【後日談】 最終話

 清楓さやかは眠っていた。


 あの日、頭痛を訴えながら意識を失い、それ以降、瞼は再び上がる事なく彼女は十八歳の誕生日を眠ったままで迎えた。


 祖父で医師である日夏友彦ひなつともひこは、検査の結果をただ無言で見つめ、首を左右に振る。

 彼女の多すぎる脳内の超能力細胞は酷使の結果、大量の出血を伴っていた。出血はすぐに止まり溜まっていた血液を抜き取っても、彼女は目覚めない。


 早朝の病室に、朝の陽光が差し込んで来る。

 富沢とみざわは左腕を白い布で吊り枕元の椅子に座って、少女の寝顔を見ていた。朝の日差しの中で無防備な寝顔を見るのは、あの日が最初で最後になるはずだったのにもう何度も見てしまっている。


 少し青白く若干痩せてしまったが、今にも目を開けてくれそうなほど、彼女の寝顔は安らかだ。


 力を使った後の状態の情報をあえて彼は流した。某国も、それでは役に立たないと手を引いた気配がある。

 現代人の潜在能力として存在するのは、やはりBランクまで。Aランクはこれからの進化で得られる。現代人がAランクの力を得ても、身体の方が耐えられないのだ。今の、彼女のように。


 男は少女から贈られたタイピンを使っている。外して、裏側に刻印されたクローバーを見る。彼女が自分の無事を祈って刻んでくれた絵文字が、ぎゅっと胸を締め付けた。その想いのままタイピンをつけなおす。

 清楓さやかが、この美しい流線形を、富沢とみざわのイメージだと言って選んだ事を真友まゆから聞き、苦笑した。


「僕はここまで洗練されていないさ。でも君の目には、僕がこう見えているんだね。かっこつけたかいがあったよ」


 立ち上がると、背もたれにかけていたジャケットを手に取る。そしていつものように彼女の手の甲に軽くキスした。


「それじゃあ仕事に行ってくるよ、眠り姫」


 自分が彼女の王子様ではないのは辛いが、騎士ナイトの一人ぐらいにはなれるだろう。


 扉の前にたどり着く前に、扉が開いた。

 相手はびっくりしたように青い瞳を見開くが、ふっと笑顔を見せる。


「あなた、怪我が治るまでぐらいは仕事を休みなさいよ」

「これが中々、慣れるもので」


 出て行く彼と入れ違うように、ライザが清楓さやかの枕元に寄る。


「相変わらず、か。お嬢ちゃん」


 白くて長い指で、眠った姿も可愛らしい少女の頬を撫でる。


「早く起きないと、マサがストレスで禿げちゃうわよ?」


 超能力とは何だろう。神が与えた、未来に向かうための力なのだろうか。偶然編みあがった、ただの進化の一つであろうか。

 窪崎くぼざきは、何度も言う。こんな力、ない方が良いと。何故こんな力が人類にだけ与えられたのか、これからも研究を続けなければいけない。人類永遠の問いである、”何処から来て、何処に向かうのか”という疑問と共に。


 続けて部屋に入って来たのは長い黒髪の少女。花瓶の水を変えて戻ってきたところだ。


「あれ? お兄ちゃんもう仕事行っちゃった?」

「さっき出て行ったわよ」

「もう! 本当にワーカホリックなんだから」


 花瓶を棚の上に置きながら、ぷんぷんと頬を膨らませる。真友まゆとしては、どちらかというと清楓さやかには富沢とみざわが相応しく思えていた。彼女なりに、あの公務員を認めている。だが窪崎くぼざき、おまえはだめだ! という思いがある。だって肝心な時にいないし。自分だったら彼女を一分たりとも一人にしたくないのに、あいつときたら平気で放置するし!

