第8話「二度目の告白」

 ごくりと喉が鳴る。


 今、私は夜の病院にいる。

 目の前にはドアが一枚あり、ここを開けると、個室に湊くんがいる。

 雪さんが動いてからことは早かった。


 その日のうちに段取りを決め、面会謝絶だったはずの湊くんの面会許可をとり、その上、その日のこんな時間にセッティングを決めたのだ。早い内がいいとはいえ、あまりにも早すぎた。本当に雪さんは一体何者なんだろうか?


 けど、正直素直に感謝できない。

 報酬として要求されたものの支払いを考えると……。

 支払いはさっき済ましてきたんだけど……私、湊くんの前に出ていい体じゃなくなっているかもしれない。


 深く考えるのはよそう。

 私の気持ちは変わらない。

 私はただ、ただ、湊くんが好きなんだから。


 深呼吸を一つし、私はドアを開けようとしたら、勝手に開いた。


 湊くんがいた。

 当たり前だけど、湊くんがいた。


 いきなりの登場に私は驚き、声が出ない。

 湊くんも私の姿を見て、しばらくたってから声を出した。


「……どうぞ、入って」


 招かれた室内はベットと点滴と、家具のようなものがあるくらいで、すごく簡素だった。

 窓からは月明かりが入り、病室を青白く染め上げている。


 湊くんは重そうな足取りでベットまで戻り、私とちょうど向かい合わせになるように座った。


「座る?」

「あっ、ううん、いい、ここで」

「……そう」


 さすがに同じベットの上に座ることはできなかった。緊張してうまく言葉になりそうもなかったから。

 湊くんはどこか残念そうに、またはぎこちない感じがした。


「あの、ごめん、急に。迷惑だったよね。いつ――秋上くん入院したのに」

「そんなことないよ。わざわざ来てくれてうれしい。後、湊でかまわないから」


 私は顔が赤くなる。

 当然ながら、本人の前で湊くんといったことはない。


「みっ、湊くん」

「うん」


「湊くん」

「うん」


「湊くん」

「……うん」


 湊くんはなぜか顔をふせてしまった。調子にのって何度も呼んでしまったことを不快に思ったのかもしれない。


「ごっ、ごめんね。何度も呼んで。意味わかんないよね、私」

「……ううん。そんなことないよ。僕こそごめん、気を使わせてしまって」

「それは仕方ないよ。湊くん病人だし」

「ああ、それはそうだったね」


 そういってお互いの顔をみて、私たちは笑った。

 よし、いい雰囲気だ。


 湊くんに分からないように細く息を吸い込む。


「こんな風に二人っきりになるのって、あの時以来だね」


 湊くんはあの時の言葉の意味が届かなかったみたいで、不安定な表情をしていた。

 それは仕方ないよね。

 湊くんにとってはただの日常の一コマで。

 私にとっては大切な思い出なんだから。


「ほらっ、覚えてないかな。こうやって学校の教室で私が一人で黒板を消しているところに、湊くんがあらわれて」

「ああ、放課後の夕焼けがきれいだった時だね」


 湊くんは薄く笑う。

 覚えていてくれた。覚えていてくれたんだ。

 じんわりとしみ込んでくる気持ちをよそに私は話を続ける。


「あの時は、本当に助かったよ。改めてありがとうね」

「日直を手伝っただけなんだけどね。そこまでいわれることは……」


「ううん、それだけじゃないよ。私さ、あの時、ばれてたのかもしれないけど、正直泣いてしまいそうだったんだよね。私こんな性格だから、クラスで一人で、ずっと一人で、放課後になってまで、なにしてるだろうって、ちょっと気持ち弱ってきちゃって」


「……」


「そんな時、湊くんがあらわれて、私救われたんだ。思ったより傷つかずにすんだ。私、あそこで泣いてしまっていたら、きっともっと駄目になっていたから」

「……僕は本当になにもしていないよ。それに一人だっていうけど、ちゃんと話したら、みんな分かってくれると思うな。いい子だもん、し――君は」


「そんなことないよ。私暗いし、口下手だし。それに湊くんも無理して私をいい子っていうから、かんで――」

「そんなことない」


 それは思いの外強い言葉だった。

 湊くんらしからぬというか頑固さがにじみでるような断定だった。


「僕はよく知っている。君はいい子だよ。君がまわりと話すようになれば、君のまわりにはみんな集まってくるようになる。君は自分の価値を知らないだけだよ。ただ知らないだけだと思う」


