第9話「その後」

 霊園の中の小さな墓の前で一人、線香をあげ黙祷を捧げる人物がいた。


 墓はまだ新しく、またよく清掃されており、スカシユリと菊の花がきれいに並んでいた。


 季節は秋で涼やかな風が線香の煙を空へと運ぶ。

 線香は半ば灰色になり、とても長い間、故人と話をかわしているのが伺えた。

 墓の前には写真が一枚たてかけてある。


「湊」


 黙祷を捧げる人物、湊は声のしたほうを振り向く。

 湊はあれから退院し一週間、復調したようで顔色もよくなっていた。


「雪さん」


 珍しく黒いティーシャツに黒いチノパン姿の雪がそこには立っていた。


「ここがそうなんだな?」

「……はい」

「私もいいか?」

「はい。も喜ぶと思います」


 雪も墓の前にたち、黙祷を捧げる。

 スズムシの声だけが墓地を満たす。


「……しかし、これか」


 長い黙祷の後、雪はつぶやきをもらす。

 そのつぶやきの元は写真に向けられていた。


「ええ、わかりませんか?」

「ん? まー、面影あるし、最後にあったときはこんな感じだったからよ。けど、見慣れてねーからな、私は」


 写真には黒髪を軽くして、毛先をまるめ、目元がはっきりした女子校生が写っていた。


「詩織がこの姿になったのは、僕と付き合うちょっと前のことですね」

「ふーん。いい恋してたんだな。やっぱりあの子がんばってたんだな」


 湊はその言葉が心の琴線に触れたのか、歯をくいしばる。


「……雪さん、僕にそんな価値ありますかね? がんばってもらう価値が」


 雪は顔をふせる湊を馬鹿にしたように見る。


「知るかよ。私、お前に惚れてねーもん。そんなのお前の問題じゃねーんだよ。惚れたほうの問題で結果それが全てだよ。そんなこと疑うんじゃねーよ。お前は黙って胸でもはっとけ」

「……はい」


「しっかし、眼鏡ちゃん素材はいいと思ってたけど、改めてみると本当かわいかったんだな」


 雪はため息をもらし、写真を再度見る。

 そこには高架下で一人悩んでいた姿はなく、幸せそうに微笑む遺影だけがあった。


「……雪さん」

「あん?」

「本当にありがとうございました」


 湊は姿勢を正し、しっかりと頭を下げた。


「いいよ。面倒くさい奴だな。ギャラもらってるし、ボランティアじゃねーし」


 ぷらぷらと雪は邪険そうに手をふる。


「……でも、雪さんがいなかったら、詩織とは最後に会えませんでした」

「それもお前が選択したことじゃねーか。本当は憑いてしまった奴は強引にでも祓ったほうがいいんだよ。面倒もねーしよ。湊よ、お前、現に危なかったんだぜ? 入院までして」


「……僕は、不出来な彼氏でしたから、あいつの最後の言葉を聞いてやることくらいしかできませんでしたから」

「――まじめだねー。まー、眼鏡ちゃんにはそこがよかったみたいだけどな」


 湊はこたえず遺影を見る。

 なにかを想う様に、手を開き、閉じて、開き、また閉じる。


「……僕は本当に詩織にふさわしい男だったんでしょうか?」


 雪は答えない。


「僕は本当にだめな奴なんです。本当はあの日、待ち合わせの日、記念日だったのに僕は用事ができて、急にいけなくなったって断ったんです。あいつ怒って、その帰り道にあんな……」

「……それはどうしようもねーことだろうが」


 湊は強く拳を握り、首をふる。


「断ったらよかったんです。急に入った用事なんて、こんな事になるなら、そんな用事はどうでもいいことだったんです。あいつあの日、僕にプレゼントを買ってきてくれて、それを渡すつもりだったみたいで、ずっと僕が欲しがってた北欧のカップで。簡単に手に入るものじゃないくらい僕は知ってます。けど、僕のところに来たときには割れてて、詩織はもう……詩織は僕のために最後までしてくれようとしたのに、僕は他のことを優先して……僕は……」


