俺の彼女の養親

「ヘカテーちゃん、知り合いだったの?」

「ち、違いますわ!」

「でも向こうはどう見ても知ってる感じだったけど……じゃあ昔にどこかで眷属にした、とか?」

「人聞きが悪いですわね。わたくしを血脈操作で奴隷を作り出すあの吸血鬼ヴリコラカスと一緒にしないでほしいですわ。わたくしは生まれてから今まで、立派に天涯孤独ですわ!」


 いや、偉そうに微妙に心が苦しくなることを言われても。


 今現在、メーディアに案内された道場らしき建物で、俺とヘカテーは待機している。

 朝食の支度をするのでここで待っていて、との指示を黒髪ロングのメーディアに言われたからである。

 

「しかもヘカテーちゃんに『様』つけて呼んでたよな」

「オーホホホッ! あの貧弱そうで変な格好の女の方も、わたくしを見る目だけはあるようですわね!」


 腰に両手を当てて高らかに宣言するヘカテー。嬉しそうな顔である。


 頬を緩ませてふわふわと浮いているヘカテーを放っておいて、俺はメーディアの戻りを待つ間にいろいろと思考を巡らせてみたが、結局何も分からなかった。


 マリナの育ての親が、ヘカテーを『様』づけで呼ぶ――まさか、実はメーディアも魔族だったりとか?

 そうなると、尚更マリナにとっては絶望を増やすことになるのではないだろうか。


 これ以上絶望は要らない。マリナの希望となる事実を探しにきたんだ。


「お待たせしました。食事の準備が整いました」


 メーディアが音もなく戻ってきてそう言った。

 門番や門下生 (?)に話す時の男勝りな口調とは打って変わって、まるで執事かメイドのような話し方である。


「オーホホホ! こっちの食事は久しぶりですわ!」


 すっかり上機嫌のヘカテーが飛びながらメーディアについていく。

 メーディア……悪い人には一応見えないけど、得体が知れない以上は油断してはいけない気がするな。


 * * *


「んむっ!!」


 美味い。滅茶苦茶に美味い。


 メーディアが用意してくれた豪勢な料理は、どの品も鳥肌が立つほど美味しかった。

 牛肉みたいなものの炒め物も、透き通ったうっすら黄金色のスープも、ポテトサラダみたいな純白のペースト状のものも、どれもが唸ってしまうほど感動する味だった。


 寝不足気味の――というか寝ていない――身体に、栄養が染み渡る感覚。

 うん、間違いない。メーディアは良い人だ。こんなにも美味しい料理を作る人が悪い人なわけがない。(即油断)


 道場の奥、廊下の突き当たりから階段を上ったところにある小さな洋室で、俺とヘカテーとメーディアの三人で食事を摂っている。

 朝食にしてはパンチの強いメニューだが、それでもあまりの美味しさに手が止まらない。


「メーディアさん、このお肉の料理は……どんな料理なんですか?」

「はい、これはゲロールのお肉を洋酒に漬けたものです」

「……」


 一瞬で食欲がログアウトした。というか前にも聞いたな、ゲロール。


 積もる話は食事の後に、というメーディアの提案で食事を始めて数分。

 まさか、太らせて食べる気か? とも最初は思ったが、冷静に考えれば国の入り口で助けてくれた人間が、仇をなすとも考えづらい。


 何にせよ、マリナの育ての親だ。予定通り、深く話し合う必要がありそうだな。


「あらユウスケ」


 不意に、俺の左方で黙々と料理を啄んでいたヘカテーが俺の名を呼んだ。


「何?」

「ユウスケ、よく見ると美味しそうな唇をしてますわね」

「……は?」


 何故かヘカテーが妖艶な目線を俺に向けている。

 よく見れば頬は紅潮し、呼吸も荒い。


「味見させてもらいますわ!」

「なんで!?」


 目が据わっているヘカテーがふわりと飛んでこちらに向かってきた。

 上体を後屈するのもお構いなしに、ヘカテーは俺の顔をガシリと掴んできた。まずい! こいつ本気だ!


「ちょちょっと! 食事中だよヘカテーちゃん!」

「なんですの? じゃ食事中じゃなかったら良いんですの?」

「いや、そういうわけじゃなくて」

「いつもいつもそうですわ! ユウスケはわたくしのことを一切女性としてみていませんわ! わたくしもれっきとした女性ですのに! それもこんなに美しくて可憐な!」


 なんか言い出した。

 というか完全に酔っぱらっているようだ。俺がまだ手を付けていないグラスに入った紫色の液体、どうやらこれはアルコールの類らしい。

 案の定、ヘカテーの席のグラスは空っぽになっている。


「とりあえず落ち着いて! 顔を離してくれないかな」

「……嫌ですわ」

「え?」


 髪の色と同じくらい赤くなっている顔をムスッとさせるへカテー。

 というかメーディアさん、なんでさっきから無視して食事してるんですか。止めてくださいよ!


