第5章 僕は、チカラになりたい。22
黙ったままの僕に、ようやく伊達さんが顔を上げると言った。
「だからこそ今日、君が赤坂たちにひとりで立ち向かい新垣さんを救う姿を見た時、君の力強い成長を目の当たりにした時。驚きとともに、自分の心残りが解消されていくのを感じたんだ。君の目まぐるしい成長に、純粋に感動したんだ。そして、新垣さんとの帰りの会話でも、君は自らの過去を包み隠さず伝えることで、逆に彼女の信頼を勝ち得た。その時も、いつのまにか私の想像なんか遥かに超え成長を遂げた君を見て、正直、心が震えて、もう私が実況でうるさい声援を送らなくても、十分君はやっていけるんじゃないかって……」
伊達さんは、視線を上に上げひと呼吸し、続けた。
「そう考えた瞬間、体が急に軽くなるのを感じたんだ。まるで自分の魂が浄化され、真っ白になって空に解けていくようなそんな感覚がね。その時、こっちの世界には、もう長くはいられないんだって悟ったよ。でもね、まだ勝手ながら君のことが気がかりでしょうがない……。すべて今さらだけど、ようやく父親らしい感情が私の中にこの一ヶ月と少しですっかり育ってしまったみたいだ……。でも、どうやら死後の悪あがきも潮時らしい……」
そう語っている最中も、伊達さんの姿はどんどん薄くなっていく。今にも消えてしまいそうな伊達さんに、僕はすがるように言った。
「伊達さん……そんなこと急に言われてもわからないよ……わからないよ!」
それは僕の偽らざる気持ちだった。そして、この気持も……。
「ねえ、消えないで……消えないでよ……」
伊達さんは、涙を必死でこらえるような表情を見せながら、
「……最後に剛、本当に勝手ながらお願いがあるんだ。今さらも今さらだが……改めて、君には本当にすまないことをした。謝っても謝りきれない。俺という人間は君のお母さんを捨て、君も捨てた。本当に卑しい男だった。だから、許してくれとは言わない。ただ……忘れてほしいんだ。俺みたいなヤツのことは、きれいさっぱり忘れてくれ。それが俺の最後の……願いだ」
そう語る伊達さんの瞳から、ついに一筋の涙がこぼれた。僕はそれを見て、なぜか無性に腹立たしくなって叫んだ。
「――そんなの……そんなの……忘れられるわけないだろっ!」
僕の瞳からも涙の雫がこぼれるのを感じた。同時に、伊達さんのこれまでの実況が走馬灯のように心によみがえった。
『申し遅れました。実況は、私、伊達一郎であります!』
『――おい、剛! 一度も抗いもせず腐ってんじゃねぇ――!』
『ふざけんなとか、この野郎とか、ちきしょうとか、今に見てろとか、そんな感情が微塵も心に浮かんでこないのか⁉ このまま逃げてるだけで本当にいいのかー! どうなんだ! 乙幡剛‼』
『ならば、あがけ! ならば、抗え! そして、運命なんて蹴散らしちまえ‼ 剛ならやれる! 絶対にやれる‼ 少なくとも、この伊達一郎はそう信じて疑わないわけであります‼』
『全国1000万の伊達一郎実況ファンのみなさま、おはようございます! さあ、ついに我らが乙幡剛が、生まれ変わる朝がやって来たわけであります』
『――元気ですか―――――――――――――――――――――――――!』
『かいた汗の分だけ、踏みしめた歩みの分だけ、君は強くなるんだ! どんなにキツく、辛くとも、歯を食いしばってがんばれ! 剛! 負けるな! 剛‼』
『やりました! 乙幡剛‼ 今日も限界を超えました! 昨日の自分を超えました‼』
『なにが「よかったね」だ、乙幡剛! お人好しにもほどがあるぞ‼ 想い人を、積年の恨みを持つあの男に取られて、よかったねじゃねーだろ! 乙幡剛‼ 本当のことを言うんだ! そうすりゃ彼女の目もきっと覚める‼』
『おっと! 雄叫び一発! 我らが乙幡剛が
『私は、その少年の汗を、涙を、努力を、その一部始終を目撃し続けてきたわけであります。少年は、自らの限界を超え努力することで、初めて自らの運命に抗おうとしたのであります。だから……だからこそ――』
『――あんなにがんばった少年が、報われないなんておかしいだろうが――っ!』
『さあ行け、乙幡剛! ついに君の人生で、君自身が主人公になる瞬間が来たんだ! 今こそ! 今こそ!! 大切な人を守るヒーローになるんだっ! 君にはその資格がある!! もう虐められ、虐げられていた頃の君じゃない! 君は過去の自分に打ち勝つことで変わったんだ! 変われたんだ!! 今の君は、君の想像以上にスゴいヤツなんだ! それは、この伊達一郎が保証する! だから、走れ! 走れ!! 乙幡剛‼』
気づくと、僕は感情がぐちゃぐちゃで声を上げて泣いていた。
顔もあちこち傷だらけだから、涙の雫で顔中がヒリヒリと痛んだ。でも、こう叫ばずにはいられなかった。
「忘れられるわけないだろ! 時々、実況が実況じゃなくなってて、応援そのものになってたりして……ひたすら僕の背中を押してくれた伊達さんのことを……あなたのことを……忘れられるわけないだろ――‼」
幾筋も涙をこぼしながら、伊達さんは応えた。
「……剛、ありがとう。……本当に、ありがとう。もう死んだ後なのに、こんなに幸せな時間をありがとう。ひょっとすると、俺は今日までの約一ヶ月で、生涯と死後を通じて一番幸せな実況をさせてもらったのかもしれない。ひとり息子の成長を見守るという、これ以上ない幸せな実況を……」
その表情は涙で濡れてたけど……本当に本当にやさしいものだったから……。
僕はついにその言葉を口にしてしまった。僕の人生に最初から欠落していた、その言葉を……。
「嫌だよ、行かないでよ! 父さん! 父さん! 父さん……」
最後はもう涙で声にならなかった。
伊達さんは、いや、父さんは、最期に静かにこう言った。
『――俺なんかのことを……父さんと呼んでくれて……本当にありがとう』
そして、父さんは夜の闇に溶けるように……。
僕の前から、完全に、消えた。
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