「それがお前の後悔かよ?」


 湊はなにも答えない。

 ただ思い出す。


 当時、詩織の両親から電話がかかってきて、そこから断片的な記憶になり、ちぐはぐになっている。頭部が原型を留めないほど損傷していた詩織とは最後まで会うことが叶わなかった。

 

 なぜなら詩織の両親にどうか見ることをやめてくれるよう頭をさげられたからだ。そのことだけははっきりと覚えている。


 死に水もまともにとってやることができず、湊の中にはなにもいえぬまま詩織が永遠に去ってしまったという後悔が強烈にこびりついていた。


「つまんねーことだな」


 しかし、雪は湊の言葉を切り捨てた。


「眼鏡ちゃんがお前に恨み辛みをいったのか? 呪ったのか? 自分の頭がやられて、思い出や記憶をもっていかれて、それでもただ、湊、お前に会いたくて、お前が好きだということだけは忘れなくて、ただそれをいうためだけにこの世に残ってしまった、そんな彼女のことをお前は疑うのかよ?」


 湊は顔をふせ、体を震わせる。


 出会った頃の詩織を思い出し、付き合っていた時の詩織を思い出す。

 はじめは一人教室で佇むその冷めた横顔が気になって、姿をおうようになった。いつ好きになったのかはよく覚えていない。ただ、始めから気になっていたのは確かだ。


 付きあう頃になると、まわりとも打ち解けだし、よく笑うようになった。どの頃の詩織も湊は好きだったが幸せそうに笑う詩織を見ているのが一番好きだった。付き合って、一年という時間が過ぎて、思い出は湊の心に強く根付き、想いは重ねられていった。


 それは湊の中で、とても大事で他の何にもかえがたいものだった。

 涙がこぼれ落ち、とめどなく頬を伝い落ちる。


「ほらっ」


 とんっと、雪は湊の胸を軽く打つ。


「いったろ。お前は黙って胸はってればいいんだよ。しっかり上を向いて、ちゃんと眼鏡ちゃんにお前の顔を見えるようにしてやれ」

「…………はっ……い」


 歯をくいしばり、袖で涙をふき、湊は空を見上げる。


 秋空は高く、穏やかで、ひきこまれそうだった。だからこそ自分の気持ちそのものをそこまでひっぱっていってくれる気がした。どうか本当に詩織まで届いて欲しいと願う。自分は詩織が好きだということ。感謝していること。力になったこと。幸せだったこと。それは今も決して変わらないということを。


「まっ、空にあの世があるかなんて、私もわかんねーけどな」

「もう、雪さんは」


 雪なりの気をつかった冗談に湊は濡れた瞳のまま少し笑う。

 雪も笑う。


「でも想いは大事だぜ。今回、お前の気持ちがあったから、私は仕事をする気になったんだからな」

「……想い……ですか」

「そうだ。想いが想いを生み、それは行動となってなにかを生み出すんだぜ。それこそ――」

「それこそ?」


 雪は息をすいこみ、不敵に大きな目を光らせる。


「奇跡だってな!」


 空に指を向け、雪は叫ぶ。

 湊は唖然とし、あたりはスズムシの音がまた満ちる。

 しばらくの沈黙。


「……なんだか、そこまでいわれると安っぽくないですか?」


 湊はなんともいえない表情になり、言葉をはく。


「あー! テメー! そこでそういうこというか! 私の決めポーズ台無しじゃねーか。まったく眼鏡ちゃんといい、そういう冷めたところ似てやがるよな」

「すいません」


「まー、いいけどな。無駄にすんなよ。眼鏡ちゃんの想いを。心配させんなよ」

「……はい」

「ったく、また泣きそうになりやがって、笑っとけ」


 そういって雪はきびすをかえす。


「……いくんですか?」

「ああ、用事はすんだしな。またなんかあったら私に連絡してきな。私が気に入ったら解決してやるよ」


 そういって雪は不敵に笑う。

 胸をはって歩き、雪は墓地から離れていく。


 その姿を詩織が見たら、やっぱりかっこよくてきれいだなと思うのだろう。

そのきれいに伸びた後ろ姿に、湊はいつまでも頭を下げ続けていた。

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たとえあなたが別れた彼女が好きだったとしても 碧井いつき @koron46

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