解答編

 それからしばらくはみんなでシチューを食べたりレシピを確認したりして時間を過ごした。だけど、肝心の瞳馬くんの手紙の暗号はわからずじまいだった。ひとみさんと伊利亜さんが額をぶつかるくらい近づけて手紙を凝視しても答えは浮き上がってこない。初夏ちゃんはパイを食べてお腹がいっぱいになったのか、ソファの席でお昼寝を決め込んでいた。

「……やっぱり、この三角形の意味が分からないと解けないかしら」

「でも、うちの人はヒントなしで解いてたし……」

 二人は初夏ちゃんが起きないようにひそひそ声で相談を続けていた。私は来客もなくやることがいよいよなくなったので、初夏ちゃんの隣に座って寝顔を眺めつつぼうっとしていた。

 そこに、入り口のドアが開くベルの音が響いた。

「ただいまー」

「あら竜人、お帰り」

 保育園の制服を着た男の子がわっと伊利亜さんのほうへ駆けた。ママっ子の竜人くんは私が目で追うよりも早く伊利亜さんに抱き着いていた。

「ただいま。あぁ寒い……」

 少し遅れて雪垣さんが入ってくる。手には竜人くんのカバンと大きな手提げ袋を持っていた。そして……。

「あら? 瞳馬?」

 その後ろから瞳馬くんが入ってきた。雪垣さんは「下校途中に偶然会ってね」と言うが、どうにも白々しい顔だった。伊利亜さんも察したのか、竜人くんを抱きながら私に呆れた視線を送ってきた。

「もうそんな時間だったの」

「木曜は五時間目までって言ってるでしょ?」

 瞳馬くんは肩を竦めて言った。小学二年生にして皮肉屋っぽい表情が板につきつつある少年だった。

「で、あなた。例のあれは?」

 伊利亜さんが瞳馬くんのほうを見て言った。一応、彼には母親が手紙の暗号を相談していることは秘密にしておくべきだろう。

 雪垣さんは騒がしくなってもまだ寝ている初夏ちゃんの寝顔を覗いてから、ひとみさんに近づいた。雪垣さんは彼女に小さく耳打ちし、ちらりと手提げ袋の中身を見せて離れる。ひとみさんは軽く頷き、瞳馬くんの手を握った。