「離しませんわ! ユウスケはわたくしと接吻をするのが嫌なんですの!?」

「嫌とかじゃなくて、ほら今は食事中で」

「したいんですの!? したくないんですの!? どっちなんですの!?」


 至近距離で怒鳴るヘカテーの吐息が顔にかかる。

 とろんとしたオッドアイが俺を睨んでいて、妙な気持ちになってきた。


 とか言ってる場合ではない。


「だから、今は食事中で、っておい! ちょちょちょっ!」


 ものすごい力で顔面を掴むヘカテーが顔を近づけてきた。

 瞬間、俺の脳裏にはつかさとのキス未遂の映像がフラッシュバックして、痛みを伴う脈が一つ流れた。


 練習? 酔った勢い?

 いや違う、半端な気持ちでしていいことではない!


「やめ……ッ」


 しかしながら非力な俺の腕力では太刀打ちできなかった。

 あと数センチ! 俺はなす術なく目を閉じてしまった。


 ……。


 が、次いで俺が感じた感覚は顔面に感じていた圧力からの解放だった。

 徐々に視界を戻すと、俺の直下に崩れるようにしてヘカテーは転がっていた。


「お休みになりましたね」


 先ほどまで沈黙していたメーディアが声を出した。

 どうやらヘカテーは眠ってしまったらしい。というか眠らされたのか?


「ヘカテー様には聞かせるわけにはいかないのです」


 そう言うとメ―ディアは床に転がるヘカテーを抱き上げ、部屋を出て行った。

 両こめかみに残るヘカテーの握力の余韻を感じながら、俺は一人取り残された部屋で自分のグラスを見つめる。単なるアルコールではなかったのか? このぶどうジュースみたいなやつ。