 何故か力説されてしまい、顔が赤くなる。

 湊くんにそういわれると、少しだけ、ほんの少しだけでもそれを信じようと思えてしまう。


「本当かなぁ」

「本当だよ」


 嬉しくて、胸が高鳴る。

 けど、その高鳴りをおさえ、私にはいわなくてはいけない言葉がある。


「あのね、湊くん、私今日は大事な話があって来たんだ」

「うん」


「聞いてくれるかな?」

「……うん」


 湊くんは何故か目を細め私を見る。

 じっと見られて、緊張するが、私は気持ちを伝えることを決めているのだ。

 ひけない。


「私、自分に自信がなくて、いつもどうしたらいいか分からなかった。けど、ほら、私ちょっと前まで、眼鏡だったでしょう? 今眼鏡じゃないのは、湊くんが私に、かっ、かわいいって、いってくれたからで、そういうのって私、自分じゃ信じられないんだけど、湊くんがいってくれたら信じられるっていうか、信じようってがんばれるっていうか……湊くん?」


 湊くんは顔をふせている。


「……ごめん、続けて」

「でも体調が悪いなら……」


「……大丈夫、聞きたいから、ちゃんと最後まで、続けて、続けて欲しいんだ、お願い」


 声もかすれていて心配だけど、湊くんは何故かそこまでして聞いてくれようとしてくれている。なら、私は伝えないわけにはいかない。


「……湊くんの言葉は、私に力をあたえてくれるんだ。がんばろうって思わせてくれる。そんな、そんな湊くんを私は――」


 私はその言葉に思いのたけをこめる。


「好きです」


 いった。いってしまった。

 はっ、恥ずかしい。


 私は今、すごいことをいってしまった。

 恥ずかしくて、しばらく顔をうつむいてしまう。

 

 どうにか少しもちなおして、目線だけ湊くんのほうを見る。

 湊くんは顔をふせたまま、なにもいわない。

 

 私は沈黙に耐え切れず声を発する。


「湊くんは彼女が好きで、今でも忘れがたく思っているんだろうし、そもそも私のことなんてなんとも思ってないんだろうけど、私、力になりたいっていうか、湊くんを幸せにしてあげたいっていうか、もう好きで好きで仕方ないから――って湊くん本当に大丈夫?」


 湊くんはとうとう震えだし、なにかに耐えるようにしている。

 体調がまた悪化したのかもしれず、心配になり、私は湊くんに近寄る。

 

 教室で机をはさんで話したあの距離より、ずっと近くに行く。

 湊くんは手を伸ばしてきたので、その手をとる。

 湊くんにしては強引にその手を引いて、私の胸に顔を埋めた。


 「みっ、湊くん!? なにを――」


 その後の言葉は続かなかった。


 湊くんは泣いていた。


 声を押し殺して、くぐもった声で泣いていた。

 湊くんはうわずった声でお礼とも謝罪ともとれる言葉をもらす。


 私は少しとまどいながら、湊くんの頭を腕にかかえ髪をなでる。

 湊くんはうわ言のように言葉にならない言葉をつぶやき続けている。


 なんだか内容が読みとれなくてよく分からない。


 もう会えない彼女さんに対しての言葉なんだろうか?

 それとも私に対しての言葉も含まれているんだろうか?


 入院することになって、またこんなやり取りがあって、参っているのかもしれない。


 ごめんなさい。


 けど、でも、湊くんに気持ちを伝えることはできて、今なにはともあれ、私の大切な人は私の胸の中にいる。

 それは幸せなことだと思っていいんじゃないだろうか?

 少なくとも手を引いて、湊くんは私を求めてくれたんだから。


 私は湊くんの頭をそっと抱きしめて思う。


 ああ、私は本当にこの人のことが好きだ。


 嬉しくて、私はそっと目をつむり、涙を流した。

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