「じゃあ、私たちはそろそろ」

「そう。ではまた。瞳馬くんも今日はありがとう」

「ん」

 雪垣さんの朗らかな言葉に、瞳馬くんは一音だけで答えた。二人は扉を開き、店から去っていく。

 後には私と紫崎一家が残された。伊利亜さんは竜人くんに「手洗いうがいしてきて」と声を変える。

「はーい」

 竜人くんは素直に返事をしながら奥へ消えていった。彼女はその背中を見送ってから、雪垣さんのほうを向いた。

「それで?」

「うん?」

「私たちへの解決編は?」

「もちろん、やるとも」

 雪垣さんはようやく荷物を机の上において息をついた。

「さて、どこから説明したものか」

「はいはいっ。まずは雪垣さんがノーヒントで解けた理由が知りたいです!」

 私は手を挙げて訴えた。ずっと気になっていたことだ。

「私も知りたいわね。この暗号ってヒントありきで解くものでしょう?」

 伊利亜さんも手元のノートを掲げて言った。空白のページにひとみさんの手紙と同じ文面が写されている。私は彼女のそばに移動して、暗号の中身をもう一度確認する。

『サンタさんへ

 くりきなすきますのなぷれききぜんなきなとはいきりきまなせんな

 そきのきかななわり

 きおななかあさききんにおななやすきなみをきくきだななさきい』

 ……うん、やはり何が書いてあるかさっぱりわからない。法則性があるわけでもなさそうだし……。

「それは簡単だよ」

 だが、雪垣さんは平然と言った。

「いいかい。最初に言った通り、これは小学二年生が作った暗号だからわかりやすい元ネタがあるはずだ。この暗号文の特徴は、隅に描かれた謎の絵と……」

 彼はノートに正確に写し取られた三つの黒い三角形を指さす。その指はページをなぞって文面へ移動する。

「偏りのあるひらがなの分布」

「偏り?」

 私と伊利亜さんはノートに視線を落とした。

「あっ」

 伊利亜さんが声を漏らした。私も同時に呟いていた。

「『な』が多いわ」

「『き』がやたら出てきてません?」

 声がダブり、お互いに顔を見合わせる。そしてもう一度暗号に視線を戻す。確かに、伊利亜さんの言う通り『な』が多いような……でもそれを言い出したら『す』も多い気がしてきた……。

 雪垣さんは私たちの混乱を面白がるように笑って続けた。

「どれが多いかはひとまずさておいて……この特徴を持つ、子供でも分かる暗号はひとつしかない。いわゆる『たぬき』暗号だ」

「タヌキ? あぁ、た抜き!」

 私が手を叩くと伊利亜さんも気づいたようで目を見開いた。

「そういう暗号、竜人に読んであげた本にもあったかも……」

「小学生が知ってそうな暗号、それくらいしかないですもんね。でも……」

 私はノートに視線を落としたまま言った。

「このままだと、どのひらがなを取り除けばいいかわからないですよね」

「そうだね。瞳馬くんはヒントを出したつもりだったんだろうけど、この絵では伝わらなかった」

「で、これはなんなの?」

 伊利亜さんが三つの三角形を指で叩いた。雪垣さんは机に置いた手提げ袋を探り、中から一冊の絵本を取り出した。

 タイトルは『すてきな三にんぐみ』。表紙には黒づくめの三人の男が描かれている。彼らがかぶっている背の高い帽子は……。

「三つの黒い三角形……」

 私はノートの書き写しと絵本の表紙を交互に見た。こうして比べると、もう三つの三角形も『すてきな三にんぐみ』にしか見えない。

「ひとみさんが瞳馬くんに、クリスマスプレゼントとして絵本をプレゼントしたことがあるって言ってただろう? それでもしかしてと思ったのさ。暗号のヒントはその暗号を解く相手……この場合はサンタさんにわかってもらわなければいけない。瞳馬くんの視点からすれば、過去のクリスマスプレゼントをヒントにすれば確実だと思うはず」

「なるほど……」

 私は雪垣さんから絵本を受け取った。裏表紙には図書館のバーコードが貼り付けられている。

「借りてきたんですね」

「そう。どんな絵本を貰ったかは聞きそびれたから、瞳馬くんにうちの子用の絵本を選んでほしいって頼んでね。それとなく昔どんな絵本を読んだか聞いたらこれを持ってきた」

「そのためにわざわざ瞳馬くんと合流したのね」

 雪垣さんは「まあね」と言って肩をすくめた。

 問題は……ここからどうやって「た抜き」と同じようなヒントを見つけ出すかだ。三人組? うーん……すてきな? すて……捨て? 捨て、きな……。

 私はノートの暗号に目を向けた。ゆっくり、「き」と「な」を取り除いて読んでみる。

『サンタさんへ

 くりすますのぷれぜんとはいりません

 そのかわり

 おかあさんにおやすみをください』

「それで、ひとみさんに答えを教えてあげたの?」

 伊利亜さんは解き方さえわかれば満足なようで、暗号には目もくれず雪垣さんに行った。ちょうど、奥からばたばたと竜人くんが戻ってくる。

「いや、ヒントを出しただけだ。プレゼントは予約購入が必要なものでもないしね。どうしても解けないなら答えを教えるつもりだけど、ここは……」

 雪垣さんはしゃがんで竜人くんを迎えた。竜人くんは洗った手を誇示するように雪垣さんに突き出してみせた。雪垣さんは優しく笑って竜人くんの頭を撫でる。

「合理性よりも非合理性を楽しむところ、だろう?」

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