 すっかり食欲がどこかに行った俺は、忍び足で部屋を出ようとしたところで戻ってきたメーディアに見つかり、


「食事が済んだら下の道場にお越しください。大切な話があります」


 と告げられた。

 くるりと踵を返した際に、一瞬見えたメーディアの目は驚くほど大きく、そして紫色の虹彩に見えた。


 紫――俺の知りうる紫色の目といえば、それはヘカテーの半分、そしてエリュの目だ。


 やはり魔族。その可能性が否めない。

 嫌な予感が膨らむが、今はとにかく情報が欲しい。


 グラスの飲料をそのままに、俺は下に向かうことにした。


 * * *


 数か所、窓を解放して心地よい風脈が道場全体を包んでいる。

 それでも染みついている汗のにおいは鼻をつくが、それよりも今は正念場である。


 現在俺とメ―ディアは、まるでお茶の稽古のように正座で向かい合っている。

 なかなか静まらない心臓をどうにか呼気で落ちつけつつ、俺は目の前の前髪女に切り出した。


「それで、ヘカテーちゃんに聞かれたくない大切な話ってなんですか」


 どうにかして、マリナの希望を手繰り寄せなければならない。

 そのためにも、特に親密な関係だった人物の言葉は、一言一句聞き逃してはならない。


「詳しいことは言えませんが、私が今こうしてプリュギアで暮らしているのは、ヘカテー様の為なのです」

「ヘカテーちゃんの、ですか」

「はい。さらに言えば、今日までマリナストライアを私のもとで育てたのも、今現在こうしてヘカテー様と貴方をこの道場に招きいれたのも、全てヘカテー様の為なのです」


 相変わらず前髪で目の隠れたメーディアの発言は、何一つ理解できない。


「マリナを育てたのも? というのはどういう意味ですか」

「申し訳ありませんが、ユウスケに詳しい話をするわけにはいかないのです」

「は、はぁ」


 気のせいか、言葉に微妙な冷たさを忍ばせてくるメーディア。

 というか俺は呼び捨てなんですね。


「差し当たり、本題に入ります。ユウスケとヘカテー様が、ここプリュギアにいつか来ることは知っていました。何か目的があって来ることも」

「預言か何かで知ったとかでしょうか」


 メーディアは無表情のまま頭を振る。


「詳しいことは話せません。ですが私はヘカテー様の味方。ユウスケとヘカテー様の目的が一致しているなら、少なからずユウスケにとっても助けになることでしょう」

「助け……ということは、マリナの今の状況もご存じなのですか?」

「それらは概ね。いまあの子がこの世界に居ないこと、困った状況に陥っていること、くらいですが」


 それだけ理解してくれて、味方ならばこれ以上頼もしいことはない。


「さあユウスケ、あなたの目的を教えてください」


 そう言うメーディアは、ほんのりと口角が上がったように見えた。



 俺は今現在のマリナの状況、マリナが目を覚ますための条件、地球からここにやってきたことなど、詳細を全て話した。

 要領の得ない説明下手な俺の言葉を、メーディアは静かに聞き続けてくれた。


「そうですか。あの子は今……でも大丈夫です。あの子は本当に強い子ですから」

「……そうですね」


 大丈夫、他人から言われるこの言葉は心を軽くしてくれる。


「それに、あの子には違う世界に転移してまで助けようとしてくれる人たちがいる。こんなにも想ってくれる人に、あの子は巡り合えたのですね」


 前髪で目は見えないが、厳かな雰囲気とは異なる優しそうな表情をしているように見えた。


 しかしながらその表情も、すぐにキリっとした無表情に変わる。


「大変残念ですが、ユウスケが望むような『あの子の希望となる出来事や事実』を私は知りません」

「そう、ですか」

「あの子が私のもとで暮らすようになったのは十五年前。あの子はまだ一歳でした。幼くして両親を亡くしたあの子には、身寄りは居ませんでした」


 正座を崩さず微動だにしないまま、メーディアは思い出を語るように話し始めた。


「あの子が幼い頃から頻りに言っていたのは、『お父さんもお母さんも立派な勇者だった、私もいつか立派な勇者になる』でした。私としてももちろん手を抜かず、あの子を勇者として恥じぬような強い心と身体をもてるように育てたつもりです」


 手を抜かず……この人なら幼子おさなごでも容赦なく本当に手を抜かなそうだな。


「ですが、一つ私はあの子に告げていない真実があったのです。それが、ユウスケも既に知っていて、あの子が眠る原因にもなったこと」

「魔族の血、ですか」

「その通りです。あの子の母親マリネア・ヘイリオスは、人間と魔族のハーフ。半魔なのです」


 予想通りで、分かっていたことでもあるが、この絶望的な事実は言葉となって耳から入ることで、改めて胸の中を蝕むように沈殿していく。


「マリナは……やはり悪魔や魔族を憎んでいたんですよね?」

「それはもう。私にははっきりと話してくれたのは幼い頃だけですが、両親を殺されたとのですから。何よりも憎んでいたはずです」


 思い込んでいる?


「待ってください。メーディアさん、マリナの両親は、悪魔に殺されたんじゃないんですか?」

「……」


 明らかに意味深な沈黙をくれたメーディア。


 しかしながら冷静に考えればそうかもしれない。

 事実、マリナの母親は半魔だったのだ。悪魔が半魔を殺すというのは有り得ない話ではないが、するりと納得のいく話でもない。


「どうやらユウスケ、私にできるのはここまでのようです」

「そんな! まだ何もわかってないですし、これじゃマリナの希望は……」


 痺れ始めた足も気にせずに前のめりになった俺を、メーディアは手のひらで制した。


「慌てないでください。私が申しあげたのは、ということです」

「どういう意味ですか」

「私には、今現在この世界、グリース・アステリに存在する誰にも話していない情報が一つあります。もちろん、マリナストライア、あの子にも話したことはありません」


 メーディアは静かに立ち上がり、二階につながる階段の方を向いた。

 黒い長髪と地雷チックなふりふり服がふわりと揺れる。


「きっと、今日この日に、ユウスケとヘカテー様に伝える為の情報なのでしょう。私にはわかります」

「どんな情報ですか」

「その者なら、きっと誰よりも……私よりもマリナストライアのことを知り尽くしているはずです。その者の居場所を、私はこの世界で唯一知っています」

 

 マリナを知り尽くす者?

 育ての親以上に、マリナを知っている者がいるとするなら……。


「誰ですか、教えてください!」


 僅かでも、マリナの希望となる事実を手にできる可能性があるなら、俺は誰にでも会うしどこへでも行ってやる。

 きっと、今二階で寝ているヘカテーも同じ気持ちのはずだ。


「マリナストライアの祖母、そして半魔マリネア・ヘイリオスの母親である悪魔。マリナストライアと血の繋がった純悪魔」

「純悪魔……」


 冷汗が背中を伝った。


「あの子の祖母へイリアはまだ生きています。嫉妬の純悪魔である彼女に、マリナストライアの話を聞くといい。きっと力になってくれます」


 へイリア――?

 悪寒と同時に、俺の頭の中でマリナの言葉が蘇った。


 ――ヘイリア。勇者である私の両親を殺した、嫉妬の悪魔です。


 針で突き刺されたような絶望感が全身を貫いた。


 嘘だろ……マリナの両親を殺したのは、マリナの祖母だってのか?

 これじゃまるで、絶望が深まるばかりじゃないか。


 何かの間違いであってくれと強く願いながら、俺はメーディアから知らされた嫉妬の魔女ヘイリアの居場所を胸に深く刻み込んだ。

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不可逆のリインカーネイテッド ~俺の彼女は転生者?~ えねるど @eneld_4ca

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