蛇の家

多賀 夢(元・みきてぃ)

蛇の家

 この家に嫁いで数十年たった。


 かつて、一番最初に生まれたのは娘であった。舅や姑は露骨に顔をゆがませた。長男である夫の姉は、意地悪な目で私を眺めながら、自分の二人の息子を誇らしげに撫でた。


 子は授かりものだというけれど、私にはそれが信じられなかった。産み分けの方法を探し、神仏に祈り、さらにいろんな宗教の見学にも通った。そこには私の娘も同行させた。娘もいつか誰かに嫁ぎ、息子を望まれる立場になるからだ。


 その熱意が神仏に届いたらしい。いや、産み分けの努力も実ったのだろう。私は二人の男の子を産んだ。この家を継ぐ正当な子と、その子に何かあったときのスペアだ。私はこの家に認められた。義姉は嫌がらせを始め、ゴミ同然のおさがりを送り付けた。しかし私には、もう動じる心はなかった。にこやかに「ありがとう」とのたまって、ぼろぼろのそれを娘に着せた。息子には、向こうの家より良いものを買って着せた。


 姑はあっけなく死んだ。その頃から義姉は羽振りが悪くなり、旦那様も亡くなり、完全に落ち目となった。私は娘と家事をしながら、よく義姉の不幸を笑った。あれはどう見ても自業自得だ。最初に生まれようが、家を継ぐのは長男。どんなに我が子に財産を継がせようとご両親に取り入っても、許されるわけはないのだ。罰が当たったのだ。

 私が繰り返す教えを、娘は顔をゆがませて聞いていた。その顔はどこか義姉に似ており、私は娘が眉間にしわを寄せるたびに平手をして教育をした。


 夫は子煩悩であった。男の子二人と一緒に遊び、まるで子供が3人に増えたようだった。あまりの子供っぽさに怒ったりはしたけれど、息子と過ごす時間は楽しいようだった。時折娘もそこに混じるが、女ゆえの不器用さなのか、何をやってもダメなようだった。ゲームで娘が負けるたびに、夫は娘に罰ゲームとして拳骨をお見舞いした。笑う私と夫の幸せそうな様子を、息子たちは暖かく見守っていた。




 そう、思っていたのに。




「ねえ。何を言ってるの?」

 久々に息子と娘がそろったお盆のさなか、三人は正座して私の前に並んでうなずいた。我が子は、3人揃って高校を卒業と同時に家を出ていた。長女と末の子はろくな仕事につかず未婚だったが、長男は二流ではあるがいい大学に入り、それなりの企業に就職している。しかし、良家とは呼べないが硬い仕事をしている女性と結婚した。

 私は彼らに孫を産むよう諭していた。特に長女には、強く説教していた。なにせ長女はもう三十路、五体満足な子を産むにはとっくに遅い年齢だ。

 しかし。神妙な顔をした三人は、私だけをリビングに呼んで言ったのだ。『孫を諦めろ』と。

 まず、口を開いたのは長女だった。

「私は子供を産めないの。これが診断書。大きな病院3件で調べてもらったから間違いない」

 娘が重々しく差し出した三つの封筒。どれも、テレビで見たことがある名前が印刷されている。

「僕もだよ。抗がん剤治療で、精巣が駄目になっているらしい。嫁も体が弱くて、妊娠は命懸けになるから諦めろって」

 長男の言葉は軽かった。確かにこの子は、大学生の時ガンらしきものが見つかり入院していた。だけど抗がん剤だけで治ったからあれは医者の見立て違いだろう。ガンでないのだから、子供は作れるはずだ。

「母さんが何を言おうと、あれはガンだよ。それに作れなくなる理由は、ガンじゃなくて治療法なんだよ。何回も話したよね?」

 軽々しい態度に、ことの重要さが分かっていないのかと、私は口を開きかけた。

「僕も、産めない。――というか、僕は女性じゃなくて男性が好きだから」

 末の息子は怯えていた。その様子に私は頭に血が上った。


「あんたたち、自分が何言ってるかわかってんの!子供が産めないって、孫が産めないって、そんな簡単に諦めてどうするの!」

「簡単に見えるの?」

 長女が私を睨んだ。

「お母さん、大学のころから言ってたよね?どんな男でもいい、とにかく孕みなさいって。それでいい男と寝て『あなたの子』と言ってしまえば、いい条件の男と結婚できるって」