 ぷりぷり怒ってしまうが、彼の不器用さの理由もなんとなく理解できはする。彼にとって清楓さやかのような人間は初めての存在なのだ。どう付き合って、どう対応すれば正解なのか、今なお試行錯誤なのだろう。力あるゆえに傷ついた孤高の狼。清楓さやかが、そんな彼を支えようとしているのだ。親友としてこの恋を応援してやるべきとは思う。


 その窪崎くぼざきの怒号が廊下から聞こえ、二人の女性は顔を見合わせた。


 言い争うような声が暫くしたのち、男が部屋に入って来て、無言で椅子にどかっと荒々しく座る。


「どうしたのマサ。病院であんな大声」

「来週、こいつの死亡判定を行うそうだ。あのクソジジイ」

「「は?」」


 二人の女性が同時に同じ反応をした。


 清楓さやかは以前、自分が病気により意識を完全に喪失し、回復の見込みがなければ、今後も出るであろう同様の患者のために献体になるという書類にサインをしていた。ヴィルケグリム症候群の研究には生体であることが必要で、完全な脳死ではどの細胞が超能力細胞なのか反応が確認できない。つまり、彼女は法的には生きたまま、献体として医療の発展のために身を捧げるという事である。


 窪崎くぼざきはその自身の能力を使って、眠る彼女の心に何度も働きかけた。しかし見える風景は黒くどろっとしたタールに満たされたような風景。キラキラと輝く少女の意識は何処にも見つからない。この黒い海の底に彼女が沈んでいるのではと、何度も何度も呼びかけ続けたが冷たく重いそれが揺らぐ事もなかった。


 彼女は命を繋いではいるが、魂はそのままに意識と記憶が先に旅立ってしまったかのようだ。信じたくはなかったが、なまじ接触テレパスと言う能力があるせいで、他の面々よりも窪崎くぼざきは、現在が絶望的である事を知っていた。それはあの無表情な医師も同様であろう。


 そうなれば、彼女の残した最後の意思を汲んでやる、それしかないと祖父であるあの男は判断したのだ。


 死亡判定が行われるという事実を富沢とみざわが知ったのは、前日である。


「だめだ! そんな事、許せるものか!」


 半狂乱、という言葉がふさわしいだろう。今までの姿からは想像がつかない程、彼は荒れた。過去のトラウマがそうさせていた。彼の妹は、その判定をもってドナーとして命を終えたのだ。密かに想う少女さえも同じ運命と知ってじっとしていられるはずがない。

 いくばくか平静に見える窪崎くぼざきに掴みかかり、殴る勢い。それを真友まゆが後ろから羽交い絞めにして、なんとか止めた。


 肩で息をする公務員を、真友まゆは必死に抱きしめ続ける。男性に興味がない彼女だったが、富沢とみざわの今まで見た事のないその姿に、心は揺れた。抱え込む腕にぎゅっと力を籠める。

 そして自分が男女関係なく、ちょっとほっとけない感じの人にときめく事を今知った。清楓さやかの事も、最初はその感情からスタートしていたのだ。


 後ろから強く抱き止められて、富沢とみざわは落着きを取り戻しつつあった。自分の暴言は、真友まゆをも傷つける物でもあった事に冷静になると気付く。彼女はドナーがあってこその今だから。

 妹の命の欠片を持つ少女。しかし、彼女は妹ではない。その事にも同時に思いが及んだ。自分を抱きしめ続ける手を、思わずぎゅっと握った。


「ありがとう、真友まゆちゃん、もう大丈夫だ」


 その腕が緩んで離れるが、手をつないだままで向かい合い、見つめ合った。微かだが、二人の心情に気付きの変化が訪れていた。


「とにかく、チャンスは今夜だけ。やれることは全部試すしかないわね。この際、眠り姫を目覚めさせるという、メルヘンな王子様のキスだって構わないわ。全部やってみましょう」


 ライザがそう言うと、目前の三者が三様に、それぞれ思うままの方向に目を逸らした。


「……試し済なのね。というか、真友まゆちゃんもそっち側なの!?」

「ライザもするか?」と、富沢とみざわ

「絶対、私は違うでしょう!?」

「全部試すんだろう?」と、窪崎くぼざき

「もうみんな、わけがわからなくなってない? まぁいいけど」

「これで目覚めたら、それはそれでショックじゃない?」


 真友まゆの言葉に全員が顔を見合わせる。少し空気が和んだ。

 ライザがなぜか腕まくりをし、せーの! という勢いをつけて、清楓さやかに口づけた。当然だが無反応である。


「今のはどう見ても、人工呼吸だろう」

「いいのよ! さぁ次はどうする!?」


 しばしの沈黙の後、窪崎くぼざきが俯きながら、二人きりにして欲しいと伝えた。三人は顔を見合わせたが、そういえばずっと二人きりの時間は持ててはいなかった。誰もがひっきりなしに、清楓さやかの様子を見に来ていたからだ。


