114.修羅と化す⑦
僕たちは王都から場所を移した。僕とセトさんの戦いを見守るために、師匠たちも一緒にいる。何もない荒野、周囲に人の気配はなく、集落も存在しない。ここでいくら暴れても、誰の迷惑にもならない。
王都での戦いは終息した。セトさんの話を信じるなら、エクトスもすぐには現れない。今、この瞬間は思う存分戦える。
「それじゃ行ってきます」
「おいフレイ、本当に大丈夫なんだろうな?」
「シルバ兄さん」
「大丈夫だよ」
答えたのは僕ではなく、師匠だった。
「フレイには何か考えがある。負けるとわかってる戦いに出るほど、私の弟子は愚かじゃないよ。そうでしょ? フレイ」
「はい」
「考えとはなんだ?」
「それを今から見せてもらうんだよ。私たちはフレイの勝利を信じて、ここで見守っていればいいんだ」
まだ僕が戦うことに不安がある兄さんたちを師匠が諭してくれる。師匠は僕の勝利を信じて疑わない。その期待も嬉しくて、勇気が湧く。
ただ……今回に限っては、師匠の予想は少し外れると思う。
僕は地面を蹴って飛び上がり、上空で待つセトさんの元へ向かう。
「お待たせしました。セトさん」
「もういいのかい?」
「はい。始めましょうか」
「ああ」
これから命のやり取りをする……というのに、どうしてこんなに穏やかな気分でいられるんだろう。きっと、セトさんに敵意がないからだ。
魔神との戦闘も、エクトスとの戦いも、相手を敵として戦っていた。だけど今は、こうして向かい合っている相手に恨みも敵意も抱かない。
ただ純粋に、彼に勝ちたいという気持ちだけが湧いてくる。
「一応、最終確認をするけど、本当にいいんだね?」
「もちろんです。僕はセトさんと戦います。全力で、貴方に勝ちます」
「そうか。なら俺も加減はなしだ」
瞬間、ほとばしる荒々しい魔力に空気が振動する。セトさんが持つ風の魔力だけじゃない。魔神の心臓から得た雷の魔力も交ざっている。
本来、異なる二つの魔術属性を扱うことはできない。使える魔術の属性は一人一つだけと決まっている。そのルールを超越し、通常到達できない領域に踏み込んだのが今のセトさんだ。
戦う前から断言できる。以前に戦ったセトさんとは別次元の強さを手に入れている。もしかすると、魔神よりも強いかもしれない。
対する今の僕は、魔力も身体も限界に近い。だけど、この状況を一気に覆す方法が一つだけあるんだ。
あまり気は進まない。だって、これを使えばきっと……師匠は怒るから。
「師匠!」
「フレイ?」
「……あまり怒らないでくださいね?」
「え?」
そう言いながら期待はしていない。こっぴどく怒られるのは覚悟の上だ。それくらいの覚悟がなければ、セトさんには勝てない。
「スゥー……ハァー……」
さぁ、始めるぞ。自分の中にある魔力……その枷を今、解放する。
「なっ、フレイの魔力が膨れ上がった!? どうなってるんだ!」
「こ、これ……まさか……鬼人化?」
「……はい」
やっぱり師匠がいち早く気付いた。
僕が発動させたのは鬼人化という、人間が無意識のうちに自分へ施している枷を外す力だ。
王都でアグラと父上が力を発動させ、僕はそれを間近で見ている。あの時、僕は密かに考えていた。
どうしようもなく力の差がある相手と戦った時、絶対に負けられない状況で勝利を掴むための最終手段に鬼人化は成りえるのではないかと。
「じ、自分の意思で枷を外したっていうの?」
師匠の心配そうな声が聞こえる。申し訳ない気持ちは当然ある。だけど……勝つためにはこれしかない。
鬼人化によって魔力の制限が解除されたことによって、アグラも父上も本当の実力の何倍もの力を発揮していた。
魔神の力を融合させた今のセトさんに勝つためには、僕も人を越えるしかない。人間を越えて……修羅と化すしかない。
「フレイ……」
「心配いりませんよ師匠。僕は僕のままですから」
「え……どういう」
「師匠がくれた魔術のおかげです」
鬼人化のリスクは、強すぎる力に肉体が耐えきれず、発動中は常に命を削る状態に陥ることにある。しかしそれは、強すぎる魔力の暴走に身を任せているからだ。
師匠から受け継いだ術式『氷麗操術』は魔力を吸収することができる。この術式を自身に施すことで、荒々しい魔力を制御する。
