レイ

緑夏 創

無間

「それはそうと、君には好きな人はいるかい?」


 もう、何十回繰り返してきた問答なのだろう。心底呆れ返りながら、僕は首を横に振った。

 彼女は溜め息を吐きながらも、さりとて落胆や失望という感情は見受けられない悪戯な笑みを浮かべて、そしてまた、何十回目かの言葉を吐くのだ。


「私は君が好きさ」


 ……下らない。

 毎日、毎日、決まった問答、決まった返答、テンプレートに沿った場面を、同じ教室、同じ時間、同じ景色、この放課後の燃えるような夕焼け空を背景に、僕らは無為に繰り返している。


「あっそ」


 そして、僕の返答も変わらない。変えることができない。僕達は変わる素振りも見せられない。


 最早、これは何かの呪いでは無いのだろうかとさえ、僕は最近思い始めるのだった。

 変わらない日常の一場面に張り付いた呪い。

 彼女が狂っているのか、僕が狂っているのか、世界が狂っているのか、それは正常の目安というものがこの場に無いから計りようも無く、ただ僕達はこの何十回と繰り返してきた問答を享受していくしかないのだろう、そう思い始めていたその矢先だった。

 だが、彼女は始めて、もう百に上ろうとするこの繰り返しの問答劇のシナリオを漸く書き換えたように、初めて違う話を切り出した。

 詐欺師のような、軽薄な笑みを蒼白い顔面に浮かべながら。


「永遠って、あると思うかい? 」


 最早永遠に続くと思うくらい、毎日毎日毎日毎日同じ事を聞き続けてきた彼女が、今更そんな事を聞いてくるなんて心底馬鹿げているなと思いながら、「無い」と僕はこれまで無為な時間に付き合わされてきた憤りも込めて答えた。


「それは何故かな?」


 一々しつこくねちっこい女だ、僕の口からは舌打ちが漏れる。さりとて彼女は怯えた様子も、驚いた様子も無く、依然としていつもその蒼白い顔面に貼り付けている、口元を斜めに引き伸ばした余裕ぶった気持ちの悪い笑みを浮かべては、その磨かれた黒曜石のようなくすみの無い瞳が厭に輝かせていた。妙に艶やかな黒髪は夕日に照って仄かに染まる。歪んだ口元から白い八重歯がきらりと覗く。

 最早その全てが僕を苛立たせる。

 その余裕ぶった笑みを、引き裂いてやりたい。だから、僕は答えた。


「永遠なんて、馬鹿げているよ。何事も終わりがあるし、終わるからこそ人間なんだ。永遠なんて、そんなのただの縛りじゃない……か……? 」


「フフ、フフフ……アハハ……!」


 そして彼女は笑った。堪えきれずに、とうとう、これまで溜め続けてきたものが一気に破裂したように発せられた狂笑を教室と、僕の頭蓋に響かせた。

 僕は泣いた。思い出して、とうとう、これまでせき止められていた記憶が自分の言葉で溢れ出し、共に溢れ出た嗚咽が彼女の頬を更に赤らめさせた。


「あ……ア?……アア……ああああ……!」


 無様で惨憺な喘ぎが横溢していく。時が動き出したようにカラスの鳴き声が遠のいていく。


「フフ……、おめでとう。晴れて君は解き放たれた。まぁ勝手に解き放たれたんだけどね」


 思い出した。


「自分の記憶に都合よく蓋をするのは君達の十八番だからね」


 思い出してはいけない事を思い出してしまった。


「うあぁ……嫌だ……嫌だ……まだ消えたくない……死にたくない!」


 思い出した。思い出した思い出した。

 思い出したのだ。

 己の自縄自縛を。

 そうだ。


 この問答を、最初にはじめたのは僕じゃないか。

 いつも問答を始めるのも僕じゃないか。

 何十回問答を繰り返しているのも僕じゃないか。


 ――毎日、毎日、決まった問答、決まった返答、テンプレートに沿った場面を、同じ時間、放課後の夕焼け空を背景に、無為に繰り返している?


 それは、僕じゃないか。

 狂っているのは僕じゃないか。

 呪いとは、僕の事じゃないか。

 でも、僕と話してくれるのが嬉しかった。

 僕を見てくれるのが嬉しかったんだ。

 ずっと永遠に、この時間、この問答が続けばいいのにと、初めて話した日、僕は強く思ったんだった。

 無為も苛立ちも全て、自分の自縄自縛じゃないか。


「自分が死んでいた事を思い出したかい? 」


 ああ……そうだ。僕は、この教室の窓から落ちて死んだんだ。そして、最期に見たのはこの夕焼け空だった。

 でも、その後、死んだ事に気づかずにまた教室の窓辺の隅に居座っていた僕を、君だけは見てくれてたんだ。

 ああ……ああ……、そうだ……、僕は……、僕は……? ……あれ?……僕はいったい、何で死んだ?

 なん、で……?

 え?

 あれ?

 ああ……れ……? ……え?……えああ? ああええ?


「君には好きな人はいるかい?」


「ああ……あああああ……」


「私は君が好きさ」


「アアアアア」


「どこまでも哀れな君が、本当に愛おしいよ」


 そして消え逝く刹那、僕が本当に最期に見た光景は、彼女の、この世に生きる人間とは思えない程に悪魔めいた、醜く歪んだ笑顔だった。

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レイ 緑夏 創 @Rokka_hajime

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