 部屋に、二人だけが残される。


 椅子に座ったまま、男は二人の出会ったあの日の思い出を語り始めた。小さな体で支え連れ帰ってくれたあの日。名前を呼べずに恥ずかしがるあの姿。最初からずっと可愛い子だと思っていたと、少し恥ずかしそうに呟く。

 ひとしきり思い出を語り尽くした後、男は立ち上がって、少女に覆いかぶさるようにして細い首に顔を寄せた。

 そして耳元で語り続ける。


「いつも恥ずかしくて言いにくい事は、テレパスで伝えて来たが、あれは間違いだったと思う」


 心から心に直接送る方が誠実な行動だと思っていた。だが実際は違う事に男は気づいた。自分と相手以外に聞こえる可能性を持って、声に出すという事は世界に向けて宣言するのと同じなのだ。


「愛してる、大好きだ。もっと長く一緒にいて欲しい。今まですまなかった、俺は弱虫だった」


 彼の筆不精は面倒さが理由ではない。かつて超能力を理由にぬくもりを突然失ったあの日から、彼の中で人はいつも離れていくものだった。力を拒否しない清楓さやかも、いつか自分から離れてしまうと思っていた。その離れて行く事に納得する理由が欲しかったのだ。もし距離を置かれても、自分がそのような態度だったからというわかりやすい原因をあらかじめ用意しておきたかった。


「自己中心的で、すまない。清楓さやかが離れるなんて、……耐えられないんだ。離れたいと、言われても、もう、離したくない、ぐらい好き、なんだっ」


 絞り出すその声は、涙と共に慟哭となって漏れ出した。自分が情けないと思う。本当の別れが差し迫ってからやっと、こんな言葉を紡ぐのだ。息が詰まり、喘ぐように、愛していると言い続けた。思いのすべてを出し切ってしまいたくて。後悔しないように、すべてを絞り出し続ける。


 不意に誰かが、窪崎くぼざきの肩をさする。

 慰めるように。

 男ははっとして体を起こすと振り向いた。


 そこには誰もいない。

 だが確かに、彼は誰かに触れられたのだ。


 その手の持ち主は、後ろではなく前にいた。


 少女は目をうっすらと開き、じっと窪崎くぼざきを見ていた。


清楓さやか……!?」


 少女は声を出せなかったが、その唇はかすかに動いた。


「まだ、ポチって呼ぶのか……!」


 抱きしめた。さっきよりも、もっと多くの涙が出た。

 目覚めたばかりの少女をしばし独り占めしていたが、この喜びは分かち合わなければなるまい。かつて孤高だった、あの仲間たち。


 この少女を中心に群れた、一匹狼たちと。





 春の日差し、天気は快晴。

 青空には交差する二本の飛行機雲。


 清楓さやかはなんとか高校は卒業できたが、進学は諦める事になってしまった。リハビリも長くかかってしまうし、病気の事もある。彼女は未だにAランクの素養を持ったままだから、監視を兼ねた護衛が必要になっていて、その都合、自由な行動は制限される事になってしまっていた。

 だが少女はそれでいいと思っている。適当にウロウロして、周囲に迷惑をかけるのは本意ではないし。


 だが心残りは、研究者への夢が途絶えた事だ。いつか大学に入って、改めて目指してもいいのだけど。

 病院の屋上で空を見上げていたら、不意に体を覆うように、良く知った香りの男が後ろから抱きついてくる。


「わっ、びっくりした」

「どうした、何を考えていた?」

「ん-、一緒に研究、したかったなって」


 男は自らの頬を、少女の頬に摺り寄せる。大型犬のようだ。そして耳元で囁く。


「将来の夢を、研究者のお嫁さんに変更しないか?」


 少女が驚いて振り返ると、窪崎くぼざきはニヤッと意地悪そうな笑顔を見せた。そしてポケットから、指輪のケースを取り出して開いて見せた。遂に完成した、指輪型のリミッター。世界最小である。


「YESなら右の頬、NOなら左の頬にキスしてもらおうか」


 少女は「どちらから見ての右左みぎひだり?」と思ったが、それを聞くのは無粋だとも思った。頭の良いこの男の事、どちらの頬にキスしても、「俺から見て右だからYESだな、清楓から見て右だからYESだな」程度は言いそうでもあったし。


 無言で中間を取って、唇にキスをした。


 どうやらそれもYES判定だったようで、きつく少女は抱きしめられたという。



(終)

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一匹狼は群れたがる MACK @cyocorune

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