そうすれば命を削る必要もない。さらに……。
「頭も冷やしているので冷静です。アグラや父上のようにはなりません」
「そ、そうなの? 大丈夫なんだね?」
「はい」
鬼人化中は感情の抑制ができなくなるけど、僕はそれも制御できている。といっても、さらけ出されるのは内に秘めた本心だけだ。僕の心はいつだって、師匠のことでいっぱいだから。
「本当に凄いな。君は」
「ありがとうございます。これが最強の意地です」
これでセトさんをガッカリさせずには澄んだだろう。ただし、鬼人化の制御は術式の行使より遥かに難しい。いくら僕でも無限には続かない。
持って五分間……その間だけ、僕は【氷消瓦解】の力を全身に纏うことができる。
「いつでもいけます」
「ああ、こっちもだよ」
互いに時間制限のある全力。故に、僕たちが直感していた。
勝負は一瞬で決まる。
お互いに再考の一撃を放つ。一瞬のうちに全てを出し切り、ぶつけ合う。その緊張感は僕たちだけではなく、見守る師匠たちにも伝わっていた。
静寂の中で息を飲む。
優しい風が吹き抜ける。それを合図に、僕たちは拳を突き出した。
「「おおおおおおおおおおおおおおおお」おおおおおおおおおおおおおお」」
全ての魔力を込めた拳が衝突する。瞬間、凄まじい突風と衝撃波が起こる。爆音が響き、空気が揺れ、大地が軋む。
そんな中で、僕たちの拳は交わっていた。
「凄まじい力ですね」
僕の拳から腕にかけて斬撃が走ったような亀裂が入り、血しぶきが舞う。
「……本当に君は凄いな」
セトさんの拳が凍結し、粉々に砕けていく。
相打ちに見えた攻防は、ほんのわずかな差で僕が制した。拳が砕けた手首から腕へと凍結が進んでいく。
「セトさん」
「ああ、完敗だよ」
セトさんの表情は穏やかで、とても落ち着いていた。
「ああ、そうだ。忘れる前に伝えておくよ」
「何をですか?」
「エクトスのことだ。彼の目的は、ただ心臓を集めることじゃない。魔神の復活もおそらく手段なんだ。本当の目的は他にある」
「え、どういうことですか!」
僕は前のめりになって尋ねた。だけどセトさんは首を横に振る。
「悪いけど、俺にも詳しいことはわからない。言えるのはこれだけだ」
「そう……ですか。ありがとうございます」
その情報だけでも十分だ。
「お礼を言うべきなのは俺のほうだよ。ありがとう、フレイ君。君と拳を交えた瞬間、俺には魔術の深淵が見えたよ。願っていたものが見えたんだ」
「そう……ですか」
「ああ。ただ、魔術っていうのは本当に奥深いね。見えたのはほんの一旦だ。まだ先があると見えた時にわかった。俺にはこれ以上見えない。だけど、君ならきっとその先も見えるんじゃないかな?」
「どう、なんでしょうね」
セトさんのいう魔術の深淵がどいうものなのか、正直にいうと俺にはわからない。セトさんと戦って見えた気もするし、違うような気もする。
僕は魔術が好きだけど、セトさんほど深く愛しているわけじゃなかった。魔術の深淵を見たいと心から焦がれたことなんてなかった。
「はぁーあ、せっかくまだ先があるって知れたのに残念だ。俺はここで終わる。悔しいよ……だからごめん、君に託してもいいかな?」
「僕に……?」
「ああ。俺が見られなかった深淵の先を、どうか代わりに見てほしい。君にならそれができると信じている」
「……はい」
僕は今、他人の夢を受け継いだ。セトさんから託されたんだ。ただの言葉なのに、セトさんにそう言われた瞬間から、どうしようもなく知りたいと思えてきた。
僕も、魔術の深淵を。
「任せてください。僕が必ず、たどり着いてみせます」
「あ、あ……ありがとう。君と出会えて――」
最後の言葉は聞こえなかった。セトさんの身体は氷の粒になって風に乗り、消えていく。残されたのは魔神の心臓だけだ。
聞こえなくても、彼が何を言いたかったのかはわかる。僕も同じ気持ちだから。
「僕も……セトさんに出会えてよかったです」
僕が生涯、セト・ブレイセスという人物を語る時は、必ずこう言うだろう。
魔術を愛し、魔術の奥深さを追い求めた彼は……なにものにも囚われず、自由気ままに吹きぬける。
風のような人だった――と。
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