「そうか。ワシも主ならそれができると信じておるよ」

「はい。頑張ります」

「うむ。その日が来たらワシにも教えてるか?」

「もちろんです」


 僕は笑って答えた。セトさんが見たかったものはきっと、世界中の全ての魔術師が一度は見たいと思ったものだろう。


  ◇◇◇


 学園から戻った僕と師匠は、自分の部屋に帰ってきていた。エクトスの同行は未だ掴めておらず、彼の真の目的は不明のままだ。

 調査に報告と、やることは残っている。それでも今日は一休みだ。部屋に入った僕は大きく背伸びをして力を抜く。


「う、うーん! ふぅ、ようやくゆっくりできますね、師匠」

「……」

「師匠?」


 師匠の様子がいつもと違うことに気付く。思えば学園長と話している時も静かで、一言も発していなかったような……。

 それ以前からも妙に静かで、暗い雰囲気があるというか……。


「師匠? もしかして体調が優れませんか?」

「別に」


 と言いながらそっぽを向く。僕には元気がないように見える。戦いもひと段落して、ちゃんと成果も残したし、師匠からのご褒美を期待していたんだけどこれじゃ……。

 ん、待って?

 そうかご褒美!

 師匠はきっと、僕へのご褒美をどうするかで悩んでいるんだ!

 前のご褒美は婚約だったから、今回はそれ以上にしたい。でもそれ以上となると、もう結婚くらいしか思いつかない。結婚したいけど、僕が世界最強の魔術師になってからと言ったから、どうすればいいのか考えている。

 きっとそうに違いない。

 と、勝手に考えてテンションが上がった僕は、ニコニコしながら師匠に言う。


「師匠? 僕は師匠からのご褒美ならなんでも嬉しいですからね?」

「……ご褒美?」

「はい」

「そんなの……あるわけないでしょ!」


 期待していた反応とは真逆。師匠から返ってきたのは、空気が揺れるように大きな怒りの叫びだった。


「え、し、師匠?」


 師匠が怒っている。今まで見たことがないくらい本気で怒っているのがわかる。ご褒美を期待していた僕はその場でガチっと固まる。


「フレイ!」

「は、はい!」

「まずそこに座って!」

「わ、わかりました」


 師匠が指をさしたのは椅子ではなく床だった。要するに、ここに正座しろという意味で、僕は言われた通りに座った。

 師匠は僕を見下ろし、腕を組んでプンプン怒りながら言う。


「フレイ、私はすごく怒ってるよ!」

「はい……わかります」

「どうして怒ってるのかわかる?」

「そ、それは……」


 どうしてだ?

 魔神はちゃんと倒したし、街への被害も出さなかった。エクトスは取り逃がしたけど、前からそれで怒られたりはしていない。

 セトさんとの戦いだってちゃんと勝って……。


「あ、鬼人化」

「そうだよ!」


 完全に忘れていた。セトさんの夢とかエクトスの真の目的とか。その後のことで頭がいっぱいで、鬼人化を使ったことが頭から抜けていた。

 あの時も自分で言っていたじゃないか。この後でちゃんと怒られますって……。


「なんであんな力を使ったの!」

「いえその……ちゃんと扱いきれる自信はありましたし、あの時は使わないと勝てなかったので……」


 事実、鬼人化の後遺症はほとんど残っていない。ちょっと魔力を消耗しすぎて身体が怠いくらいだ。命を削るようなことはしていない。


「だったらどうして先に教えてくれなかったの?」

「そ、それは……師匠は怒りそうだなって」

「怒るに決まってるよ!」


 こうして今、全力で怒られている。きっと先に話していたらその場で怒られていたし、何より心配されただろう。


「フレイもわかってるよね? 鬼人化がどれだけ危険な力なのか。あれは人が使っていいような力じゃないんだよ。一歩間違えば死んでたかもしれないんだよ?」

「はい……わかっています」


 鬼人化は無意識にかけられている魔力の制御を解放する。一時的に発動者は常時の何倍もの力を行使できる。ただし制御を外したことで肉体が耐えきれず、命を削り続ける。

 人間が自分の身体を守るための枷を無理やり外すんだ。危険な力であることは、もちろん僕も理解していた。


「僕には確信がありました。師匠が信じてくれた今の僕と、師匠がくれた氷麗操術なら、鬼人化も制御できると」

「それでも……だよ」

「はい。師匠は心配してくれますよね」


 師匠もただ怒っているわけじゃなかった。怒りの中に、僕への心配と無事だったことへの安堵が混ざり合っているのが伝わってきた。今にも師匠は泣きそうな顔をしている。


「わかってる? 私がどれだけ心配したか」

「はい。すみません」

「……もう、勝手なことしちゃ駄目だよ? 危険なことするなら、まず私に相談してよ。そうじゃないと見てられないんだ」

「……はい」


 我ながら浅はかだったと反省する。師匠が心配してくれることはわかっていた。それでも、あとで謝れば許してくれると、納得してくれると思っていた。

 僕が考えていた以上に、師匠は僕のことを心配してくれていたんだ。その深い愛情を、こうして怒られてやっと理解したよ。


「今度からはちゃんと相談します」

「約束だよ? 破ったら……嫌いになるかもしれないからね」

「はい。師匠に嫌われるのは嫌ですから」

「……馬鹿」


 泣きそうになりながら、師匠は僕のほうへと手を伸ばす。顔の前まで近づいた手に触れると、師匠はぎゅっと握って放さない。


「師匠?」

「……わかってないよフレイは。エクトスを止めても、魔神を倒せても、フレイがいなくなったら意味ないんだよ。私はもう、フレイと一緒じゃないと駄目なんだ」

「師匠――」


 その純粋な思い、愛情による束縛の言葉が僕の心を締め付ける。少し胸が痛い。この痛みは、師匠が僕を放さないように手を握りしめているものと同じだ。

 それがどうしようもなく嬉しくて、溜まらなくなって。


「師匠!」

「ちょっ、急に抱き着かないでよ! ちゃんと反省してる!?」

「はい! 大好きですよ、師匠!」

「なっ、やっぱりわかってないよぉ!」


 やるべきことは残っている。まだ解決していない問題はたくさんある。この先、どんな未来が待ち受けているのか……まだわからない。

 だけど一つだけ確かなことはある。

 どれだけ時間が経とうと、世界が変わろうとも、僕たちは共にあることだけは変わらない。

 この手を絶対に、放さない。


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【WEB版】氷結系こそ最強です! ~小さくて可愛い師匠と結婚するために最強の魔術師を目指します~ 日之影ソラ @hinokagesora

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