エピローグ


 ――満開の桜とやさしい木漏れ日が、僕を見下ろしていた。


 心地よい風が、花弁一枚一枚をやさしく揺らす。


 校舎へとつづく坂道には、真新しい制服に身を包んだ新入生の姿も見える。期待と緊張を混ぜ合わせた表情で、駆けるように今、横を通り過ぎた。


 僕は、高2になった。

 あれから、もう半年近くが経過したことになる。


「おっす! 乙幡」

「おはよう、乙幡くん」


 昨年、同級だった生徒たちから声をかけられた。

 僕も「おはよう」と自然に返す。

 

 高1の間、僕はついに虐められることがなかった。


 そればかりか、普通に友達というものができた。それも何人も。

 理由の大部分は、隣を歩くにある。


「おはよう、新垣さん」

「おはよう! 玲奈」


 僕に挨拶した生徒は、隣を歩く新垣さんにも同様に挨拶した。

 ちょっと意味深な笑みを浮かべて……。


 あの日以来、僕と新垣さんの距離感は正直、微妙だ。


 どれくらい微妙かと言うと、こうしてたまに一緒に登下校はするけど、毎日ではなく、週に1、2回度程度だし。おそらく、互いに学校で一番話す異性だとは思うけど、それ以上でもそれ以下でもない。


 付かず離れずの……そう、幼馴染みたいな感じ? いや、正確には、幼馴染がいないのでわからないけど……。とにかく、そんな感じの微妙な距離感を保ったまま、僕らは高2になった。


 ただ、新垣さんとたまにでも一緒に登下校している男子というポジション効果は絶大で、クラスはもちろん学年単位、下手すると学校単位で、僕はしっかり「認識」されてしまった。


 彼女の隣を歩くのに、もはや空気のような存在であり続けることは不可能だった。でも、そのおかげで色々な人に話しかけられるようになった。さらに、その中の何人かとは、友達になることもできた。


 最初は決まって「で、新垣さんとつきあってるの?」と話かけられたのだけど……。


 ちなみに赤坂は、あの事件のせいで退学処分となった。あの日、男たちが話していたように、赤坂は女子高生を騙し、大人たちに斡旋する闇の商売を本当にしていたらしく、地元の新聞の社会面にも載るちょっとした事件になった。


 学校では好青年を気取っていた赤坂だけに、その退学は校内でもかなり話題になった。が、それも1、2週間程の話。その後の赤坂の消息を、僕は知らない。噂では、地元を離れたと聞く。


 事件直後は、新垣さんも浮かない表情が多かったけれど、季節が暖かくなるにつれ、あの眩しい笑顔が少しずつ戻り、今では前と同じくらいに戻った。


「――桜、満開だね」


 隣を歩く新垣さんは、桜と同じくらい眩しい笑顔でそう言った。


「まるで、始業式にタイミング合わせたみたいだよね?」


 僕は返す。もうドモッたりもしない。自然体に応えられる。


「すっかり春になったし、どっかに出かけ……あっ――」


 パッと表情が変わり、彼女は早口で続けた。


「――また後楽園ホール行きたい!」


 彼女の言う「後楽園ホール」とは、斬日本プロレスの興行のことだ。あれから一度だけ新垣さんを誘って、後楽園ホールに斬日本プロレスを見に行ったことがあった。


「いいね! また道場行った時、次の後楽園ホールの興行いつか聞いておくよ」


 僕はあれからも時々、虎の穴に顔を出しトレーニングを続けている。近頃は、密かに腹筋がほんの少し割れ始めた。


 相変わらず大鉄さんは怖いけど、選手たちは変わらずまるで後輩のように接してくれる。その温かさへのせめてものお礼として、道場の掃除や雑用などは積極的にするようにしている。


 それから大きく変わったことと言えば、叔母さんがまさかのチャックさんと結婚し、今は世界一周の新婚旅行中だ。あの人は、本当に一所に留まることを知らない……。


 というわけで、今も僕は一人暮らしのような毎日を続けている。とはいえ、以前のような自堕落な生活ではなく、規則正しく決まった時間に起き、毎朝ランニングし、きちんとした食事も摂るよう心がけている。


 正直、色々と順調すぎて怖いくらいだ。でも、あの日以来、唯一失くしたものもある。


 ――伊達さんの、いや、だ。


 あれ以来、脳裏に実況が響くことも完全になくなった。


 父さんは無事、成仏できたんだろうか?


 父の顔も知らずに育った僕にとって、今では父親があの名実況アナの伊達一郎であったという事実は、それだけでも密かな誇りだ。


 そして、父さんに取り憑かれて過ごしたあの夏の日々は、僕のすべてを変えてくれた、本当にかけがえのない日々だった。今日の僕があるのは、間違いなく父さんのおかげだ。


 今も時々、いや、ちょくちょく頭に父さんの声が自動再生される時がある。


『――がんばれ! 剛! 負けるな! 剛‼』


 不思議なもので、その言霊は色褪せることなく、今も僕を鼓舞してくれる。それはきっと、これかもずっとだ。


 校門をくぐると、クラス替えの掲示が貼られていた。

 僕は新垣さんと並んで、2学年の掲示を見上げた。


「2年A組……2年A組…………あっ、あった!」


 そう叫ぶ新垣さんを見ると、眩しい笑顔でさらにこう付け加えた。


「それに乙幡くん、また同じクラスだね」


『――おーっと! 偶然というには出来すぎているぞ、この展開! ここまで来ると、この恋は偶然ではなく、もはや必然なのであります! 満開の桜が舞いち散るなか、乙幡剛、ついについに長かった助走を終え、まさに己の春にたどりつかんとしております‼』 


 そんな父さんの実況が、聞こえた気がした。

                                    


 〈終わり〉

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まちがいなく、僕の青春ラブコメは実況されている 0o0【MITSUO】 @0o0_P

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