お題:スヴァールバル世界種子貯蔵庫
「……あった。ここだ」
極寒のなか、二人の男は二週間かけて情報の場所まで辿り着いた。
特徴的な細長い直方体のシルエットをしている。間違いない。厳つい存在感を示すコンクリートの建造物が雪の中に埋もれていた。
「入り口は? 本当に開くんだろうな」
「まあ待て。少し落ち着く。ここで鍵を落としでもしたら目も当てられん」
吹雪に凍えながら、男は慎重にリュックを下ろし、中を漁った。震える手に握られているのは、世界の命運を握ることになる鍵だった。
「よし」
重く頑丈な扉が開く。世界の終末に備えて建造された貯蔵庫が、世界の終末を前にして開かれた。
「すごいぞ。本当にあったんだ」
原因は核戦争か、それとも巨大隕石か。未曾有の氷河期が地球全土を覆った。四十六億年の歳月で地球上に反映していたすべての生物、その99%が死滅した。人類も、そして植物も例外ではない。
世界の滅亡に備えた建造物の内部にも、今や人間の姿は一人もない。ただ二人の部外者の足音だけが響いている。旧文明の遺したライトを携えて、暗闇の中を探った。
「コムギ、トウモロコシ、ジャガイモ……これが、伝説の……」
種子は一定の条件が揃ったときに発芽する。逆に言えば、条件が揃わないかぎりは半死状態で休眠し続けることができる。世界が終わりを迎えてもなお利用可能な状態で保管し続けられていたのは、その特性に基づく。
その貯蔵庫では、100万種もの種子を-18℃で保管し続けていた。
「だが、種はあっても……本当に栽培できるのか?」
つまり逆に言えば、-18℃で発芽する種子は存在しない。そして今現在の地球上に、-18℃を上回る気温を記録する土地はどこにも存在していなかった。
種子には発芽の条件が存在する。それは光量であったり、温度であったり、周囲の水分量であったりする。ある種子は、ある程度の光が当たることが発芽の条件となる。一方で、ダイコンなどは光があると発芽しない。発芽条件は種子によって異なる。硬い殻に覆われその身を守りながらも、種子は外界環境を感知している。
だが、その種子だけは、発芽条件がわからなかった。
「おい、ちょっと来てみろ」
「なんだ? これはエレベーター……?」
文明時代、貯蔵庫には一般人の立ち入りは禁じられていた。だが、立ち入りを許されていた数少ない職員にも隠された地下空間が存在する。
地上のありとあらゆる種子の保存を試みる貯蔵庫の矜持が、未知の種子の存在を許さなかった。その種子は強化ガラスに覆われたケースの中で保管され、12台のカメラによって24時間監視され続けていた。植物学の権威が結集し、あらゆる条件を試した。光量・酸素・温度・水分はもちろんのこと、土質については粒のサイズから元素含有率まで細かく条件を変え、あるいは放射線照射を試したこともあった。寄生種である可能性を疑ったり、周囲の植生環境も複数のパターンを試した。果ては、音楽を聞かせてみたこともある。
そのすべてが空振りだった。
現在、すべての職員が退去ないし死亡し、監視の目が消えてから3600年が経過している。
その種子は見られることを嫌った。見られてしまえば、偽物だと気づかれてしまうからだ。
「誰だッ!?」
と、問いかけるのは滑稽だと、男は声を発してから気づいた。だが、その気配は間違いなく人のものだった。
恐る恐る明かりを照らす。その先には、確かに人の姿があった。
二人は息を呑む。全裸の女だ。雪のように白い肌をした、この世のものとは思えない美しい女だった。
「ハ、ハロー……?」
女は、ただ優しく微笑んだ。
人類は小麦の奴隷だという与太話がある。人類は小麦を栽培することで農耕文明を築いた。結果、小麦は大繁栄を遂げた。もはや人類社会は小麦なしには成り立たない。人類はせっせと小麦を殖やし、育て続ける。農耕文明によって人類が本当に幸福になったかなどということは、小麦にとって知るところではない。
フタバランの一種は、花の一部分を雌のハチそっくりに擬態する。雄バチはその花を雌バチだと思い込み、必死に求愛行動を続ける。結果、雄バチの身体には花粉塊がまとわりつく。そして凝りもせずに、また別の花を雌バチだと勘違いし、求愛する。そして受粉が成功する。
結論をいえば、人類は再興する。
その植物にとって、人類は繁栄のために便利な道具であるからだ。
物置 饗庭淵 @aebafuti
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