第2話 鼻で笑う話

「ジャスティ・サエキ・ドーソンだ」


 案内されるや否や、ジャスティと名乗った男はずかずかと大股で入室し、まるでたたきつけるように小脇に抱えた分厚い資料の束を昭寿の机の上に置いた。

 あまりにも乱暴で、ドスンという大きな音と軽い振動が室内を響かせる。ジャスティは、やはりその見た目はどう見ても日本人であったが、名乗りの言葉には訛りがあった。

 見た目は日本人。しかし、内面はアメリカ人。そういうものであった。

 だがそれ以上に、ジャスティからは他の感情も見えた。じろりと睨みつけるように、昭寿を見ている。目つきが鋭いから……というだけではない。


「どうも。えぇとミスター、とつけるべきか?」

「必要ない」


 軽い冗談で相手の出方を見てみようと判断した昭寿であるが、ジャスティは無駄話をするつもりはないと言わんばかりだった。

 昭寿は、無意識に、この男が気に入らなかった。何より態度が気に食わない。


(見下されている……とは違うようだが? なんにせよ、こういう態度は気に入らないな)


 占領下において、アメリカ兵が横柄な態度をとるという事例は皆無ではなかった。かたちはどうあれあちらは戦勝国、こちらは敗戦国。意識にせよ無意識にせよそういう価値観というのは生れ出るものである。

 だが、昭寿がジャスティから受けたのはそういう戦勝国という優越感とは程遠いものだった。

 昭寿が受け取った感情は負のもの。怒り、憎しみ、動揺、後悔、それらが混ぜ込まれた複雑な感情だった。

 ただ一つ間違いなく言えるのはあちらはこちらを嫌っているという事実である。


「ナチスの残党がこの国にいる。それだけならば軍が動けばいいだけだが、そうもいかん。このナチの中に日本兵の姿も確認された」

「ほぅ?」


 ありえない話……とも言えない。

 敗戦を認めないものは少なからずいたという。


「それで、その話がなぜ霊能庁へ?」

「それは私が説明しますわ」


 まるでわって入ってくるように、メリー・ネルスの赤毛が昭寿の視界に移り込む。本当に頭から突っ込んできたのか、髪をかき上げながら、メリーはにっこりとほほ笑んだ。


「サルウェー! メリー・ネルスよ。よろしく、ショウジュ」


 ジャスティと違いメリーからは負の感情はなかったが、あまりにも正反対すぎる陽気がかえってまぶしかった。

 というよりはあまりにも派手で押しの強い感じに昭寿は戸惑っていた。あまり、日本では見られない女性だった。

 近年では力強い女性像もなくはないが、それともまた違う種類なのだと思う。

 それに、意外なことにメリーはジャスティより日本語が堪能だった。


「メリーでいいわ。ミスもつけなくてもケッコー。ごめんなさいね、ジャスティは口下手であがり症なの。初めてのお仕事で緊張しちゃってるのよ」

「メリー。いい加減なことを言うな。俺は……」

「静かに、ジャスティ。ここは教会でもアメリカでもないわ。日本よ。そして私たちは裏とはいえ国際的な意味を持つ連絡員でもあるの。立場をわきまえてね?」

「……イエス、マム」

「いい子ちゃん。さて、ショウジュ? いいかしら?」

「あぁ……話を聞かせてくれ」


 一瞬にして、その空間はメリーのものとなった。勢いに任せた口調と態度もさることながら、彼女からは有無を言わせない何かがあった。

 昭寿の推察では、ジャスティとメリーの関係は、メリーの方が立場は上であると見えた。


「これから語るのは私たちとしても半信半疑であることを念頭においてほしいの。ただ鼻で笑うような話だけど万が一本当だったらそれはそれで厄介であるから一応対応するという立場ということね」

「あなたたちの所も、非常に面倒な仕事を任せるものですね」

「万が一で世界に混乱が起きたら納得できないでしょう?」

「それはそうですが。で、その鼻で笑うような話とは?」

「救世主の復活」


 メリーは真顔で、低い声音で言い放った。


「救世主? それは、あれですか。そちらの宗派の?」

「その通りよ」

「……ま、私もそっちの宗教の概要はちょっとは知っていますよ。ですが、なぜ日本で?」

「青森にあるのだろう」


 割り込むようにジョンソンが口にした地名に昭寿はぴくりと右の眉を吊り上げた。

 あぁ、そういえばそんな話もあったなというほどに、記憶の片隅にわずかに残った笑い話。


「青森……神の子の墓か」


 いつの頃からか、青森のとある村にはキリスト教で称えられる神の子の墓があると言われていた。なぜ、どうしてそんな突拍子のない話が沸き上がってきたのかは全くの不明であるが、今では村おこしの一環としてとりあえず言い伝えているだけというのが周囲の評価であり、とうの村の住民たちもそのあたりを割り切っているとか。

 ゆえに、昭寿は思わず噴き出した。


「ははは! 確かに世界中、探せば色んな面白い話はありますがね。くく、日本に、キリストの墓だなんて、ははは!」

「そう、笑い話よ。私だって信じてはいないわ」


 対するメリーは表情を崩さない。ジョンソンも同じだ。


「でも実際にナチの残党が動いている。連中は、戦争の頃から何かしらのオカルティズムに傾倒していた痕跡がある。それに、アメリカやバチカンではちょっとした騒ぎも起きちゃっているのよ」

「騒ぎ?」

「表ざたにはなっていないけど、こちらの教会にね……これ」


 メリーは手提げかばんから一枚の用紙を取り出す。それは張り紙だったようで、少しくしゃくしゃにしわが付いていた。ノリで貼り付けられていたのか、取り外すさいに失敗してところどころが破けているのがわかる。

 そこに描かれていたのは十字架、そしてそれから解放された一人の男の絵。背後には日章旗を模した図形もあり、見ようによっては太陽に照らされた男が天に昇っているようにも見える。


「なんというか……言葉にし辛いですな。この、いまだに歪な国際情勢の中で、これは、なんというか、非常にまずい」

「えぇ、とっても」


 結果はどうあれ日本は敗戦国である。今でこそ戦後復興により経済の成長も見えてきたがやはり立場というものはある。

 それでも安定はしていた。だがこの絵はそれを真下から崩しかねない代物だ。


「まさかと思いますが、これをナチの残党と、ついでに日本兵が?」

「堂々とな」


 ジョンソンは溜息交じりに答えた。

 曰く、アメリカ、バチカンの教会に突如として現れ、ビラをまき、はては貼り付けて言ったというのだ。その後、まるで霞のように消え去り、消息不明。唯一掴んだ足取りはイタリアの港を発つ所属不明の漁船だという。

 進路を割り出してみればアジア方面。確認された日本兵の存在から日本を中心として捜索を開始するという流れが作られたのだという。


「もちろん、日本以外にも世界各国に調査は回しているわ」

「はぁ……しかし、この日本でねぇ……んで、こいつらの詳細はわかっているんですか?」

「ナチの残党については数が多すぎてね。現在照会中といったところかしら。でも、日本兵の詳細は判明しているわ。名乗ってくれたので。本当かどうかはわからないけどね」

「名前は?」

「安藤公彦。軍曹だったらしいわね。世界大戦中では十六歳だったとか」


 その名を聞いて、昭寿は思わず息を飲む。もう聞くことはない名前だと思っていた。


「安藤、公彦……あんちゃん……?」


 それは、若き日の思い出。

 友の名前。死んだと伝えられた、男の名前だった。

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霊能庁捜査官 辰巳昭寿の都市伝説ファイル 甘味亭太丸 @kanhutomaru

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