「な!?おおおお、覚えてないわよ」

 息子たちには言っていないあけすけな話に、私は慌てる。

「母さん。もうみんな知ってるからそれ。叔母さんも、死んだお爺ちゃんも」

 長男の発言に、私は長女を睨んだ。きっと娘が言ったのだ。

「だから女の子は嫌だったのよ、男なら構わず媚びるんだから」

「私をアンタと一緒にしないで」

「誰が!?実の母親を侮辱するなんて――」

 無気力そうな長男が、私の声を遮った。

「お母さんが姉貴を目の敵にしてるのは、みんな子供の時から知ってるよ」

「姉ちゃんはね、いつも僕らを守ってくれてたんだ。お母さん、僕らにだって勉強とか無茶させるから」

 末の息子がそう嘯く。その目つきはふしだらな女のようで、私は言いようのない気持ち悪さを感じる。

「だだ、黙りなさい!甘えたこと言わないで、とにかく跡継ぎを産むのよ!そうじゃないと家も財産も守れないでしょう!あと、お墓も誰が見に行くの!」

「それは、話をつけてきた」

 長男は、机の上に大きな封筒を置いた。私はそれを疑りつつ開き、内容に驚愕した。

「義姉さんの家に、譲渡する!? 何勝手にこんな覚書を!!」

「勝手じゃない。お父さんには了承を得てる」

「な!? そういやあの人は!!」

「ほとぼりが冷めるまで、温泉地でのんびりするってさ。無能なクソ親父らしいわ」

 私は口をぱくぱくした。確かにあの人は無責任なところがある。だからって、こんな重要な話を勝手に進めるなんて、あまりにも酷すぎる。


「さて、じゃあ僕らは行くよ」

 立ち上がる長男の足元に、私は追いすがっていた。

「待ちなさい!もっとじっくり話しましょう?義姉さんにもちゃんとお断りをいれて、ねえ――」

「ごめん、飛行機があるから」

 蹴り飛ばすように振り払われ、私は末の息子を仰ぎ見た。

「ねえ――」

「ごめん。僕も病院があるんだ」

「何?病院って、どこが悪いの?こっちの病院で診てもらえば」

「えと。実は――性転換のカウンセリング」

 私は完全に我を忘れた。自分でも信じられない動きで末の息子に飛び掛かった。

 が、その首に手をかける前に、何かに吹っ飛ばされた。

「私の弟に手を出すな」

 私の顔面に拳を入れたのは、娘だった。娘の陰に、末の息子は隠れていた。

「私は、あなたをそんな娘に育てた覚えはない!」

「ええ。私も、娘でなく息子に生まれたかったわ」

 私の脳裏に後悔がよぎった。そうだ、私はこの子を息子として産めなかった。きっとこの子は、それを自分にとっての不幸だと後悔しているのだ。

 しかし、そんな感傷を打ち砕かんと娘は凄みのある目で私を睨んだ。

「学校帰りに知らない男に襲われた時、『アバズレだから目を付けられたのよ』って言ったじゃない。しかも『恥ずかしいから、バレないように黙ってなさい』って。男であれば襲われなかった、恥ずかしい生き物として今まで生きてこなくて済んだ」

「そんな事言ってな――」

「言ったのよ。この子も聞いてる」

 末の息子が頷いた。誤解を解こうと近づくのを、娘が今度は足蹴にした。

 よろける私に目もくれず、娘は末の息子を支えるように出て行った。私は三人に必死に電話を掛けたが、すべて番号が変わっていた。手紙を出したら、宛先不明で帰ってきた。


 私は、我が子の起こした事件をずっと黙秘している。こんな話、誰にも恥ずかしくて言えない。しかしご近所さんが孫の話を嬉しそうにするたびに、孫を連れて見せつけてくるたびに、胸にどす黒いものが渦巻くのだ。この小さな子供をどうにか狂わせて、家ごと潰してやりたいと思うのだ。

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蛇の家 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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